竹内 啓:偶然とは何か

作成日: 2017-01-15
最終更新日:

概要

偶然は必然の単なる否定ではない。

感想

特に、第5章「偶然にどう対処すべきか」、第6章「歴史のなかの偶然性」を興味深く読んだ。 第5章では最後に「偶然の専制に対抗」というところで、著者はこう言っている。

個人的にもまた社会的にも、偶然に対して主体的に対処することによって、その生み出す幸福を大きくし、 不幸を軽くしなければならない。それがいわば偶然の専制に対抗する道である。

わたしも同感である。ただ、私は他人の幸運を妬み、自分の不運を悔やんでばかりいる傾向があるので、 そうなると逆に幸福を減らし、不幸を拡大することになる。と著者は言っている。注意せなければならない。

第6章では、きわめて稀な現象について述べられている。p.201 から抜粋してみよう。

もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、 大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。
例えば、 「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、 したがって「一年あたり期待死者数」は一であるから、他のいろいろなリスク(自動車事故など)と比べてはるかに小さい」 というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。
そのような事故が起こったら、いわば「おしまい」である。(中略)
このようにいうと、小さい確率であってもまったくゼロではない限り、それを無視するのは正しくない、 したがって、巨大事故の確率がゼロであるといいきれない限り、 原子力発電所は建設すべきでないという議論が出されるかもしれない。
しかし、(個人・人々の集団・一つの社会・国・人類全体で)その生存を脅かす危険性はいろいろ存在するのであって、 それらが人類の行動によって起こされる場合、あるいは人類の行動によって防止できる場合、 その確率をできるだけ小さくするように努力しなければならないことはいうまでもない。 しかし、その確率をゼロにすることは不可能であるかもしれない。

ここの最後のしかしのとり方に迷う。前の文で「原子力発電所は建設すべきでない」 という意見に対抗する主張がしかしのあとに来ないといけないのだが、その論拠が原子力発電所の建設につながる、 とは読めない。

もう少し読んでいくと、著者の主張が明らかになってくる。 それは、「きわめて小さい確率の事象は起こらない」という行動原理である。 これを行動原理として、原子力発電所などが起こす大事故の許容リスクは事実上ゼロにしなければいけない。 そのための方策として、確率の乗法法則が成り立つ条件を確保することである。 多重安全システムの考え方である。

さて、下記の書誌情報でわかる通り、この本は 2011 年 3 月 11 日以前に書かれている。 この日起こった地震や津波の影響で、福島第一原子力発電所の一部がメルトダウンした。 このメルトダウンそのもので百万人に及ぶ死者が出たわけではないけれど、 この事故の影響はあまりにも多大であったと私は思う。さて、どの程度のものと判断すればよいのか。 私には判断を下すことができない。

書誌情報

書 名偶然とは何か
著 者竹内 啓
発行日2010 年 9 月 17 日(第1刷)
発行元岩波書店
定 価720 円(本体)
サイズ
ISBN978-4-00-431269-7
その他越谷市南部図書室にて借りて読む。岩波新書

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MARUYAMA Satosi