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 ●京阪特急テレビカーの謎 2

京都と大阪を結ぶ電車といえぱ、JR琵琶湖線(東海道線)新快速、阪急京都線特急、そして京阪特急というのがすぐ思いつくことだろう。スピードが売り物で都会的なJR、スタイリッシュさが魅力の阪急に比べ、京阪特急はどこか旅の気分を感じさせてくれるものがある。それを演出するのが京阪特急の歴代の特急電車であり、伝統なのだろう。

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京阪特急8000系

伝統の京阪特急…と一口に言うが、その起源はいつなのだろう。
確かに現在の京阪電鉄は戦後まもなくの昭和24年12月1日に京阪神急行電鉄、今の阪急電鉄から独立した時に誕生したもので、翌昭和25年9月1日から天満橋-三条間に走り出したのが、公式には京阪特急の始まりとされている。

しかし京阪電鉄そのものは明治43年4月に開業しているではないか。つまり戦前から既にその歴史があったという説が三つある。

ます一つは、開業の5年後の大正3年、天満橋-五条間に深夜だけ急行電車を走らせたものがルーツという説。これは「特急」とは名乗らなかったが、後に京都市から路線免許を借りて五条-三条間が延伸され、四条のみ停車の「最急行」と名乗ったという。だが何故かこの最急行は長続きせず、その後京阪は急行が主体となっていく。

次にこれは現在の京阪線ではなく、今ではライバルとなった阪急京都線が戦前に京阪の「新京阪線」だった頃の話。新京阪線の天神橋6丁目-京阪京都(四条大宮:今の大宮)には「特急」どころか「超特急」まで運転されていた。大山崎付近の東海道線との並行区間で、名車P-6ことデイ100型の列車が、省の超特急「燕」を追い抜いたという話はあまりにも有名である。
これも京阪特急のルーツでは…という説もあるが、何しろ性格の違う路線での話なので、これは歴史に含めるには疑問があるだろう。

三つ目は昭和9年4月、日本初の連接構造を取り入れてデビューした京阪線・京津線直通車「びわこ号」によるもので、天満橋-浜大津を結んだ。京阪線での高速運転と、急曲線・急勾配が多く路面区間(併用軌道)もある京津線を直通するという条件を満たすのは過酷だったと思うが、この「びわこ号」が特急を名乗ったのだ。でもあまり速くはなかったらしい。
地上時代の三条駅は、地下化まで宇治行きの定番ホームだった1番線が、そのまま京津線のレールと繋がっていた。直通運転が廃止されてからはコンクリートで分断されていたが、ずっと名残は残っていた。とにかく「びわこ号」も京阪特急のルーツの一つとも言える。

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京阪特急の鳩マーク

戦時中、京阪は阪急と合併したが、これは本来の合併ではなかった。戦後京阪電鉄は阪急から分離独立したが、かつての新京阪線は阪急に残り、現在のスタイルが出来あがった。その直後、京阪特急がデビューした。終戦直後だったために戦前製の1000型が、特急にふさわしいものに整備されたという。

昭和26年4月2日、京阪特急の新車1700系が黄色と赤のツートンカラーも鮮やかにデビューした。色もさることながら、ドアが二つで少しだけ中央寄り、車内は転換式クロスシートという、この電車の車体デザインが今の京阪特急の8000系まで連綿と受け継がれている。そして昭和27年7月17日、京阪特急のシンボル、鳩の特急マークが電車の先頭を飾った。当時平和の象徴としてもてはやされた鳩だったが、このマークは全く変わることなく現在まで50年以上も羽ばたき続けている。

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さて京阪特急と言えば「テレビカー」でも有名だ。昭和38年に淀屋橋延長開業を受けてデビューした1900系もテレビカーが連結されていたが、その頃までは京阪、阪急共に国鉄を競争相手としていたのが、阪急も河原町延長により競争力をつけ、徐々に京阪対阪急の争いが色濃くなっていた。そんな中でややスピードに劣る京阪は、特急の冷房化とカラーテレビ化というサービス向上作戦に出た。これが昭和46年デビューの3000系だった。 この3000系はデビュー直前の試運転の時に、実際に京都-大阪間で鳩とのマッチレースを行ったという話も残っており、結果は京阪特急の勝ちだったらしい。

京阪特急3000系
地上時代の三条駅に停車中の3000系特急

先輩の1900系はその後2年間で特急から引退。長くて10年という短命に終わった(1810系からの編入車を除いて)。引退後は車体中央にドアを増設し塗装も変更、車内のシートはロング化されて一般車になってしまった。 後継車の3000系が京阪間に長く君臨し、8000系が主力となった今も1編成が活躍しているのとは対照的だ。

1900系は今も一般車として走りつづけているが、特急車であった証は今も大切にされている。

その1900系が特急としてデビューしたのとほぼ同時期には、一般車の2000系「スーパーカー」もデビューしたが、車体のデザインは相通ずるものがあるものの、ちょっとした差別化が図られていた。

京阪1900系

元特急車の証「バンパー」

元特急車の1900系

これがバンパー

それは前面のクロームメッキ製バンパーだった。自動車のそれを模したものだったが、用途はなく装飾品に過ぎなかった。しかしそれは特急車としての誇り。一般車に格下げされた後もそのまま存置され、後年に車体のリニューアルが行われた際も、前面の意匠は大きく変わったもののバンパーはデザインの一部に取り入れられた。今は他の一般車同様冷房も付いている。ライバルであった阪急京都線の2800系が引退して久しいが、京阪1900系は近年宇治線・交野線の普通電車を中心に活躍を続けてきた。しかしターコイズグリーンの一色に身を纏った10000系の登場で、そろそろ活躍の場は狭められていくようだ。

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京阪特急は長く京阪間ノンストップを謳い文句にしてきたが、近年中書島、丹波橋を停車駅に追加した。若干のスピードダウンは避けられなかったが、一応京都市と大阪市をノンストップで…という面子は保たれている。
また朝のラッシュ時限定で特急に威力を発揮する三つドアながら転換式クロスシート装備の9000系が仲間入り、さらには一般車による特急も走るようになった。

このように京阪特急の性格は時代の流れもあり多面化してきたが、特急料金が不要でも電車のグレードは高く2階建て車も連結されており、都市間の高速電車の中にあっても旅情を感じさせてくれる存在だ。


京阪特急には、JR新快速や阪急京都線特急にはない不思議な魅力を感じます。正に「京の電車」という落ちついた風情があるのではと思います。

次は生駒山からの話題です。

【予告】生駒ケーブルの謎

―参考文献―

関西の鉄道 1999年爽秋号 京阪電気鉄道特集PartV 関西鉄道研究会
鉄道ピクトリアル 2000年12月号増刊 【特集】京阪電気鉄道 鉄道図書刊行会

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