おまたせいたしました。
レイル・ストーリー6、ただいま発車いたします。


 ●東海道・山陽新幹線うらばなし(後編)

「新幹線」は日本を代表する鉄道として、世界中に知られる存在となった。結局は失敗に終わったアメリカのメトロライナーに始まり、フランスのTGV、ドイツのICE等、外国の新幹線を生む結果となった。

それまで欧米を含めた各国では、電車という動力が分散した方式の列車は、機動力の面で大都市近郊の区間列車には適しているが、長距離の列車には適しておらず先頭で機関車が引っ張る、動力が集中したものが良い、というのが常識であった。確かに国際列車も多く、列車の分割・併合が頻繁に行われるヨーロッパではそのほうが良かったようだが、電車よりも重い機関車の高速運転はレールへの負担も大きく、日本では加減速性能にも優れた動力分散方式が主流となり新幹線まで発展した。

これは結局どちらが良いかという結論は出ていないが、TGVに始まったヨーロッパの新幹線では先頭と後尾に動力が集中した「電車」という折衷形式が主流となった。

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昭和57年6月23日、東北新幹線が開業した。開業当初は大宮以北の暫定開業で、上野-大宮間には「新幹線リレー号」が走った。同年11月15日には続いて上越新幹線も開業。上野からの本格開業は昭和59年3月1日だったが、上野駅は新幹線初の地下駅となった。新幹線リレー号の185系電車は「踊り子」などに転用されていった。のち平成3年6月20日には上野-東京間が開通し、東京駅で東海道新幹線と並ぶ姿が見られるようになった。

余談だが、JR東日本管内で売られている「大清水」は、上越新幹線大清水トンネルから湧出する水を商品化したものだ。

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ずっと東海道新幹線を走り続けた0系だが、はや20年が経ち時代の要求に合わなくなってきた。

昭和60年3月、開業以来初のモデルチェンジ車の100系試作車がデビューした。先頭部はロングノーズ化され0系に比べ精悍な顔立ちとなったが、当時流行った表現は「しょうゆ顔」。また少年隊の東山紀之に似ているとも言われ、話題を呼んだ。
画期的だったのは編成の中央部2両が2階建てとなったことだった。車体には試験的に「New Shinkansen」を略した「NS」というマークが画かれていた。1両はグリーン車で、もう1両は食堂車だが、グリーン車の1階は個室を予定していたものの具体的な仕様が決まらず、デビュー当時は暫定的に空洞のままだった。
客室の窓は0系後期増備車から既に小窓化されていたが、これは走行中の窓ガラス破損事故が多発したことによるものだった。後の量産車では従来どおりの大窓に戻り「のぞみ」の300系以降は再び小窓化、どちらが良いのかは結論が出ないままのようだ。

室内のインテリアも新しくなった100系試作車は好評で、0系の増備は昭和60年度を以って終了した。

新幹線100系

100系量産車は当初12両で「こだま」にデビュー、試作車は「ひかり」でさらに実績を積み重ねていた。昭和61年11月、東海道新幹線初のスピードアップが実現し、最高速度が210km/hから220km/hに引き上げられた。この時100系は全部が「ひかり」用の16両編成になり、試作車は量産車と仕様を合わせる改造を受けたが、残念ながら「NS」マークはお蔵入り。
待望のグリーン個室もつくられた。しかし試作車の窓の大きさはそのままだった。

そして昭和62年4月、国鉄はJRに生まれ変わることになる。100系は全車JR東海に継承され量産が続くことになるが、続いてJR西日本でも100系の量産が始まった。ここで3種類の100系が生まれたのである。

まずJR東海の100系は試作車と初期の量産車は食堂車付きで「X編成」と名付けられ、主に東京-博多間の「ひかり」に活躍を始めた。食堂車の壁面には歴代の東海道を走った列車の姿がエッチングで表現されていた。

続いて量産された100系は食堂車に代わりカフェテリアとなった「G編成」で、所要時間の短い東京-新大阪間の「ひかり」を中心に走った。この食堂車なしというスタイルは、後の「のぞみ」のスタイルに続いている。

平成元年にはJR西日本も100系を量産開始。2階建て車が4両(うち1両は食堂車)となった「V編成」が登場した。2階建て車の1階はグリーン個室に代わり普通席が設けられた。東京-博多間「グランドひかり」が活躍の場だったが、それ以上にJR東海の100系とは差別化が図られていた。

100系はもともと240km/h以上の性能を持っている。事実試作車で260km/h走行試験も行われているが、JR西日本のV編成はさらに高速性能を追及した電車で、高回転用制御回路の追加、モーターの冷却口の増設、ベンチレーテッドディスクブレーキの採用などがあり、さらにギアレシオもハイギアード化されていた。これは正にチューンド100系!しかもエアロパーツは標準装備(笑)。最高速度は270km/hとなっていた。
この性能を生かし「V編成」だけは山陽区間で230km/h走行を許される存在となり、最速型「グランドひかり」の東京-博多間5時間48分運転が行われた。しかし270km/h運転までは実現しなかった。

100系は既に主役の座を300系以降の後輩に譲り、東海道新幹線から引退して久しい。現在は山陽新幹線「こだま」で走り続けているが、仲間のうち初期車から廃車が始まっている。美人薄命とはこの電車のためにあった言葉なのだろうか。

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平成3年、新幹線の常識を覆す電車がデビューした。300系「のぞみ」である。思いきって重心を低くした独特のスタイルを持ち、インバータ制御を取り入れ最高速度は270km/hとなったが、なにしろ当初は名古屋を通過するということで物議をかもしたことでも有名である。しかしこの電車はもともと東海道・山陽新幹線を走るものとして設計されたものではなかった!

かつて全国新幹線網というものが計画されたが、その中に北陸新幹線があった。これは一部が今の長野新幹線だが、群馬と長野の県境は険しい峠道として昔から有名。本来急勾配をつくらないはずの新幹線だが、どうしても急勾配になるのは避けられない。山岳区間でも性能を発揮出来る新幹線電車が、既に国鉄時代から開発が進められていた。
その技術はJR東海に引き継がれ、出来たのが300系なのである。即ちストレートに考えれば、この電車は300系としてではなく、現在長野新幹線・東北新幹線で走っているE2系として生まれるのが本来の筋だったのだ。両車を駅で見比べてみると、正面は別として車体の断面など基本的な部分は同じなのが判るはず。

JR東海300系

JR東日本E2系

JR東海300系

JR東日本E2系

300系はJR東海で量産化され、後に100系同様JR西日本でも量産されたが、グリーン席にパーソナル液晶テレビを付ける付けないで両社がもめたという話も残っており、また空調もインバータエアコンか従来どおりのエアコンか、どうも歩調が合わなかったらしい。後に300系の後継車として両社が共同開発した700系でさえ、JR東海がオリジナルスタイルで「のぞみ」でデビューさせれば、片やJR西日本の700系はゆとりを売物にした「ひかりレールスター」でデビュー、続いてJR西日本も700系オリジナル車を製造したかと思いきや実は東海車とは内装や細部、ギアレシオが異なっているなど、両社の思惑はなかなか一つにならないようである。

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その後JR西日本が開発した500系は高速試験車WIN350の技術をフィードバックしたものだが、目標としていた最高速度350km/hの実用化には至らなかったもののフランス国鉄TGVの300km/hに並び、逆に停車駅間の平均速度では優位に立ち、世界一のタイトルを奪い返した。ただし500系は東海道区間では270km/h走行にとどまっており、必ずしもその高性能は発揮出来ていない。むしろJR西日本のフラッグシップ的存在と言ったほうがいいのだろう。
それまで新幹線の最高速度は「のぞみ」の270km/hではなく上越新幹線「あさひ」下りの275km/hだった。これは東北・上越新幹線用の200系がもともと積雪を考慮して同時期の100系よりもパワーアップしていたこともあるが、実は275km/hを出せるのは大清水トンネルの中だけ。その間が下り坂になっているのを利用したものだった。

現在の新幹線は山形新幹線に始まる在来線直通という新機軸も加わり、多様なスタイルを見せている。平成14年12月に東北新幹線は八戸へ延長され、続いて九州新幹線新八代-鹿児島中央間も開業、東海道新幹線開業の頃とは想像がつかない活躍ぶりとなりつつある。
運転ゲームソフト等も多く発売されて、新幹線はすっかりポピュラーな存在となった。ゲームソフト用のコントローラーは左がマスターコントローラー(アクセル)で右がブレーキだが、これは在来線の電車に合わせたもので、実際の新幹線電車は逆になっている。

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東海道新幹線東京駅には、開業時につくられた記念碑がある。それにはこう記されている。

東海道新幹線
この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された

碑文からは、戦後日本の鉄道のプライドを掛けた「新幹線」を実現させた技術者達の辛苦が伝わってくる。注目すべきは、それに続く東海道新幹線という英文標記は「Tokaido Shinkansen」ではなく「New Tokaido Line」とある点だ。これは新幹線の成功が世界に知られ、後に「Shinkansen」が英単語として通用するようになったのがもっと後の話だったこともあるが、もともと東海道新幹線は東海道本線の高速別線として建設されたという、新幹線の持つ本来の意義を知ることが出来よう。


全国各地で「整備新幹線」が取り沙汰される現在ですが、新幹線の原点に帰って、本当に必要なものを真剣に論議してほしいと思うのは、ボクだけでしょうか。

次の話題は関西地区へ移ります。

【予告】生駒トンネルの謎

−参考文献−

鉄道ジャーナル 1993年7月号 特集●新時代を築いた新幹線のすべて
鉄道ジャーナル 1997年7月号 500系の技術的評価
鉄道ファン 1984年12月号 特集:東京駅
鉄道ファン 1979年12月号 特集:新幹線15年 PART.1
鉄道ファン 1993年9月号 特集:100系新幹線電車
鉄道ファン 1994年11月号 特集:0系新幹線電車のすべて

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