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 ●生駒ケーブルの謎

大阪府と奈良県の境にそびえる生駒連山。主峰の生駒山は古くから関西のシンボルの一つとして、また生駒聖天の宝山寺があることから信仰の山として親しまれてきた。

その宝山寺へは、門前町の生駒からケーブルカーを使って参拝する事が出来る。近鉄「生駒ケーブル」がそれだが、実はこのケーブルカーは、とても興味深い特徴を備えている。路線は二つで構成されていて、近鉄生駒駅前の鳥居前と宝山寺を結ぶ宝山寺線と、その先の「スカイランドいこま」がある生駒山上を結ぶ山上線だ。

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大正7年8月29日、日本で最初のケーブルカー、生駒ケーブル宝山寺線が生駒鋼索軌道の手によって開業した。
今では全国あちこちにあるケーブルカーだが、実はこの生駒ケーブルが先鞭をつけたのだった。この会社は大正11年1月に今の近鉄の前身、大阪電気軌道と合併したが、その直後の大正14年12月30日には宝山寺2号線が開業して路線は複線になった。元からあった路線は宝山寺1号線を名乗ることになったが、複線のケーブルカーというのは、現在でも唯一ここだけの存在だ。坂を登るケーブルカーと坂を下るケーブルカーがすれ違う部分はさらにレールが別れるので、路線の中間地点は部分的に複々線になっていて、上下する4両のケーブルカーが一堂に会する瞬間は、それは壮観だとか。

続く昭和4年3月27日には、生駒山上に建設された遊園地(現在のスカイランドいこま)が完成し、宝山寺から先の生駒山上までケーブルカー路線が延伸された。それが山上線である。

第二次世界大戦により昭和19年2月11日、宝山寺線、山上線ともに運転休止となり、続く7月には金属回収令によって宝山寺2号線が撤去された。しかし終戦直前の昭和20年8月1日、両線の運転は再開された。さらに昭和28年4月1日にはめでたく宝山寺2号線が復活して元の姿に戻った。同時に「日本初のケーブルカー」「日本唯一の複線ケーブルカー」のタイトルもキープ。今に至っているという。

現在、宝山寺線は通常1号線を使って10分〜20分間隔で運行されているが、毎月1日の生駒聖天の日には2号線も使って10分間隔での運転体制になる。さらに正月には複線ケーブルの強みを生かして、定員になり次第発車するという弾力性に富んだ運転も行われている。

さて、生駒ケーブルの特徴は、タイトルだけには終わらない。

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生駒ケーブル宝山寺線

大阪と奈良との間の門前町だった生駒は、今やすっかりベッドタウンとして成長した。ただ地形上、四方を山に囲まれているので、住宅地はどんどん山にも開かれていった。その結果生駒ケーブルの沿線も宅地になっていき、今では宝山寺線の終点あたりにも住宅やマンションが…
生駒ケーブルはすっかり生活の足としても定着した。その結果、ケーブルカー路線としては珍しく定期券での乗客が全体の4割を占めるというものに成長してしまった。ケーブルカーといえば山岳の観光地にあるもの…という定説を覆してしまったのだ。

住宅地なら、当然道路もあるはず。普通の鉄道路線には踏切があるが、ケーブルカーに踏切というのは…??

実は生駒ケーブル宝山寺線には3箇所の踏切が存在する。これまた珍しいケースで、通常の踏切と同じスタイルのものが設置されている。チンチンチン…と音が鳴り、遮断機が下りるとやって来るのはケーブルカーなのである。ただしケーブルカーは普通の電車とは車輪の形状が違うし、レールの間には肝心のケーブルもあるので注意書きが添えられている。

これがケーブルカーの踏切

注意書きがある

レールの間にはケーブルが

ケーブルカーの「踏切」

そこには注意書きが…

線路の間をケーブルが走る

ケーブルカーが発車すると、線路の間のケーブルが音をたてて走り出す。やがて上と下からケーブルカーがやって来るが、なにしろスピードが遅いので、ケーブルカーが踏切の直前まで来ないと警報が鳴り出したり、遮断機が降りたりしないのはご愛嬌!

宝山寺1号線は開業以来からずっと同じ車両が活躍していたが、生駒山上遊園地のスカイランド生駒へのリニューアル直後の平成12年3月、車両が更新された。その時、かわいいキャラクターデザインの「ブル」「ミケ」が登場した。

ブル

ミケ

ブルとミケのすれ違い

これが「ブル」

こちらは「ミケ」

「ブル」と「ミケ」のすれ違い

いっぽう、隣の宝山寺2号線の車両は近くの小学生がデザインした塗装になり「ゆめいこま」を名乗ることになった。また山上線のほうも新車に更新され、オルガンをデザインした「ドレミ」と、デコレーションケーキをデザインした「スイート」の2両がデビューした。
開業以来、坂を上下していた宝山寺1号線のケーブルカーは、生駒山麓の公園に保存されているという。

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生駒連山の西麓には信貴山電鉄によってつくられた西信貴ケーブルがあり、朝護孫寺への善男善女輸送に活躍している。

また、かつて生駒線の前身、信貴生駒電鉄によってつくられた東信貴ケーブルが信貴山下から出ていたが、こちらは施設の老朽化を理由に昭和58年9月1日に廃止となり、バス路線に転換された。
現在、生駒線信貴山下駅ではケーブルカーのレールや機械、写真パネル等が展示されており、当時を偲ぶことが出来る。


1km足らずのケーブルカー路線とはいえ、歴史があるといろいろ逸話があるものです。

次の話題は、シリーズ初の長野地区からの話です。

【予告】ヘンな鉄橋の話

―参考文献―

鉄道ジャーナル 2000年7月号 ケーブルカー・ワールドで意外な発見 鉄道ジャーナル社
パンタグラフ 2002冬号 <特集>近畿日本鉄道 奈良線 大阪大学鉄道研究会

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