ホームページまもなく誕生......か?
(2004年12月1日 水曜日 晴)
毎朝保育サポートをしている小学校1年生の女の子の集団登校を見届けた後、今日は8時過ぎからホームページのレイアウトを考えています。
夫がいろいろとアドバイスをしてくれますが、息子たちに「豚に真珠、由美子にパソコン」と言われている私です。そんな超アナログ人間の私がホームページを開設するなんてホント夢のような話です。
夫は「ここは僕もようわからへん」と言いながら、マウスをカチャカチャ押し続けています。「ああ、もうこれ以上は『師匠』に訊こう」とついに投げ出し、午前10時、今日はここまでとなりました。(『師匠』とは、夫の仕事仲間だった方ですが、パソコンの名手で何かとお世話になっています。)
こんな調子では、この「週間日記」が日の目をみるのはいつのことやら...。
それにしても近隣議員のホームページの多彩で高度なこと。みなさん独力で作成されたのかしら?まさに「電脳議員」たちですね。すごいです。
私なんぞ足元にも及びませんが、数あるホームページの中で私が特に参考にさせてもらうのは、高槻市の二木洋子議員のホームページです。情報が縦横無尽にリンクしていくこと、そして毎日更新されている「いきいき日記」など訪問者を飽きさせることはありません。
私が今できるメニューはわずかな数ですが、とにもかくにも先ず一歩を踏み出したいと思っています。「こんにちは、なんぶ由美子です」は小粒ながら少しは皆さんの役に立ち、そしてチョッピリ心が和むあったかいホームページになればいいなぁと思います。
皆様のご助言や苦言も頂いて、少しづつでも成長していきたいと願っています。不定期発行ながら全戸配布している「なんぶニュース」を再現しているこのホームページですが、手書きの小さな文字が読みづらいみなさまにも、紙面よりパソコン画面の方がより身近な若い方々にも親しんでいただければ幸いです。
町の情報は積極的に入手します
(2004年12月2日 木曜日 晴)
情報公開制度を使い請求していた情報の閲覧をするために、指定された11時に役場の文化・情報コーナーに行きます。先ずは産業建設課の「歩道バリアフリー化改修工事」の計画を見ます。コピーを撮って、次は人権推進課の部落解放同盟大阪府連合会島本支部から出された要求書とその回答書です。回答の場では町長をはじめ役場の管理職が多数応対していることがわかります。
次に人事課より役場の「職員安全衛生委員会調査報告書」と同「現場点検報告書」の開示を受けます。町の大藪浄水場と清掃工場の巡視結果、病気で亡くなった職員に関連して健康診断の有効性の論議、公務・労働災害の状況等々の文書が出てきましたが、私が知りたい消防職員の訓練中の事故情報は何故か見当たりません。
同じ人事課の「催告書(訴訟費用確定の申込書)について」も見ます。清掃工場で起ったセクシャルハラスメント訴訟において、島本町が負けたわけですが、原告の裁判費用をわずか20分の1である9,054円を負担するための起案文書です。まったく、町が職員の管理監督をちゃんとしていれば、そして被告3者(島本町と2人の職員)が真摯に謝っていたらと3年間原告の女性を支援してきた私は今更ながら強く怒りが込み上げてきます。被告が原告の訴訟費用を全額持っても当然なのに......。
コピーを撮ると昼休みになりました。その間に各課のファイルを見ます。庁議(町長以下各部長の会議)、課長会議、教育委員会議、その他審議会等の会議録が文化・情報コーナーに備え付けられるようになって便利になりました。ファイルに時間がかかるなどまだまだ改善の余地はありますが、私たちがしっかり利用することによって情報提供もさらに進んでいくのではないでしょうか。
会議録のほかに「母子家庭等自立促進計画(案)」のコピーも撮りました。2000年の国勢調査では母子家庭120世帯、父子家庭15世帯で年々増加の傾向がみられます。2004年4月には母子家庭207世帯となり4年間で87世帯の増、父子家庭は6世帯となり9世帯の減となっています。今年8月のアンケート調査結果が載っていますが、母子家庭(80%が離婚による)で養育費が支払われているのはわずか20%です。80%の母が就職しているにもかかわらず、74%が家計で困っています。計画は2003年7月に成立した「母子家庭の母の就業に関する特別措置法」(2008年までの時限立法)により策定されるものです。午後からは情報公開請求で数日前に入手した12月議会の補正予算で不明な点を担当職員に訊きました。
まあ大体こんなことを役場ではしています。
2時ごろに図書館に行き夫に頼まれたCDを借り、少しの時間新春号の雑誌を見ました。ウワー、もうお正月なんだ、お正月が過ぎるとすぐに春の議員選挙がやってくる......あせる気持ちが湧いてきます。
ふれあいセンターを出ると本当に良いお天気で紅葉が美しく、家々のたたずまいものどかで、改めて「島本はきれいな町だなー」とうれしくなりました。島本町が美しく、やさしく、元気な町であるよう微力ながら、これからも私の活動を生かしていきたいと改めて思いました。
全員協議会やっと傍聴できました
(2004年12月3日 金曜日 晴)
諦めずにいることの大切さをつくづく実感しました。毎回毎回議員全員協議会の傍聴を申し出て、そのたびに「あかんもんはあきません」と理屈の通らない拒否を受けてきました。
行政側の会議公開がどんどん進んでいくなかで、住民の代表である議会がなにゆえ住民を締め出すのかが、私には納得いきませんでした。今日は与党議員から「傍聴いいのんとちがいますか」との意見が出てすんなりと認められました。一体いままでは何だったの?となりますが、私にとっては歴史的ラッキーな出来事でした。もうこれからは誰でも正々堂々傍聴が可能ですよ。
ちなみに議員全員協議会とは議長が招集し、主には本会議の前に町行政が重要な案件について説明をし、「可決してね」の意を伝える場になっています。もっとも与党議員には協議会の前に根回しができているはずです。
さて本日の案件も大変大きい内容でした。新駅設置にかかわり青年の家跡地を駅東広場にするために、大阪府から2億7千百万円で買収するとの契約案件です。当初の計画からは約1億円安く、島本町の土地鑑定価(2社の鑑定)からも約1億6千万円安くなっているとはいえ、元々は町が寄付した土地ですから「無償」の道もあって当然です。従って島本町が大阪府とどのような交渉をしてきたのかが確認できなければ、2億7千百万円の支出が妥当な金額なのか住民の理解はえられません。町長は「結果がそうなった」を繰り返すばかりでした。また大阪府の鑑定結果や府財産評価審査会の内容も「知らない」と答弁しました。
次の案件は旧町営住宅跡地を売却するための開発業者募集要綱と業者の選定委員会設置要綱(何れも案)です。2万5千6百平方メートルの土地を12億3千5百万円で売却するとしています。(売却益は新駅設置の事業費に当てます。)当土地の中に民間の家屋が1軒存在しており、その移転補償の1千万円は補正予算に計上されます。本事業に利害関係が生じるかもしれない業者が特定される肩書きが示されて「選定委員には選出しないよう」との意見も出されました。
最後に財政の収支見通しが示されて会議が終わりました。
会議の閲覧資料は持って帰れないのですが、議員からすぐコピーさせてもらい入手しました。
今日は面倒がらずに出かけてきて本当によかったです。
人権の集いに参加しました
(2004年12月4日 土曜日 晴のち雨)
会場のふれあいセンター(ケリヤホール)はほぼ満員の状態。年齢層は割合高いように思いました。本日のゲストである女優の真屋順子さんにわが身を重ねる年代の女性の数が圧倒的に多かったです。
私もその中の一人です。真屋さんは私より2歳年上です。2000年に脳出血で倒れましたが、懸命のリハビリにより復帰を果たしました。ずっと支え続けた夫の高津住男さんとともに車椅子で全国を講演されています。高津さん作主演の「人形師タケシ」では真屋さんがナレーションを担当。少し活舌が弱いように聞こえる所もありましたが、淡々とした語り口が私の心にはしみとおりました。
高津さんは69歳、味のある俳優さんです。一人芝居を演じ、差別なき社会をめざし訴え続けています。残念なことにお芝居の内容が複雑というか、場面展開に少々無理やなぁと感じるところあってしんどかったです。
演劇のあと短いトークショーがあり、お二人が本当にお互いを尊敬し、信頼しあって生きている様子が会場の人々の胸を打ちました。
町と人権啓発推進協議会が主催する「人権の集い」は毎年行っていますが、よきゲストを招き心満たされる集いに参加できることに感謝しています。
人権啓発推進協議会会長も町長も共に原稿棒読みの挨拶をせずまあまあの合格点でした。以前辛(しん)さんがゲストの時に「辛さんはきれいな人、私の好みの女性」とトンデモナイ挨拶をしてヒンシュクを買った主催者のことを思い出し、今回はホッと胸をなで下ろしました。会長も無事合格点でした。
長期出張の長男が帰宅しているため、ちょっとがんばって夕食をと思い、雨の中買い物をして帰りました。
みんな頑張っているなぁー
(2004年12月5日 日曜日 晴)
長男は私がホームページを本気で作るようなので、アドバイスをくれたり茶々を入れたりしながら私のパソコンを触っています。夕方長男が出張先の三重に帰ったあと、パソコンの画面の字体が普通にもどらない。ウン?もう-っ!
さて、今夜はともに働いていたヘルパー仲間のちょっと早めの忘年会に出かけます。私は今年の3月まで痴呆のお年寄りが暮すグループホームで働いていました。わずか2年余りでしたが、すごく良く働いたとおもいます。ホームではみんなが頑張って頑張って仕事をしていました。多忙を極めていたにもかかわらず、全ての人がやさしかった。私は勤務の日々一度も嫌な思いをしたことはありませんでした。私より若い人ばかりでしたが、みんなが私のお手本とする人でした。
去年、今年と大変な病気を克服して、今はリハビリに励んでいる仲間にまず心からの乾杯!そしてこのひと時私たちが無事で会していることに、もう一度乾杯を!
働いていないのは私一人なのに、散会の時みんなが私に「一番忙しいのは南部さんだから、体に気をつけてね」とエールを送ってくれました。うれしくて、水無瀬駅前のクリスマスイルミネーションがちょっとにじんで見えました。
歴史文化資料館懇話会・・・示唆に富んだ含蓄のある意見出る
(2004年12月6日 晴)
0時からの懇話会を傍聴しました。傍聴人は私一人です。資料館となる建物の麗天館は昭和初期の木造建築物で、とびっきり値打ちがあるのかと言われると、「そこそこ」でしょうが、私は新駅建設のために古いものは何でも壊しちゃえのやり方は良くないと思っていましたし、島本らしい駅の景観づくりのためには頑張って保存して欲しいと発言してきました。ただ、思っていた以上に大変なんだということが傍聴していてわかってきました。本日の発言内容はいろんな人たち、特に議員のみなさんには知っておいて欲しいと感じました。
館の補修、改修についても運営の基本についても予算付けが必要です。議会の正しい理解と判断が教育委員会や町長部局を動かし「島本らしい」、「さすが島本」(委員の言葉)との評価をもらう館にしていくのです。なんでもお金さえ掛ければいいといっているわけではありません。歴史文化資料館として存立していくためには決して欠いてはならない事項があるのだとの意見が多くの委員から出され、豊富な学識や長い経験を踏まえた提言が相次ぎましたなかでも学芸員の設置はぜひとも実現すべし、なおかつ島本に最もかなった学芸員を置くべし(近隣自治体はどこも置いている、お隣の大山崎町には素晴らしい学芸員がいる)は強く主張された意見でした。私もまったく同感です。そのほか収蔵保存と展示公開のあり方とその方法などなど「担当職員の知恵と力のだしどころです」と教育委員会事務局への檄が飛びました。答えた社会教育課長の弁は「学芸員はボランティアで協力してもらいたい」と随分後ろ向きの発言でした。
私は今すぐにでも、それこそボランティアで懇話会に参画してもらって開館には職員の位置づけで働くことにならないと、住民の満足度は得られないし住民の資料館へのかかわりも希薄なものになってしまうと心配しています。お昼2時からは地域医療・保健事業推進協議会の傍聴をします。それまでの間、議会運営委員会で示された議案の概要をもらって目を通します。最も関心を引いたのは、議会議員の定数を18人か16人に削減する条例案の議案です。提出したのは岡田、本間、千頭、清水、川口、実沢の6議員です。
私は削減には賛成です。
反対する議員の主張は「議員の数が減ると、民意が反映されなくなる」です。議員はボランティアで、50人くらい。議会の権威とやらにとらわれず縛られず議員全員が住民の意思を十分にわがこととして会得し、行政と或は議員同士で十二分の論議が確保されるなら、民意の反映は可能かもしれません。しかし今民意の怒りや憂鬱は「議員の働きが良く見えない、住民の知らない所で大事なことが決まっていく、しかも行政(町長)の言う通りに」の意見に示されています。反対意見が一切省みられない現状の議会で、果たして現定数18人(実際は一人退職して17人)が民意の反映を保障しうるのか・・・と私は思っています。民意は「ちゃんと働く議員、働いている中身をしっかりと見せてくれる議員」を求めています。いずれにしても、議会が自ら改革の決意を示すには定数削減は大きな意義を持つのではないでしょうか。
議員数の減は私の決意の成就にも大きな影響をもたらしますが、何のしがらみもバックも持たない、まさに民意と裸で向き合っている草の根市民派として今こそ出番、今こそ頑張り時だと思うのです。
現職の議員のみなさんも定数減にびびらず頑張ってください。
消防職員が力いっぱい仕事に励むために
(2004年12月7日 晴)
今日は救急救命士の気管挿管実習の為の病院派遣に関する情報公開の文書閲覧をしました。消防職員ついては、私たちの日々の安全を守ってくれる大切な活動をしてくれていると感謝しています。
ただ、島本のような小さな町で単独の消防行政を行っていくのは、お金の面でも人の面でもしんどいことです。高槻市との合併をしなかったことを私は評価していますが、広域の消防行政への取り組みが見えてこない今、島本町消防本部(消防署は本部の中に位置付けられた機関です)が役場本庁から遠い存在にならないように議会をはじめ町長、助役等役場職員は自らの意識を常に省みることが必要ではないでしょうか。
このことは消防に限らず水道庁舎、清掃工場、人権文化センター、教育センター、近距離にあるふれあいセンター、体育館にもいえることです。
私は7月中旬に起った消防職員の訓練中の事故についてずっと気になっています。今日文化情報コーナーにきた消防署長と管理課長によい機会なので聞いてみました。事故は7月の中旬に起りました。非常の際に高所から救助マットに飛び降りる訓練で、マットの取り扱い知識不足から足からの降下をお尻から降りてしまいました。消防士はマットごと地面にたたきつけられ、1ヶ月の安静を強いられる負傷をしました。
問題なのは降下の指示が上司からありそれに従ったこと、マットは8人で持っていなければならないのに7人で支えていたこと、激痛が走り動けない状態がしばらく続いたのに救急車での搬送をしなかったことなどです。さらにもっと問題なのはこの事故が消防の中だけで処理され、終了してしまったことです。後日当然のことながら公務災害の認定請求は人事課よりなされていますし、職員安全衛生委員会において報告もされていますが、私の疑問に答えるなかみはありません。
庁議でも9月議会でも報告されず、文書決済も担当部局とまりで、町長、助役が本事故の報告を一切受けておらないことは本当に不可解です。
9月末消防職員が窃盗容疑で現行犯逮捕されました。町の分限懲戒審査会の処分は何も無く、職員は10月始め普通退職し、不起訴になった為退職金もちゃんと出ました。上司の処分もまったくありませんでした。これで一件落着なのでしょう。しかし住民から見るとなんともやりきれない気持ちです。
二つの事件はたまたま続けて起こったのかもしれませんし、そう思いたいです。ずっと前に消防本部で猫の死骸が机の引き出しに入れられていたりする嫌がらせが起り、裁判にもなりました。陰湿な人権侵害が行なわれていたのです。事故や事件はたまたま起こったことばかりではありませんし本人にのみ起因することばかりでもないはずです。何処かに本当の原因が潜んでるかもしれないのです。「臭い物に蓋」の解決方法だけはして欲しくありません。
急げ!教育委員会議傍聴へ
(2004年12月8日 晴)
会議規則には定めが無いのに、1秒でも遅れたら傍聴ができないので急いで教育センターへ出かけます。マナーの問題として遅刻はよくないですから従っていますが、本当は会議に支障が無ければ遅れても、途中からでも傍聴は認めるべきです。
今日は永井委員が欠席で4人の委員で開会です。案件は報告3件で議決を要するものはありません。冬休み中の子どもへの指導についての案件では、子どもが犠牲となる事件が続発している中で、島本町の対策を問う質問が出ました。今年度町で起った緊急事案は30件ありまが、内イタズラ通報、熊やサルの出没情報を除くと子どもたちに係りのある不審者の事案は9件でした。
答弁では対策として「学校危機管理マニュアル」、「学校安全パトロール」の取り組みが述べられました。パトロールの登録者は74人です。そのうち日常活動されているのは1小校区では2人、2小は8人、3小は6人、4小は6人です。「本当にご苦労様です」と私も感謝の声を聞いています。また家の角先に「子ども110番」の旗を見かけることも珍しくありません。委員からは危機管理マニュアルについては第一小学校のものが優れているので、他校も統一した方がよいのではとの意見もありました。社会のゆがみや個々人の資質に私たちがどう対峙していけるか、なかなか答えの出せない世の中になってきましたが、何の罪も無い子どもたちが痛ましい事故、事件に巻き込まれることはどうにかして防がなければなりません。
私は毎日登校前の小学1年生の保育サポートをしているので、集団登校の場に行きます。「子どもに危害を加える」とのメール事件が発生したときには、補導委員の保護者の方や校長先生、教頭先生が毎朝巡回されていました。実際的な安全対策としても有効でしたが、こどもたちや親の心の安心感はとても大きかっただろうと思います。
あとの案件は文化祭と青少年健全育成大会の結果報告でした。文化祭は述べ1万6千人の参加がありました。私も午前中一杯楽しみました。特に今回初めての試みであるフリーマーケットは気に入ったものが見つかり、トクトク気分でうれしかったです。今後も続けるのならもう少し広いスペースがないとしんどいですね。青少年の方は510人の参加者で内講演会は360人でした。倍の整理券発行数に比べ少ないのではとの質問がありましたが、私はたくさん来られた方だと思います。ただ私の好みからすると以前からずっとゲストの選択に偏りがあるように思われますが、どうでしょう?
午後からは水無瀬川緑地公園運営協議会を傍聴しました。公園の料用状況をもっと盛んにするための議論が少し弱いように思います。日陰の工夫は必要だと思いますが、新しいフエンス設置等会長自ら工事ヶ所を出して担当の産業建設課をせっついているかの印象をもつのは私一人でしょうか?
この日は住民福祉審議会と重なっていましたが、審議会の傍聴はパスせざるをえませんでした。
青少年問題協議会ってなにする所ですか?
(2004年12月9日 晴)
地方青少年問題協議会法に基づき島本町の条例で設置されている略して青問協ですが、町長を会長に助役を副会長に据え関係団体・機関の充職等で構成されています。議会からは平野・平井議員がでています。10時からの傍聴をしましたが、高槻署生活安全課課長の話と島本の教助員からの報告と議員の質問が少しあっただけでなんともおとなしい会議でした。島本町が問題の無い穏やかな証拠ともいえますが、激化、悪化の一途をたどる青少年の犯罪・問題行動を、わが町だけは関係ないとの意識でいるととんでもない事になるかもしれません。また問題は表層化せず潜行している場合も多く、委員間での深い見識にもとづいた論議を私は期待していました。まあ年末から年度末にかけてバタバタ2回の青問協を開くと言うことからして、形式的に消化するのかと思ってはいますが・・・。
高槻所管内の少年非行は少子化の影響で総数は減少するはずなのですが、刑法犯少年検挙状況では増加しています。特に窃盗は18件も増え、414件の総数に占める割合は59.7%に上っています(2003年1月〜12月)。昨年に比べ凶悪犯は3人から7人に倍増していることも気になります。ただこれらの統計は島本町単独の数字では表されていません。不良行為少年補導数とも合わせて、誰か島本町の状況を質問してくれるかと待っていましたがなかったです。
教助員の方からは、低年齢化が顕著で出会い系サイトにより中学1年生の女生徒で2〜3ヶ月行方不明を繰り返す事例があったと話されました。現在受け持つ子どもはおらず「それが一番幸せだと思う」との言葉に私も同感でした。
傍聴終了後は、昨日から閲覧を始めている役場の全部局の文書処理簿を見ていきます。最後の図書館がきて全部そろいました。文化情報コーナーにファイルされるのがずいぶん早くなって、催促を繰り返してきた甲斐がありました。
お昼ごはんはふれあいセンターのやまぶきで澤嶋さん、平野さんと食べ、そのままおしゃべりで時間がたち、なんと3時過ぎていました。4時に夫とホームペーの打合せをすることをすっかり忘れていて、慌てて帰りました。こんな調子で一日が飛び去っていきます。
乳がん検診を受けました
(2004年12月10日 晴)
私は朝5時半くらいに起きます。ヘルパーで働いていたときは早出勤務だと4時半に起きていましたから、今は随分楽になったはずなのにお布団のあったかさからナカナカ抜け出すことができません。朝テレビをつけるのは嫌なので、コーヒーを入れゆっくり朝刊を開きます。第1面の見出しを見てため息をつきました。
小泉首相が自衛隊のイラク派遣(派兵だと思いますが)延長を決めたことが載っています。実質戦闘地域に自衛隊が居ても、自衛隊が居るとそこは非戦闘地域になるんだという子どもでも騙されないような、まったく人を馬鹿にした言い逃れには「ええかげんにしいや!」と多くの人が怒っています。一国の首相が口にするべきでない、ブラックジョークにもならない発言です。諸外国が次々とイラクを去る今、小泉首相は撤退の最大のチャンスを逃してしまいました。私はおもわず新聞に向って「あほやなあ」と叫んでしまいました。
気を取り直して、乳がん検診にふれあいセンターへ出かけます。誕生月の8月に町のミニ人間ドックで検査をしてもらってどこも悪い所はありませんでした。11月の文化祭で骨密度測定をしてまあまあ合格。ちょっと自信がついて、乳がんも絶対大丈夫と太鼓判を押してもらいたくて受診しました。ただマンモグラフィー(エックス線照射)に抵抗感はあります。しかし触診では発見できない場合もあるかもしれません。私の体のこと私が選択しますと決めて、エックス線を2回浴びることよりもガンの有無を確認するほうに重きをおきました。触診では異常なしです。マンモグラフィーの撮影は痛いといわれているので心配でしたが、まあまあ我慢できる痛さでした。撮影の為にはオッパイを機械でペッチャンコにするのですが、マア本当に見事におせんべいになってしまいました。
午後2時からの都市計画審議会傍聴まで時間があるので、図書館とふれあいセンターの庭ですごしました。12月半ばなのにポカポカとあたたかく山の紅葉もまだ衰えずイー気持ちでした。検診の結果は1ヶ月以上先のようです。
〈秋深いふれあいセンターの庭園〉
ふれあいセンターは役場のすぐ近くにあります。
年長者施設、保健センター施設、生涯学習施設等の機能を持つ諸室と、図書館、ホール、レストランがあります。社会福祉協議会棟も隣接しています。庭園も散策に適しています。
センターは朝9時から夜9時まで開館しており、誰でも使用できます。
お問い合せは (075)961‐1010へどうぞ
島本町桜井三丁目4‐1
議会が開かれます
12月16日(木)、17日(金)、20日(月) 午前10時〜 役場3階議場
一般質問は11人が行います。質問通告の標題をお知らせします。
一般質問
千頭議員
1.児童虐待問題の現状について
2.介護保険制度について
3.子育て支援について
4.中学校給食の実現に向けての進捗状況について
菅 議員
村田町政4年間の評価について
来仙議員
1.今後、町立葬祭場がなぜ必要か
2.整合できているか、公共下水道認可区域拡大と合併浄化槽設置費用補助金制度
3.続・「大阪府へ拡張要求されたい、JR新駅設置予定東側自転車駐輪場までの府道西京高槻線」
藤原議員
1.学童保育室について
2.二小旧校舎建て替えの進捗状況について
3.島本町事務分掌条例改正後のとりくみについて
平野議員
1.子ども家庭サポーターの活用について
2.やまぶき園のダイオキシン調査を町独自で実施せよ
岡田議員
1.性同一性障害について
2.小学校、中学校通学区域の弾力化について
3.し尿中間処理施設について
河野議員
1.「合併しない」まちづくり・財政問題に住民参加を
2.「民主主義・基本的人権守る」町政の窓口業務を問う
3.どの子も等しく安心して学ぶことのできる教育諸条件について
4.「JR西日本に9億円寄付」工事協定の見直しを
加藤議員
1.町づくりと子育て支援と女性施策
2.島本町歴史文化資料館について
澤嶋議員
1.「住民投票の大量閲覧」請求者情報はなぜ非公開か?
〜業者の利益と住民の自己情報コントロール権〜
2.「学力状況調査」について
〜国の進める教育改悪の危険の中で〜
本間議員
1.効果的な介護予防の確立は、パワーリハビリテーション事業
2.介護保険居宅介護(支援)住宅改修費の受領委任払いについて
3.高齢者虐待防止のために
4.PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)は新しい官民パートナーシップ
5.「指定管理者制度」導入の推進について
豊永議員
1.介護保険の大改悪を許さずより良い介護保険制度にするために行政はちからをつくすべきだ
2.明らかになった下水道徴収業務の中で起きた今回の徴収不能問題を問う
3.高齢者を狙った悪質な犯罪をみんなでなくすために
今日はだらけています
(2004年12月11日 晴)
土・日曜日と保育サポートが無い日は少し朝寝坊ができます。役場は閉庁、たとえ用事があっても行けません。ゆったり気分満喫です。(本当はなんぶニュース99号がまだ書けてなくて、印刷屋さんから「もうこれ以上待てません」と引導渡されているので,お尻に火がついているのですが・・・)
お天気がいいし暖かいしで大きい物の洗濯をして、掃除もちょっと念入りにしていると、あっという間にお昼になってしまいました。もう誰も喜ばないのですが、気分だけでもとクリスマスの飾りを置いてみます。子どもたちが小さい頃は本物の大きなもみの木に、星の形をしたクッキーを焼いて飾っていたなあと思い出しました。クリスマスのしつらえは仲良くしていた近所のドイツの女性に習うところが大でした。ケーキも何種類か焼きました。(私のシュウクリームは友達の間ではちょっと有名だったのですよ)10年前にその友人を訪ねて旅したドイツ・ポーランドの思いでも、やはりクリスマスのころになると甦って来ます。11月になると雪が降り街は美しい飾り付けで溢れていました。映画シンドラーのリストでご存知の方もいらっしゃると思いますが、クラコフの町にもう一度たたずんでみたい・・・私のここ数年間の夢です。
子どもたちがクリスマスやお正月を喜んでいた頃から(中学生になるまでくらいかな?)はや20年誓い歳月が流れました。「やれやれ一息」の安堵感と少しの寂しさとが交差する中で、小さなリースをドアに掛けテーブルクロスを替え、真っ赤な姫りんごと金銀のキャンドルを組み合わせて飾りました。ささやかな暮しの中でも季節感や遊び心を大事にしていきたいと思います。
のんびりしていてすっかり忘れてしまっていました!小沢福子府会議員のよびかけで、「イラクへの自衛隊派兵イエス?ノー?」を問う水無瀬駅前行動があったのを。時間がたっぷりあったにも係らず、スッポカシてしまいました。小沢さんごめんなさい。
島本町の男女共同参画推進条例は“可もなく不可もなく”?
(2004年12月12日 晴のち雨)
町の条例制定が具体的に進んでいる今、もう一度私たちの意識の掘り起こしが必要と立ち上げた「男女平等について考える会」の学習会を午後からふれあいセンターで行うため出かけます。
講師との折衝や案内ビラの作成は平野さん、澤嶋さんが頑張って、私は当日の挨拶と進行を受け持ちました。いつものように参加者が溢れるなんてことには程遠かったのですが、その分和気藹々と自由に話し合いました。本音が出ないことには、学習の中身も身につきません。町外からの参加者もありました。
講師の森屋さんは、女性のエンパワーメント仕掛け人としては草分け的存在です。机上の論者でなく実践の活動家です。島本町の講師も何回かされています。
私は2ヵ年に渡る「女性を議会にバックアップスクール」で何度か森屋さんの講義を受けています。また4年前の選挙時にも応援していただきました。
1975年日本の女性施策の大きな転換期になった世界行動計画が作られました。計画では76年から85年を国連婦人の10年と定め、固定的役割分担を見直す論議などが盛り上がりました。95年の北京会議を経て、99年6月に男女共同参画基本法が制定され、以降自治体での条例制定が進みました。現在千葉県をのぞく全都道府県が条例をもっています。大阪府では2002年4月に条例が施行され、現在府内市町村でも策定が進められています。島本町では「島本町男女共同参画社会をめざす計画」が府内でも早い時期に作られ、今年度条例制定に向け人権啓発施策審議会において審議が続けられてきました。「計画」の中身が法令によって担保されることになるのです。ただしこの条例は基本条例(理念条例)なので、条例に反しても直接的に罪を科する効力は薄いようです。
私はずっと審議会の傍聴を続けてきましたが、「目からうろこ」や「目のさめるような」論議が沸き起こるようなことはなかったです。各地の条例策定に対して“道徳的なゆり戻し”いわゆるジエンダ-や人権問題に対するバッシングが激しくなってきています。当町の審議会では「ジエンダ-フリー」の文言も聞かれなかったし、森屋さんが評した「可も無く、不可も無い条例」になる恐れは十分すぎるほどあります。まあ、審議会が各地で起きているバッシング派の「機能平等論」(男性女性それぞれの役割があり、それぞれ「らしさ」がある。特に女性は「産む」性としての役割がある)に振り回されることがなかったのはよかったと胸をなでおろしてはいますが・・・。
町は広報やホームページで住民の意見募集をしています。12月24日までです。意見は審議会で検討され条例案に反映される可能性もあります。
久しぶりの傍聴です文化推進委員会
(2004年12月13日 晴)
私は委員会を所管している社会教育課に文句を言っていました。今日月曜日の午後開催なのに開催通知の案内掲示は、先週金曜日の午後なんて。まったく周知の時間が無きに等しいやり方です。たまたま知ったから傍聴の機会を得たけれど、これではやっぱり行政は住民に会議を公開することを嫌がっているんだと思われても仕方がありません。
会場はふれあいセンターの第2学習室でした。ここは一番グレイドの高い部屋です。傍聴は私だけでしたが、委員と同じ上等の机と椅子が用意されていました。時には背もたれの無いお尻がはみ出す粗末な椅子が用意されている会議もあります。会議場スペースの問題もありますが、役場や審議会・委員会等全体が傍聴を迷惑と思わずに光栄と迎えてくれるようになってほしいものです。
案件は町の文化推進計画策定についてと歴史文化資料館の展示についての2件です。計画の方は他市の事例が事務局から資料提供された程度でした。委員の意見で、町の事を知るのに「JR新駅構想の内容がよくわからない」というのがありました。「えーっいまごろ!」と思いましたが案外そうかも知れないとも感じました。事務局が積極的に資料を出すのは当然ですが、委員のみなさんも文化情報コーナーに行き、新駅関係のフアイルぐらいは自分で見てみたらどうでしょうか。
資料館の展示については、今後慎重な検討が必要ですが、委員会の論議を注視していかなければと感じました。委員の意見に「麗天館の時代にそった資料の収集と展示」を求める声が複数ありました。「麗天館の時代」は「軍国主義の時代」です。誤解の無い、ゆるぎない平和を求める展示がその時代の資料を通して正しくできるか、本当に心配です。「島本町で生まれた子どもたちはここが故郷になるが、子どもたちは何も知らない」との意見もでました。
教育次長らの答えは「島本の歴史の副読本が無い中で史実、歴史をどう教えられるのか、タブー視から知ろう、調べようへどう転換するのかが問題」との含みあるものでした。
会議は5時頃終わりましたが、今日公開を受ける情報があったので役場に戻ります。3常任委員会の視察報告書(各委員提出分)です。民生消防のI議員と建設水道のM議員が未提出である事がわかりました。それぞれの委員長から、また議会事務局からは催促をしたのでしょうか。議員一人8万円の税金が充てられているのですから、報告が無いのはよくない事です。報告書の中には“力作”もあり、住民を十分納得させるに足る視察であったかどうかは別にして、報告義務は果たされていました。一方視察に同行した理事や部長の復命書の中身はどうでしょうか。しつかり報告されているのもありますが、形式的に視察項目だけ書いて済ませているのもあります。これでは2日間仕事をしてきたの?と思ってしまいます。最も部長たちの本音は「気使いながら議員たちの“旅行”につき合わされている」かもしれません。閲覧が終わってから情報の公開請求もひとつしておきました。
来年度の予算要求書がほぼ出揃ったようなので、今請求しておくと来年早々には新年度予算の中身がわかります。もちろん何回もの査定を経るわけですから、最終的には予算書があがってくる3月はじめに分るという事になります。しかしそれでは遅い。野党議員には与党議員のように職員からの耳打ち話があるのか無いのか分らないし、事前のお願い方説明もないわけですから「それがなんぼのもん」といわれても、あくせく動いているしかしょうがありません。ましてや一住民の私は、自らが知ろうとしなければ情報は永遠に入手できません。見えない(見せようとしない)情報を求めて、4年間果てしない夜道をボツリボツリと歩いてきたように思います。結局「情報は歩いてこない、だから歩いていくんだよ」ですね。
終業のチャイムが鳴って、慌てて帰りました。
平野さんからの長いメール、しっかり読みました
(2004年12月14日 晴)
朝一番に昨日深夜に送信されてきた平野さんのメールを見ます。議員定数削減の議員提出議案について、議会運営等検討委員会で合意を見なかった経過と、議員のあるべき姿を故市川房枝参議院議員の言葉を借りて述べられています。どれだけの人にメールを送っているのかはわかりませんが、受信者の意見も求めています。この案件の議会審議予定時刻も示されており、親切な案内だと思いました。メールでは「私も悩むところです」とありますが、私は「削減には反対」との平野さんの言葉を聞いているので、彼女の意志は固いのではと思っています。しかし何が起こるかわからないのが議会ですから、断言はできませんが。
いずれにしても議員にとっては悩ましい問題です。それぞれの議員が自らの議員活動を省みながら、自信をもって判断すればよいのです。住民は日頃の議員の言葉と活動が一致しているかどうかよく見ています。私は議員の数を減らす事については、現状では賛成なのですがそれはそれ。平野さんの確固たる自己決定から導き出された質疑、討論を楽しみにしています。
午後からお米の共同購入があるので家に居る事にして、溜まっている「幼保一元化」や「指定管理者制度」の資料を読みました。
島本の議員のホームページご覧になっていかが?
(2004年12月15日 晴)
島本町議会議員でホームページを開いているのは原野、加藤、川口、藤原の4議員です。時折アクセスしていますが、更新がされていなくてがっかりしたり、反対に思いがけずフレッシュな情報が提供されていたりします。川口さんは議会前後には日記形式で割合更新しています。ニューフェイスは藤原さんです。今日始めて見ました。9月議会の報告が出ていますから、そう古い情報でもありません。写真も取り込んで4人の中では一番充実した内容ですが、時事性が求められるメニューが多いので、更新が大変だと思います。頑張って私のよきホームページライバルになってください。なぁーんて、まだ誕生させていない私がえらそうな事を言っています。スミマセン。
しかし予想外に大変です。画面上の情報は指一本でさらさら流れて行くのに、それを組込むシステムはあちらをカチャこちらをカチャ、私には訳が分りません。夫と夫の師匠の世界です。日記書きとレイアウトとデジカメとダメ出しが私の仕事です。早くみなさんにお披露目したいなぁー。画面上の私に出会ううれし、恥ずかし気分はクリスマスには味わえるかしら?
それにしても12月初めから取り掛かっていて、すこーし疲れました。明日からは議会が始まります。大事な議案がいっぱい上げられています。傍聴にご一緒しませんか。議会の活性化は住民の議場参加が第一歩です。
波乱に満ちた12月議会開幕?です
(2004年12月16日 木曜日 晴)
先ずは「台風23号の被害復旧工事のために、急ぐので1,200万円の予算を使いました。議会に報告しますので認めてください」という専決処分の議案がありました。
私はその中で小額ながらS自治会集会所の屋根補修工事12万余円に少し引っかかりました。この集会所は町の所有ですし修理費を町が持つのは当たり前と考えますが、この議案のとき傍聴席を離れていたので、どんな質疑があったのかわかりませんが全て自費で維持管理している他自治会の集会所は多くあります。補修、修理費に関しては一定の補助があってもよいと思います。一方、本工事の契約は入札をしない随意契約で行われているのですが、その際2社以上の相見積もりをとらずに工事発注しています。契約の公平性、透明性を欠くものでありよくありません。
さて今議会の目玉案件、議員の数を減らす条例改正の案件です。岡田、本間、千頭、清水、川口、実沢の6議員が議員定数18人を16人に削減する議案を提出しました。その理由は「自治体を取り巻く財政状況は依然として厳しい中にあり、組織・機構の簡素化、効率化が求められている。よって、現下の諸情勢を勘案し、議会自らが改革の範を示すべきと考え、議員定数の削減を提案するものである。」としています。削減に対する私の考えの一端は12月6日の日記で示していますが、今日の議員間の質疑を聞いても私の結論はやっぱり「削減に賛成」です。本提案は議員提案ですから、議員が議員に質疑をする数少ない機会ですが、議論がかみ合わず賛成派も反対派も丁々発止の応酬とはなりませんでした。それはこの問題に対して「正しい答え」なんてないからだと思います。議員の数と議員としてあるべき姿は比較して論じる事ができる性質のものではないということでしょう。
多くの住民は議員の数が増える、或は現状維持であると知ったとき「うれしい、頼もしい、自分の生活にプラスだ」と喜びを感じるでしょうか。私はそうではなくて、議員の数は一人二人減っても、しっかり働いてくれる議員に対して住民は信頼を寄せ、うれしさを感じると思うのです。まあ、そんなこんなを住民に聞いてから決めようと主張したのが削減反対派と保留派でした。そのための特別委員会を設置する動議が共産党の議員から出され、なんとなんと!採決は可否同数になりました。この場合議長裁決となりますが、議長は明日の議会で結論を示すことを宣言して1日目は終了しました。私はその場で直ちに議長が決めてくれればすっきりするのにと不満に思いましたが、議事の進行は議長にあるのですから「まぁ仕方ないか」と思う一方、何が起こっても不思議じゃないのが議会ですから心配も大きかったです。さあ!また明日傍聴に来ましょう。
議員定数等検討委員会が設置されました
(2004年12月17日 金曜日 晴)
昨日の続きで議会が開かれます。昨夜大事なところで意思決定を持ち越した議長の裁決結果は、特別委員会設置の動議を認めるものでした。(削減派の議長取り込みはうまくいかなかったのかしら?)動議に反対(定数削減賛成)したK議員から「議長の判断は重たいぞー」の大きな野次が飛びました。
直ちに特別委員会設置の議員提案がされ、動議に賛成した同じ8議員が設置にも賛成し、またまた可否同数で議長裁決により成立しました。8人は澤嶋、平野、加藤、来仙、藤原、河野、豊永、伊集院議員です。なんだかややこしいですが、法に基づいてひとつひとつ決めていくのが議会のルールで仕方がありません。
私は議員の数は減らした方がよいと思っているのですが、検討委員会で検討してまとまらなかったものを、特別委員会でどんな審議をしてどのように結論をだすのでしょうか。さらには来年4月の選挙に間に合うよう早い時期に結論を出しておかなければなりませんが、年末年始もなく、週に一回くらいの会議を開く意気込みが議員全員(特別委員会の委員は議長を除く16名の議員)にあるのでしょうか?そして特別委員会を求めた議員たちの主たる目的である「住民の声」はどのようにして得るのでしょうか?「住民の声」をどれくらい集められれば民意の反映がされたと判断できるのでしょうか?結局、時間切れ審議未了で現状の18人のまま選挙に突入ってことになるのではないでしょうか?
特別委員会に対してずいぶん厳しいことを言っているかもしれませんが、じつは私にとって今回の議会の“流れ”は驚きと期待をもって眺め、そして歓迎している出来事です。いままでなら与党議員が出してきた議案等について通らないことは無かったのです。いつでもなんでもさっさと通っていったのです。しかし今回は違った。決して開かなかった扉に細い隙間があけられた、そのことを目の当たりにして私は本当にうれしかったです。
だからこそ特別委員会の行方が気になるのです。議員の数を減らしたいほうもそのままがいいほうも、本当に肝を据えて特別委員会に臨んでもらいたいと願っています。
このあと、新駅駅前広場になる元「青年の家」の除却工事(第1工区)を(株)ツジイ住宅が4千7百万余円で請負う契約の締結が可決しました。ここではひとつの工事を地元業者育成との理由でふたつにわける必要性があったのかなかったのか、指名業者がすべて同じ金額で入札する不思議、第2工区入札日時・指名業者が公示後に急遽延期されたこと等に対する質疑がありました。
もともとあった「建設業組合」と組合から離れ「建設業協会」を立ち上げた町内建設業者間のギクシャクが、町の公共工事入札・契約に好ましくない影を落としているように思います。行政も内々では困っているようで理事者は「育成というより保護になっている傾向もあるかもしれない」「入札制度の改善に向けて検討し始めている」等の答弁をしています。
さて、元「青年の家」除却工事が住民、特に近隣に与える影響は大きいものがあります。鉄筋コンクリート造一部4階建て、3,600平方メートルの建物と庭の巨木を撤去するのですから、大変な騒音と振動と粉塵とを生じます。また撤去廃材搬出のために約500台の大型ダンプカーが行き来します。直ぐ隣は第1幼稚園です。通園・通学の安全対策が第1・2工区合わせてたった6人のガードマンで大丈夫なのか大変心配です。
残念ながら議会の質疑では出なかったのですが、私が心配していることがあります。「青年の家」撤去の廃棄物には特別管理産業用廃棄物(アスベスト、PCBなど)があります。非常に有害なこれの廃棄物は法律に定められた処理が求められますが、前述の工事請負者ツジイ住宅の従業員数はたったの2人です。第2工区の工事を落札した(株)中尾工務店は何人いるのか調べてはいませんが、万全の対策が取れるのか心配です。特にアスベストは浮遊するので働く人はもちろん近隣住民、特に園児への影響が心配です。
先日、町は大阪府より2億7千万円で「青年の家」跡地の購入を済ませました。いよいよ来年1月から取り壊しが始まります。補正予算の審議が始まりましたが、夕方5時過ぎには保育サポートをしている女の子を学童保育室へ迎えに行かなくてはならないので議場を出ました。もう真っ暗で、5時半閉室ぎりぎり間に合いました。学童保育室にはまだ3人の子どもが残っていました。指導員さんはなかなか時間通りに勤務を終える事が困難だろうなと感謝をしつつ、保育児宅へ一緒に帰りました。女の子は学童で作った松ぼっくりの小さなクリスマスツリーを見せてくれました。7時過ぎに家族が帰宅するまで一緒に遊びました。
風邪かもしれない?
(2004年12月18日 土曜日 晴)
今日は保育サポートが休みなので、朝から16日、17日の日記を打ちます。議会の内容はどうしても長くなります。それでも何十分の1、何百分の1で「お伝えしたい事はまだまだあるのに」と歯がゆいです。議会の事となるとのめり込みがちの私がいます。先ほども手帳を見て「しまった!」と声を上げたところです。昨日午前中に保育サポーターの集まりがあり、グループのリーダーと共に会議に出席をする予定だったのでした。私たちの保育グループのリーダーは本当によくしてくださるので、わたしも機会があれば少しでもお役に立ちたいと、出席をOKしていたのでした。役場の議場に足が向く前に、保育サポーター会場のふれあいセンターに行くべきでした。
Yさん、すっかり忘れていてごめんなさい!
明日は小沢福子府議会議員の忘年会に行きます。そのために髪の毛にマニキュアをしましたが、2回入浴したせいか、なんだか風邪っぽいです。11月にひどい風邪を引きすごく苦しかったので、もう繰り返したくないと、今夜は早めに休みます。
小沢さんの忘年会欠席・・・残念!
(2004年12月19日 日曜日 晴)
朝起きるとやっぱり体がだるいです。風邪の症状がでているようです。すごーく残念だけれど、小沢府会議員の忘年会は断念します。もうこじれる風邪はごめんです。しばらく小沢さんや皆さんとも会っていないのでよい機会だったし、小沢さんから元気ももらいたかったのですが、今日は我慢がまんの一日でいましょう。
郵便ボックスに清水町議会議員の議会報告が入っていました。私の住むメゾン水無瀬に配布されていることは珍しく、隅から隅までしっかりと目を通しました。なかなか読み応えのある内容です。記事の中で気になったのは「葬祭場の公共施設の整備を提案する」の箇所です。この意見は既に清水議員の会派の意思として出されており、町もその方向で検討したいような答えを返しています。今回の清水議員の記事は葬祭場の計画にますます強い駄目押しを与える力になるように感じます。私は島本町に公の葬祭場はいらないと思っています。もう新たな箱物建設で町の借金を増やすことはすべきでないと考えます。葬祭場用地として考えられているのは、役場とふれあいセンターの間に位置する町営鶴ヶ池住宅跡地です。
夜に小沢さんからお見舞いのファックスがきました。タイミングを逃さない気遣いは、さすがです。いくら思っていてもダラダラ、グズグズでは届いた気持ちも半減ですものね。私も見習わなくては・・。
議場大混乱
(2004年12月20日 月曜日 晴)
議場の中で議員と理事者が使えるツール〔道具、手段〕は言葉だけです。だからこそ議長の指名による発言は法律にもとづいて保護され保障されているのです。
今回、共産党K議員の一般質問発言中に“約束”の時間がきたからと、議長がマイクを切ったことに端を発して、議場の混乱が始まりました。「質問の時間は30分と約束をした、していない」で当事者のK議員はもとより多数の議員の声が飛び交い、ついには怒号の応酬が入り乱れ、議場は大混乱になりました。
しかも2度も同じ場面が繰り返されました。私は議会の少々の混乱は悪い事ではないと思っているのです。議会運営に関し相反する意見があるのは当然で、時にはそれらが議場でぶつかることがあってもそれはそれで生き生きとした議会の一面でもあると思うのです。
しかし、今回はひどかった。町長を初め理事者たちはあきれ、笑っていました。私の経験から言わせてもらうと、こうした場合、えてして混乱の原因者はK議員とされ非難の的にされてしまうのですが、それは違うと思います。会議規則等の法令や法でなくとも議員全員の申し合わせ事項と異なる“約束”の提案が出た場合、今回は議会運営委員会ですが、そこで委員全員が「約束する」ということの確認が必要です。確認ができなかった場合、“約束”はそれぞれの努力義務でしかありません。議会は個々人に芽生えた「けしからん!」的気分に左右されてはなりません。
混乱の源は議会運営委員会の委員長と議長にあることは明らかです。さらには議会事務局のフォローがしっかりとは果たされていなかったことも大きな原因です。
11人の一般質問が終わったのは、夜10時を過ぎていました。町長の元気の無い再選出馬を表明した閉会の挨拶を聞き、外にでるとすごい風で木枯らしというより冬台風のようでした。
中学校給食実施するのかなぁー?
(2004年12月21日 火曜日 晴)
9時半に役場に行きます。教育委員会との話し合いの為です。中学校の給食実現に向けて動き出しているようなので、私は質問書を出していました。回答は早く、質問にも項目ごとに丁寧に答えてもらいましたが、直接会って重ねて聞く必要もでてきたので場を設定してもらいました。余談ですが、行政から文書回答を得たら、その回答を踏まえての話し合いを持つことを求めましょう。行政の説明責任は町の法律である条例に定めてありますから断ることはできないはずです。
話し合いには学校教育課長と給食担当の職員が出席しました。教育委員会は10月に 「島本町立中学校における学校給食に関する検討資料=中間報告= 」を作成していますが、その中で 「弁当 」形態の2案を示しています。一案の弁当販売方式〔業者が昼食を校内で売るだけ〕は給食の意味をなさないため論外で、実施となればもう一案のデリバリー方式の弁当による完全給食になるようです。(デリバリー方式とは・・・献立・食材の選定と調達を町が行い、調理・配送・食器の回収を委託業者が行う方式)
お金はどれくらいかかるのでしょうか?配膳室やランチルームを設け、民間業者への委託料等を合わせるとスタート時には2校で約8千6百50万円、次年度からは約3千2百万円が試算されています。保護者の負担は1食260円としています。
中学校給食は現町長の選挙公約でした。改選時が近づいたので、バタバタと出してきたような感もありますが、保護者の多くは給食を望んでいるかもしれません。
いずれにしても当事者である子ども・保護者・教職員の意向調査をおこなうべきです。さらにはきちんとした検討の機関が必要です。町長の公約だからといって無理をして急がないで、丁寧に十分な検討をすべきです。
今日の情報の公開文書閲覧は、新駅駅前広場の土地鑑定にかかわる情報と幼稚園園区の選択に関する保護者と教育委員会の話し合いの記録でした。
2時からは住民福祉審議会を傍聴します。次世代育成支援対策推進法に基づく島本町行動計画の素案の審議ですが、担当者の説明が長すぎました。委員には前もって資料が届けられているのですから、即質問から入ってもいいのではないでしょうか。4時に終わって帰り道、桜井一丁目に開いた澤嶋さんの事務所に案内してもらいました。広くて使い勝手がよさそう!新しいスペースを得て、これからも存分の議員活動をしてください。期待しています。正式なお披露目はまだですが、 「覗いてみてください 」との澤嶋さんの言葉です。
今日は一日中役場に居て疲れました。昨日の夜遅くまでの傍聴がまだこたえているのかもしれません。
“雑草園”から脱出なるか?我が家の庭
(2004年12月22日 水曜日 晴のち曇)
私が住むメゾン水無瀬は築30年です。私たち家族は最初の入居者でした。その時長男は3歳、次男はまだ生まれておらず、私は30歳でしたから、人生の半分を島本町で過ごしたことになります。そして、そのまた半分弱の12年間は議員の仕事を与えていただいた期間でした。
さて、30年を経た小さな庭も、子どもたちの遊び場から解放された後は、大事にされたり、放っておかれたりしながら、いつの間にか“雑草園”の運命をたどっていました。室内の2回目のリフォームを機に、庭も汚名返上と決心して造り直す事にしました。驚いたのは切り倒した木の根っこの大きさでした。フェンスの支柱を幹の中に取り込んで成長している木もありました。「木も生きるのに必死やから」とは庭士師さんの言葉です。「ごめんね」と言いながら切ってもらって、すこし広い花壇ができました。これでまた草ぼうぼうにしたら、伐採された木たちに申し訳がたちません。自信はないけれどがんばります。
2時から障害者施策推進協議会の傍聴にいきます。障害者基本法において2007年4月までに市町村の 「障害者計画 」策定が義務づけられていますが、町では2001年3月に「計画」策定を終えています。協議会では今年度分の障害者計画実施予定表のチェックを行なっているところです。
施策の実績や今後の予定は資料に示されていますが、施策の対象となる障害者の実像、つまり障害をもつ人が日々の生活の中で今日をどう生きているか、また明日をどう生きていきたいのか、障害者の息遣いが聞こえる実態把握が不十分な中では「資料はやっぱり資料でしかない」との限界があります。その限界を打ち破っていく使命が協議会に求められているのではないでしょうか?もっと多くの当事者参画を、代弁で無い当事者自身の言葉を 「障害者計画 」の基礎として欲しいと思います。
また会議の中では、大阪府の障害者スポーツ大会で参加選手18人全員がメダル獲得、うち1人は全国大会に出場が決まったこと。島本町の法定雇用率は1.8%で法をクリアしていること。府からの精神福祉士(現在週に1回)は今年度で打ち切られること。来年2月1日に町内で2番目の知的障害者をもつ人のグループホームが開所すること(定員4人 女性)。支援費制度の利用にかかわるアンケートを再度行うこと(1月14日〜31日)等が報告されました。
会議が終わってから、平野さんと澤嶋さんに私のホームページアドレスをお知らせして、開設にあたっての「おためしアクセス」をお願いしました。
私のホームページがパワーアップの一助になればうれしい
(2004年12月23日 木曜日 晴)
昨日、アドレスを受け取った澤嶋さんと平野さんは、すぐに私のホームページにアクセスしてくれたようで、それぞれ感想とアドバイスをくれました。ありがたいことです。以下は、私がおふたりに送信したお礼のメールです。
早速アクセスして下さってありがとうございます。
昨夜は私のトップページの写真のせいで寝つきが悪かったとか、怖い夢を見たとか、金縛りに合ったとかはなかったですか?ちょっと心配しました。トップページのオレンジ色はうるさくなかったですか。色の組み合わせとレイアウトには苦労しました。技術的なことが何も分らないまま、文句をいうので夫と夫の師匠を随分困らせました。
週間日記もしっかり読んでくれたのですね。新しい記事はこれだけなので、割合一生懸命書いています。今のところ毎日の記録ですが、更新がそんなにマメに出来ないかもしれないので「週間」の更新でいこうと思い、タイトル名を決めました。
本当は「なんぶニュース99号」が出せてホームページにも掲載する事ができれば一番よかったのですが、ついに年末号は断念して新春号に先送りしてしまう事となりました。あーあやっぱり自分に甘いと反省しています。
さて、私がお二人からのメールで一番うれしかったのは、平野さんの「南部さんのホームページ開設で私も励まされます。負けていられません。」、澤嶋さんの「一度は断念したけれど、よーし私もとまた元気が出るHPです」の言葉に表われている二人のモリモリ、ムクムク気分です。励ましあって、競い合って、そして助け合って政治参画してきた私たち3人、こんな仲間がこれからもこの小さな島本の町で活動していければ、それは多分すごい事だと思うのです。私はお二人の個性から生まれる考え方、活動の形などを両方知ることができるし、二人分の影響も受けることができています。ありがたいことです
追伸 ・・・ トップページでは「ハッピーバースデー」のオルゴールが流れます。耳をすませてくださいな。夫の師匠がホームページの誕生を祝ってプレゼントにと付けて下さいました。「豚に真珠、由美子にパソコン」が死語となる日ももう近いぞ。
いまさっき、やっと12月16日の日記を書いたところです。もう既に一週間分の日記が溜まってしまいました。これは相当追われます。今夜は、せめて議会が終わった20日までは追いついておかなくては。ちなみにバックグランドミュージックは「ハッピーバースデイ」から「清しこの夜」のクリスマスソングへ、そして「もういくつ寝るとお正〜月」とお正月スタンバイ曲へと変化しています。
JR(仮称)島本駅周辺交通環境改善計画できました
(2004年12月24日 金曜日 晴)
午後2時から第4回目の改善計画策定懇談会の傍聴をしました。標題の計画書が出来上がっていました。私は全ての会議を傍聴しましたが、貴重な意見がたくさん出たと思います。会議開催回数も、当初さっさっと済まそうとした?町の思惑よりは回を重ね、公募の委員がたからも鋭い発言がありました。
新駅の周辺交通環境と一言で言っても範囲はとても広いです。わずかの会議で詰めきれるはずもありません。意見をもらっても究極は町と大阪府とJR西日本が決めちゃうという事でしょう。この3者の力関係は、やっぱり町は府やJRに弱いです。(と私は思っています)
そんな町が大きな声でしっかりと主張するためには、なんといっても住民の意見が強力な後ろ盾になるのです。そう言う意味からは懇談会は大事な役目を果たしたといえます。少なくともここで出た意見に目をつぶる事は、3者にはできなくなった訳ですから。しかし、積み残した課題も多々あり、継続を望む声が住民選出の委員から出たのは当然でした。
新駅ができるという事は確実に交通量が増大し、それに伴う環境の変化、事故・事件の増化が予測されます。私は環境アセスメントの必要性や新駅をおり込んだ都市計画道路の計画見直しや防犯対策上の諸問題(新駅に隣接の交番設置等)も懇談会で出してもらいたいと期待していましたが、そこまで及びませんでした。
最後に町長が挨拶の為出てきました。おなじ出てくるなら、やっぱり最初に「よろしくお願いします」と一言あったほうがよかったですね。第1回目の会議冒頭にあった「大事な新駅の事なのになんで町長が出てこないのか」との公募委員のお叱りは当然だと私も思っていましたから。
今夜はクリスマスイブですが、それらしき献立の必要も無く、帰ってくる長男のリクエストで野菜一杯のスープを作りました。そしてケーキだけは夫に頼んでいた南部家御用達のミルフィーュをしっかり食べました。ちなみに、我が家の格言で「ケーキに明日は無い」というのがあります。明日食べようと冷蔵庫に入れていたケーキは、夜中、いつの間にかお母さんが食べてしまうので「明日は無い」とケーキの運命を悲しみ、食いしん坊の私を非難した言葉が格言となりました。
Kさんからのメールで思ったこと
(2004年12月25日 土曜日 晴)
Kさんは20年来の友人です。友達というより、本当に心から尊敬している人生の先輩です。私より確か3歳年上なだけですが、親御さんの介護をはじめ様々の困難から逃げずに闘ってきた人です。けれどだれにでもニコニコと優しく、常に人のお世話に走り回っています。私にもいつも「なんぶちゃーん」と声をかけて励まし、気使ってくれます。私の子どもたちもKさんのことが大好きです。
このホームページも真っ先に見てもらいたくてアドレスを送りました。Kさんはパソコンの名手なのでアドバイスも期待しながら・・・。Kさんは検査入院していたとかで、ちょっと遅れてメールがきました。すごく喜んでくれて「なんぶちゃんも、ここまで出来たら“はなまる”ですよ」とありました。私一人で出来るはずが無いことを分っていて、励まし褒めてくれます。
おもえばKさんだけでなく、様々に係りを持たせて頂いている方々は、殆ど一方通行で私に惜しみない支援を下さっています。“支援”は有形無形を問うものではありませんし、ことの大小、また時間の長短に関係するものでもありません。私がうれしくなった、勇気をもらった、また反対に反省し軌道修正できた皆さんからのその一言、その行動を私は粗末にしていないだろうか?私は皆さんにどうやって、何をお返し出来るだろうか?自問自答の毎日です。
「世界の中心で愛を叫ぶ」ならぬ 「島本の片隅でありがとう 」を叫んでいます。
こんなひどい事が・・・大地震・大津波
(2004年12月26日 日曜日 晴)
相変わらずよい天気で暖かく年末の用事もはかどり、ほっとひと息と、つけたテレビのお昼のニュースがスリランカ沖地震と大津波の信じられないような惨状を伝えていました。
天変地異ここに極まれリの様相を呈しています。5万人とも6万人とも言われる命が一瞬のうちに消えてしまった・・・恐ろしくて悲しくて身震いしました。
実は私たち家族は年末年始に1週間のタイ旅行を予定していました。それぞれが何度かタイを訪れていますが、一家4人揃っては今回が初めてでした。この大惨事の前日に夫の都合が悪くなり、結局タイが“第二の故郷”と言う長男だけが出かける事になりました。29日に出発しますが、現地の様子は知らせてくるだろうと思います。
私たちは旅行費の一部を災害復旧のためにカンパする事にしましたが、砂漠の一粒の砂よりも小さなものでしかありません。多くの人びとの悼む心や優しい心が、善意の形となって被災者に届く事を願っています。
今年最後の役場です
(2004年12月27日 月曜日 晴)
今朝の保育サポートは、冬休みに入ったので学童保育室までの送りもあります。女の子は集団登校の時より長い時間遊べるのでご機嫌です。学校へ送ってから直ぐその足で役場に行きます。
役場の仕事納めは今年から28日までとなりました。〔1月は4日からです〕今日は今年最後の情報の公開があります。1年間呼ばれもしないのに、ホントよく役場に通いました。なにもびっくりするような事柄を得るわけではありませんが、継続して通っていると事務の流れ具合や、職場毎の雰囲気や、住民に対する接遇の良し悪しやいろんなことが感じられるようになります。
私が情報公開請求を継続して行っているのは、勿論正確な役場の情報を得るためですが、それら数字や文字の情報を繋げて生きて活用するためには、やはり役場に通うことが必要です。だから議会の時しか来ない議員は、どうなんだろうと思ってしまいます。
帰りに銀行でATMを利用すると、初めての議員年金が入金されていました。3ヶ月分272,500円でした。うれしかったです。ヘルパーを退職してから私の活動費として使えるお金はなかったですから。月々の報酬から共済金として掛けていたとはいえ、議員の報酬は皆さんの税金から支払われていたものです。ありがたく大事に使います。
来年はニッコリ出来る日が一日でも多いように
(2004年12月28日 火曜日 晴)
なんぶ由美子のホームページ開設を目指して12月初めから日記を書いてきました。まだみなさんへ私のアドレスを公表していないので、毎日読んでいただけなかったのは残念でしたが、私自身連続して書き続けることが出来る自信は出来ました。更新していけるのは日記が主なので、これからも休まずお届けしていきたいと思います。といった先から、年末年始(12月29日〜1月4日)のお休みをお知らせするなんて本当に申し訳ないと思いますが、お許しください。(管理人の夫にも夫の師匠にも完全休業を与えてあげなくてはなりませんので)
2004年もあとわずかです。打ち続く災害に驚き悲しみ、世界の紛争・戦争に憤りうちひしがれ、得体の知れない事件・事故に戸惑い戦慄した1年だったように思います。来年こそは涙を流す人が一人でも少なくなるように、ニッコリ出来る日が一日でも多いようにと願って、私に出来る事一生懸命やっていきたいと思います。
アドレスお知らせ後には、ぜひ一度なんぶ由美子のホームページをお訪ねくださいますようお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。