Rail Story 13 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 13 

 山貨と呼ばれた頃 (後編)

かつて日本が高度経済成長を迎えた頃、東京の都心を行く山手貨物線こと山貨には貨物列車が多く運転されていた。新宿駅や池袋駅などはかなり大きな貨物列車用のスペースがあって、たくさんの貨車が並んでいたものだった。
昭和51年3月1日の武蔵野線の本格開業で山貨を経由する貨物列車は大幅に少なくなったが、これは国鉄の通勤5方面作戦の一環であったのは確かだ。ところが貨物営業を行っていた山手線の各駅も、相次ぐトラックの進出で取扱量は減ってしまう。山貨はすっかり旅客線化し、今では湘南新宿ラインと言ったほうがしっくりくるようだ。そんな現在の姿からは想像がつかないかもしれないが、山手線にはかつて貨物列車で賑わった証が残っている。

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戦後の日本の復興を支えた山手線が電化されたのは昭和29年10月1日のこと。続く12月1日に東北本線の貨物線赤羽-大宮間が電化されて本格的な電気機関車の活躍が始まったが、それまでは蒸気機関車の天下で、戦時設計のD52形などが都心を堂々と走っていた。その後も山貨は貨物の大動脈としての地位を保ち、貨物取り扱いは太平洋戦争直前の昭和16年2月1日に原宿駅で廃止された他は大崎、恵比寿、渋谷、新宿、目白、池袋、大塚、巣鴨、板橋の各駅で営業を続けていた。

トラックの台頭は鉄道からの貨物営業の座を奪っていく。山手線では昭和48年9月20日に目白駅の貨物営業を廃止、翌昭和49年10月1日に大塚駅、昭和54年3月31日に巣鴨駅が続く。
池袋駅は昭和55年5月20日に貨物営業を廃止したが、この駅では西武池袋線と連絡していたため、秩父からのセメント列車が国鉄と西武の間を継走されていた。ところが武蔵野線の開業で継走は新秋津に変わり、わざわざ都心まで列車を走らせる意味もなくなってしまった。同年10月1日には大崎駅と渋谷駅が貨物営業廃止となる。
恵比寿駅の名の由来となったサッポロビール恵比寿工場は昭和60年に船橋へ移転するが、それ以前の昭和57年11月15日に恵比寿駅の貨物営業を廃止している。工場へはサッポロビール専用の引込み線が延びていたのを知る人は多いと思うが、ここにEF58形電気機関車と客車数両が置かれ「恵比寿ビアステーション」として営業する姿が山手線の電車から見られたものだった。
一番大きな貨物設備があった新宿駅も昭和59年2月1日、ダイヤ改正と同時に貨物営業を廃止した。広大な跡地は既に再開発が考えられていた。最後に貨物営業を廃止したのは既に埼京線と名乗って久しい板橋駅で、平成11年4月1日に役目を終え、とうとう山手線から長い歴史を持つ貨物取り扱い駅が消滅した。

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池袋駅は湘南新宿ライン・埼京線ホーム、さらに構内東側の西武池袋線との間が貨物スペースだった。貨車が並んでいた線路は現在撤去され、保線用車両が置かれている。

池袋駅埼京線ホーム かつての貨物スペースは保線基地
埼京線ホームはかつて貨物スペースだった 保線用車両の向こうは西武池袋線

貨物営業が盛んに行われていた頃は、山手線の主役はウグイス色の103系と茶色の旧型電気機関車と貨車。特に電気機関車は車体の前後にオープン式のデッキがあるのが特徴だった。また西武には何といっても私鉄最大級の電気機関車E851形があり、地味な貨物スペースの中でひときわ彩を添えていた。

新宿駅は武蔵野線の本格開業と全国新幹線網の整備、駅を軸とした「新・通勤5方面作戦」が昭和50年に策定されていた。貨物スペースの跡地については東北・上越新幹線の新宿駅乗り入れを想定した総合交通センタービルが予定されていたが、その後両新幹線は東京駅へ乗り入れてしまい、結局現在のタカシマヤ・タイムズスクエアが出来ている。

タカシマヤ・タイムズスクエア まだ線路がたくさん並んでいる 一部は道路になっている
タカシマヤ・タイムズスクエア そのまま代々木駅へと広がっていた 一部は道路にもなっている

はじめに元の貨物スペースを利用して埼京線の新宿駅ホームが出来た時は、まだ新南口はなく他のホームを経由する長い通路を歩いたものだった。その後再開発が進んで新南口が出来、便利になったのは記憶に新しい。
再開発は甲州街道の改良など現在も行われているが、タカシマヤに相対する西側でも小田急の線路上に人工地盤がつくられ、新宿駅が貨物営業していた頃とは全く趣を変えてしまった。

渋谷駅も駅の南側が貨物スペースだった。山手線ホームと斜めに対向するように国道246号と首都高速を挟んで埼京線・湘南新宿ラインのホームがつくられている。現在は新宿駅同様新南口が出来ているが、地図で見ると山貨と区道547号に挟まれた土地が膨らんでいる。これが貨物スペースの名残である。

渋谷駅埼京線・湘南新宿ラインホーム 渋谷駅新南口 この膨らみが貨物スペース跡
渋谷駅埼京線・湘南新宿ラインのホーム ホテル・メッツの下は新南口 この膨らみがかつての貨物スペース

恵比寿駅は南側にサッポロビールの工場があって、そこへ引込み線が続いていた。貨物営業廃止後は駅の大掛かりな改良が行われ、駅ビル「アトレ」と一体化されて出来上がった現在の駅は、かつて貨物列車が発着していた頃など想像がつかない位の変貌を遂げている。またサッポロビール工場跡地は平成6年10月8日にオープンした恵比寿ガーデンプレイスになったのはご存知のとおりで、引込み線は恵比寿駅から続く通路となっている。

恵比寿駅貨物スペース跡 サッポロビールへの引込み線跡
恵比寿駅貨物スペースの跡 引込み線はここにあった

渋谷駅、恵比寿駅は元の貨物スペースがそれほど広大なものではなく、かつての面影はもう見つけにくくなっている。新宿駅は代々木駅と繋がっていた位規模の大きなものだったため、だいぶ減ったとはいえ今も多くの現在も線路が配置されていて、どことなく「跡地利用」の感があるのは確かだ。池袋駅は山貨と西武池袋線に挟まれたスペースで再開発もままならず「かつてここに何かがあった」というものを伺わせてくれる、貴重な存在でもある。

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開業以来120年余り。山手線は長い歴史の中で旅客輸送と貨物輸送の両方を担ってきた。二度の戦争。好況と不況の繰り返し。そんな世の中の移り変わりを支えながら、現在に至り少し役割を変えつつあるようにも見える。
しかし、たまにやってくる貨物列車の姿は山手線が持つ本来の役目でもあり、埼京線や湘南新宿ラインの電車がこの時だけ来なくても、やさしく見送って欲しい…と思う次第である。


―参考文献―

鉄道ファン2004年6月号 特集:山手線と大阪環状線 交友社
鉄道ピクトリアル2000年11月号 【特集】JR山手線 鉄道図書刊行会

あとがき ―
昨年の初夏に『レイル・ストーリー12』をリリースしてはや1年近くを過ぎ、またもお待たせしてしまいました。お詫び申し上げます。

さて今回は電車の里帰りという話から始めました。昨今、ゲームなどの影響でしょうか電車が少しはただの移動手段ではなく、違った意味での存在感を持つようになったと思います。そんな中、かつての地を離れ長く活躍した電車たちが、役目を終えて再び戻って来るという話が各地で聞かれるようになりました。これは工業デザインの中で、電車が文化財としての価値を認められるようになったと考えていいでしょう。

取材では神戸を訪れました。阪神大震災から12年、もう「復興」という言葉すらあまり聞かれなくなりましたが、あの時の神戸の様子は今でも忘れません。と同時に、自分が如何に災害に対して甘い考えしか持っていなかったかを痛感しました。
執筆中に、ボクの住む石川県では能登半島沖地震が発生しました。最大で震度6強というものでしたが、木造家屋の倒壊が相次ぎ、多くの被害者を出してしまいました。ただ火災など二次災害が起こらず、被害が拡大しなかったのが幸いだったと言えるかもしれません。

地震に限らず、台風など災害でインフラに被害が出た時、昔は真っ先に鉄道の復旧が叫ばれたものです。遅れても、迂回しても、とにかく何とかして列車を走らせたいという鉄道マンの努力がありました。確かに道路の整備が進んでいなかった頃は鉄道が最優先でしたが、今は違います。夜行列車などはすぐに運休を決めてしまいます。時代は変わりました。

まだまだ、鉄道にまつわるいろんな話があるはずです。そんな話題を拾っていきたいと思います。

長くなりました。この辺でペンを置くこととします。また次回作でお会いしましょう。

ご乗車ありがとうございました。
平成19年 春 

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