さっ!今日から新しき年の仕事が始まります
(2006年1月4日 水曜日)
ご挨拶が遅れましたが、明けましておめでとうございます。皆さんお元気で新しき年をお迎えのことと存じます。私は12月29日から今日までお休みを頂きました。飛行機でひとっ飛び、30度の気温差に初日はクラクラしました。しかし勝手知ったるタイランド、緊張感ゼロで家族4人が(今回初めて全員が揃いました)“非日常”の1週間をダラ〜、ホワ〜ッと楽しんできました。
そして今日からは、それぞれが再びの“日常”に舞い戻っていきます。これから1年の間には仕事でヘトヘトになったり、トゲトゲしたりする事もあるかもしれません。そんな時ささやかでしたが、ゆったりしたこの旅の感覚を思い出したいです。鮮やかな花々と溢れる緑、豊かな果物と美味しい料理の数々、煌くホテルのしつらえ、街の喧騒、子どもらのはにかんだ笑顔・・・目を閉じれば今もチャオプラヤーを行き交う船上のユ〜ラ、ユ〜ラ感が体に甦ってきます。
午後1時から始まる新年互礼会が仕事始めです。会場のケリヤホールは沢山の参加者で盛況です。のっけから「国歌斉唱」を促すアナウンスがあって、私は慌てて人をかき分け外に飛び出しました(君が代を聴くのが嫌な上に、歌えと強要されることに耐えられないからです)。戻って町長と議長の挨拶、来賓の紹介(国会議員・府会議員)を聴き、懇親に移る前に退席しました。テーブル上の食べ物(料理とまではいかない)は近年質素になっていますし、勿論アルコール類は一切ありません。まあ、殆どの人が仕事で儀礼的に来ているのですから、何も無くても良いくらいだと思います。
町長・議長の挨拶は広報しまもと1月1日号に掲載された同内容を読みあげたに過ぎませんが、町長はJR新駅開業の遅れについてホンの一言だけふれ、議会以外では初めて公にしました。それなら1日号の新年の挨拶の中でも述べておくべきだと私は思いました。一般住民は互礼会には招待されないのですから。
2時過ぎからは役場庁舎で開かれる教育委員会議を傍聴します。重要な案件である2006年度の主要施策と当初予算が諮られました。「教育審議会」を教育長の諮問機関から教育委員会の諮問機関とする修正を求めるほかは、原案通りで可決しました。主な新施策をピックアップしますと・・・
* 英語特区事業 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 小学校に英語科を設置
* 幼稚園預かり保育事業 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 希望者へ午後4時30分までの預かり保育
* 学童保育室預かり保育事業 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 希望者へ午後7時までの預かり保育
* 地域開放活用施設改善事業 ・ ・ ・ ・ ・ 三小、一・二中で地域開放型教室にする実施設計
* 第四学童増設事業 ・ ・ ・ ・ ・ プレハブ移転・新築(総合型地域スポーツクラブ事務所併設)
* 歴史文化資料館管理運営事業 ・ ・ ・ ・ ・ 施設改修工事
* 文化財保護事業 ・ ・ ・ ・ ・ 文化財保護条例の検討
* 体育館整備事業 ・ ・ ・ ・ ・ トレーニングルーム設備の充実
* 生涯学習団体認定基準の見直し
あと報告事項として教育センター所長の人事案件等がありました。8ヶ月もの間所長が決まらなくて指導課の参事が兼務していましたが、元二小教頭の井池一彦氏にやっと決まりました。
さて、申し訳ないことですが、昨年の日記は12月14日迄で止まっています。15日16日・19日は議会が開かれていましたが、もうすぐ議事録の速記が上がってきます。それを参考にしながらできるだけ正確な中身にして書きたいと思います。12月15日〜28日分の日記は、少しづつ追いついていくつもりですので、どうかお許しください。
バンコク市内 | 王宮エメラルド寺院 | 王宮エメラルド寺院 |
![]() |
![]() |
![]() |
ジム・トンプソンの家 | クリップ屋台 | サソリ・タガメ等の唐揚 |
![]() |
![]() |
![]() |
アユタヤの象 | アユタヤ寺院跡のライトアップ
(シルエットは南部家の4人) |
ペニンシュラホテルで
ピーター・フランクルさんと |
![]() |
![]() |
![]() |
400本の蘭の花を持ち帰りました
(2006年1月5日 木曜日)
昨年暮れに購入した仏壇が、朝届きました。息子たちの意見を取り入れ、家具のように見える“新仏壇”を選びました。3日後に義母の一周忌がせまっているので、間に合うかとハラハラしました。昨日帰った私たちの旅のお土産は、お供えのための蘭の花です。もちろん友人らにもプレゼントする本数は入っていますが、それでも400本は結構な量でした。新しい仏壇には“御入仏”との祝い事にあたる仏事があり、華やかな蘭で飾るのはふさしいのではないかしらと思いました。赤飯や、紅白饅頭なども必要だそうで、知らない事が次々と出てきます。
今日も午後からは役場へ出かけます。情報公開された文書を見る為です。継続して求めている情緒障がい短期治療施設に係る情報です。本施設については、これまで日記にも複数回書きましたので、ここで改めての説明はしません。随分の回数の会議が重ねられてきており、細かい検討に安心感も湧きますが、施設内養護学級で担任をする先生方にとっては初めてで、大変な仕事だと思います。それにしても未だに町民に知らされていない事業であることが不思議です。
役場の帰りは友人と最近見つけたお店で遅い昼食を取りました。日替わりでオリジナルなスープがついたスープセットかカレーセットの2種類しかありませんが、サラダやコーヒー、自家製ケーキもついています。家族でやっている小さな店ですが、お味はとてもいいです。 「テクテク 」っていうお店です。
「へ〜っ?不思議!」こんな入札結果もあるんですね
(2006年1月6日 金曜日)
年末年始にきたメールの整理や、常時訪れているホームページ数ヶ所を見たり、PC上のカレンダーに予定を追加したり、お正月に配布されていた分厚い新聞や郵便物に目を通したりしているうちにすぐお昼になってしまいました。午後からは今日も役場ヘ出かけます。文化情報コーナー前の掲示板に入札結果が数枚張られています。いつも注意して見ていますが、今日はズラッと並んだ「抽選」の落札決定に首を傾げながら見入ってしまいました。
JR新駅東側駅前広場2期・3期の整備工事と水道管・電線管の布設工事及び公共下水道汚水管第2工区・第3工区の築造工事の5つの工事に係る入札は年末仕事納めの前日、前々日に執行されており、全て抽選で落札者が決定しています。2つの下水道工事は全く同じの7つの町内業者が応札し、どちらも全業者が最低制限価格で入札しています。駅前広場の3工事も全て町内業者で内5、6業者が最低制限価格の同一金額です。もっとも下水道に比べ、駅前広場の方は水道管等の布設工事を除くと最低を上回る金額での応札が2社づつ混じっているので、不思議度はやや薄くなります・・・(わかりにくい説明で申し訳ありません)。
要するに入札に係る改善は町としても幾度となく試みてきているけれど、上記のように立て続けに5件も抽選で落札が決定するような状況になると、住民にはなかなか解かりづらいし不思議に感じてしまいます。誰が見ても、すっきり透明・公正でシビアな競争性が証明される入札にならないものかと、私も頭をひねっています。ただ、不思議な現象だからと言って不正があると言ってはいませんので・・・念のため申し添えます。また5件の工事の落札率は今までにない全て70%台と、真っ当な数値を示していることは評価できます。但し、これもあくまで予定価格の積算が“甘い”ものでない事が大前提ですが・・・。
帰り際に図書館に寄りました。職員さんに「今年も頑張ってください」と挨拶をして、館内で展示されている毎年恒例、干支の玩具を見ます。伏見人形を主に全国各地の戌(いぬ)の郷土玩具が短い説明つきで飾られていました。人形の状態から時代を経た貴重な玩具もあります。これらは郷土玩具を収集されている奥村寛純氏から貸し出しを受けたものとの記述がありました。近年各地で郷土玩具が文化財としての価値を再認識されつつあります。島本町も“歴史と文化の街”と自ら称しているなら、その名に恥じない展望と実効ある施策が求められて当然です。
久しぶりの演劇を楽しみました
(2006年1月7日 土曜日)
何年振りでしょうか、“生”の舞台観賞は。ヘルパー仲間だった4人で「レ・ミゼラブル」を観に行きました。開演の5時迄に、お正月なのでちょっと贅沢な早めのディナーをしました。早くも始まった梅田界隈のバーゲンセールも冷やかしながら、私は気ごころの知れた彼女らと共にいることの心地よさを満喫していました。
劇場は満員で、女性客が大多数です。若い人たちも多いです。彼女らがバーチャルな世界とは対極にある“お芝居”に興味を示している姿は「いい事だ」と思いました。台詞はオペラのように歌うので返って解かりにくいところがありましたが、生オケの迫力がフランス革命を効果的に表現していました。子どもの頃に読んだ少年少女世界名作全集であらすじは解かっていたつもりでしたが、実は随分お粗末な理解しかしていなかったと気付かされました。
舞台を見ていて興味を引かれたのは、照明の使い方です。一筋の光が“音”に勝るとも劣らない表現力を秘めていると思いました。3時間のお芝居はカーテンコールが何度も繰りかえされて終わりました。私たちは次の“お楽しみ”を約束しながら別れました。帰宅後は明日の法事の用意をしなければならなかったため、そうそう長くお芝居の余韻に浸っていることはできませんでした。
さて4日の日記に添付した写真のなかの「ピーター・フランクルさんと」とのコメントに対し「知らないけれど、どんな人?」って訊いてきた人がいます。ピーターさんが書いた「諸国漫遊記」からプロフィールを抜粋して記します。
ピーター・フランクル・・・
1953年ハンガリー生まれ。1979年フランスに亡命。数学オリンピック等で優勝。数学者であり大道芸人。1988年から日本在住。11ヵ国語を話し、世界60ヵ国余日本全県を3度以上訪問している。テレビ出演、著書多数。
私がペニンシュラホテルでピーターさんに出会ったのは、ホテル内のケーキ店で素晴らしく美味しそうなケーキの数々に見とれていた時です。チョコレートケーキをお皿に乗っけて頬張っている外国人男性を見かけました。おすましのペニンシュラで“立ち食いケーキ”はないだろうと、からかい半分わからなくて幸いと「美味しいですか?」と日本語で声を掛けてしまいました。「美味しいですよ!」と日本語で返しながら振り向いた彼がピーターさんでした。そのあとは話が弾んで楽しいひと時でした。そこで撮ったのが日記の写真という訳です。
消防出初式に参加
(2006年1月8日 日曜日)
第二中学校グランドで行なわれる出初式です。今日は暖かでよかったです。屋外行事は先ず天候が良好だと、もう成功したようなものです。出初式は消防本部及び各分団員、車両等も勢ぞろいの年間最大のセレモニーです。小さい子どもを連れた家族づれも、たくさん観にきてくださっていました。私は議員なので来賓席が用意されていますが、13年間一度も座った事はありません。
議会と行政は別機関ですから、理屈上は町長が議員を来賓として招いてもおかしくはありません。しかし私は議員が様々な行事で“お客さん”に仕立て上げられているのは好きではありません。住民の皆さんに混じって参加している方がいいです。それに「国旗に注目しなさい」と言われても従いたくありませんので、来賓席なんぞに座っていない方が失礼にあたらないし、「国旗・国歌」からの一時的な“避難”もしやすいと思うからです。
かって何代か前の消防長が私に言ったことがあります。「南部議員が形式的なこだわりに否定的な人だとは分りますが、消防の仕事は危険に際し瞬時の判断をしなければなりません。非常時には頭で考える前に、最大の効果が期待できる体の動きが反射的に取れなければなりません。その動作を起こさせる自動スイッチにあたるものが、上下の身分関係(支持命令に混乱をもたらさない)を初め、号令や反復やその他細部に渡る形式的な決まりごとなのです」との言葉でした。
十分に頷ける話であったと、今でも良く覚えています。しかしその時には「日の丸・君が代」が消防の仕事に決まりごととして必要かどうかを、お互いやりとりしたわけではありません。議場での質疑答弁以外は殆ど話を交わさない消防長でしたが、はぐらかさないで話に応じることができる優秀な幹部職員の一人であったと記憶に残っています。今思えば、悩ましいこの“旗と歌”に対する見解を聞いておけばよかったと残念に思っています。
話が横道にそれました。花形の一斉放水を含む各種訓練の披露もあり、美味しい豚汁もしっかり頂いて、「国旗」を降ろす際の「国歌」を背に受け、一足お先の退出を致しました。午後からは義母の一周忌を営みました。夕方に終わり「あーぁヤレヤレ」ホッと一息つきました。
なかなか良い成人式でした
(2006年1月9日 月曜日)
本日当町で新成人となる若者は363人です(女性178人 男性185人)。おめでとう!
今日も良いお天気で暖かく、成人式の出席者にはラッキーな日和でした。私にとっては5年ぶり13回目の式典です。成人式の内容は若者たちが実行委員会の中で検討したものです。勿論当日の進行役ほかの役割も担っています。
標題で「なかなか良い」と付けた理由はいくつかあります。先ず私が12年間ずっと「やめたらいいのに」と思っていた来賓紹介ですが、かつては町内外の来賓及び部長級の町職員までも含めて数十人の紹介が延々と続いていました。それがスパッとなくなっていました。とても良いことです。「来賓名はプログラムを見てください 」の一言で済ませたあたり、今回の実行委員たちはなかなかの優れ者です。お祝いの挨拶も町長のみで、若者の退屈を招かなくて済みました。
二つ目の良いことは、新成人にとっての恩師、小・中学校の先生からのスピーチに時間がとられていたことです。さすが先生たち、心に残るメッセージを送りました。「今日まであなたたちはいろんな人に守られて生きてきた。今日からはあなたたちが人を守り、人にやさしくなりなさい」「人の話を良く聞きなさい、中でも年長者の話を良く聞きなさい。そして世界の平和を祈る人になってください」また、ある先生はポケットからオカリナを取り出して「コンドルは飛んでいる」を吹いてくれました。
三つ目の良いことは、新成人の誓いの言葉が内容といい、落ち着いた朗読といい素晴らしかったことです。そして最後に新成人ひとり一人が多少の私語があるものの、羽目を外すことなく節度ある態度で式典に臨んでいたことです。
ちなみに私の成人式は41年前でした(う〜っ!昔)。大阪市内に住んでいましたが、会場はフェスティバルホールだったと思います。女性の装いは今のように華やかな着物姿は皆無で、私も自分で作ったコートを着て行きました(生地は白と緑の細かい千鳥格子で、コートを縫ったのは初めてだったため良く憶えています)。講演があって講師は森繁久弥さんでした。森繁さんは高校の大先輩であったため、これも良く憶えています。さて、本日の新成人たちは今日の式典を40年後に思い出せるでしょうか。いい成人式だったから、きっと憶えているに違いないと私は思うのですが・・・。
こころのサポートセンター 「ステーションよすみ」のお店でランチを
(2006年1月10日 火曜日)
私は長い間、知的障がいを持つ人々との係わりがあります。また年月だけは20数年の長きにわたる朗読ボランティア活動を通して、視覚障がいの人との関係もあります。そして認知症のお年寄りの方々の介護ヘルパーとしてわずかの間ですが、精魂込めて働いた経験がありました。ただ心の病を抱えている人との直接的な係わりは、今までありませんでした。
11月15日と18日の日記に書いていますように、講座を通してでしたが精神に障がいを持つ当事者・家族等に出会えた機会がありました。そして、どうしても行ってみたくて11月21日、日記で報告していますように彼らのお店「サロンdeフェルマータ富田店」を訪問しました。いや訪問ではなくて、ただのお客としてお昼ごはんを食べに行ったにすぎませんが・・・。
今日は「NPO法人フェルマータ」のもう1つのお店「サロンdeフェルマータよすみ店」に出かけました。今回もただのお客としてランチを食べに来ただけです。「よすみ店」は高槻市東五百住町にあります。此処は喫茶店だけでなく、標題にあるとおりサポートセンターとして様々な事業を行っているステーション(基地)になっています。
「ステーションよすみ」のパンフレットには「生きる勇気を失いかけた時、こころが風邪をひいて誰かに話をきいてほしい時、寂しさややるせなさに耐えられなくなった時、精神保健福祉士・看護師・介護福祉士・栄養士・ホームヘルパーなどの専門家が『少しだけあなたに力が必要となった時』お手伝いします。」と書かれています。
多分前もってお願いしておけば議員としての受け入れが即可能なはずですが、私は敢えて申し入れはしませんでした。折角お店という形で広く一般に開かれた場があるのですから、先ずはお客になるのがエチケットというものです。そしてうれしい事に、お店の目の前のマンションで暮らす障がい当事者の皆さんがお昼ごはんを食べに来ているのです。日替わりランチは500円で4種類から選べます。若いスタッフ3人がお店を切り盛りしていましたが、皆さんへの言葉づかいがとても丁寧で、各事業に対するサービスの質も高いことがうかがえました。
離れたテーブルにいた女性がわざわざ私の隣に移って来ました。障がいを持つ人でしたが、私の顔を見て「○○さんに似ている」とつぶやいています。私は食後のコーヒーを飲んでいましたので「美味しいですよ、あなたもいかがですか」と話し掛けると、彼女も注文しました。相変わらず「コーヒー」とつぶやくだけで、注文が通りません。何度目かに私が「声が小さいのではないですか」と伝えると、突然大きな声で「コーヒー!」と叫びました。彼女はドアの方を向いて「蛙が・・」と何度も言っていますが、私には蛙の姿は見つけられませんでした。私たちは辻褄が合ったり合わなかったりの話をしながら、しばらくの間お茶を楽しみました。
今日はこれで十分でした。お得なランチと個性的な彼女とのお茶のひとときが得られたのですから、満足して店を出ます。店の外に水を張った大きな鉢が置いてありました。なんと、その中には蛙のおもちゃが浮かんでいるではありませんか。彼女がドアを指差して言っていた蛙は本当に此処にいたのでした。私はいいかげんに応対した自分を恥じました。 「ステーションよすみ」には、これからもまた訪れる機会があると思いますが、今日のことを忘れないようにしなくては・・・。
家から役場ヘ電話攻勢
(2006年1月11日 水曜日)
今日は家で待っていなくてはならない用事があって、役場へは出かけられません。そこで昨日情報公開された「要望・苦情」(役場からの回答を含む)の文書に目を通して、不明な点を電話でどんどん確かめていきます。私は住民の皆さん他から出される要望・苦情については、2〜3ヵ月ごとに年間を通して漏れなく入手しています。勿論「私の声」に投函されたものも含まれています。今回も約2ヶ月間で50件弱の情報が出てきました。これらの情報の中には文書番号(役場が入手した、或いは発行した文書には全てに番号が付けられます・・・付けられているはず)をとらないで保管されているものもありますが、情報公開制度のもと請求すると全ての文書が対象となります。
一方、町としても情報隠しは出来ないので一部公開や全部非公開にしたり、また情報公開請求される事を見越して文書を作成する等様々なテクニックを使います。まあ、往々にして“本当に知りたいこと”が全て書類上に出ているものでもないということは私も十数年間で経験してきましたが、行政の透明性が益々求められる中で説明責任を果たしているかと言うと、残念ながら情報公開制度の運用に疑問を感じる事が間々あるのは事実でもあります。
さて今回公開された文書の中から、私が関心をもった情報を1つ選んでお知らせします。それは尺代自治会から出された要望書です。当自治会は「桐が原地区」の住宅開発を要望しています。若者が転出し過疎化傾向にある尺代の活性化に繋がる開発整備をと願い、そのために総合計画(島本町のまちづくりの憲法ともいえるもの)をも変更してと訴えておられます。尺代の住民としては町の清掃工場建設を受け入れたのだから、要望を叶えてくれるのは当然との意識があるのかも知れません。私は過疎化の問題は確かにおっしゃるとおりだと思います。しかしだからと言って「桐が原」を住宅地にしてとの要求については首を傾げざるを得ません。
「桐が原」は若山台団から尺代の集落へと通じる町道幹線沿いにあります。かつては尺代の地権者たちが有する里山でした。当然市街化調整区域であり住宅開発は不可能でありましたが、要望書には「この桐が原地区は、平成初期に尺代の多数の地権者が、尺代の活性化を図る目的で住宅開発を望んで開発業者に譲渡したものであり〜」と書かれています。しかし売り手の願は法的に無理な話で、開発業者はゴルフの練習場に着手しました。(当時の議会で私は開発させるなと強く主張していました)
山の木々を伐採し裸にして、切り土した段階で計画は頓挫し、以来10年近く放置されています。町は1億8千万円弱に上る特別土地保有税を徴収できぬまま、殆ど見込みのない抵当権を有している現状です。大雨が降れば土砂崩れが起きないか、水無瀬川に面した急峻な斜面は大丈夫かと心配はつきません。
そもそもの話が尺代の住民と開発業者と島本町と(もしかして他にもいたのかもしれませんが)どんな話になっていたのだろうかと考え込んでしまいます。そこのところを初めとした説明が尺代以外の住民にも理解できる様になされなければ、町の関与はしないほうがいいと思います。ただ私の願は「桐が原」の緑が復活して、今度は人々に愛される里山に復活するといいなぁーと思っています。町は近日中に尺代自治会役員と面談するとの意思表明をしています。私は今後も「桐が原 」については注視していくつもりです。ご報告事項が生じれば、この日記でもお知らせいたします。
その他多くの要望・苦情についてはまた機会をみてお届けいたします。
「けしからんなぁー」委員会視察の報告書を提出してないなんて
(2006年1月12日 木曜日)
昨日は情報公開請求していた理事者の復命書を見ました。議会の常任委員会による視察には担当部長が同行して、行政の立場で調査研修を行います。職員も仕事で行っているのですから、当然報告書を提出しなければなりません。総務文教常任委員会には町長公室長が同行、民生消防には民生部長、建設水道には都市環境部長と水道部長が同行しました。まだ閲覧していない1人分を除いた3部長の復命書の中では、水道部長のがピカイチでした。私も結構頑張って報告書を書いたつもりですが、聞き漏らし書き漏らしがあったと水道部長の内容を読んで気がついたほどです。「えーっ!報告はこれだけ?」というのもありましたが、誰なのかは言わないでおきましょう。
さて、今日は議員の報告書はどうなのかを見てみます。議長の「コピーは不可だが閲覧はよろしい」との許可が出ました。視察は(公金を使って行う)公務です。その報告書はいつでも誰でも自由に読めて当然と思いますが、今は議長の判断に従うほかありません。これでも随分よくなったほうです。以前はいちいち情報公開請求をしなくては見ることが出来なかったのですから。したがって“ありがたく”中身もしっかり読ませてもらいました。調査研修の課題は同じでも個々の議員によって捉え方が異なり、報告書を読めば複眼の検討内容が解かる訳ですから大変参考になります。
新議員の皆さんは全員よく頑張って書いています。全部読んでから、提出していない議員が一人判明!よくありませんね。何故委員長は提出を催促し、議長は未提出の指摘をしなかったのでしょう。何故議会事務局は注意をしてあげなかったのでしょう?理由はなんであれ良くないことです。しかし名前は出さないでおきましょう。何故ならこれからでも報告書のファイルの中に、そっと綴じこむことは出来るのですから(勿論事務処理はちゃんと行った後)。
議員控え室から文化情報コーナーに移って、審議会や委員会の記録をチェックします。庁議(町長以下3役と部長級の会議で月2回の定例開催)や課長会議も見ます。1月4日の課長会議の要点録で、新年度から機能する機構改革が予定されている事が分りました。 「企画と財政の統合 」等を考えているとの町長公室長の発言があります。大きな改革です。新年度予算を機構改革の内容に整合させることは当然ですが、大丈夫でしょうか。以前予算と整合しない機構改革があって、私は大いなる疑義を呈した事を思い出しました。
情報コーナーには様々なパンフレットの類も置かれています。私もよくもらって活用しています。大阪府立花の文化園が発行している「フルル通信」に、今年度のフラワーデザインコンテストの結果が載っていました。なんと島本町の秋山住輝さんの作品「黄金の秋」が知事賞を受賞した事が写真と共に紹介されています。今年のテーマはバラで、本コンテストは最新のフラワーデザインが競演する質の高いものだそうです。小さな記事ですが、私はとてもうれしかったです。パンフレットで見る秋山さんは若い方のようです。本当におめでとうございます!
急な会派代表者会議開催と急な臨時議会の予定
(2006年1月13日 金曜日)
一昨日に決まったとかで、急な代表者会議の傍聴に出かけます。案件は3月議会補正の議会費に係るものでした。大阪府内の首長・議長で構成される任意団体として、それぞれ市長会・町村長会・町村議長会があります。各自治体からこれらの団体に対して、公費より分担金を支出していますが、市町村財政の現状をみると分担金の軽減を図らなければならない事は明らかです。
そこで各々の事務局を統合して、効率化的効果的な運営を進めることになり、議会費に係る分担金の精算により、当町の議会費に「大阪府議長会議会活性化支援金 」の名目で40万円が雑入されます。会派代表者会議にはこの40万円を、事務局のファクシミリ等と広報用のデジタルカメラ購入に充てる補正予算の案が諮られました。代表者会議では各団体の事務の合理化と経費削減に対して異論は出なかったのですが、ここにいたる経過が明らかでなかった為「知らなかった」との説明を求める複数意見が出ました。
私も知らなかったので、後刻資料を求めて閲覧しました。議会事務局の仕事としては、資料の抜粋でもいいですから予め会議の前の配布準備を整えておくべきだったのではないかしら?と思いました。事務局の「訊かれりゃ答えるけど・・・」の姿勢を時々感じるのですが・・・こんなんでいいのかなぁー?
会議の終わりに臨時議会の日程が、これまた突然に出てきました。今朝の庁議で決まった所と言うのですが、聞くところによると町長は1月4日の新年互礼会後とある議員には呟いていたそうですから、その心づもりがあるのなら予定でいいから議会には早めに知らせておいて欲しいと思います。事務局も聞いていたなら予定が議員にわかるようにしておくべきでしょう。本会議はもっとも優先すべき公務なのですから、一日でも早く知らせる努力をしてもらわなければなりません。
臨時会 2月3日(金)10時から
2月28日から3月議会(定例会)が始まるのに、その前に議会を開くのは知的障がい者通所授産施設である町立やまぶき園が、4月1日より指定管理者制度を導入するからです。今度の臨時議会で具体の指定管理者が挙げられ、議会の議決が求められます。多分現在委託している四天王寺福祉事業団が指定管理者に挙げられるものと思われますが、その選考過程は納得できるものでなければなりません。
一日中雨が降っていて、元気が出ない感じ
(2006年1月14日 土曜日)
昨日出張先から帰ってきていた長男は、今朝早く戻っていきました。ご飯を2回、たらふく食べに来ただけのようなものです。対照的に夫はお腹の調子が悪くて、2日間何も食べずにゴロンとしています。そして昨夜遅く仕事から帰ってきた次男は、埼玉への転勤の話をもって帰ってきました。別に驚くことも無い、会社勤めなら転勤は当たり前のことです。私も常々「一人暮らしをしてこそ一人前」と独立を望んでいましたから、これは朗報なのです。やっと2度の夕食作りからも解放されますし・・・(帰宅が深夜に及ぶ次男のために2回の夕食づくりが常でした)。
なのに何となく、ザワッとした落ち着かない気分になっている自分自身を発見!止みそうもない雨に、なんだか八つ当たりしたい私でした。鉢植えのイチゴが一粒大きくなって赤く色づいてきて、それがすごくうれしくて、今日摘み取ろうか明日にしょうかと毎朝眺めている、そんなささやかな喜びも急につまらなく感じたりもして・・・。
今日はな〜んにもせず、一日が暮れていきました。明日は思い切ってイチゴを摘み取りましょう。
午前中は防災とボランティア訓練参加、午後はどんど焼き見学
(2006年1月15日 日曜日)
1995年1月17日に起った阪神淡路大震災から私たちは何を学び生かしていくべきか・・・幸いにも大きな被害を免れた島本町ですが、未曾有の大参事を風化させない取り組みとして(法の定めもあり)毎年1月17日前後に「防災とボランティア訓練」が行われています。主催は島本町・自治会長連絡協議会・自主防災連絡協議会です。
会場の第三小学校には、例年にも増して多くの住民の参加がありました(昨年より約100人も多かったとか)。私は少し遅れてしまい、体育館での開式は既に終わっていて、四小学校区に分かれたグループごとに避難所の設営が始まっていました。4年間のブランクがあるので以前の記憶は定かではありませんが、大震災で亡くなられた方々への(その後の多くの災害発生による犠牲者への鎮魂をも含めて)黙祷を開式で行なってきていないように思います。今回遅刻したのに口幅ったいですが、来年の訓練では、先ず犠牲者への祈りをささげる事から始めていただければと願っています。
屋外では水道部の給水車から、各人がリュック型の貯留バッグに水を注ぐ方法を試してみました。また毛布等で出来る簡易タンカの作り方、消火器使用訓練、土嚢作り体験、消防車のクレーンで身体を吊り上げる救助体験、そして炊き出し訓練が繰り広げられました。参加者には具だくさんの美味しい豚汁とアルファ米の炊き込みごはんやおにぎりが供されました。とても美味しくいただきましたが、おにぎりの食感にはやや違和感がありました(贅沢言ってごめんなさい)。
私はたまたま共産党の2議員と共に頂いていましたが、豚汁椀を手にした町長が「ご一緒に」と同じテーブルにつきました。以前の町長なら間違っても寄ってこなかったです。このあたりは川口町長のこだわりの無さなのか、フットワークの軽さなのかよくわかりませんし、人によっては批判もしますが、私はえらぶっていたり、行政によく異議を申し立てる議員を遠ざけるような町長よりは「ええのんちがう?」と思っています。ただ、町長がチョッピリ愚痴までこぼしたのには驚きでしたが・・・。
午後からは昨日の雨で順延した「桜井のどんど焼き」を見に行きました。皆さん手に手にしめ飾り等を持って集まり、田んぼのあぜ道は長蛇の列になりました。島本竹工房のみなさんの手で一つひとつ、お正月飾りに使われている針金やビニール製のものが丁寧に取り除かれてから、竹で組んだどんどのヤグラに積まれていきます。田んぼにも近隣にも有害なものを残さない環境への取り組みを、きちんと徹底されていることにうれしく思いました。
町長・助役・教育長が揃ってやぐらに点火。ボン!ボン!竹のはぜる音が勢いよく響き、あっと言う間に大きな火柱となりました。暫く待って、さあーて!いよいよお楽しみ、お餅焼きの出番です!長い竹の先に餅をはさんで埋火のまわりにかざして焼きます。このお餅を食べると病気をしないそうです。また灰を顔にこすりつけると風邪をひかないとも言われています。実際に顔中を真っ黒にした少年がいて、みんなの微笑みを誘っていました。
桜井のどんど焼きは、地元農家の桜井実行組合の協力を得て島本竹工房の皆さんが、4年前60年ぶりに復活された伝統行事です。この地は建設中のJR新駅西口に当りますが、変わらずにいつまでもよき風習を続けていって欲しいと思います。だって見渡すみんなの顔が本当にいい表情で、見知らぬどうしがお互いに元気をもらえる行事ですから。こんな経験が積み重なって、わが町島本を好きになるきっかけになっていくのではないでしょうか。
またも非公開決定され、気分転換に久しぶりの映画観賞
(2006年1月16日 月曜日)
午前中は役場にいます。一部公開の情報の開示を受けたり、12月分の文書処理簿を閲覧したりします。既にお知らせしていますようにJR新駅西側の用地買収が進展せず、駅開業に1年の遅れが生じる事が明らかになりました(町はやっと1月15日号の広報で住民へ知らせています)。私は西側地権者と町とのやりとり等を情報公開請求しましたが、全面非公開になりました。非公開との意見を出したのは課長数名で構成する情報公開判定審査会という庁内機関です(意見を受けて最終的に非公開決定をしたのは原課の都市整備課)。
この審査会の審査の過程を知ることで、求めた情報が何故非公開とされたのかが少しでも解かればと思ったのですが、今朝一部公開された審査会の要点録は全く形式的な内容でしかありませんでした(今回に限りませんが)。結局、私には何も解からないという結果に終わりました。用地買収に係る交渉にまでも到っていない、その前段である地権者とのやりとりは微妙なものであり、公開される情報には一定の歯止めが掛けられる予想はありましたが、確かに存在する情報が請求者に影も形も示されないのは、なんとも納得がいきません。
今回のような場合は、交渉が成立した後は公開が可能な「時限性 」を示した非公開決定にすべきではないでしょうか。また形式的ではありますが、起案し決裁を経ている情報なのですから、その鑑に当る文書や起案の趣旨を記した文書の部分は公開できるのではないかと思います。「不服があれば異議申立をしなさいよ」と言わんばかりの情報公開決定が続くと(今回を含め同内容の文書が既に非公開となっています)なんだか気持ちが萎えてきます。
午後は久しぶりに映画を観ました。「オールウエイズ 三丁目の夕日」です。昭和33年頃(1958年)東京タワーが建設中の下町の物語です。私は14歳ぐらいでしたから、記憶も鮮明に残っていて、街のたたずまいや家の中の様子、人びとの服装、生活用品の一つひとつに懐かしさがこみ上げて、画面に向って何度もコックリ頷いてしまいました。しかしノスタルジックな風景やモノに共感しただけでは涙はこぼれなかったと思います。
なんだかあの頃は大人も子どもも、富める人も貧する人も、ありのまま自分らしく正直に生きていた、生きることを認められていた時代だったと気付かされたのです。半世紀を経た今、社会のあり様はどう?あなたの生き方はどうなの?と映画はまっすぐな球を一人ひとりの観客に投げ込んできました。まだ直球をかろうじて受け止めることが出来る世代の一人として、飛び込んだ球の痛みが涙になったのだろうと思いました。「あの頃より絶対に今の方がいいよ」と次の世代に向って胸を張れない悔しさが、溢れる涙になったのだと思いました。
阪神淡路大震災から11年を経たけれど・・・
(2006年1月17日 火曜日)
今朝は少し早起きしました。阪神淡路大震災が起きた5時46分には神戸の方に向って、黙祷をします。テレビ画面の祈りをささげる人たちの姿に、やっぱり涙が溢れて止まりませんでした。被災当事者でない私たちができること・・・それは11年前の出来事を決して忘れない、それぞれの立場で精一杯忘れない努力をする・・・こんなささやかなことでしかありません。しかし社会を騒がせている耐震構造疑惑事件は、遡れば大震災が起きた直後には既に萌芽の兆しがあったらしいというではありませんか。何というおぞましさでしょうか。そしてこの事件さえも、今ライブドア事件の新しい登場に人々の意識が移っていく中で、被害当事者の苦しみは置き去りにして、やがては忘れられていくのでしょう。
思い返せばこの10年、大震災で日本の安全神話が木っ端微塵に砕かれて、続くオーム真理教事件の数々、子どもが加害者にも被害者にもなる事件・・・と社会のタガが外れてしまったような大事件が噴出した長い年月でした。私はこの10年の事件の数々を決して忘れられないと思いますが、なかでもせめて大震災だけは忘れないと約束しています。この約束は自分自身と交わした約束です。だから以前議員職にある間続けていた、障害を持つ被災者への支援カンパをささやかながら復活させる一歩を踏み出しました。
9時になるのを待ち兼ねて、役場の健康福祉事業室にミニ人間ドックの申込をします。広報しまもとに掲載されている申込の標記が、以前より解かりやすくなっていました。昨年末に健診を申し込む際、広報紙には「ファックスは不可」と書かれていた為「ファックスが駄目と言う事は当然電話も駄目、窓口に行かなければ申込ができないのだろう」と思い、2日後くらいに窓口を訪ねました。この時には既に定員一杯で健診を見送らざるを得ませんでした。私の早とちりと言えばそうかもしれませんが、「申込は電話で可」と書いてもらうように担当の職員に頼んでおきました。
今回の広報には「電話か窓口でお申込み下さい。(聴覚や音声・言語機能に障害をお持ちの方は、ファックスでも可)」と記してあり、誤解を生じる隙の無い完璧の標記に変えられていました。小さな事ですが住民の立場にたった検討、速やかな変更がされたことをうれしく思いました。
自治会の回覧板で回ってくる第一中学校の「学校だより」
(2006年1月18日 水曜日)
いつの頃からか毎月1回自宅に回覧される「学校だより」を、私は楽しみに隅から隅までしっかりと読んでいます。「学校と地域住民の結びつき」の必要性は、よく耳にしますが、子どもたちがどのように過ごしているのか、特に1日の大半を過ごす学校が今どんな状況にあるのかは、子を持つ保護者以外殆どわからないでいます。保護者であっても全ての子どもが「たより」を見せる訳でもありませんし、ましてや一般住民が校長先生と話しをするようなことは、残念ながら殆どありません。
1月号は年の始まり,また学年の最後の学期の始まりであり学校長もリキが入ったのか、なかなか格調高く住民の意識を喚起させる文章になっています。内容は今年で創立60周年を迎える一中が、節目の年を迎え益々地域と共にある学校として、また「選ばれる中学校」として成長していくことを述べています。一中の強みは「落ち着いた、人のふれあいを大切にする地域にあること」と一中校区の地域性を誉めてくれています。地域住民としては悪い気はしないです。一中に親近感を感じさせる効果は上昇します。
あぁ、そういえば一中の生徒はいつも挨拶をしっかりとするなぁー、町内清掃のときも出てきてくれるし、職業体験のお店でも感じよかったなぁーと、「たより」を目にした住民は次々記憶が甦ってくるのではないでしょうか。学校自己診断によると「学校に行くのが楽しい」と答えた生徒が84%もいて、「学校が保護者や地域の人と話す機会を設けている」との回答は実に92%に上っています。でも考えてみると16%の生徒は「学校に行くのが楽しくない」子どもだと言う事です。
今回の自己診断は「速報」ですから「楽しくない理由」がわかりませんが、次号ではぜひとも解析の結果を載せて欲しいと思います。“地域力”は本来困っている人、しんどい子どもたちにこそ手厚く差し伸べられるべきものだと思いますから。また来るべき卒業式・入学式への「旗・歌」の押し付けに対する保護者、地域住民の声もぜひ聞いていただく場をもってもらいたいと、開かれた学校では当然の事だと期待しています。
情報は他にも掲載されていて、一中では吹きつけアスベストが使用されていないことや、室内環境衛生測定も全て基準値内で問題が無い事が書かれています。写真は残念ながらカラーコピーでないため良くわかりませんが、たくさんの枚数が掲載されています。楠公道路に面した一中前の教育情報掲示板なら、綺麗なカラーの「学校たより」を見ることができます。勿論幼稚園・小学校・中学校の全校分が掲示されています(教育センターでも掲示してあります)。
ところで地域自治会への「学校たより」回覧は、二中・小学校・幼稚園ではどうしているのでしょうか?こんな試みが広まればいいなと思います。
今日は寒い!朝から夜まで出ていて風邪をひかないかと心配
(2006年1月19日 木曜日)
毎朝保育に行っている女の子がインフルエンザにかかったようで、今朝のサポートはお休みです。玄関に出てきたお母さんも同じく感染して仕事を休むとか、元気が無い様子です。いよいよインフルエンザが猛威を振るい始めたのでしょうか。暖かくして休んでいればいいと言われても、大人はそうはいかない人が殆どです。役場でもコンコンせきをしながら執務している職員がいます。気の毒に思いますが「うつさんといてね」と私はこっそり呟いていています。
今朝は朗読ボランティアのテープ作りの打合せです。少人数ですがもう20年くらい長く続いています。本当によき仲間に巡り合えたものだと感謝の気持ちで一杯です。持ち寄った新聞や雑誌から朗読する記事を選択をし、オリジナルに作成する記事として町内の情報や話題の担当を決め、前文・後文の挨拶文の分担も決めます。それぞれが1週間の間で準備をして、来週再び集まって吹込みをします。
午後からは国民健康保険運営協議会の傍聴をします。据え置いていた保険料の賦課限度額48万円を他市町村並みに53万円に引き上げる案件、運営協議会に2名の住民を委員として増員する等の案件が図られました。説明が早くて、資料を探すのに精一杯の感がありました。国保の加入率が年々低下して、相互扶助の仕組みが立ち行かなくなるのではないかとの心配が現実のものとなっている昨今ですが、こんなわかりにくい制度に理解を示してもらう事が、土台無理なような気がします。抜本的な改革と言うけれど、先ずはみんなが納得できる説明が出来なければ、益々国保離れが進むでしょう。当然払いたくても払えない人たちへの救済は必要ですが・・・。協議会は後1回程度開いて町長に答申を出し、3月議会で正式に決まります。
夕方からは家族揃って、大阪の親戚に新年の挨拶に行きました。なかなか全員が揃う事が難しくて、お正月もはるかに過ぎた今日になってしまいました。とても寒くて、風邪をひかないかと心配になりました。
仕切りなおしの男女共同参画推進条例、まず委員会で採択されました
(2006年1月20日 金曜日)
9月議会で上程された男女共同参画推進条例(以下「条例」と表します)は、審査を付託された総務文教常任委員会で、「性と生殖」に係る「女性の自己決定権」を認める修正案が全会一致で可決しました。私は大いに喜んだのですが、肝心の本会議での最終採決で修正案はなぜか否決されてしまいました。では修正を掛けられる前の(町が提案した)原案が可決したかと言うと、これも否決されてしまい、とうとう条例は廃案となってしまう前代未聞の事態となりました。(9月8日、9月28日の当日記でも書いています)
12月議会に再び上程されてきた条例には、「性と生殖」「女性の自己決定」(自己決定権としなかったところに、行政の苦労がしのばれます)の文言が盛り込まれていました。この内容で本日の委員会において、もう一度審査が行われました。苦情処理に当る第三者機関の設置を求める要望はありましたが、全会一致で賛成!ヤレヤレやっと委員会通過です。あとは2月3日の臨時議会で決まれば、大阪府内で10番目の早い条例制定がされた自治体になります。
条例制定は少し延びましたが、雨降って地固まるでよかったじゃないかと思います。「性と生殖」「女性の自己決定」の文言を条文に織り込んでいない自治体の方が多い中(当町も自己決定を「権利」として認めるまでには到りませんでしたが)お互いが一歩づつ歩み寄った結果、可能になった条例制定だと思います。
委員会に付託された案件は条例のほかに請願が1件ありました。「島本町議会が、国に対して『政党助成金制度の廃止』の意見書を提出するよう求める請願」です。請願人は元町議の高山氏、紹介議員は日本共産党冨永町議会議員です。政党助成金の受け取りを拒否しているのは共産党だけですから、当然の請願なのでしょう。採決は可否同数となり千頭委員長の裁決により、否決されました。議会の最終意思は本会議での採決を待たなくてはわかりませんが、多分無理かなと思います。私は請願の中身については、異論がありませんから賛成する考えでいます(請願内容は後日にお知らせします)。
ミニ図書館訪問と男女共生セミナーに参加
(2006年1月21日 土曜日)
町立図書館では月に1回第3土曜日の午前中に、府営江川住宅の集会所を借りて「こんにちは図書館です」と銘打ったミニ図書館を開館しています(ミニ図書館は私の造語です)。今朝はお天気もよく、ぶらぶら歩いてミニ図書館に「こんにちは!」と訪れてみました。図書館館長と2人の臨時職員がジャンル分けしてコンテナに入れた約千冊の本を長机の上に並べていました。季節の料理や編物の本、話題の本はコンテナから出して、表紙が見えて手にとりやすいように、小さな子どもの本は床に置いたコンテナの中にと、心配りがされています。
お客さんは正直言って多くありません。それでも開館前に待っている人、毎回来館される高齢のリピーターの方々、そして今日も小さい子どもたちがお母さんに連れられてやってきましたが、そのような本当に本が好きで足を運んでくださる人々に支えられて「こんにちは図書館です」は存続してきています。
なんとか来館者を増やしたいと図書館としてもPRに務めていると聞いています。2、3日前には江川住宅全戸にチラシを配布、近隣の掲示板にはポスターも貼ります。本の貸し出しだけでなく、お話し会をしたりして子どもたちにも親しみをもってもらおうと工夫しています。また気候の良い頃には、集会所の周りの公園で、オープン図書館にする事もあるようです。
私はこの小さな図書館で、1時間30分くらい楽しく過ごしました。パイプ椅子を4脚並べただけの閲覧スペースですが、ふれあいセンターの図書館と同じくらいくつろいであれこれ本を手にとることができました。尋ねたい事があると立って、職員に訊きに行かなくてもお互い声が届きます。終了の12時まで居て、貸し出しのサービスも利用して数冊持ち帰りました。
午後からは男女共生セミナーに参加しました。本セミナーは12月3日の人権の集い(同日の日記に少し書いています)とドッキングして始まり、間に「男もしんどい」「女もしんどい」をテーマにそれぞれワークショップを開き、そして今日最終回「男も女もなかなかおもろい〜島本町はこうして元気になりゆく〜」と題したワークショップでセミナーは締めくくられました。多くない参加者の内、担当者以外の役場の職員が休日にも係わらず3名(内管理職が2名も!)、議員が4名出席した事は良いことだと思いました。
ま〜るく輪になって、顔ジャンケン(チョキはベーっと舌を出します。此処で思わず笑ってしまいます)で始まり、セミナーの企画運営を行った職員の胸に染み入る閉会の辞で終了しました。当然担当課である人権推進課が総力を挙げて催したセミナーだと思いますが、直接の担当者は、町の職員となってまだ1年にも満たない若い女性職員です。驚きと頼もしさと、そして何よりも言葉の端々に溢れる暖かで生き生きした人権感覚に、私は共感を憶えました。まさに「町職員もなかなかおもろい〜島本町はこうして元気になりゆく〜」です。だいたい「おもろい」と言う、古き良き大阪弁を効果的に使った今セミナーのキーワードからして、企画者のセンスが溢れているではありませんか・・・大きな花マル進呈です。
帰りに図書館によって、干支の戌の玩具の写真を撮らせてもらいました。また館長に会って今朝のミニ図書館のお礼と、PRの一環として図書を運搬して来ている自動車を巡回させ、アナウンスによる宣伝してはどうかとの一言を伝えました。
誰のがお気に入りでしょう?議員の活動報告相次いで発信されています
(2006年1月22日 日曜日)
千頭議員の後援会ニュース「みなせ野」、藤原議員の議会活動報告「緑のハーモニー」を相次いで読むことができました。どちらも新年の挨拶を冒頭に述べていますから形式的な“お年賀ニュース”と思いましたら、結構中身充実でレイアウト等も工夫された、読みやすい紙面に仕上がっています。(千頭議員の新駅東広場に設置された防火水槽の写真はグッドチャンスを捕らえたと感心しています)ただし、2議員共に掲載記事は私が12月1日付けで発行した内容と殆ど変わりがないので、鮮度には少々難あり(ごめんなさい!)といったところでしょうか。
多分この時期は他の議員も発行されていると思うのですが、後援会関係等に絞っての配布をしている議員もいるので、全体の状況はわかりません。全ての議員が自身の発行物を各議員のボックスにも入れてくれればいいのにと思います。連綿と続いてきた町長与党・野党といった概念も曖昧な現議会では、かつての常時活動報告を発行するのが“野党”の議員に限られていた頃に比べると、報告を出す議員も増えたようで、とてもいいことです。
また伊集院議員のように、活動報告をホームページで日々更新している感心な議員もいます。私にはとてもついていけない“ノリノリ”?の内容を拝見していると、時には感嘆符とも疑問符とも解からない複雑な気持ちになりますが、皆さん一度訪問してみてください。(虜になっちゃうかも・・・!?)でも日々更新は凄いことです。私は日記と銘打ちながら、なかなか毎日更新が出来ないので見習わなくてはならないと反省しています。まあ好き嫌いは別にして、町政に係る中身については私の日記がお勧めですよ・・・(と言っちゃっていいでしょうか)。
会派説明〜都計審説明(企画課・下水道課)〜文化推進委員会傍聴〜情報公開閲覧
(2006年1月23日 月曜日)
10時から2月3日に開かれる臨時会の議案説明を受けます。ぎりぎりまで1階の“月曜町長席”(私がつけた名前。毎週月曜日の9時から10時まで、町長は2階の町長室から1階に下りて住民と会う機会を設けています)に居た町長はじめ、助役、町長公室長、総務部長、町長公室理事がズラリと目の前に揃い、主に総務部長が説明を行います。私も過去12年間議員をしてきましたが、市民派と共産党の議員にはただの1度も事前の説明はなかったです。川口町長になって、どの会派も分け隔てなく受けるようになりました。この会派説明時に資料の請求等もしておけるのでありがたいことです。
臨時会は以前にも書きましたが、2月3日(金曜日)午前10時から役場3階の議場です。どうぞ傍聴にお越しください。いつからでもいつまででも、出入自由です。
議案は1月20日の日記にも書きましたが、町長の最初の上程からすれば半年、紆余曲折を経て条例制定となる「島本町男女共同参画推進条例」の最終的な議決が諮られます。多分全員賛成で可決すると思います。それぞれ思い入れや刷り込み等もあって、ともすれば頭の上を素通りしそうな男女平等論ですが、2度の議会審議(委員会付託も2回)で得たものは大きかったと思います。私としても全てが満足の条例内容ではありませんが、女性が「性と生殖にかかわる自己決定」を行うとの表現が明記されたこと等で、パブリックコメントを寄せられた多くの人たちにも納得いただけるのではと思います。
私は今回、町行政が初めて条例案を否決され廃案になってしまったことで、議会に反発したり意固地になったりせず、真摯に条文の内容を検討し直した姿勢はなかなかのものだと評価しています。多分条例案への答申を出した人権啓発施策審議会への遠慮もあったかと思われますし、そんな中でいろんなことを乗り越える苦労は大変だったと想像できます。昨日今日議員になった人や町長与党で何でも通してきた議員方には、その労苦に思いを馳せる事は困難ではないかしら・・・(と、えらそうな事を言っておりますが)。
2つ目の案件は補正予算に係る専決処分の報告です。高規格消防車に搭載して9年を経過したベッドサイドモニターという機器が故障しましたが、修理がきかないため新規に購入した約320万円の支出を報告する内容です。救急搬送中の心電図等を計測・記録する機器であり、なくてはならないものですが、わずか9年で部品が無いとはお粗末な業界です。新規に購入した機器は果たして何年持つのでしょうか?もうすぐ関連情報が公開されますので、それらをもとに少し質問するつもりです。
3番目は通所授産施設「島本町立やまぶき園」の指定管理者として、現在委託をしている(社)四天王寺福祉事業団を指定する議案です。管理業務に関する協定書を初めたくさんの資料が議案書に添付されるとのことで一安心です。18、19、20年度にわたる指定管理料は各年度7千987万6,160円となるはずです。指定管理者の公募を行っていなかったので現法人を特定するのは、予想された事でした。担当は「保護者の意向を尊重して」を根拠に公募を行わないとしています。確かに事務のしんどさは増しますし、選定委員会の役目も重大なものにはなります。
しかし、指定管理者制度は今後町の様々な施設に波及していく制度です。最初にしっかり、きっちりあるべき手順を踏んでおく事が必要だと思います。いずれにしても、やまぶき園の通所者が今より良い内容で園の生活を送り、自立を目指す就労や地域での生活に移行する目標に近づく事、その上で町財政の軽減が図られる事も目指さなければなりません。資料をしっかりと読み込んで、質疑に備えたいと思います。
11時からは2月2日に開かれる都市計画審議会の事前説明をしてもらいます。企画課には都市計画道路の見直しについての説明を受けました。見直しの調査は経ましたが、従来通りの計画がそのまま残りました。いくら「計画」の範疇といっても、やはり民家が密集して建設されている土地に、殆ど現実性の無い都市計画道路の「絵」を今更描き続けるのかと、疑問は残ります。お昼からは水道庁舎へ行き、下水道課より同じく都計審の案件を説明してもらいます。線引き見直しにより桜井・高浜地区の市街化区域編入が決まりましたが、それに伴う都市計画下水道(島本町淀川右岸流域関連公共下水道)の拡大にかかわる内容です。
再び役場に引き返して、3時からの文化推進委員会を傍聴しました。町の文化推進計画がほぼ出来上がっておリ、その内容について意見が出されました。次回で成案となる予定ですから、本日の報告も併せて後日に書きたいと思います。委員会後情報公開の閲覧をして、コピーを取っていると5時30分の閉庁チャイムが鳴ってしまいました。今日はバタバタと忙しい一日でした。
アスベスト測定結果はいち早く知らせるべきです
(2006年1月24日 火曜日)
町有施設における吹付けアスベストの測定業務が進んでいます。測定値が気になるところですが、町の説明では「業者には全国的に測定依頼が殺到して、島本町の結果も3月の末になる」と言っています。私は測定の業務委託契約工期が1月6日と認識していたので、その日に報告書の情報公開請求しました。そこで初めて仕事納めの2日前、12月26日に契約が変更されている事を知りました。
変更の内容は契約工期が1月6日から3月24日まで延ばされています。理由は大気中浮遊アスベスト濃度測定を3検体から39検体に、吹付けアスベスト定性・定量分析12検体を39検体に増やしています。従って業務委託料も約115万円が約576万円に跳ね上がっています。予算の不足は、専門業者による調査費1千万円が777万円で契約できた為、その差額を充てました。それでもまだ足りない分は、12月議会の補正予算に約230万円計上しました。私はアスベストについては漏れなく徹底的に調べて、1日でも早く住民に知らせるべきと主張していますから、検体数の増も支出の増も、別にとやかく言うつもりはありません。むしろ歓迎しています。
しかし、なんだか解かりにくい。予算のつけ方も複雑だし、最初の検対数の少なさにも首を傾げたくなります。そしてさらに理解できないのは、一部の測定結果は1月6日に出ているにも係わらず、未だに公表していないことです。議会には勿論、広報しまもと、町のホームページで知らせるべきです。町は3月末に全部まとめて知らせるつもりでしょうが、「まとめる」必要性なんて全くありません。結果の出たものからいち早く、順次報せていくのは当たり前のことでしょ!2月3日開会の臨時議会での行政報告を期待したいと思いますが・・・町長はどうするでしょうか?
アスベスト測定結果を簡単にお知らせします。環境計測株式会社に委託した2005年11月付け、2006年1月6日に納入された報告書の内容です。
含有している施設 | |||
* | 役場庁舎議場 | 石綿(クリソタイル) | 2.9% |
* | 第三小学校校舎階段裏 | 石綿(クリソタイル) | 2.7% |
* | 大藪浄水場ポンプ室 | 石綿(クリソタイル) | 6.8% |
* | 衛生化学処理場送風機室 | 石綿(クリソタイル) | 2.5% |
* | 衛生化学処理場放流ポンプ室 | 石綿(クリソタイル) | 6.5% |
含有の可能性有とされていたが、含有していないことが判明した施設 | |||
* | 第二小学校体育館棟 | ||
* | 第一小学校1階ブロワー室・屋上ファン室・中央階段裏 | ||
* | 水道施設中継ポンプ室・自家発電室 | ||
* | 大藪浄水場排水処理施設棟ポンプ室 | ||
* | 衛生化学処理場脱臭室・工場本棟ブロワー室 | ||
気中石綿濃度を測定した施設(指針値は10.0) | |||
* | 第二中学校機械室 | 1.7 | |
* | 人権文化センター | 0.9 |
午後からは映画「博士の愛した数式」を見にいきました。前から原作を読みたいと思っていましたが、高槻の本屋さんでは売り切れていて、結局映画が先になりました。印象深い台詞がたくさんあって、改めて本を買いたくなりました。
議会運営等検討委員会出席と歴史文化資料館懇話会傍聴
(2006年1月25日 水曜日)
前回の委員会で「先ずは3月議会を目指して一つでも二つでも実施できるように検討していこう」と合意しました。従って「本会議の運営について」の項から検討を始めます。2時間かかってわずか2項目が意見一致しただけですが、それでも私たちの会派が出した項目が認められるのは珍しく、今まで無かったことです。私から提案の補足説明をして、すべての委員が発言をしました。行きつ戻りつしましたが、合意を得たのは次の内容です。
* | 会議における説明者は、議会からの要請があれば教育委員会委員長、選挙管理委員会委員長、監査委員、公平委員会委員長、農業委員会会長を含むものとする |
* | 諸般の報告は議員研修、議会だより編集委員会の研修、他市町村よりの視察も報告する |
特に最初の項目は、過去にも出席を求める発言が本会議や委員会でされたにも係わらず認められなかった経緯があります。会議規則や申し合わせ事項に明記されていながら退けられ、いつもそれぞれの事務を担当する町職員が代弁しているのはおかしなことなので、改めて問題提起をしたわけです。
検討委員会で決まった事は議員全員協議会で諮られて、全員の意思がまとまれば実施ということになります。遅々とした歩みで時にはイライラする私ですが、丁寧に検討していくためには、時間が必要なのだと思わなければ仕方がありません。会議の回数を月1回からせめて2回に、できれば週1回でもと提案しましたが、あっさり却下となりました。
午後からは歴史文化資料館懇話会の傍聴をします。資料館のリーフレット作成について社会教育課から提案がされました。JR新駅の開業の遅れは(1年は延びる)隣接する資料館にも大きな影響を与えています。先ずは2006 ・2007年に配布するリーフレットを1部200円で1千部作るそうです。問題は資料館の展示資料です。
「展示の目玉が欲しい、民具だけでは寂しい」「国宝級の文化財は殆ど水無瀬神宮の所有だが、所在は国の施設になっている。町の資料館でそれらの展示は可能か」「レプリカや書画なら写本でも無理か」「以前からやかましく言っているのに、議会も町職員も関心が無い」「大山崎町は収蔵庫が総桐で、展示室の4倍のスペースがあるらしい」等々の意見が出ました。私もお金の問題を抜きにして語れないことぐらいは、良くわかっていますが肝心の展示資料について、資料の収集や管理保存をも含めた基本的な姿勢が見えてこない中で、歴史資料館をどうこう言う事は難しいなーと思っています。
実務にたずさわる職員は、そんな事は言われなくてもわかっていると顔に描いてあります。やっぱり町長および教育長ほかトップの意識が問われているのだと思います。
議会運営委員会出席〜朗読V吹き込み〜地域包括支援センター運営協議会傍聴〜工事安全研修会参加
(2006年1月26日 木曜日)
2月3日に開かれる臨時議会のための議会運営委員会です。議案については23日の日記に簡単な内容を書いていますが、今回は少ない議事日程です。知的障害者通所授産施設町立やまぶき園の指定管理者に現受託者の四天王寺福祉事業団を指定するとの議案が提出されていますが、本件のために行われる臨時議会と言えます。他には1月20日に総務文教常任委員会の審査を終えた男女共同参画推進条例も最終の採決が諮られます。
ところで上記の委員会では、条例審査のほかに請願審査も行っています。「政党助成金制度の廃止」を求めた請願ですが、何故か本請願の結論だけは3月議会に出すとの、理屈の合わない結果になってしまいました。議事日程が立て込んでいる訳でもないし、何よりも同じ委員会で審査を終えたものを、片方は後回しとする事に対して整合性が見出せません。そして大前提として、請願が全ての人が持つ権利として憲法にうたわれていることを省みれば、山吹民主クラブ・緑風純政会・公明党の姿勢は全く評価できません。自分達が気に入らない請願の内容だから、結論は少しでも先延ばしにする・・・全く、こんなのでいいのかしら!?
議運が終わって、大急ぎで視覚障がいを持つ人へのテープ雑誌を吹き込む場へ駆けつけます。終了後は新年会を兼ねて昼食を共に楽しみました。ゆっくりしておられず、私は地域包括支援センター運営協議会の傍聴をするために、一足お先にお店を出ます。傍聴も最後まで出来ずに、今度は工事安全研修会に参加します。
この研修会の目的は、丁度1年位前からになりますがJR新駅駅前広場工事に係り隣接の第一幼稚園に度重なる被害を発生させた工事業者に反省を促し、今後の安全な工事施工のために町が開いています。アスベスト成形板の存在を確認せず青年の家解体、工事中のノコギリやパネルの落下、幼稚園への無断侵入、そしてついには工事ででた産廃物の野焼き、野焼きごみに混入していたスプレー缶の爆発、園庭への落下と信じられない事故が連続しました。
今日で2回目の研修会ですが、なるほど業者の出席状況は良好です。しかし質問ひとつ出るわけでもなく、実が上がっているのかは不明だなーと私は感じています。不始末をしても「島本町は甘い」と工事業者に思われないような、実効ある改善を毅然とした態度で継続していかなければ、いくら研修会をやっても絵に描いた餅に過ぎません。実務をしている職員が報われるようなトップの判断、姿勢が問われるところです。
行政改革推進検討委員会に議員が9人も傍聴
(2006年1月27日 金曜日)
午前中は2月10日に議会運営委員会で調査研修に行く綾部市議会への質問事項を提出します。私は綾部市への視察をとても楽しみにしています。綾部市議会では一昨年に全議員参加の議会改革特別委員会を設置して、60項目にもわたる検討に着手しました。結論を得たものは次々と実効に移され、思わず「ホーッ!」と感心する改革が進んでいます。
今回の調査のメイン項目である一般質問の「一問一答制」を初め、日曜議会、議員報酬の削減、議員の審議会等への就任廃止等々、私にとってはうらやましい限りの改革が実施或いは検討過程にあります。綾部市から送られてきた資料とホームページの情報から、質問を組み立てて議会事務局に送りました。それにしても私のようなパソコンの機能の一部しか活用できないものでも、情報の収集や送信には本当に便利になりました。しかし情報を集めれば集めるほど、目指す目的にたどり着けない状況もまた生まれてきて、皮肉な事だと思います。
午後からは2回目の行政改革推進検討委員会を傍聴しましたが、議員ばかり9人もの傍聴にビックリしました(こんなのは初めてです。日頃傍聴にきたことも無いような議員が何でー?と思いますが、まあ良い心がけです)。ただ肝心の委員会の議論が盛り上がりません。私の印象では本題に入る前の会長の助走が長過ぎるのではないかと思います。職員はもう少し上手く会議の進行に対するサポートをしなければ、時間切れも甚だしい検討に終わるのではないかとの予感がして、私はヤキモキしています。こんな調子では3月末の検討終了まで日数も無いのに、町政の根幹にかかわる38項目にわたる施策の見直しが果たして可能なのか疑問です。
冒頭に財政状況の現況と見通しについて総務部長の説明がありました。何度も言われているように町民税は下降の一途をたどっています。1998年度(H10年)の54億8千万円をピークに2005年度(H17年)は44億5千万円となり、税収(特に個人分の町民税)が下がっています。迫り来る団塊の世代の退職金も2、3年後には底をつき、財政調整基金という貯金もドンドン目減りしていっています。反面JR新駅事業等で起債(借金)は増加していっています。
また人口も5年間で1千人が減となっています。人口減も税収減も当町だけの問題ではありませんが、日常生活上そう実感できるものではありませんので、委員方にとってはショックが大きかったようでした。委員からは対策案として企業や教育施設の誘致、若者の定住、子育て支援等が出されましたが、議論の深まりは次回以降になるでしょう。
ただ1つだけ盛り上がった課題がありました。税収増・危機管理対策に関連して、職員の町内居住が少ないのは由々しき問題と、複数の委員から出された苦言です。正職員261人中町内在住は36%の94人です。特に町長初め各部局のトップは11人中3人(町長・教育長・消防長)の18%に過ぎません。「島本町に住むべき」の意見がありましたが、私は「これはしょうがないよ。何処に住むかの選択権は個人の権利だし、たとえ町内に住んだほうがいいと思っていても、今居る住居を処分するなんて大変なこと」と、発言を受ける理事者たちを見ながら少々気の毒な思いもありました。
次回以降の行政改革推進検討委員会は・・・2月15日と27日に予定されています。詳細は役場企画課にお問合せください(電話 役場代表961−5151)。
初めて知ったヘルマンハープは素敵な音色です
(2006年1月28日 土曜日)
ヘルマンハープの演奏とアロマテラピーのミニコンサートに行きました。水無瀬二丁目のお洒落な雑貨屋さん「アンジェラ」で音楽療法士の松田裕子さんとお仲間が開いた集いです。音楽と香りのコラボレーションに心安らぐひと時を過ごしました。アロマは“竹の香り”だったのですが、私には良くわかりませんでした。ヘルマンハープはドイツ生まれで、最近日本でも演奏する人の層が広がりつつあります。
お店の入口 | 店内 |
![]() |
![]() |
「ヘルマン」はヘルマンさんという人の名前をつけています。ヘルマンさんは障がいを持つ我が子のために、音符が読めなくても演奏できる楽器を作りました。それがヘルマンハープです。音色はハープの大正琴風で、とにかく楽器の形が素敵です。ちなみにお値段は一般的には20万円くらいらしいです。体験タイムでは私もポロンポロンと弾いてみました。紅茶とクッキーもいただいて、ちょっと優雅な土曜日の午後でした。
松田裕子さんとお仲間 | ヘルマンハープ |
![]() |
![]() |
会場では体調が優れないと聞いていた9〇歳に近い男性とも出会えてうれしかったし、何よりも松田さんの活躍ぶりを拝見できて頼もしくもあり安心もしました。
体罰は確かに特異な事象・・・でも、もしかして島本の教育の綻びの一端かもしれない
(2006年1月29日 日曜日)
公開請求をして入手した情報が机の上にドンドン溜まってきます。日曜日は集中して、これらの書類に目を通すことができます。その中で何度読み返しても、溜息が出る「体罰」に係る一連の文書があります。
残念な話ですが、あってはならない体罰事象が、昨年の秋に第二小学校○学年のクラスで起りました。子どもの言動に腹を立てた担任教師が、顔面に連続3回平手打ちの暴力行為に及んだというものです。当然のことながら体罰は法律で厳しく禁じられています。従ってこの教師に全く弁解の余地はありません。また後手に回った謝罪の不十分さ等も重なり、保護者の一層の怒りを招くことにもなりました。現在当教師は病気休暇をとっており、府教委の処分もまだ出ていません。従ってこの段階で私が細部に渡ってアレコレ言う事は避けたいと思います。
ただ学校や教育委員会が率先して「体罰がありました」とは言いませんので、教育現場での楽しい話やうれしい出来事の影には、滅多に無い事ですが注視しておかなければならない“負”の現実が存在する事に、私たちは鈍感であってはならないと思います。体罰を受けた子どもの悲しみ怒りは、幼いがゆえに説明のつかない不条理・不信感となって心に残っていくのではないかしらと心配です。また体罰を目の当たりにしたクラスの全児童にも大きなショックを与えているに違いありません。大人たちによる息の長い静かで暖かな見守りが必要です。
ところで教育委員会が今回の体罰事象に対して、どのように考えているのかが良くわかりません。本人・校長らの学校関係者が子どもや保護者に謝罪をして、町教育委員会は大阪府教育委員会へ報告をして、クラス担任を変えて、府教委からは教師の処分が出て・・・やがて時が過ぎて“終わり”になる(する)ものではないと私は思うのです。町の教育委員会は本人や校長の反省の弁を聞く立場ではありますが、私は教委自身の反省の言葉もあって当然だと思っています。しかし、今のところ何処にもそのような言葉は見つかりません。。
「どうぞおかけください」の一言が欲しいなぁー
(2006年1月30日 月曜日)
調べてほしい事があって役場の○○課を訪れます。私は多くの議員がやっているように、いきなり管理職の席に直行する事はありません。先ずは実務を担当している若い職員に用件を伝えます。情報を探し出している間暫く待ちます。「お待ちください」の言葉はありません。当然「おかけください」と椅子を勧められる事もありません。私は10分くらいボーッと突っ立っています。やっと情報が見つかりました。今更期待はしませんが「お待たせしました」は当然ありません。
説明のために書類を広げる必要があります。今度は机が必要だから、きっと椅子をすすめてくれるかと思いきや・・・なんと立っている私のそばに積んであった段ボール箱の上に書類は広げられました。立ったまま説明を聞き、書類を見るのには中腰になって身をかがめなければなりませんでした。私が立っていても座っていても、職員に調べてもらうという本来の目的とは何の関係もありませんが、う〜ん、これって接客マナー云々以前の問題だ!と少なからずショックを受けました。
しかし若い職員は意識して私に意地悪をしているわけでもなく、ごく自然に当たり前に振舞っている様子です。私の驚きは、管理職がこの状況の一部始終を見ていながら知らぬ顔で居る事に対しさらに跳ね上がりました。これじゃ部下の教育は出来ません。○○課は今まで住民の方が訪れた時も、こんな風に立たせたまま応対してきたのでしょう。此処で私としてはやんわりとでも注意をしたいところですが、ぐっと我慢ガマン!資料の礼を伝えて引き下がります。
でもやっぱりこのままじゃ拙いよ。暫く間をおいてから管理職に電話をします。「老婆心ながらひとこと言わせて貰っていいですか・・・」と遠慮がちに切り出したところ「えへへ」と老婆“心”にしっかり反応した含み笑いが伝わってきました。「あぁ、こりゃ駄目だ」と感じましたが、言いたいことだけ簡単に伝えて電話を切りました。受話器を通し寒〜い風が吹きぬけたような感じがして、私の老婆“心”はいたく傷ついたのでした。
誤解しないで頂きたいのですが、役場の職員の皆が皆このような人たちばかりでは決してありません。総体的には職員のマナーは年々良くなっています。住民が一番多く訪れる民生部の窓口は、接客態度への苦情も従来から多かった所ですが、今は本当に良くなりました。また各課にもハナマルをあげたい職員は一杯居ます。役場は島本町で最大の“サービス業”です。しかしあれもこれもと要求の多い中、全てに応える事業展開は到底出来ません。でもお客さんに対する心を込めた接客はお金のかからない、しかも汲めども尽きぬ費用対効果抜群の住民サービスなのです。
まっ、今日挙げた事例は心を込めた住民サービス云々以前の問題ではありましたが・・・
年の始まりのひと月、しっかり働いたかな?
(2006年1月31日 火曜日)
今日で1月も終わりです。毎日バタバタしている割には、皆さんに「これが1ヶ月の成果です」と形にしてお示し出来るものが皆無で申し訳ない思いでいます。私は行政から与えられた情報、巷で聞いた話、それらをそのままお皿に盛り付けて「ハイ!一丁上がり」とはできない性格だし、また議員はそうあってはいけないと思っています。
お皿の中の材料の吟味が大切です。怪しいものは混じっていないか、高い仕入れをしていないか、隠し味は何だろうか、美味しそうに見せる粉飾はされていないか・・・等々クンクン嗅いで調査し、試食してみて確認する、私はこれらを議員活動の柱にしています。ですから我ながら時間を要するなぁーとイライラする事もあります。“ファーストフード系議員”じゃなくて“スローフード系議員”を目指していますと、ちょっぴり言い訳を隠し味に振りかけて、やや遠慮がちに胸を張っている私です。
と言いながら、今日も友人とのランチタイムで話が弾み大幅に時間延長してしまったので、「健康づくりはまちづくり」の講演会に参加出来たのはわずかな時間となってしまいました。会場のケリヤホールは100人を超える参加者で、本テーマを既に実現、或はこれからやる気マンマンの“地域力”に満ちた人びとで熱気がムンムン渦巻いていました。行政や関係機関は地域の皆さんの力が花を咲かせるように、上手くサポートしていって欲しいなと思います。
私はリード役サポート役を担う健康保健事業室の保健師さんたちに、高い評価と更なる期待を抱いています。一昔以上前は大阪府の保健所(当時は高槻保健所、現在は茨木保健所が当町を所管)におんぶに抱っこであった町の保健事業でしたが、それでも当時から「保健師の増員を」の声はありました。なかなか実らず時が流れましたが、健康保健事業が市町村に降りてくる事で、自前の保健師を採用せざるを得なくなった背景はあるにしても、今生き生きと頼もしく働く現職の保健師さんたちを見ていると、きっと笑顔の影にハードな仕事のしんどさが隠されているのだろうと思いながらも、うれしく感謝の気持ちで一杯です。
講演会場を出て、同じふれあいセンター2階にある年長者浴室の受付で話を聞きました。昨年末男性浴室の水漏れで長い間ご不便をかけていましたが、お客さんの利用は元に戻っていることを確認しました。そして民生部長から聞いていた浴室の水質検査結果票を見ました。濁度・有機物・大腸菌・そしてレジオネラ菌は何れも基準値以下又は0を示しています。この結果を皆さんに見える所(受付カウンター)に張り出してあるのがミソで、情報提供の一歩前進であり評価したいと思います。実は議会の視察に同行した民生部長が、視察先自治体の良い所を真似て早速実行したと言う訳です。良い事も確かめるのが私の役目です。冒頭に書いているように、良くないことばかりを追っている私では決してありません。
この後は消防・保育所関係の情報公開請求で出た文書を閲覧、併せてヒアリングを行います。また審議会・委員会等のファイルをチェックします。会議の傍聴をしてもしなくても供された資料を読み、必要に応じてコピーします(審議会等の要点録は町のホームページでも見ることが可能です)。それにしても傍聴した場合は資料の持ち帰りは当然だと思うのですが、駄目な理由は何なのでしょうか?最後にやまぶき園の指定管理者制度に係り、すごいボリュームのコピーをとったので、今日も閉庁のチャイムが鳴ってしまいました。