練習日誌(2005年)

作成日:2005-01-04
最終更新日:

2005年、自分が楽器を練習したときの記録です。最近は練習をさぼっているので、 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2004年の練習日誌2006年の練習日誌もあります。


児玉桃ピアノコンサート

11月5日、越谷コミュニティセンターで行われた標記の演奏会に行ってきた。 プログラムは次の通り。

武満徹: リタニ
ショパン: ピアノソナタ第3番 op.58
ショパン: 幻想即興曲嬰ハ短調 op.66
ドビュッシー: レントより遅く
  喜びの島
メシアン: 「みどり児イエスにそそぐ20の眼差し」より
  15番 みどり児イエスの口づけ
  10番 喜びの精霊の眼差し

武満の「リタニ」は「2つのレント」の改作であるとは知らなかった。 もっとも武満の作品そのものを知らないので、これ以上いうのは控える。

ショパンのソナタ第3番は、全曲通して聴くのは久しぶりだ。もう10年も経つだろうか。 児玉さんの演奏はしっかりしていた。これ以上言うべき言葉がない。 第3楽章の長い中間部を聴きながら、幻想ポロネーズとの類似性に今更ながら気づいた。 このような想起ができたのも、児玉さんの演奏の力があったからだろう。

休憩後は、ショパンの幻想即興曲、ドビュッシーの2曲がほぼ切れ目なく奏された。 児玉さんは椅子を立たなかったし、客席からの途中の拍手もなかった。 もっともこの3曲の共通性からすれば当然のことであろう。 ショパンは、主音がCis(-dur)の最弱音で終るので、「レントより遅く」の冒頭のDes(Cis?) とよく合う。そしてドビュッシーのこの曲の調性はGes-durであり、親和性がある。 やはり弱音で終ったあと、今度は強音で始まるのが「喜びの島」である。こちらは、 Cis-Disの間のトリルから始まるので、つながりは自然である。 よく考えられている。

「レントより遅く」の冒頭を聴いて、私は声をあげそうになった。 始めて聴く曲だと思っていたら、実は今のN響アワーのエンディング曲であった。 ドビュッシーのピアノ曲はほとんど聴いたつもりでいたが、まだまだだ。 私の尊敬するF先輩が、いつの間にか私の知らないドビュッシーの曲を暗譜していた。 これを知ったのが半年前。まだ進歩しない。

最後のメシアンは、何とも迫力があった。 メシアンを始め、数々の作曲家がキリストを褒め讃える作品を作っている。 また、児玉さんのような名ピアニストが名演奏を紡いでいる。 キリストも幸せ者だ。だから、キリストよ、もっとお前も人間を幸せにしろよな。 最後の「喜びの...」は、あるアマチュアの演奏も聴いた。そちらもたいしたものだったが、 今こうしてプロの生きのいい喜びに満ちた音楽を聴くと、やはりアマチュアの限界を思う。

礼奏は、シューマンの「トロイメライ」とドビュッシーの「ゴリウォークのケークウォーク」。


加藤訓子マリンバ・パーカッションコンサート

10月8日、越谷コミュニティセンターで行われた標記の演奏会に行ってきた。 冒頭と中間、最後をパーカッションで、他をマリンバで構成したプログラムであった。

まず、冒頭はログドラムによる即興演奏。最初サワサワした環境音とぼそぼそした語りが聞こえた。 これはスピーカーから流れていた。クラシック会場でPAが入る演奏は久しぶりだった。 その後暗闇から浮かび上がった奏者がログドラムから強烈な音楽を繰り出した。その迫力に圧倒された。

次は、マリンバによるアメージング・グレース。マリンバの低音がよく響き、まるでオルガンのようだった。

続いて「ヴェロシティーズ」という忙しい曲が弾かれた。こういう超絶技巧的作品は大好きだ。

前半プログラム最後は奏者の作曲になる作品(抜粋)。マリンバの特質がよく出ていると思った。

後半は司会者と奏者の会話のあと、ジェフスキのTo the Earth という、植木鉢と声による作品が奏でられた。 なんとも形容しがたい作品で、超絶技巧の対極にある作品である。 あとでゆっくり作曲者の思想を理解しながら聴くのがよさそうだ。

そしてバッハのコラールと権代敦彦の作品が切れ目無くマリンバで演じられた。権代氏の作品は、 前にどこかで聴いたことがあって、キリスト教に関係する伝達内容がうっとうしいと思ったが、 今回はキリスト教関係のことを一切取り払って聴いてみた。すると、 この権代作品がなんだか強い憧れにすがっているように、私の内部で構成されるのだった。 やはり、キリストのイメージが私から離れていないのだろうか。

その後、シューマンのトロイメライ。 唯一私が知っている曲だからか、あるいは私がきらいなシューマンだからか、 和声にわずかな乱れが聞こえた気がした。

最後は打楽器群を操る、クセナキスの壮大なルボン。 (辞典によっては英語読みの「リバウンズ」としているものもある)。 冒頭の大太鼓からしてびっくりした。同居人は「雷の落ちる音に聞こえた」というほどだった。 今に慣れるかと思ったら、全然慣れなかった。いやはや。

礼奏は、SORAN、すなわちソーラン節のマリンバ編曲。かっこよかった。(2005-10-09)


花岡千春ピアノ独奏会

9月12日、標記独奏会に行ってきた。前半がラモー、後半がフォーレということで、 フォーレに期待して出向いた。ところが、当日券を買おうとして窓口で意外なことを言われた。

「ピアニストの指の調子が悪く、後半のフォーレはカットし、前半のみ弾きます。 その代わり、今回の半券で次回の独奏会の招待券とさせていただきます。買われますか」 なんということだ。フォーレを聴けないのでは来たかいがない。 しかし、このまま帰ってもせっかく昼に買った太巻きを食うチャンスがない。 仕方なく当日券を買い、この日の昼に買った太巻きをロビーで食った。

開演の時間が来た。ピアニストは登場後、指の調子を悪くしたことの釈明を日本語とフランス語で説明したあと、 ラモーを演奏した。曲目は「クラブサン曲集(1724刊、1731改訂)」であり、次の曲からなる。

これらを聴いて、ラモーの曲想の多彩さに驚いた。私はクープランとラモーの区別はつかない (当然リュリやダカンの区別もつかない)。しかし、これらの曲をまとめてきくと、平明さと晦渋さが、 明朗さと陰鬱さが、いろいろな面で現れていることに気がついた。

たとえば、ラモーの曲の中で一番有名な「タンブラン」がある。これは曲の始めから終わりまでずっと、 低音のE音が鳴り続けている。その和声の響きの新しさは、聴く側の好奇心をひきつけてやまない。 たった1分足らずで終わるのが惜しい曲である。だからこそ、稀代の編曲家、 ゴドフスキーが手を入れたのだ、 ということを改めて知った。

もう一つ、あざけり(メヌエット)について、これは後にやはりフランスの作曲家ポール・デュカスの 「ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲」 で使われている主題である。こちらは特に何ということのないメヌエットだが、 その「何ということのない」性格がデュカスに見ぬかれて、変奏曲を展開する格好の主題となった。

その他にも、個人的な感興を抱いた曲がいくつかある。「鳥のさえずり」は、 アンドラーシュ・シフが初来日したときに弾いたアンコール曲の一つである。 私はもう一つのアンコール曲であるスカルラッティのL.286に驚いたのだが、 ラモーのこの曲もよく覚えている。装飾音も、高速の音階も密度がそろい、美しかった印象を抱いている。 「歓喜」は、NHK教育テレビのピアノのおけいこで使われたテキストにあった。 ニ長調の下降音階を両手で3度揃えて弾くこの曲は、粒を揃えて弾くことが肝要だ。 私にはついぞ完璧には弾けなかった単純な曲であるが、またきちんと弾いてみたいという憧れが募った。

花岡千春の演奏は、細かなところまで気を配っている、考え抜かれた演奏であった。 迫力が要求される曲で、コントロールがわずかにはずれたところもあったが、曲の魅力は十分に伝わってきた。 惜しむらくは、フォーレを弾かなかったことである。来年に期待する。(2005-09-12)

演奏会の計画

2005年は、私の好きな作曲家の記念すべき年にあたる。 まず、バッハ、ヘンデル、スカルラッティがそろって1685年に生まれている。すなわち、 今年が生誕320年にあたる。そして、フォーレが1845年に生まれているので、彼は生誕160周年にあたる。 今気がついたのだが、320/160はぴったり2である。

そこで、私の脳内で演奏会を企画してみた。要件は次の通りである。もれなく、ダブりなく(MECE、 Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)といきたいが、そうなってはいない。

  1. 4人の曲に割り当てる演奏時間はほぼ等しくする
  2. 総演奏時間は2時間前後とする
  3. 私が弾けるぐらいの易しい曲を選ぶ
  4. 異なる作曲家の曲で、似たメロディーや構造が似ている曲を選ぶ
  5. 同じ調性の曲を比較のために選ぶ
  6. 有名な曲を選ぶ
  7. 編曲物を選ぶ

これらの条件を適当に考えながら、選んだ曲は次の通りである。 *をつけたのは編曲物である。

バッハ

ヘンデル

スカルラッティ

フォーレ


シューマン

1月10日、ある方のお宅に私を含めて10人ほどがお邪魔した。お宅にはグランドピアノがある。 何人かが歌を披露した。私はいい気持ちで聞いていたが、突然歌の先生が「マルヤマくん、 ピアノ伴奏をしなさい」と命令した。私は訝し気にピアノの前に座ると、どんな曲が来るかを待った。 すると、先生が渡した譜面はなんとシューマン歌曲集だった。「『詩人の恋』を歌うからね」 と言われて私は仰け反った。よりによって、なぜシューマンなのだろう。 先生も、そして他のみなさんも、私がシューマン嫌いなのは承知している。 そこに、先生の狙いがあったのだろう。 私はシューマンを知らない。だから「詩人の恋」はほとんど知らない。 知っているのは最初の「美しき五月に」だけである。だからあとは手探りで弾くしかない。 詩人の恋どころか俎の上の鯉である。それでもなんとか弾き終えた。 ほっとした。歌のシューマンはいい所もある。それが収穫だった。そして、悪い所もどっさりある。 これも収穫だった。まとまったら、 「シューマンについて」に書き足すつもりだ。(2005-01-12)


伴奏

近々、歌や合唱の伴奏を久しぶりにする。そこで、伴奏予定の曲を聞いて、少しピアノでさらってみた。

最初は、ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」。オペラについて書いてあるページは数多くあるが、 私が信頼する hasida の部屋(www.katch.ne.jp)で少し下調べをした。 あるデュエットの伴奏版を弾いてみたら、やっぱりオーケストラのようには弾けない。当たり前だ。

次は、プッチーニの「ラ・ボエーム」。私が伴奏したことがあるのは有名な「私の名はミミ」だけである。 近々の伴奏は、その前にあるデュエットである。 ここの伴奏をさらってみたら、面白いことに「私の名はミミ」と似ているのに気がついた。 オペラ素人の私は、こんなところに今さら気付いている。(2005-01-04)

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