雑誌「ユリイカ」特集「加藤一二三」

作成日:2020-01-08
最終更新日:

2017 年 (平成 29 年) 7 月号の、ユリイカ[詩と批評](以下「本誌」)で、加藤一二三の特集があった。 以下、読んでみての感想である。

将棋講座 第四〇期名人戦を語る―あるいは藤井聡太の研究

pp.157-166 に、加藤一二三の将棋講座を、編集部が構成した記事がある。 以下その記事を読んだ感想を述べる。

僥倖について

冒頭で加藤一二三九段は、藤井聡太四段(当時)の連勝記録について述べている。 そして、藤井四段が澤田真吾六段に勝利したときの用語について次のように言っている:

少し奇異に思ったのは、 勝った藤井四段が「僥倖」ということばを使っているんです。 これは聞いたような聞かないようなことばだなと思ったんです。 あとから入ってきたニュースを見ると「僥倖」というのはコンピュータ将棋の Ponanza の和訳なんですね。 そうだったんだと思ったんですけれども、 率直に言って「僥倖」というのはあまり使わないことばだなと思いました。

藤井四段が使った「僥倖」というのは確かにあまり世の中では使われない。 ただ、将棋ファンとしてはこの僥倖ということばで一つの事件を思い出す。 それは、木村義雄第十四世名人のエピソードである。 木村八段(当時)と萩原八段の対局の終盤戦、 木村のポカで玉が頓死してしまった。投了し、激昂した木村八段のことばである。 木村義雄十四世名人「君が笑う必要はない」(shogipenclublog.com)から引用する。
「萩原君!君は詰まないのを知りながら(僥倖をたのんで)王手をかけてきたんだなっ」

このことばはよく知られている。ただ気になるのは、(僥倖をたのんで)とカッコ書きになっていることだ。 これは、木村名人はこのことばを実際には発していなかったのか?という疑問にもつながる。 この僥倖ということばをなぜ藤井四段が使ったかというと、この木村名人のことばが頭にあったからだろう、 という推測が記者らによってなされている。私もそう思う。 ただ、木村名人が実際に僥倖ということばを使っていたのだろうか。その疑問は残る。

また、加藤九段は、「僥倖」をコンピュータ将棋の Ponanza の訳としているが、 正しくはコンピュータ将棋 Bonanza の訳である。Ponanza の名前は Bonanza からとられているのは確かである。

棋譜解説の誤りについて

この記事の内容に誤りを発見したので、訂正したい。 図 4 に関しては、2020-01-08 に書いた。図 1 から図 3 にかけては 2020-02-25 に書いた。

図 1に関して

まず、本誌の図 1 (右図)については問題はない。本文中に「本当は(☗6一角ではなく)☗9八角とすべきだったんです。」 であるが、加藤一二三自身による著書「加藤一二三名局集」(以下名局集)によれば、 ☗9八角または☗6五角がよかった、とある。 そちらのほうがよかった理由については名局集ではわからなかった。

図 2 に関して

次に 図 2 である。本誌 p.164 では、「七月三〇日の夜に中原さんが☖7六歩と打ちまして(図2)、 (中略)もし中原さんが夕食前に☖5六金と打っていたら中原さんの必勝でした。」 とある。この文章では☖7六歩と☖5六金の関係がわかりにくいが、 名局集の解説を借りれば、☖7六歩を打たずに☖5六金と単に打っていれば、中原さんの必勝、 という意味である。実戦は中原が☖7六歩と打ったので加藤は☗6八角と引き、 そこで中原が☖5六金と打ったのである。☖7六歩と☗6八角の交換が中原にとって損だった、 ということだ。その理由は、☗6八角と後に引かせたことで後手の金が先手の飛車を取ったときに、 ☗4六同角と取った形が間接的に後手の8二飛に利いていて先手が得をしているからであろう。

実戦は、☖7六歩、☗6八角のあと、☖5六金、☗6六歩、☖4六金、☗4六同角、 と進んだ。この手順で、中原が☖4六金と角のほうを取ったのが、 名局集によれば疑問手であったらしい。これについては後に述べるとして、 p.165 には加藤はつぎのように話している: 「中原さんに☖5六金と打たれていたら、九九・九パーセント負けでした。 たとえば、銀を打ち返す、王手角取りですから、私のほうの玉が薄いので、 まず勝てません。あるいは☗3九飛と逃げてみる。☗6九金、 それから☗1五飛、今度は私のほうは金目だけだから大した攻めもないし、 中原さんのほうから香落ちが厳しい。これもとても戦い切れません。」 この文面では意味がとれない。 名局集でその一部がわかったので補足する。 まず、銀を打ち返すという意味は次の通りである。 中原は実戦で☖4六金と飛車を取ったがこれが疑問手で、 ☖5五金と銀のほうを取るのが好手であるという。当然先手は☗6五歩と銀をとるが、 後手はここで☖4六金と飛車をとる。当然先手は☗4六同角として金を取る。 この手は飛車取りになっているが、後手が☖5五銀と駒の利きのないところに打つのが好手で、 加藤が銀を打ち返す、と話したのはこのことを言っている。 もし先手が☗5五同角と銀を取れば、後手は☖5九飛と王手角取りに打てるので後手よし。 ☖5九飛に対しては王手を防いで☗6九金と打つぐらいだが、 そこで☖5五飛成と角を取り返しながら龍を作ることができる。この局面は中原が有利だ。

ここまできて、加藤の話はある程度わかってくる。「銀を打ち返す、王手角取りですから」 という個所、「☗6九金」、そして☖5五飛成と角を取り返されたあとの、 「今度は私のほうは金目だけだから大した攻めもないし」 の意味はわかった。しかし、 「☗3九飛と逃げてみる」や「☗1五飛」、そして、 「中原さんのほうから香落ちが厳しい」については未だに意味がわからない。

なお、本誌の補足にはならないが、図3(右図)は加藤が☗5四銀として、 先手の4六角で後手の8二飛で当たりをかけた場面である。中原はここで☖5四同金と銀をとったが、 これが敗着となった。☗5四銀に対しては後手は☖4二飛と逃げておけば、後手十分だった。 ここまでは名局集にある。後は私の想像だが、以降は☗4三銀成、☖4三同金、☗9一角成、 ☖3九飛、☗6九金、☖1九飛成、とすれば、後手は次の☖6七香が楽しみとなる。 以上は意味不明の加藤の話と無理矢理に関連させた手順である。(2020-02-25)

追記:本誌では「今度は私のほうは金目だけだから大した攻めもないし」とあるが、 「金目」ではなく「金気(かなけ)」であろう。金気とは金将と銀将を合わせた概念であり、 金気だけというのは飛車や角行がない場合をいう。飛車や角行は遠距離に利く駒であり、これらがないと、 攻めが難しい、ということであろう(2020-04-15)。
さらに、「香落ち」は誤りで正しくは「香打ち」が正しいだろう。 「香落ち」は対局者の棋力が異なる場合に設けるハンディキャップの一形態である(2021-06-28)。

図 4 に関して

本誌 図 4 は加藤一二三が時の名人である中原誠に挑戦した時の最終局、 105 手目の ☗3一銀打 の盤面(局面図 右下)である。 これが妙手で中原は投了し、加藤は名人位を手にした。

☗3一銀と打って私は勝ったのですが(図 4)、 残り一分の最初の読みは☗3一銀から☗2五歩と跳ねると読んだんです。 そうすると、詰まないので、負けたと思いました。 しかし、☗3一銀のあとに歩を取れば☗3二金で詰みます。 この☗3二金という手を発見して、「あっ、そうか!」と叫んだ。 中原さんもこの☗3二金という手は異例中の異例なので、 気づいていなかった。 私も残り一分で勝負の決着する寸前にひらめいたものですから、 まさしく紙一重。 ☗3二金が浮かんでいなかったら私は負けていました。 私はよく色紙に、「直感精読」と書くのですが、このときの直感の手は☗2五桂だったんです。 けれども、☗2五桂では詰まない。 直感の手が間違っていたという珍しいパターンでした。

この語りには納得がいかないところがある。むしろ、誤りといってもいい記載がある。 おそらく、加藤が例の早口でしゃべったため、 編集部の聞き取りがうまくいかなかったのだろう。 私の見解はこうだ。まず、☗3一銀から☗2五歩と跳ねる とあるが、これは「☗3一銀から(☖3三玉と逃げれば)、☗2五歩☗2五桂と跳ねる」 が正しい。歩兵は跳ねるという動きはしない。もっといえば、跳ねるという動詞が使える駒は桂馬しかない。 そして、しかし、☗3一銀のあとに歩を取れば☗3二金で詰みます。 とあるが、 これは「しかし、 ☗3一銀のあとに歩を取れば(☖3三玉と逃げれば)☗3二金で詰みます。」 と訂正すべきだろう。 以下少し解説する。

まず、☗3一銀そのものは、将棋のプロなら一目でわかる筋である。これを☖3一同玉と取るのは、 ☗3二金、☖3二同玉、☗5二飛成、以下容易である。したがって、☖3一同玉は負けを速めてしまう。 だから、銀打に対しては☖3三玉と逃げるしかない(☖3二玉と逃げるのは☗5二飛成がある)。 このときの先手には、2種類の手がある。加藤の直感は上記の通り☗2五桂であった(これがあるから☗2五歩ではない)。 これに対して、後手はやはり2種類の手がある。まず、☖2四玉と逃げる手がある。 このときは先手は☗1五金と打てば後手玉は詰んでいる。だから、☖2四玉とは逃げず、☖4三玉と逃げる。 こう逃げられると、後手玉は捕まらない。 先手は☗4二金しかないが、後手は☖5四玉とさらに逃げ、 先手が☗5二飛成と龍を作っても後手はさらに☖4五玉と逃げ、後手玉はつかまらない。次に先手が王手をしても、 後手の☖3六玉が防げない。なお、後手☖4五玉に対して先手☗4六金としても、 以下☖4六同龍、☗4六同馬、☖4六同玉以下、先手は飛車と歩だけでは手がない。 これが加藤の精読した結果であり、中原もこのように読んでいたはずだ。

さて盤面に戻り、仮に後手が☖3三玉と指したとすると、異例の手と加藤が評した☗3二金はどうか。 こんど☖2四玉と上がられたら1五に打つ金が先手にはないではないか。しかし今度は、 ☗2五歩と突くことができ、☖1四玉の一手に☗1五歩までで、後手玉は詰んでいる (突歩詰は打歩詰とは異なり、反則ではない)。 また、☗3二金を☖3二同玉と取る手は、☗5二飛成、以下容易である。 したがって、☗3二金に対しては後手は☖4三玉と逃げるしかない。 ここで先手は☗4二銀成とする。後手は玉を逃げるか、取るかである。 ☖5三玉と逃げれば☗5二飛成で即詰だ。だから☖5四玉と逃げるが、先手はやはり☗5二飛成とする。 ここで後手は☖4五玉と逃げられないことに注意してもらいたい(先手3七桂の利きがあることに注意)。 つまり、直感の☗2五桂ではいけない理由がここにある。後手は5三に合駒をするしかないが、 先手は☗5五金と打って詰みである。少し戻って、☗4二銀成に後手が☖4二同金と取ればどうか。 先手は☗4二飛成とする。後手は☖5四玉と逃げるしかないが、やはり☗5五金で詰みである。

金という駒は相手の玉から見て前方に位置すると、相手玉を捉える効率がよいというのが一般的な考えである。 したがって、☗3二金という、相手玉の後方から追う手は効率が悪く、 普通はこのような手をプロが読むことはない。 たまたま、盤面の配置が☗3二金という妙手を効果的に演出するように働いていた、ということなのだろう。

なお盤面における☗3一銀の場面で、後手の金を取る☗5二飛成はどうか。 これは後手に☖3二金と受けられてその後が続かない。 先手の理想は後手玉を3二におびき寄せて王手で☗5二飛成とすることである。 では、盤面の☗3一銀のかわりに☗3二金はどうかというと、 これに対して後手は☖1二玉と逃げるので王手の☗5二飛成が実現しない。

なお、指摘していない誤植がもう一つあった。pp.166-167 にかけて 「しかし、中原さんに☖5二銀と打たれた瞬間」とあるのは、 「しかし、中原さんに☖5二歩と打たれた瞬間」が正しい。

いま、振り返って思うのだが、加藤一二三が☗3二金を発見したときの「あっ、そうか!」という叫びは、 アルキメデスが二セの王冠を調べる方法を風呂に入っていて思いついたときの叫び「エウレイカ=ユリイカ」 と同じではないか。だから、この雑誌が加藤一二三を取り上げるのも時間の問題だったのだろう。

強い ( かわいい ) とは何か

久保明教によるこの論考は私にとって得るものが多かった。どういうところかというと、 「強い」とはどういうことか、ということの定義である。 まず久保は二つの定義を挙げる。一つは何らかの指標を用いて強さを定義する答え方であり、 もう一つは結果論、後付けによる決まるとする答え方である。 このどちらも将棋という世界で「~は強い」という表現を妥当なものとする根拠を示すやり方になっている、 と久保は指摘する。その上で、強いという定義の二つがどれも正統でないことを論拠を重ねて示す。 そして「~は強い」という表現を普通に使えることは、定義によってではなく、 「強さ」なるものが常に生成変化していけることによって支えられていることを久保は主張する。

ただ、私はまだこの主張に割り切れないものを持っている。 勝つというのは強いことには欠かせないことだから、 勝つという結果が強さなるものにどのように影響していくのかを知りたいと思う。

この議論を見て、私が思い出したことを一つ語りたい。 森下卓九段が何かの雑誌で述べていたと思うのだが、九段は当初、絶対的な強さを追い求めていたという。 絶対的な強さとは、プロ棋士を相手とすることはもちろん、アマチュア棋士も含めて誰にでも勝つ強さを追い求めていた。 しかし、何かの心境の変化で(ひょっとしてアマプロ戦でアマチュア側が善戦したことがきっかけなのかもしれないが思い出せない)、 自分が強くなることは、プロ棋士を相手として、それで勝てばいいというように気持ちを切り替えたそうだ。

気になる点を一つ述べる。p.182 と p.189 で棋士、 飯島栄治を誤って飯島英治と記されているのは残念である。

なお、タイトルにはルビがある。HTML で表すには、 HTML5のルビの項を参照のこと。

ひふみんはかわいい

この論考も私にとって得るものが多かった。 なお、p.201 で、大山康晴の番外戦術として紹介されている福田家事件について 当事者の内藤國雄が記している文献がある: 25年ぶりに明らかになった真実 (shogipenclublog.com) 。 この記事によれば、内藤は食膳を片付けられていてのを見て<怒り狂い>はしなかった。 むしろ内藤は<食膳を片づけているのをみて「有り難い」と思った>のだという。 <怒り狂い>は、その場に居合わせた観戦記者の思い違いだったようである。

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MARUYAMA Satosi