Rail Story 9 Episodes of Japanese Railway

 ●特急『ひだ』うらばなし(後編)

昭和51年10月のダイヤ改正で3往復になった『ひだ』だったが、同じ区間を走る急行『のりくら』に比べスピードの差は余りなく、非力なキハ82系の活躍は相変わらず続いていた。
しかし同じ時期に中央本線特急『しなの』、奥羽本線特急『つばさ』が相次いで電車化され、ハイパワーのキハ181系は転身を余儀なくされていたにもかかわらず『ひだ』には無縁だったのはなぜだろうか。そうすれば『ひだ』のスピードアップが実現したかもしれないのに。

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実は『つばさ』が電車化された昭和50年11月、『つばさ』に使われていたキハ181系を『ひだ』に転用する話が国鉄部内で既に決まっていた。同年12月には所属していた尾久からの移籍が始まったが、行き先は予定されていた名古屋ではなくもっと西の下関だった。

『しなの』でデビューしたキハ181系は名古屋に所属していたが、前述のようにデビュー当初からエンジントラブルが続発、しばらくの間はトレーラーの食堂車を外して運転しなければならなかった。後に性能が安定して食堂車組み込みも実現したが、ハイパワー化による列車の人気の高さとは裏腹に、保守陣は苦労が続いていたという。

『ひだ』のキハ82系は運転開始から金沢所属車が使われていた。昭和50年3月ダイヤ改正の時に『ひだ』は名古屋に移管されたが、この時『しなの』は全面電車化され、名古屋のキハ181系は四国などに活躍の場を移していた。
当時名古屋には高山本線・紀勢本線など未電化線区用のディーゼルカーを多く抱えていたが、エンジンはあの非力なDMH17Hでほぼ統一されていた。しかしこのエンジンの保守は手馴れていて実績はなかなか高かったようで、金沢からの『ひだ』移管は何の問題もなかった。しかしそれもつかの間、『しなの』で手を焼いたキハ181系が『ひだ』として戻ってくるらしい…という話は名古屋の保守陣にとって正に寝耳に水、キハ181系受け入れを拒否する結果を招いた。

国鉄は『つばさ』の転用計画を変更、『ひだ』ではなく山口線特急『おき』のキハ82系を置き換え、余ったキハ82系を名古屋に移し翌年の『ひだ』増発に充てることにした。『ひだ』のスピードアップは実現しなかった…。

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名鉄キハ8000系特急『北アルプス』昭和53年10月ダイヤ改正で『ひだ』は名古屋-高山間に1往復増発されたが、乗客数はあまり伸びず一旦は7両になった編成は4年後6両に逆戻り、昭和60年3月14日にはデビュー以来続いた金沢-名古屋間1往復が高山止まりとされてしまった。代わって名鉄『北アルプス』が富山までの通年運転となり、高山以北と名古屋を結ぶ唯一の特急になったが、私鉄からの特急列車に国鉄の特急を肩代わりさせるという、異例の列車となった。

もともと名鉄『北アルプス』は同じDMH17Hエンジンだったが国鉄キハ82系とは違い編成には自由度があり、需要の少ない高山以北にも対応出来た。中間車はエンジンは2台搭載しており、先頭車でもエンジンを2台搭載したものもあった。
これに比べキハ82系の先頭車は1台搭載なので、編成が短くなればなるほどパワーウエイトレシオは下がる一方。勾配の多い高山本線では苦しくなってしまう。晩年キハ82系『ひだ』は5両編成になってしまったが、これ以上減車すると高山本線を走れなかった。

この頃まで高山本線のライバルは出現しなかった。ほぼ並行して走る国道41号線は飛騨川や神通川沿いにつくられたためカーブや坂道が多く、鉄道の優位性は保たれていた。だが時代は少しずつ変化を迎えることになる。高山本線は直流電化が決まり、事実昭和55年5月には起工式まで行われていた。しかし工事は全く行われず今もその動きはない。いっぽう東海北陸自動車道が起工、後に高山本線特急を脅かす存在となる。

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昭和62年4月1日、国鉄はJRに生まれ変わり、高山本線はJR東海に所属することになった。国鉄時代のスタイルのままだった『ひだ』はJR東海の悩みの種。早速改善が進められることになった。

JR東海キハ85系特急『ひだ』とにかくディーゼルカーは電車に比べアンダーパワー。JR東海は思いきってイギリス・カミンズ社製のエンジンを搭載したキハ85系を開発、平成元年2月18日にキハ82系『ひだ』1往復の置き換えでデビューした。ステンレス製の車体、眺望性を重視し窓は大型化、客席の床は高くされ大好評で迎えられた。なによりカミンズ製C-DMF14HZエンジンはインタークーラー付きスーパーチャージャー搭載の直噴直列6気筒350ps/2,000rpm、これを全車2台搭載しており『ひだ』は今までとは比べものにならない性能を、ようやく手に入れた。

続く同年3月11日ダイヤ改正では急行『のりくら』の特急格上げで『ひだ』は久しぶりの増発、翌平成2年3月10日には再び『のりくら』3往復を格上げして『ひだ』は一気に8往復になり、内3往復は富山へ延長された。この時全列車が新車キハ85系化、『つばさ』電車化で果たせなかった待望のスピードアップが実現した。名鉄『北アルプス』は富山行きの任を解かれ、新名古屋-高山間となった。

名鉄キハ8500系特急『北アルプス』こうなるとさしもの名鉄『北アルプス』も色褪せてしまったが、名鉄は平成3年3月16日ダイヤ改正で新車キハ8500系を投入した。先代キハ8000系は国鉄ディーゼルカーとは足回りはほぼ同じものの連結は出来なかったが、今度は車体こそパノラマスーパー譲りのものとなったが、メカニズムはJR東海キハ85系との連結が考慮されていた。
エンジンは型式こそNTA855rlとなっていたが、JR東海のC-DMF14HZと同じものだった。他の機器も同じものが採用され、事実JR『ひだ』と連結しての運転が後日実現している。

かつて想像もつかなかった『ひだ』、それに『北アルプス』の活躍だったが、平成13年9月30日をもって名鉄『北アルプス』が廃止されることになった。

それは東海北陸自動車道の開通により、運賃の安い高速バス路線が早速開設され、そちらの人気が急上昇したことによるものだ。もっとも名鉄はキハ8500系導入時に高山本線乗り入れを中止するという案もあったらしいが、せっかく続けてきた乗り入れを、ここで中止するのはどうか…という意見が大半を占め、新車で乗り入れを継続したという話も残っている。
ともかく一般国道の41号線に比べ、暫定2車線ながら高速道路の威力はそれまで保ってきた鉄道の優位性を覆すことになり、あえなく『北アルプス』は屈してしまった。いっぽうの『ひだ』はそれまで半車だったグリーン車を全室グリーン車の紀勢本線特急『南紀』とトレード、列車のグレードアップで対応することにした。

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平成6年10月25日、高山本線は全通60周年を迎えた。これを記念した『高山線60周年メモリアルひだ号』が、JR東海が保存しているキハ82系で名古屋-高山間に運転され、懐かしい姿が飛騨路に蘇った。

僚友『北アルプス』がなくなり、『ひだ』は本数こそ増えたが前途は決して明るいとは言い難いのが実状だ。しかしカミンズサウンドを飛騨路に響かせての快走は今日も続いている。国鉄時代に予定された電車化は今のところ無いと言えるが、高速道路との戦いはしばらく続きそうだ。
しかし『ひだ』に『つばさ』のキハ181系が導入されていたら…今走っているJR各社のディーゼル特急は大きく変わっていたに違いない。『ひだ』はまだキハ181系のまま…逆にJR西日本に残った仲間はとっくに別の新車になっていたのかも…そして『北アルプス』は…。


国鉄時代に特急列車の大衆化という大任を果たしたキハ82系は静かに姿を消しましたが、平成の世まで活躍を続けたその功績は大きなものがあるのは、誰もが認める事実でしょう。

次は足早に去っていった機関車たちの話です。

【予告】悲運の機関車(前編)

  おことわり
「特急『ひだ』うらばなし」ではキハ81系、キハ82系を総称したキハ80系との記述にしておりません。これは『はつかり』と、その後の車輌の性格が違うものとして考えているためです。ご了承下さい。

―参考文献―

鉄道ジャーナル 1995年2月号 キハ80系 名残の飛騨路力走 鉄道ジャーナル社
鉄道ファン 1976年3月号 50・12ホットニュース 181系DC西へ 交友社
鉄道ファン 1995年6月号 特集:上野特急エイジ 交友社
鉄道ピクトリアル 2003年3月号 キハ55系 車両のあゆみ 鉄道図書刊行会
ジェイ・トレイン 2004.vol.15 ドキュメントJNR キハ80系の活躍 イカロス出版
100年の国鉄車両 3 交友社
名列車列伝シリーズ15 特急しなの&ひだ +JR東海の優等列車 イカロス出版
日車の車輌史 形式シリーズ 名古屋鉄道8000,8500系ディーゼル動車 日本車輌製造

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