思ひ出        齊  藤  曹  長
ふたとせの盡きぬ思ひ出語り合ふ
   此處唐土に今も征矢とり
     ○○河畔にて
此の月を故國の母御も見てやるか
     ○保障の激戰後
奪へども山奪へども戰友の死を
     山西作戰を終りて
桃の花入れて元氣を母に宛て
     ○黄占領直後
聲も無く生きて居たかと胸の中
   五根村
秋月の今宵靜かに故國憶ひ
      開封にて
來て見れば野菊咲くなり古戰場


或る日の日記より
                大  久  保  伍  長
いつの間にか寒い季節となつた冷酷な自然の無慈悲に敢然と戰はねばならぬ日が今年も亦めぐつて來た。
  大陸的氣候の三寒四温とでも言ふか砂塵を混ぜて吹きまくる風と刺すやうな冷たさを含んだ雨、こうなると宿舎の暖房設備から薪炭と各籠りの準備に忙殺される。折角氣合をかけて貼つた障子も一晝夜を経ずして破れてしまつた。
  こんな風の中を一輪車が列を作つて白菜人参葱など積込んでやつて來る。「お前達は何は処處から來たのだ」と聞いて見た。「沒法子」と突拍子な調子で行き過ぎやうとする。
「いヽ野菜だから澤山な金票になるだらう」と更に尋ねると、「一車五十銭から二円餘だ」と言ふ。話題が金銭に移ると急に淀んだ瞳を光らせて馴々しく自國語で話しかけられて彼等は味方でも得たような表情で乗り出して話してくる。
  一年に一度の風呂も使つた事の無い彼等だから汗と垢とニンニクの悪臭がたヾよつてゐる。
  彼等に馴れた様子の一人が「負けて置くから二円五十銭で買へ」と言ふおとなしくして居れば益々つけ込んでくる一寸こつちで顔色を変へるとさつさと逃げ出して尚も激しい砂塵の中へ消えて行つた。
  全く弱味と油断を見せてはならぬ國民性だ。

    第○期戰の日記中より
                菅  沼  秋  人
昨年の○月中旬内地を出發○月の初旬に○源にて中隊に編入された。
  今日迄の過去のすべての事は私にとつて全く忘れられない想ひ出である中にも特に深い印象として殘るのはあの第○期作戰に参加し苦勞した當時の事だ。今當時の日記を繙いて再び想ひ出し其の中から抜萃して書いて見る。
  當時私は第○小隊の第○分隊に居り荒木少尉殿の配下として此の作戰に参加した。
  九月十八日  雨
午前零時起床。二時○源出發夜間行軍を以て○源○曲道を前進す、○○本部第○隊は本道を前進夜明方に山を越へ南方に出て朝食後部落掃蕩を行ひ部隊と合し本道近く禮庄に宿営、今日の戰斗にて初めて敵の死體を見た。
  九月十九日  曇
午前十一時半○○を出發難路を南方に移動○根堡に宿營夜は馬に裝鞍して軍裝のまヽ休む今日の行軍にて彈藥○隊は一苦勞した様だつた。
  十月一日    晴
○小隊は敵の退却兵を攻撃する爲垣○に出發。第○○師に追はれた敵が來るとの事にて小隊は○中隊と共力し○○堡へ向ふ自分はマラリヤのため舎内監視として殘る。
十月五日    晴
小隊の人々歸る。舎内監視も無事終つた馬具馬の手入等を行ふ。夜中隊で○曲を眼下に見て十五夜の月を背に負ひ演藝會を行ふ。陣中のしばしの慰めだつた。
  十月六日    晴
今日は自分の誕生日だ一人で今日の誕生日を祝ひ唯々一人で淋しい変な心持になつて來た。
  十月九日    雨
昨日迄晴れて居た空も今日は意地悪く又雨になつた。
  午前七時本隊となり○○堡出發雨の降る中を泥まみれになりながら幾度かの苦勞をなし前進○陽村にて晝食○○鎭にて宿營。
  十月十日    雨
雨は以然として止まず宿舎なる穴倉にての生活。其の昔我等の祖先の穴居時代を偲ぶ。
  十月十一日    雨
昨日に増しての雨だ難路の前進体中は濡れ鼠だ。晝食中前方の台地より敵の不意打各中隊其れに應戰。夕方今日の目的地○○鎭に着く。
  十月十二日    雨
依然としてやまない雨だ。朝食後○中隊の下士哨に銃前哨として立つ。午後三時頃再び出動雨の中でたヾヽヽ食事の事ばかり心配して居る。南瓜柿等を食ふ雨は益々降る。
  十月十七日    晴
久し振りに太陽の顔を見る事が出來た午前四時○○鎭出發○門口天然の峻嶮相聳え○○天嶮と太書されたのを見つヽ前進。○○口の下の部落にて宿營明日は○源との事だ。
  十月十八日    晴
○ヶ月間の作戰を終へて愈々○○へ途中敵の殘兵を掃蕩しつヽ前進。見へたヽヽ○○の城が遂に我等は來た○○だ唯感きはまつて何も云ふ事が出來ない喜びである。

注:ヽヽ→「く」のような形の繰り返し記号



思ひ出の食物    坂  口  邦  雄
食ひ辛棒は兎角喰べ物の事になり勝だがその一つヽヽの思ひ出はその當時の實感を連想せしむるに充分である。
 苦しさや面白さを思ひ又亡き戰友のことでも偲びて思ひ出のまヽを!
 ○期戰の粟飯と芋、美味かつたのか、不味かつたのか問題外として命の網戰ひの源泉だ、充分に感謝してよいと思ふ、又窮すれば通ず文字通りだ。ぼうふら水も飲んだがよくあたらなかつたものだ、氣慨も又殺菌材の用をなすらしい。
 「梨でも食べて元氣を出せ」と謹厳な隊長殿の面影が目に見えるやうだ、新樂の梨と蜂蜜、○鄲ではじめてありついた。木村製の羊羹三四本も買ひこんだ猛者も見受けられた。
 ○期戰山西のチヤンチユーは天下一品ピリツとする舌ざはりは忘れられない。○喜での支那菓子疲れた身を充分に癒して呉れたと思ふ、友軍部隊から温情のチヨコレート身に沁みて嬉しかうた。歸路○○にてのりのベンチユーの甘さはどうだ、久方振りの生一本に咽喉がキユーヽヽなつたのを左党にあらずとも憶へて居ると思ふ。全くの甘露甘露。
 ○期戰黄○名物の砂ぼこり口にも入つたから食べ物の部類だらう。咽喉元過ぎれば何とやら、でもあの苦しさは誰しも忘れられない一つだらう、流石の部隊長殿もこれには閉口したらしい。
 南京米は燒いても煮ても食べられさうにない。○庄のあかざやほうきは齒切れがよくて美味だつた。戰地では色々な初経驗をする、兎や山羊の食べものとばかり思つて居たが結構たべられるものだ。
 ○期戰といへばすぐ頭に浮ぶものはあの柿だ、「胸がやけたり屁が出たり」と演藝會での名句がとび出る位に藷もたべた。煙草にもこれ程困つた時もない生の葉を火で乾燥してすつたのもこの時だ。
 思へば在支二年有半思ひ出は枚擧にいとまがない懐しい思ひ出だ。
 こヽに謹しんで先輩諸兄の御英靈の御冥福を衷心より御祈り申上げて拙文の筆をおく。

注:ヽヽ→「く」のような形の繰り返し記号