柿 と
雨 荒木少尉
何もかも新しい懐かしい想出の中で一番印象に残るのは柿を食つたことだ。
それから毎日毎日一週間ばかり雨に濡れたこと。
柿を食つた。雨にぬれたと言つてもこいつは又素晴らしく食ひ。且すばらしくぬれた。第○期作戰ごの山西行の想出は悲壯な感じもするが又痛快な氣もする。
◎柿
山又岳、谷又峡は見事な柿だが『これが甘柿だつたらなあ』と何度思つたことか。
癪に觸る澁さに、澁いと分つてゐて一番大きな奴を
グリツ と噛んで「アツ……畜生」と吐きだす。手に持つた澁柿を石に投げつける時は全くうらめしや
だつた。
湯でさらす方法を考へつかなかつたら随分辛い思ひをした事だつたらう。あの時から柿でも主食になるといふ事を發見したから、白い米等勿体なくて一粒々々成る丈け齒の間にはさまぬ様に味つて食つた。考へて見ても柿は殊勲甲だ。「一日八十から百位食つた」と云つても知らぬ者は「馬鹿な」と思ふ位だ。
山西の今年の柿は誰の胃の腑に入つたことか。秋が來る毎に柿を見る毎にマザヽヽと當時を想ひ出させる事だらう。
柿さらす灯に更ければ雨の音
悲しさぞ齒にしみ淺る澁の味
◎雨
ほら穴に入つてゐる我々を虎と間違小人もあるまいが、ヒゲぼうヽヽの汗まみれの顔と垢の集積した御粗末な御面相を見たら或は驚くかも知れない。
毎日の雨で朝洞穴で起きるとすぐ「オイ雨か」と唯それだけが氣になり心に懸つた。敵も居たが雨が降る
止むが一番の重大事だつた。
一日三度も四度も洞穴から援護にでかけては
つるヽヽ滑るぬかるみを氣合を入れヽヽ雨にぬれて上つた。臍も濡れて泥まみれになつて歸つてやつと火で干したと思つたら、又お出掛けだ。
それが一週間位毎日續いた。私の終わりだつたから、ガタヽヽ震えて齒の根が合はないこともあつたが結構柿を食つてはピンヽヽしてゐた。當時から見ると風邪を引いたなんて贅澤な話だ。
あの雨とぬかるみを想ひ出すと丁度白米を一粒一粒數へて食つた様に勿体なくてうつかり風邪も引けない。
銃音の遠く秋雨續けり
△ 故西山中尉の遺骨を○○鎭にて拝む
ぬかるみや戰友の英霊の遙かに濡れて
秋雨の戰友の英霊に涙流れて
注:ヽヽ→「く」のような形の繰り返し記号 |