藤谷治:船に乗れ! I 合奏と協奏

作成日 : 2011-08-16
最終更新日 :

概要

主人公の津島サトルは音楽高校の1年生。チェロを専攻する津島は、ヴァイオリン専攻の南枝里子が好きになる。

感想

音楽高校と聞くと、どんなものだか知りたくなる。普通高校とはどこが同じで、どこが違うのだろうか。 そんなスケベ心をくすぐってくれるのがこの小説だ。 筆者が描く音楽高校は、どんな高校にもある男女の恋心のゆらめきがある。 さらに、音楽を極めるための練習で見えてくる学生の音楽体験の奥深さを生き生きと伝えてくれる。

この津島サトルという主人公は、チェロがうまくて、いっぱしの文学青年だから、ねたんでしまうぐらいかっこいい。 彼がどんな顔立ちかは全く触れられていないが、この小説を読んだ人からは、津島はモテモテだったのではないか、と推理されている。 著者は津島をどのような意図で造形したのかわからないが、この津島という苗字から私が連想するのは、太宰治の本名である。 だから、津島は色男だっただろうと勝手に思っている。

以上の考察には、木曽のあばら屋さんによる、 藤谷治「船に乗れ!」ネタバレ&ツッコミ感想 「船底の隅をほじくれ!」(kisnoabaraya.qcweb.jp)の影響があることを付け加えておく。

ここまで書いて著者へのインタビューのページを読んだのだが、 主人公を津島と名付けたのはやはり太宰治つながりだ、ということを藤谷は述べている。 藤谷と太宰は名前の治つながり、ということだ。

音楽上の詮索

音楽の話がいたるところに出てくる。作者の藤谷氏は音楽高校にいたこともあり、付け焼刃ではない、 音楽の面白さと深遠さを見せてくれる。 とくに私が好ましいと思ったのが、 スカルラッティフォーレを登場させてくれたことだ。 スカルラッティは次のように、主人公の津島の独白として出てくる(pp.46-47)。

レースのテーブルクロスがかけてあるピアノでスカルラッティを弾けたからって、 音楽学校に来るような連中に、自分の読んでいるものの深遠さがわかるだろうか。 たとえモーツァルトの『魔笛』くらいは聴いたことがあるとしても、 ゲーテに『魔笛 第二部』を書くという構想があったことなど、誰も知りはしない!

このように引用したが、これは津島が、そして作者がスカルラッティを貶めているのではないと私は思いたい。 スカルラッティは、あくまで音の軽やかな楽しみや悲しみのために作曲したのであって、 深遠さには無縁であった。少なくとも、スカルラッティ自身はそう言っている。

では、フォーレはどのように出てくるか。 こちらは主人公の津島が友達の伊藤と話している場面だ(pp.128-129)。

「俺たち、けっこうつるんでるけど、あんまり音楽の話とか、しないよな」
「してるじゃん。こないだも津島、僕にフォーレの『レクイエム』を聴けって。僕聞いたよ、クリュイタンスの指揮のレコードで。 怖いくらい、よかった。」

そうだそうだ。フォーレは『レクイエム』だな。

さて、スカルラッティもフォーレも出てこないが、 もっと前に、私が好きな箇所がある。これも津島の独白だ(p.17).彼はピアノを最初にならっていた。

センチメンタルな感情論をまじえず、ひたすら楽譜に忠実に弾けた演奏は、 自分でもはっきりと出来がよかった。それは音楽が「判る」瞬間だった。目の前に並んでいるヘンデルやハイドンの短調で無表情な楽譜が、 なぜそのように書かれているか、それ以上のことが書かれていないか、指と耳で呑み込める体験だった。

本巻の締めくくりは、主人公の津島と恋人の南、そして津島のピアノの先生である北島の3人が メンデルスゾーンのピアノトリオ第1番の第1楽章と第2楽章をコンサートで奏でるところである。 本巻の副題「合奏と協奏」は、この曲の様式や3人の演奏を表すのにふさわしい言葉である。 詳しくは手に取って読んでほしい。

若い3人にとって、ピアノトリオとして何がもっともふさわしいのか私は考えてみたが、 やはりメンデルスゾーンのこの第1番というのが結論だった。 私の思考過程はこうだった。まず、ピアノトリオとして考えられる有名な作品の作曲家はこんなところだ。 カッコ内は有名曲の俗称。

こうして列挙すると、青春のほとばしりを直接出せる曲は限られる。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンは古典の様式の上で成り立っているから、 若い男女には早すぎる。シューベルトもいい線をいくのだが、やはり古典様式の端正さが残っているので向かない。 メンデルスゾーンはこのニ短調のほかにもう1曲あるのだが、どういうわけかよく知られているのはこの第1番のほうだ。 妙に熱くなるわかりやすい音楽は、青春にふさわしい。 シューマンやブラームスはロマン派としては理想だが苦味が加わる。もっとも、主人公の津島は、 シューマンのチェロコンチェルトはハイドンのハ長調コンチェルトと並んで一番好きなコンチェルトだ、 と作中の第2巻で言っているので、シューマンという手はあったかもしれない。 フォーレ以降は韜晦さが加わって難しいだろう。特に列挙した最後の4曲は重量級だ。 振り返ればスメタナのはあるかもしれない。

私自身はメンデルスゾーンの音楽は好き嫌いについて深く追及していないが、このトリオ第1番に関していえば、最も好きなところは、 第1楽章の180小節からピアノが3連符下降音形で提示部の終わりを目指してなだれ込むところと、 続いてヴァイオリンとチェロがユニゾンで第1主題をイ短調で回顧する箇所だ。ここはいつ聞いても鳥肌が立つ。 楽章全体として好きなのは第3楽章のスケルツォだ。メンデルスゾーンは心地よく流れる音楽を書かせる術に長けている。 組曲「真夏の夜の夢」も含めて、メンデルスゾーンはスケルツォを書かせれば無敵ではないかと思う。

絶対音感

p.216 で、主人公が恋人の南に絶対音感があるか尋ねるところがある。南の答は

「多分、ない」南は慎重に考えてから答えた。「あるといいなと思うんだけれど、そこまでいかないと思う。 でも聴音の成績はいいんだよ」

そうして、現在の語り手である主人公サトルはすぐあとで次のように述懐する

(その後僕は、たまに宴会の席なんかで、「絶対音感がある」ことを自慢げに語る人に出くわすたびに、 彼らがビールのジョッキを箸で叩いた音を、ミだのソのシャープだのと「いい当てる」のを聞かされるたびに、 このときの南の慎重な姿を思い出す)

私は、自慢げではないと思うが、宴会の席で「絶対音感がある」ことを言いだすタイプである(一応、人にふられるまでは黙っておく)。 そこで、やはりビールのジョッキを箸で叩いたりする。この述懐を読んで、素人は出しゃばるべきではないのだろうと自戒した。 それに最近、私自身の絶対音感がはずれまくっているからだ。

音楽上のちょっかい

最初にお断りしておくが、以下に述べる私の見解がすべて正しいということではないのでお気をつけのこと。 もし仮に、私の見解が正しかったとしても、それは著者の意図があるのかもしれない。たとえば、次のような理由である。

付け加えれば、下記の見解をもってしても、この作品を私は高く評価する。 さて、まずは第一章、p.11を見よう。

本牧の一軒家、それもヴェーゼンドルファーのグランドピアノと大きなハイファイ・セットと

原語では Bösendorfer とつづるから無理にヴを使わず、 「ベーゼンドルファー」でいい。

次に p.66を見よう。

プルートというのは、要するにオーケストラの席次だ。

普通は長音はなしで、「プルト」というはずだ。

それから p.160 だ。

そこでようやく僕は、自分がどんな曲を演奏するのか知ることができたわけだが、それは何と交響詩『プレリュード』。

リストの交響詩は、一般的に定冠詞を添えて「レ・プレリュード」と呼ぶのがふつうだ。さらにいえば、日本では「レプレ」と略すことも多い。原題はフランス語で、 Les Préludes と複数である。なお、冒頭、第一章前の独白 p.5 で 通りかかった店からフランツ・リストのファンファーレが聞こえてきたときとあるファンファーレは、 この『レ・プレリュード』のファンファーレ部を指すのだろう。

書誌情報

書 名 船に乗れ! I 合奏と協奏
著 者 藤谷 治
発行日
発行元 ポプラ社
シリーズ ポプラ文庫ピュアフル
定 価 620円(本体)
サイズ 文庫版(15cm)
NDC 913
ISBN 978-4-591-12399-7

まりんきょ学問所読んだ本の記録 > 藤谷 治:船に乗れ! I 合奏と協奏


MARUYAMA Satosi