つれあいと語学の話をする。
会社の仕事のことに没頭しなければと思いつつ、なかなかできない。 腹が急に痛くなったが、トイレに行って出すものを出したら痛みは消えた。
最近殺伐としてきた私の心に、 フォーレの音楽はひときわしみ入る。 なぜ殺伐としてきたかというと、単に今日昼飯を食いそびれただけなのである。
今日の帰りの電車の秋葉原〜北千住間は異様に混んでいた。 ひょっとしてベルギー対日本のサッカーの試合があったからだろうか。 わたしがベルギーと聞いて思い出すのがビール、それから人でいえばセザール・フランク(作曲家)、 ルネ・マグリット(画家)、エルジェ(漫画家)、 アルトゥール・グリュミオー(ヴァイオリニスト)ぐらいである。どうもすいません。
風邪をひいたようだ。のどが腫れているのに加え、頭が重くなってきた。 今日昼飯を公園で食べたのだが、 近くに座っていた女性は煙草を吸っていなかったのにたばこのにおいがした。
津田ホールで行われた、 日本フォ−レ協会の「フォーレの夕べ」に出かける。 インターネットを通じて知り合った、フォーレ愛好家が二人来ていた。 帰りは私を含め、この3人で千駄ヶ谷の酒場で飲んだ。
いろいろ仕事をしなかったツケが回って来て、しんどい思いをしている。まあ、いいか。 今日はうなぎを食べた。ぼくはうなぎだ。代打うなぎだ。
UNIX USER を買う。 こちらも本格的に読まないといけない。 ひさしぶりに TOEIC 用の勉強をする。しかし、エスペラントの勉強はしていない。 これはまずい。
きょうは風呂掃除である。本当は5月のうちにやっておかなければならなかったのだが、 なんだかんだ伸ばしていたら結局この日になった。 終わってからもちろん疲れたのだが、筋肉痛にはまだなっていない。 いつになったら、筋肉痛が出るのだろうか。
きょうは帰ってぐったりする。どこでこんなに疲れていたのだろうと思うほどだ。 行き帰りの電車では、ワインバーグほかの「スーパーエンジニアへの道」を読んでいる。 この本も含めて、ワインバーグは多くの功多き示唆をしている。 この本においては、「エンジニアなら、毎日5分、作業日誌をつけること」が有名だ。 私は会社においてはやってきたのだったが、なんと先週の木曜日、金曜日は忘れていた。 これではいけない。自分を取り戻さなくてはいけない。 一方、家ではどうか。やっていないのだ。この一連の日記がそれにあたるのかもしれないが、 今日食べたものはなんだとか(この日は 390 円の幕の内弁当)、そんなことばかり書いている。 あまりこういうのは作業日誌とはいわないのだろう。 きょう、本当は作業を行おうとしたのだ。 一つは「まりんきょ学問所」のために、 JavaScript と SVG を組み合わせたページを作ろうとして、文献まで出してきた。 結局考えただけでやめて、そのかわり探索的データ解析を行おうとして、 手始めに幹葉表示から行おうとした。 しかし、既に青木先生の網羅的なページ(http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/JavaScript/)を見て、 気力が萎えてしまった(上記ページでは「ステム・アンド・リーフ」の名称で紹介されている)。 五数要約はまだ上記ページではないようだから(四分位数の説明はある)やってみようか。
今日試みようとしたのは、会社で書いている設計書や仕様書の中で、 UML を使ってみようかということである。今回は、いろいろな図をUMLのどれかの図を 使えればと思っている。 複数のコンピュータがデータの受け渡しをする機能を表したい。 このタイミングを表すのに、シーケンス図が使えるようだ。 久しぶりに、「かんたん URL」という本を取り出す。
診断士のホームページを集めた一覧表を見てみたが、いくつかなくなっている。 熱しやすく覚めやすいのかなあ。 でも、全く更新されないよりは、いいのかもしれない。 私はどうかというと、まだ更新するネタはあるのではないかと思っている。 一番楽なのは自慢することだが、それをやってはおしまいだと思っている。 だいたい自慢できることがない。
いつも使っている Macintosh のマウスのすべりが悪いとつれあいが怒っていた。 仕方がないので、ボールをはずして、ボールとマウス本体の接触部についていた汚れを落とした。 これで、滑らかにマウスがすべるようになった。やはり掃除はすべきものだ。
この日は珍しく勤務先の飲み会がある。だからというわけでもないが、 昼飯となる弁当を初めての店で買った。幕の内弁当 500 円、 量は少なめだが私のようにぶよぶよしている物にとってはちょうどいいようだ。
久しぶりにコンピュータに腰を据えて取り組んだ。 まず今まで更新していなかった全文検索用の索引を更新した。 これから一ヶ月に一度程度行わないと、あまり使ってもらえないだろう。 今でも使ってもらっていないかもしれない。どの程度の使用率かはあした調べよう。 次に、JavaScript の使い方をもう一度復習してみることにした。 確かにオブジェクト指向の書き方ができること、そちらのほうがかっこいいことはわかった。 しかし、妙なことでつまづいてしまった。 文字列を分割して配列にするメソッド split は、 指定した区切り文字で文字列を区切って配列にする働きがある。ところが、区切り文字が 文字列の先頭と末尾にあると、これらが区切り文字として認識する結果、 それぞれ先頭と末尾に長さゼロの要素をもってしまう。これは思っている動作ではない。 これを認識するの苦労し、 またこの長さゼロの要素を split の結果もたないようにするのにまた苦労をした。 あまりほめられた方法ではないが、結果オーライである。
きょうは早めに昼飯をつれあいと食べる。午後はつれあいが英検の試験に行ったので留守番をする。 SVG をどのように統計に活かすかを考えていたが、Adobe 社のホームページを見るだけでは、 環境が一部こちらで足りないからか思うような実行結果が得られない。 それを直すために時間が取られる。 つれあいが帰ってきた後で、持ち帰った英検の問題を見る。 最初の単語の設問を見るが、さっぱりわからない。わたしはもう英語を捨てた身である。 今さら何もいうまい。 というのも、TOEIC の問題集をやっていて、主語が単数であるのに動詞が複数を受ける形 (were)になっているのに気が付かないとか、自動詞と他動詞の区別 (rise と raise など)を うっかりするとか、そんなことばかり遭遇する。これがエスペラントなら、 単数でも複数でも動詞は同じであるし、自動詞と他動詞の区別は必要に応じて ig^ か ig をつければ すむ。そのような怒りをまだ燃やす程度に英語は勉強しないといけないものかもしれない。
きょうは行き帰りとも「スロー・イズ・ビューティフル」を読む。 会社でせかされている私にとって、非常にありがたい本である。 もちろん、進まなければ何ごともできないのだけれど、こういった本を読めるだけで幸せだ。 そのような中で、きのうの SVG はどのようにすればいいのだろうかとか、 フォーレの舟歌9番はどのように解釈すればいいのだろうかとか、 とりとめのないことを考える。 そうだ、私のページにバナーがないことを不思議に思っている人もいるはずなので、 作るべきかもしれない、と思いはじめた。 いつか、バナーの標準的大きさがいくつなのか調べたことがある。それで、 バナーを作ってみようかとも思った。ある場所で作ってみようとすると、全く画像が出てこなかった。 別の場所(http://www6.big.or.jp/~neon/)ではできたので、これを使うことにした。 いずれは自前で作ろうとは思う。
最近トルシエ監督がテレビに出る機会が多いのでフランス語を聞く機会が多くなったように思える。 おかしかったのは、トルシエさんは、英語でしゃべると口籠っているくせに、 フランス語に切り替えたとたん急に口調がなめらかになって聞こえたことだ。 私はフォーレの音楽が好きだから、 フランス語を一所懸命やっても良さそうだが、 実はやっていない。それでも、トルシエさんのいうフランス語の単語でわかることばはわずかにある。 この間は "Hyper" (イペル)といっていた。以前聞いたフランス語会話の説明では、 口語で「すごい」という意味らしい。日本語でも「超」(チョー)が流行っているのが、 偶然の符合である。 今日は初めて職場から帰るときに、最寄りの駅までではなく、二駅先まで歩いた。 職場の最寄りの駅は両国で、二駅先は秋葉原である。思ったより時間はかからず、 適度な運動になった。しかし、毎日やるかどうかはわからない。
今日は行きの電車で、 Cマガジン最新号を読む。読んでもわかるところは 1/3 もない。 困ったことだ。 久しぶりに合唱団の練習に出る。ドイツ語も覚えていないし、ラテン語も覚えていない。 忘れることばかりである。声も出ない。ないないづくしである。 途中合唱団の場所(日比谷シティ)に行くために日比谷公園を通ったら、 日比谷公会堂で「国会コーラスリサイタル」という名前の催し物をやっていた。 江田五月や山東昭子の名前があった。道理で、黒塗りの車がやってくるわけだ。 しかもその車が日比谷公会堂の玄関から日比谷通りに出るまで、おつきの者と思しき男が 車の外で走って追っかけて見送っていたのを見た。政治家が乗っていたのだろう。 わたしなんか、黒塗りの車で見送られたことなど、 生まれてからこのかた一度もない。死ぬまでにもないだろう。死んだら一度はあるだろう。
今日は勤務先の行事でボーリング大会があったので、業務を終えて(本当は終わっていない) ボーリングをした。あまりうまくならない。当然だ。一年に2回か3回しかやっていないから、 うまくなるわけがない。 今日電車の中で読んだ本は、横田順彌の「日本SFこてん古典2」。 独身時代に沢山もっていた文庫本は95 % 捨ててしまったが、残った、 あるいは残した 5 % のうちの 特に好きなものだ。 この本も、本当におもしろい。特に元気のないときに読むといい。1は単行本で、 3は文庫本で持っていたのだが、1と3はみつからない。今でも売っているのだろうか。 そういえば、この文庫本は、千葉のさびれた本屋で買ったのだった。 当時住んでいた中央区の寮と若葉区にある室内温水プールの間あたりにある本屋だ。 今でもあるのだろうか。
きょうの電車では、石川九楊の「書とはどういう芸術か」(中公新書)を読む。 なかなか読み込むのに苦労する本だ。 生半可な気持ちでは読めないことがよくわかった。 氏は「ワープロ打ちの文章は堕落する」ということを言っていたと思うが、 これに対しては、気持ちはわかるが本当にそうなのか、検証が必要だろう。 こんな日記しか付けられないことがとりもなおさずそうなのだよ、 と石川氏はいいそうだ。
八重洲室内アンサンブルに行く。 帰りの飲み会は、1時間のつもりが2時間半にもなった。 今度のコンサートでピアノを弾くようにとのお達しがあった件については、 シューベルトの即興曲を2曲弾くと答えておいた。Op.90-3 と Op.90-4 である。 人前でシューベルトを弾くのは初めてだ。どうなることやら。
きのう、八重洲室内アンサンブルの D さんから借りた、 バッハの無伴奏チェロ組曲を聞く。 奏者はアンリ・ドゥマルケット。以前のフォーレ協会の演奏会で、 フォーレのトリオを弾いたチェリストと記憶している。 きのうの話では、以前に借りていた K さんが 「こんなに速く弾くのは...」と言っていたので、 身構えていた。確かに速いのだが、 これは1番、3番の前奏曲などごく一部だった。 あとはそれほど変わったところはなかった。 もう少しどっしりした演奏を好むのかもしれないが、 思い出してみると、 この無伴奏チェロは腰を据えて一人の演奏家で聴いたことなどは、 すっかり忘れてしまっていた。 たとえば、以前はゲリンガスを聴いていたことがあったが、 そのときは真剣ではなかった。 だから、こうやってゆっくりと聴けたことを感謝すべきだろう。 誰に対しての感謝か? もちろん決まっています。
きょうは山田雅重の「日本語の発想・英語の発想」を読む。 自分の体験に根ざした記述が少なく、他の本からの引用が多いので、あまり得した気分にはならない。 でも、英語はこういうものなのかと思って読んでいる。
昼は少し歩いたところにあるスーパーマーケットで、太巻を買う。
昼休み外に出ると、知人で今生命保険の営業職をしている人が、 別の知人に勧誘しているようだった。外から帰ってくると、別の生命保険の営業職の方が、 職場のドアの前で待っていた。しばらくして見てみると、その営業職もある社員に説明していた。 そのときは、生命保険の営業がいるなあ、と思っただけだったが、 家に帰ってきて急に塚本邦雄の歌を思い出した。
追記:塚本邦雄の歌とは
「はつなつのゆふべひたひを光らせて保險屋が遠き死を賣りにくる」
(2008-05-05)
きょうは TOEIC の試験を受ける。昨日改めて気付いたのだが、 TOEIC とはコミュニケーションの能力を計るテストであるというのが能書きにある。 そして今日受けた時に配られたパンフレットを見ると、 お題目に「受動的な力を計ることで能動的な力を推定する」とあった。 いざ受けてみると2時間ずっと集中しなければいけないので非常に疲れてしまった。 以前私に電子メールをくれた方が「少なくとも TOEIC は英語能力を計る試験ではない」 と書いていたのを今さらながら実感した。もう TOEIC とは2年間はおさらばしていいだろう。 あとはエスペラントをまともに勉強するだけだ。
きょうは、「ぶらっすりー ら・めーる」へ行って、 ワインをしこたま飲む。
今日は合唱団の合宿第一日目である。場所は、 「合唱の家おおば」。 近くを歩いて運動の足しにする。今まで行っていない場所を発見して驚いた。 おおばさんはここから遠くではあるけれど、その近くを散歩したことがほとんどなかったからだった。 たとえどんなに見知った所であっても、その近くには知らない所が多くあるのだと改めて思った。
合宿の2日目。酒をかなり飲んで寝たせいもあるが、 会社で携わっている仕事が妙な形で絡んでくる夢を見たので、疲れて起きてしまった。 朝食を食べて練習をするとさらに疲れてくる。 昼飯を食っても練習をするとますます疲れてくる。 練習が終わって帰りのバスや電車にのっても、明日から会社だと思うだけでまた疲れる。
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