Rail Story 8 Episodes of Japanese Railway

 ●阪急電車の謎 2

一般的に駅のホームで電車に乗ろうとすると「○番線」や「○番のりば」という言い方がポピュラーだが、阪急電車の場合は「○号線」というのが特徴であり、同時に阪急のセンスでもある。
さて前回は阪急梅田駅を中心にした話だったが、今回は京都線になお存在する謎をいくつか追いかけてみよう。

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 『桂駅の謎』

桂といえば嵐山線乗り換え駅。その嵐山線は以前紹介したようにもともとは阪急の路線ではなく、同じく嵐山から四条大宮への路線を持つ京福電鉄の前身、京都電燈が持っていた路線免許を譲受したもので、昭和3年11月9日に開業している。もっとも開業時は全線複線だったが、戦時中の金属回収令により単線化されて今もそのままだ。
また近年、京都線の停車駅見直しにより桂には特急が停まるようになった。

京都線からその嵐山線に乗り換えるには1号線の電車に乗れば良い訳だが、たまに隣のC号線からの発着がある。

シ…C号線?なぜここだけ突然アルファベットが?しかもAではなくCとは納得のいかない話である。

阪急京都線を利用すると判るが桂には車庫がある。このため桂駅はホーム以外にもたくさんの線路が敷かれているが、以前に駅構内の線路配置を改良した時に、それまで一時的に使用を休止していた1号線を復活させた際、隣り合わせに車庫へ出入りするための線路があったため、この線も活用しようと改めてホームを設置したのが事の始まり。
ところがその段階で構内の線路にも番号が振られていて、それを変えることが出来なかったらしく、阪急ではホームのない構内線には数字ではなくアルファベットを使っているために「C号線」なる桂駅独特のホームが出来てしまったという。

だったらA号線にすれば…と思うところだが、京都線は河原町方面行きが上りで、従ってホームの番号も上り側から1,2…となっている。構内線も同様で上り側からA,B,C…となっているため、桂駅だけ特例とする訳にもいかず、この奇妙な「C号線」が存在している。

阪急桂駅1,C号線 C号線…
隣は1号線 確かにC号線だ

逆の例としてJRの東京駅には11番線がない。これは客車寝台特急などを牽く機関車を最後尾から先頭に付け替える時などに利用されているもので、ホームがないためただの欠番扱いとなっているが、実はちゃんと番号のある存在である。

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 『淡路駅の謎』

さて今度は阪急の欠番ホームの話。京都線と千里線のジャンクションで、地下鉄堺筋線直通電車も交えてにぎわう淡路駅には何故か1号線がない。2号線の北西側には建物があって、1号線がいったいどこに消えたのかも判らなくなっている。

戦後の京都線のターミナルが天神橋だった頃、京都線は天神橋(現在の天神橋筋六丁目)-阪急京都(現在の大宮)間がメインで、淡路-十三間は支線的な扱いだった。この区間は急行の梅田直通以外、普通電車は折り返し運転を行っていた。十三駅の5号線と淡路駅の1号線はどちらも行き止まりホームとなっていた。
これはもともと京都線が神戸線・宝塚線と生まれが違うためだが、戦後折り返し運転が千里線直通運転に変更されたために行き止まり構造だった1号線は必要がなくなり、昭和29年3月30日、淡路駅構内の線路配置が改められたと同時に撤去されてしまった。のち昭和31年4月からは特急は梅田発着となり、昭和34年2月18日には十三-梅田間の京都線用線路も出来上がって現在の京都線のスタイルとなっている。

1号線がない淡路駅
2号線の隣は…建物が

ただし、この淡路駅は現在高架化が進められており、完成の暁には無くなって久しい1号線が復活するのかもしれない。

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 『正雀駅の謎』

淡路駅に続いての欠番ホームは正雀駅だ。この駅も1号線がない。

現在阪急の電車の検査等は神戸線・宝塚線も含めて正雀駅に隣接する正雀工場が全てを賄っているが、ここはもともと新京阪時代からの大きな工場である。
この工場に出入りするための線路が正雀駅構内にあるが、どうやらその一部として1号線がずっと使われているらしく、当初からホームは設置されていなかったと思われる。つまり前述のJR東京駅のように、業務用の線路としての存在と言えそうだ。

正雀駅も1号線がない
1号線は…線路だけ?

ただし正雀駅の謎はそれだけに留まらない。

隣接する正雀工場は大きな敷地を要しているが、驚くべきことにこの工場の所在地は摂津市阪急正雀。ちゃんと住宅地図にもそう書かれている。ただしその「町」には阪急正雀工場以外の建物はない。
野田阪神など、鉄道会社名が便宜上地名となってしまった例はあるが、この阪急正雀のような堂々と町の名前になっているのは極めて珍しい。…そして実は正雀工場にも謎が存在している。

正雀工場の北西側はJR東海道本線が走っているが、実は東海道本線からの引込み線が阪急正雀工場に繋がっていた。

これは戦前の新京阪時代から存在したもので、メーカーで製造された新車を搬入するために使われていたものの名残。
正雀工場と東海道本線の間に挟まれた道路からは工場内を見ることが出来るが、そこにはレールが敷かれている。ただし良く見るとそのレールは3本。寸法的に外側は阪急の1,435mm、内側だとJRの1,067mmのようだ。もっと北側から目を向けると、レールは東海道本線から緩くカーブして正雀工場に入っていたような痕跡が伺える。

阪急正雀工場 正雀工場の謎のレール
何故かレールが3本… このレールはどこから?

かつては確かにこの引込み線が使われており、超特急「燕」とのデッドヒートを演じた名車デイ100形もこの線路で搬入されていた。
その後最近まで阪急の新車は傍系のアルナ工機で製造され、搬入はトレーラートラックによる陸送に変わったが、この会社が業務を縮小してしまったために京都線特急用の新車9300系は他の車両メーカーにより製造されている。この時はどのように搬入されたのかは判らないが、今後新車が製造・納入される際には…この幻の引込み線が復活するのかもしれない。


阪急に留まらず、関西の私鉄には多くの「謎」がまだまだあるようです。

次は京阪電車から「地名」に関する話題を中心にお届けします。そして最終話となります。

【予告】京阪電車の大きな存在

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1998年12月号 臨時増刊 <特集>阪急電鉄 鉄道図書刊行会
関西の鉄道 1989盛夏号 阪急電鉄特集 PartU 京都線・嵐山線・千里線 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2002盛夏号 阪急電鉄特集 PartX 京都線 関西鉄道研究会

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