Rail Story 15 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 15 

 スターの転身(後編)

阪急京都線特急を舞台に華々しい活躍を始めた6300系。それは当時の阪急ブレーブスで速球派として名を馳せた山口高志投手や、アンダースローで相手チームをねじ伏せた山田久志投手にも似て、まさに京都線のエースといった雰囲気を持ち合わせていた。

その陰で先輩格の2800系は特急としての座を追われ、順次3つドアに改造され京都線急行に転身していく。最後まで特急で活躍したのは、全7編成の中で唯一8両中6両がエアサスを装備していた第4編成で、昭和53年9月15日の運転を最後に引退、工場入りした。
実は阪急の中でも京都線特急用として初期に冷房を搭載した2800系は、梅田寄り1号車と5号車のパンタグラフ付き車のクーラーが3台分しか搭載スペースがなく、他の4台搭載車に比べ能力が低いのではないかと懸念されていた。ただし当時の特急は大宮-十三間がノンストップで、ドアの開閉頻度も低いことから3台でも問題はなかったようだ。万一冷房能力に問題があった場合に備えて3号車と7号車は2つずつあるパンタグラフの1つを移設出来るよう、予めクーラーを片寄せて設置していた。結局特急時代に移設されることはなく、3つドア改造時には同じ大きさでも能力がアップしたクーラーが出来ており、1号車と5号車はこれに換装して事なきを得たという。

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栄光の特急2枚看板を掲げることがなくなった2800系だったが、脚力は全く衰えを知らず京都線を走り続けた。しかしそれもつかの間、昭和57年には大阪市交通局堺筋線にも乗り入れ可能な7300系が製造され、京都線急行に活躍を開始した。2800系は8両編成から7両編成に組み替えられ普通列車を中心とした運転となってしまう。余った1両は京都線2300系に組み込まれたり、後には神戸線に移籍した仲間も現れた。そんな中、昭和59年には高槻市駅の高架化工事で特急の所要時間が若干延びたため、6300系にはマイナーチェンジ車の6330系1編成が追加される。

6300系のマイナーチェンジ車、6330系
6300系のマイナーチェンジ車、6330系

昭和63年6月、2800系第7編成がまず引退した。やはり2800系は特急・急行時代の走行距離が圧倒的に長く、阪急では同時期製造の他系列よりも早い引き際を考えていたようだ。制御装置は他系列と違い晩年まで「オートカー」の機能を残していた。これは一定速度での運転を可能にしたものだったが、阪急線の最高速度は110km/hだったのに制御速度は下り坂や制御遅れなどを考慮して最高105km/hに押さえられていて、定時運行のため連続高速走行をするには、運転士がコントローラーを左手で握り締め続けなければならなかったとか。華やかな走りの陰には、こんな苦労があったようだ。ちなみに6300系では両手で操作するT字形ワンハンドルコントローラーを採用して作業環境を改善している。

やがて2800系は4両編成に組み替えられ、残った2編成が嵐山線桂-嵐山間でひっそり余生を送る事になった。後輩の6300系が京都線特急として活躍を続けるのを横目に、2800系はどんな思いで走っていたのであろうか。
いっぽう京阪では3000系テレビカーが活躍を続けていた。阪急2800系とは全く対照的だったが、平成元年の鴨東線開業を機に特急には新車8000系がデビュー、長らく続いた阪急6300系とのライバル関係に変化が現れた。

京阪3000系は置き換えが始まった。この電車は富山地方鉄道や大井川鉄道に移籍して現在も活躍を続けているが、富山地方鉄道は当初京阪3000系ではなく、阪急2800系の導入を考えていたという。
結局この話は阪急での廃車時期と富山地方鉄道での導入時期や譲渡条件が折り合わず、北陸を走る阪急電車は実現しなかった。もしかしたら特急時代の2つドア・転換式シートに復元され、特急「うなづき号」や「アルペン号」の標識も誇らしくマルーンの疾走が見られたかもしれない。また京阪に残った3000系のうち1編成は2階建て車を連結して現在も8000系30番台として走っているのはご存知の通り。
同じ平成元年、それまで国鉄時代は153系に代わり転換式シートを装備した117系でも私鉄特急とは勝負にならなかったが、JR西日本が3つドアながら転換式シートを採用、快適性と実用性を兼ね備えた221系を新快速にデビューさせたのだ。最高速度は特急並みの120km/h、じわじわと私鉄特急の領域に食い込んできた。そして平成7年1月17日早暁、阪神大震災が未曾有の被害をもたらす。

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震災は大阪-神戸間を中心にJR、私鉄問わず線路を寸断した。各社は鋭意復旧を進めていくが、中でもJRの早さは目を見張るものがあった。JR神戸線の全線復旧を機に新快速を12両編成にし、大幅に増発。新車223系1000番台も大量に投入され、高速性能を武器に京都-大阪間では高槻を停車駅に追加、それまでの両都市間無停車という常識を覆してしまう。阪急京都線・京阪もそれに追従する形となり特急は都市間高速列車から途中駅からの利便性向上に性格を変えていく。これには平成不況による雇用の変化や少子化による通勤・通学客の減少も関係したようだ。
震災前の平成元年12月16日に、それまで15分間隔の運転だった阪急京都線特急は需要の低下もあり平日は20分間隔に運行本数を減らしていたが、JR新快速の高槻停車に対抗するため、阪急も平成9年3月2日から終日高槻市に停車、結果的に朝ラッシュピーク時のみ運転されていた通勤特急と停車駅が同じとなり通勤特急は一旦廃止された。
そして平成13年3月24日には京都線の大幅なダイヤ改正が行われ、特急は10分間隔の運転と頻度を上げたが、茨木市、長岡天神、桂を停車駅に加えそれまでの急行とあまり変わらない形となった。代わりに大宮を通過として所要時間の増加を避けたが、かつて京都-大阪間を疾走した京都線特急の威厳は朝ピーク時に復活した通勤特急、朝ラッシュ時と夕方以降運転の快速特急(通勤特急の停車駅に桂を追加)以外は姿を消した。続く平成19年3月17日、かつての停車駅の淡路が加わった反面、快速特急は特急に吸収されてしまう。
これらの結果、特急車の6300系だけでは電車が足りなくなり、3つドア車が混用されるようになる。あの「がっかり」が当たり前となってしまい、6300系が来れば利用者にとってラッキーとなるはずであったが…。

その陰で平成7年8月16日をもって嵐山線から阪急2800系が引退。10月29日のさよなら運転をもって姿を消した。他系列に組み込まれた2800系も平成13年5月25日にひっそりと役目を退いた。

阪急京都線特急の停車駅増加は、途中駅では2つドア車の6300系では乗降に時間が掛かってしまい、特にラッシュ時などはダイヤを乱す原因となる。もう京都-大阪間をくつろげる移動空間ではなくなっていたのだ。むしろJR西日本の223系のような3つドアで転換式シートを装備した電車が阪急京都線特急にも必要な時期がやって来た。これは時代の要請だったのだろう。
平成15年10月14日、京都線には新車9300系がデビューした。神戸線・宝塚線用の9000系同様大胆にフェイスリフトされた正面は斬新で、車内は天井を高く取り空間を広く見せながらも大きくなった窓や伝統を重んじたカラースキームをちょっとリニューアル、京都線に新風を呼び込んだ。

現在の京都線の主力9300系
京都線特急に登場した9300系

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快走する6300系特急こうなるとさすがに6300系は色褪せが隠せず、9300系の製造が進むにつれ引退が始まった。ただ特筆すべきは先輩格の2800系以前の特急車と違い、長くトップスターの座を守り続けたことだろう。平成20年秋には6300系の第2〜第4編成が4両編成に短縮され、2つドアの姿はそのままだが車内は一部ロングシート化、残った転換式シートも片側が1列となり、嵐山線桂-嵐山間の普通電車として生まれ変わった。
思えば阪急嵐山線は、歴代の京都線特急車の終焉の地でもある。後輩に特急の役目を譲り、桂駅で後輩の活躍を横目に余生を送る毎日は電車たちにとっては不遇だったかもしれないが、観光地嵐山は行楽シーズンには多くの乗客で賑わう場。華やかさを失ってはいなかっただろう。6300系も同じ道を辿ることにはなったが、タカラヅカのトップと同様、それは宿命であったのかもしれない。

平成22年3月14日、阪急京都線はダイヤ改正が行われる。これは6300系の9300系置き換え完了をもって行われるもので、特急の最高速度は115km/hに向上、所要時間の短縮が実現する。また朝の通勤特急には茨木市を停車駅に加え、利便性のアップが見込まれている。もっとも6300系がデビューした時点で阪急は京都線のスピードアップを視野に入れていたが、結局それは後輩に譲る結果となってしまったようだ。

安住の地を得た6300系。今後も静かに走り続けてほしいものだ。

4両編成になり嵐山線で余生を送る6300系
嵐山線専用車として余生を送る6300系


阪急京都線特急は、常にトップスターとしての地位と誇りがあったのかもしれません。歴代の特急車が3つドアになった中で6300系だけはその誇りを捨てずに花道を去るようです。

次は、今では信じられないところに駅が存在したという話です。

【予告】 そこは駅だった

―参考文献―

鉄道ファン 1995年4月号 京王5000系と阪急2800系・名車がんばる 交友社
鉄道ピクトリアル 2000年12月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道 鉄道図書刊行会
鉄道ピクトリアル 2009年8月臨時増刊号 【特集】京阪電気鉄道 鉄道図書刊行会
関西の鉄道 1989新春号 阪急電鉄特集 PartU 京都線・嵐山線・千里線 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2002盛夏号 阪急電鉄特集 PartX 京都線 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2007盛夏号 京阪電気鉄道特集 PartW 京阪線・大津線 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2009陽春号 阪急電鉄特集 Part[ 京都線・千里線 関西鉄道研究会
RM RIBRARY 110 阪急P-6 -つばめを抜いた韋駄天- NECO PUBLISHING
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