西方の音、東方の音 |
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今年の最大の楽しみは、VPOが自分たちで選んだ日本人の指揮者を使って、どんなウィーン節を聴かせてくれるのか
という期待感だった。しかし、日本製ウィンナホルンという道具を使いこなして独特のVPOサウンドを創る彼らでも、日本人指揮者という道具は
いささかこなしかねた様にも見えた。 しかし、日本の解説では決して触れないだろうが、最後まで聴かずに、さっさっと席を立つ観客たちの姿が
やはり気になった。ウィーンっ子には違和感もあったろうと案じていたが、ウィーンの新聞評(音楽ガイドの6紙批評要約)はご祝儀気分もあって、なかなか好意的だった。ただ、よく読むと
褒めているのは、小澤のパフォーマンスだったり、VPO自体の良さだったり
というきらいはある。こんなご立派な演奏を
わざわざ伝統のニューイヤーでやらなくても…
と言われそうでもある。 |
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*東方(日本)のオーディオ考 |
日本でも、それに気づいた愛好家もいた。昔、音楽とオーディオのマニアとしても有名な作家、五味康祐は、わざわざ特注した日本製高級装置をぶち壊して、ヨーロッパ製品を運び込んだ。あの有名な「西方の音」という名著の出発点である。曰く、タンノイ・オートグラフという英国製の大型スピーカーも、英デッカの一体型小型ステレオも、レコードをかければ そこにオーケストラがズラリと並び、そこで生きた音楽を奏でてくれる・・・今まで、追求すればするほど音楽が見えなくなった日本製の高級技術とは、一体 何だったのか。 今でも、別項で紹介した、フィリップスの標準モニター「クォード」の音を聴くと
よく分かる。スピーカーの前面がオーケストラの最前列になって、音はそこから奥へ、そして左右へと綺麗に広がっていく。前へ前へとセリ出すハリウッド流とは逆に、奥へ奥へと深みのある音場が
なんとも自然なのである。ごく安物のヨーロッパ製品でも
同様の鳴り方をするので、この点を技術者に聞くと、なぜそんな質問が出るのかとけげんな顔をされるらしい。彼らにとっては、位相の問題とか理屈をこねなくても、ごく普通の感覚で作れば
こう出来てしまうし、音楽はこう鳴るのが当たり前なのである。 そんな中で、ヨーロッパが認める「東方の音」が現われた。大メーカー、テクニクスが作ったスピーカーだが、まるで漆塗りの衝立のような姿をしていた。ショールームで試聴した時は、たまたま「日本の美音」とかいうCDがかかっていて、古刹の名鐘や鹿おどし(ししおどし)や雅楽の笙(しょう)の音が清楚に鳴っていた。説明書を見ると、アメリカ譲りのホーンでも、ヨーロッパ受けするドームでもなく、普通のお椀型の振動板に日本古来の漆を塗ったのだという。どう見ても欧米におもねった気配はないのだが、これをウィーンっ子が気に入って、国立歌劇場の標準モニター・スピーカーに採用したという。 音の入口、カートリッジも日本製は不評だった。しかし、光悦という小さなブランドの その名も「漆」という製品がヨーロッパの高級マニアに持てはやされている。元々は、刀鍛冶も経験したという異色の技術者で、全く日本的な感性の持ち主が手作りした逸品である。江戸期の本阿弥光悦そのままの名前は好きになれないが、そんな意味は分からないヨーロッパ人に「音」だけで認められて、生産が追いつかないほどだという。こんな製品が共感されるのを見ると、目を覚まされた思いがする。 いま、あちこちの分野でグローバリゼーションという言葉が流行している。しかし、本当のグローバル化というのは、まず日本人として、日本人らしい感性で、日本流を突きつめ得た時に実現できるものであることを これらの製品たちは証言しているかに思えるのである。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 小澤/VPOのワルツは結局、はたして
どんなスタンスのものだったのだろうか。ウィーンでの「日本流どころかウィーン流」(kurier紙)という様な評価をどういう受け止めたらよいのだろうか。物わかりの悪い私は、お屠蘇気分のテレビだけでは聴き取りかねて、ライブCDの発売を心待ちにしている。 |
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