週刊金曜日を読む 2018-11-30
私は、俳句をたしなまない。正直言って、苦手な分野である(苦手以前に鑑賞の対象ですらないものはいくらでもある。 歌舞伎、能、狂言、講談、詩吟など。念のため)。 なぜ苦手かというと、その窮屈なところである。季語があって、その季語とつかず離れずでないと俳句にならないのだ。
読者が投稿した句を選者が批評するときに、「他の季語でも交換可能に見える」とか「他の季語にもチェンジ可能なところが」あることを理由に、 「惜しい」としている。 だから、よい句を作るためには季語が交換不可能であることが(必要)条件なのだろう。どのようにすればこの必要条件が成立するのか。 これは相当な難問である。
私が知っている季語はほんの一握りである。松尾芭蕉という有名な俳人がいてその人の句ならいくつか暗唱できるが、
ではそのなかで何が季語かと言われればちょっと戸惑う。たとえば、私は大人になりきっていないからスカトロジックな句が好きですぐに思い出せる:
「蚤虱 馬の尿する 枕もと」。
この季語は何か。候補はいくつかある。①蚤、②虱 ③馬 ④尿 ⑤枕または枕もと ⑥その他①から⑤までの合成 例:蚤虱 馬の尿、……
インターネットで調べると、①の「蚤」か、①+②の「蚤虱」であるようだ。
最初、私は「枕」が季語ではないかと思ったぐらいだ。ちなみに、季節は夏であることはなんとなくわかる。
夏といえば蚤や虱が跋扈する季節だから、①か①+②というのが当たり前のはずなのに、なぜ枕を季語だと思ったのだろう。
正確にいえば、蚤や虱などは季語にはならないから消去法で枕になるのだ、と思い込んでいた。 というのも、私は蚤や虱に悩まされた経験がなく、実感がわかないからだ。 それにしても、蚤単独か、あるいは蚤虱の複合形で季語になったとしても、交換可能な季語はないと思う。その後に「馬の尿」がくるからね。
仮に、「日本の伝統文化を守ろう。<蚤虱 馬の尿する 枕もと>が実感できるよう、蚤や虱を生活にとりもどそう!」とする団体があったとする。 ざんねんながら、その団体はごめんだ。蚤や虱が跋扈する世界はごめんだ。ちなみに、蚤や虱は最近、子供の間で増えているとも聞いている。 ダニはどうなのだろう。
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