なつかし「鉄」写真の部屋

すみません。このページからは専門用語も出てきますが、
どうぞご勘弁を(笑)

国鉄時代のブルートレイン・特急ディーゼルカー


ブルートレインの写真は古いものばっかり(笑)。左の「あさかぜ」は新幹線博多開業以前の東京駅13番線でのショット。14、15番線の新幹線ホーム工事真っ最中です。バックには新幹線0系も見えます。この頃の編成はナロネ20、ナロ20も連結していたいわゆる「殿様あさかぜ」。なにしろ編成の半分が優等車だったのは憧れでした。

あと2枚は金沢駅で。真ん中の白黒写真は撮りに行った時たまたま大幅に遅れてしまった「日本海」をキャッチしたものなんですが、これはまだナハネフ20を連結していた頃。座席車ナハフ20の改造車です。この車の新製時はまだ大きな曲面ガラスが製作できなかったらしく、端面のガラスが平面です。電源車もマニ20だった頃で、なんか寄せ集めだなあと思ったものでしたが、今となっては貴重。

右のは「北陸」。急行から格上げになったばかりの頃の20系時代で、東北線の「北星」との共通運用でした。その「北星」は当初新聞輸送のためにワサフ8800も連結していて、何かと話題になったものです。

気動車特急はなぜか82系ばっかり(笑)。というのも、181系は「シュプール某」が走るまで北陸とは縁がなかったから。
噂によると「つばさ」が電車化された時に181系は名古屋に転属、「ひだ」に投入する計画もあったらしいんですが、予定が変わってそのまま山陰へ送られてしまった…という話です。現に方向幕には「ひだ」が用意されていたんですが。

写真を撮りはじめたころ、「白鳥」はまだ気動車でした。大阪から青森まで長編成で走りぬく姿はまさにクイーン的存在でしたねえ。「はくたか」は既に電車に変わってしまっていました。

「ひだ」の写真は金沢発着が早朝・夜だったので撮りにくいのが難点でした。真ん中のは高山線を普通列車で本州縦断した時に先頭のキハ20から撮ったものです。その隣は早朝の金沢付近でのショット。このあとキハ82系は金沢から名古屋に移管となり、金沢へ顔を出さなくなってしまいました…

右端は「あさしお」。京都駅でのショットです。高校生の頃、中学時代の「鉄」仲間と関西遠征(笑)をした時に撮ったものです。