前の曲から6年後に作られたこの四重奏曲の成立に関しては, ほとんど知られていない。曲は1866年に完成しているが, あきらかにその前年から構想されていたにちがいない。 曲はハンス・フォン・ビューローに献呈されている。(印刷された楽譜には,この献辞は見あたらないのだが)。 1887年1月22日,国民音楽協会で初演された。1879年以後も, フォーレの芸術は,その力と独創性を増しつづけていた。 作品15の曲とくらべてみると,この曲の進歩はきわめて大きい。 成熟期に達したばかりの時期の作品である作品45の曲は, フォーレの芸術の展開のなかで, <ラズモフスキー四重奏曲>がベートーヴェンにおいて占めていた位置を占めている。 解説者たちは,この曲をフォーレの「最初の創作方法」の終りとして位置づけるべきか, 「第二の創作方法」の初めとして位置づけるべきかを決定するために論争を行って来た。 フォーレのように,統一的で持続的な展開を行っている芸術家にとって, このような区分はあまりにも図式的で恣意的なものであることは強調されるべきだが, あえていえば,第二の考えを採りたい。<四重奏曲第1番>以降, フォーレの作品月録には30あまりの曲がつけ加えられた。 <第2歌曲集>の大部分,〈バラッド〉、 そしてマリ・フレミエとの結婚の年である。1883年以降は, ピアノ曲の豊かな開花が始まる。 1884年はフォーレが唯一の交響曲を試みた年であるが, 作品は初演のあとで撤回された(たぶん破棄された。) フォーレはそのいくつかの要素を<ペーネロペイア>と, 作品108と109のソナタでふたたび用いたと考えられる。 この四重奏曲に, 直接つづく作品はフォーレの父親の死(1886年7月の末)によるショックによって構想された <レクイエム>である。
1886年という年は,フランス音楽にとってもっとも幸せな年のひとつである。 なぜなら, この年にフランクのソナタ, サンーサーンスのオルガンを伴った交響曲, ダンディの<セヴェンヌ交響曲>, そしてエドゥアール・ラロのト短調の交響曲が作られているからである。 <五重奏曲第2番>と並んで, 作品45の四重奏曲はフォーレの室内楽のなかで, その規模の点でもっとも大きな, どうどうたる作品である。 ことに最初のアレグロと緩徐楽章は, 作品15のそれに相当する楽章をはるかに追い抜いている。 この曲は, またこの作曲者のもっともロマンティックな作品であり, 香水の匂を漂わした, ささやきかける気取屋などという通説をふきとばしてしまう強い力をもっている。
熱烈で誇らかな.どうどうたる旋律が, ピアノの32分音符のさかまく波(これは怒り狂ったような急激な運動をみせながらしばしば現れる)のうえに, 低音弦のユニゾンで奏される。このどうどうたる規模の主題は, 叙事的な生気をもち, ほかの楽想がそのまえですべて光を失うほどに, この楽章全体を支配している(譜例17)。ピアノによって再現されたこの主題は, すでにオデュッセウス的な素晴らしい大きさをもつ弦との対位法的な対話を交しながら拡大される。表情に富んだ, より豊かな第2楽想(譜例18)が変ロ長調で姿を現す。成熟期のフォーレにきわめて特徴的なあの讃嘆すべき確かさをもった低音部が, すでにこの音楽のいたるところで認められる。そしてこれはニデルメイエール学校における教育の結実なのである。マルグリート・ロンが述べているように, 彼は演奏に際して低音部を最も重視していた。「われらに低音を」という有名な言葉はこうして生れたのである。第1主題が束の間の嵐のように再現されたあとで, 変ホ長調の静けさが呈示部の終りを告げる。展開部はハ短調(導音が下げられている)で控えめに始まる。そしておだやかな性質をもった新しい要素を彫琢して行くが, それはやがて主要主題と交替し, あるいは縮小された形(4分音符のかわりに8分音符)でそれと結びつけられる。この展開部の大きさと完全に交響的な発想は, その対位法の素晴らしい技量とともに比類ないものである。こうして緊張がつみ重ねられて行ったあげくに, 再現部が, まるで荒れ狂う海のように, フォルティッシモで激発する。末尾の展開部で最初の楽想が最後に力強く再現され, やがてピアニッシモで消えていく。
譜例 17
形式的シェマ=呈示部,1-60, 展開部,61-132.再現部,133-176.コーダ(末尾の展開部),177-220.コーダがここで真の第1展開部としての重要性を獲得していることが確認されるだろう。
譜例 19
形式的シェマ=スケルツオ.1-133.トリオ,134-197,スケルツォ,198-296.
譜例 20、譜例 21 ともに省略
形式的シェマ=呈示部,1-39.展開部,40-73.再現部,74-100.コーダ,101-115.
このフィナーレはしばしば批判の対象となり,評価を保留されることが多い。 素晴らしいアダージョの次に置かれていることが災いしているのだろう。 三拍子の速い動きから生ずるリズムをもつ強烈で急激な動きによって,前の四重奏曲のフィナーレにかなり似通っているが, あの若さの自発性は,ここにはおそらくまったくみられない。 主題の数は多くなっているが,特徴は少なくなっている。 しかしながら,たしかに期持どおりにこの作品の最後を飾ってはいないにしても,なおそれは素晴らしい曲である。 動揺し荒れ狂う第1主題(譜例22a)は,すぐにピアノで呈示される旋律的でもっと穏やかな対主題に席を譲る(譜例22b)。 ハ長調の,かなりブラームス的な強く重々しい重音からなる主題(譜例23)が,第2主題群への経過部的な役割を演じる。 そしてこの主題群は, ふたたび二つの相補い合う主題を提示する-カントゥス・フィルムス風の狭い音域の,きびしく暗い問いかけ(譜例24a)と, シューマン的な7度が特徴的な,純粋さと光明に向う輝かしい飛翔ともいうべき,応答。 この二つの楽想が交替し,重なり合い,そして呈示部は変ホ長調のデクレッシェンドで 終わる。 短い展開部は,第1主題の二つの要素による複雑で緊密な対位法からなる。 激しいクレッシェンドが,規則通りの再現部を導くが,その終りで〔譜例24b〕がト長調に向う明るい突破口を切り開く。 ト長調は,第1主題にもとづいた,強烈でしかも輝かしい,コーダ=ストレッタの調性である。 ブラームス的な主題(譜例23)が誇らかなフォルティッシモでそれにつけ加わり,曲を終える(ピゥ・モッソ)。
譜例 22a
形式的シェマ=呈示部,1-188.展開部,189-282.再現部, 283-521.コーダ。522-562.
この四重奏曲は,少なくとも第1番と同じくらいは知られてもいいはずだが, それよりもずっと演奏されることが少ない。 しかしながら, フォーレの室内楽の次の傑作<五重奏曲第1番>が悲劇的なまでに忘れられているのにくらべれば, この曲はきわめて恵まれた運命を与えられているというべきだろう。
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