おまたせいたしました。
レイル・ストーリー6、ただいま発車いたします。

 ●近鉄奈良線の謎

近鉄といえば、日本最大の私鉄というのは誰でもが認める事実だろう。その近鉄でも代表的路線は?となれば特急が行き交う大阪線、というのが真っ先に浮かぶはず。
しかし近鉄のルーツは大阪電気軌道(以下略して大軌)で、それは大阪線ではなく今の奈良線だったことは言うまでもない。しかも大阪線はもともと今のような長距離幹線になる予定ではなかったのだ。

● ● ●

生駒山から南へ下った信貴山には、毘沙門天で知られた朝護孫寺がある。布施から別れ、信貴山へ向かう奈良線の支線として計画されたのが大阪線のルーツである。確かに今でも大阪線の山本からは信貴線が出ているが、これが上本町から直通する形だったのだ。既に開業していた奈良線に続いて、大正8年5月31日に路線特許を申請。

ここから大軌はさらなる路線網の拡大へと進む。現在に続くネットワーク形成の始まりなのである。信貴山への参拝路線の予定だった大阪線は、八木まで路線延長を申請、さらに八木から先、伊勢神宮のある宇治山田への路線も同時に申請を行った。ただしこれは後に大和鉄道との確執(この話については

こちらを)に発展したが、結局は大軌が主導権を獲得、大阪線はかつてない規模の電車路線に発展した。本来大阪線になるはずだった信貴山への路線は信貴線となって、大阪線の陰に隠れてしまうことになってしまった。

こうして大阪線は奈良線の支線という立場から一転してしまったが、そうなると多くの電車が必要になることは明か。大正15年8月6日、高安に工場機能を持つ大きな車庫が出来あがった。これは大阪線だけでなく奈良線の電車の検査等も行えるものだった。

一方の奈良線には開業当初から小阪(現在の河内小阪)に工場を兼ねた車庫を持っていた。この時工場機能を大阪線高安車庫に統合することになったが、奈良線はもともと「軌道」としてスタートしたこともあり電圧は600V、片や大阪線は長距離路線として建設され電圧は1,500V。電車の大きさも異なり路面電車上がりの奈良線は小型車ばかり、大阪線は大型車揃いだった。このままでは両線の行き来なんて出来ないはず。

まずは大阪線の電車の一部を600V、1,500V両方で運転出来る設計(複電圧車)にした。続いて奈良線布施-小阪間を大阪線の大型車が乗り入れ出来るように大阪線規格に改修、奈良線の電車が検査のため高安車庫へ向かう際には、大阪線の電車が奈良線の小阪車庫まで「お迎え」に行くことになった。
当時上本町-布施間は現在のような複々線ではなく、大阪線が複線の奈良線に乗り入れる形になっていた。当然電圧は600Vだった。大阪と伊勢を俊足で結んだ名車の誉高い2200系は複電圧車ではなかったため、この間電圧は所要の半分以下、ノロノロ運転を強いられていたという。

この「お迎え」は昭和27年5月31日に奈良線八戸ノ里駅に隣接して出来た玉川工場・車庫の竣工でピリオドを打ったが、小阪車庫の線路は奈良線に並行だったのに対し、ずっと後の昭和42年に東花園に出来た車庫は奈良線と直角につくられた。これは一般に路面電車の車庫の配置であり、奈良線の「軌道=本来は路面電車」という歴史を踏まえたものなのだろうか。この時既に奈良線の電車大型化は終わっていたのに、不思議な話である。

奈良線と直角配置の車庫
奈良線と直角になっている東花園の車庫
(手前の線路が奈良線)

● ● ●

河内小阪駅を通過する快速急行

このように、実は近鉄の伝統へのこだわりは強いものがある。

今や奈良線も大阪線も電車の大きさは変わらないが、開業時から高速運転を目的に建設されたという歴史を持つ大阪線は、電車に電気を送る架線の構造が、後に新幹線でも採用されたコンパウンドカテナリーという贅沢な構造になっている。奈良線とは構造が異なっていたが、はるか昔の大正15年に布施-小阪間は大阪線規格に改修されているはず…

実はこの伝統も受け継がれている。奈良線大阪方は八戸ノ里まで高架化されているが、このような工事が行われた後も近鉄は奈良線の歴史を踏まえたのか、河内小阪駅の東側まで架線は大阪線規格、その先は奈良線規格というのが、現在も続いている。機会があったら、ちょっと注意して見比べて頂きたい。

大阪線の架線

奈良線の架線

大阪線規格の架線
(河内小阪駅にて)

奈良線規格の架線
(瓢箪山駅にて)

近鉄はその後、大阪線の五位堂に工場を建設したが、これは大阪線・奈良線だけでなくレール幅の違う南大阪線の電車や、大阪市地下鉄中央線と直通運転を行っている東大阪線の電車までもを受け持つものとなった。検査のためとはいえ構造の違う電車が他線に乗り入れるのは何かと苦労があるようだが、これも近鉄の伝統なのかもしれない。


かつて近鉄奈良線の奈良市内には路面区間がありましたが、それは本来法律で認められないもので、「踏切」という扱いだったのです。晩年には大型車も乗り入れていました。それにしては長い踏切だったようですが…(笑)。

次は阪急からの話題です。

【予告】阪急電車の謎

−参考文献−

関西の鉄道 No.31 近畿日本鉄道特集 PartY 奈良・京都・橿原・田原本線 関西鉄道研究会
関西の鉄道 No.33 近畿日本鉄道特集 PartZ 大阪線・伊賀線 関西鉄道研究会
パンタグラフ No.59 2002年冬 <特集>近畿日本鉄道 奈良線 大阪大学鉄道研究会

このサイトからの文章・写真等内容の無断転載は固くお断りいたします。

トップに戻る