Rail Story 13 Episodes of Japanese Railway  レイル・ストーリー 13 

 幻の路面電車 3

大阪梅田から姫路まで走りぬける直通特急。神戸高速鉄道を介して阪神電鉄と山陽電鉄91.8kmをスルーで結んでいる。平成10年2月15日に始まったこの直通特急は、現在15分間隔で運転され至って便利な存在だ。

その直通特急が走る山陽電鉄だが、今のスピードからは想像できないようなのんびりムードがあった。

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山陽電鉄5000系山陽電鉄は西代-山陽姫路間の本線と途中の飾磨から出ている網干線から成るが、もともとは全く性格の違う二つの会社から出来ており、しかも複雑な経歴を持っている。
最初に開業したのは明治43年3月15日、兵庫-須磨間を結んだ兵庫電気軌道(以下兵電)だった。この時の路線は路面電車の色が強く当然軌道法の適用となっている。事実多くが路面区間であり、性格としては後に開業した神戸市電と似たようなものだった。
その後路線は部分開通を経て大正6年4月12日には明石まで全通する。ただし兵電の業績はあまり伸びず、神戸市電気局となった神戸電気鉄道同様、市電路線に身売りするのでは…とまで噂された位だった。

そこで兵電は明石からさらに先、姫路への路線延長を考える。大正7年には路線免許も得られ明姫電気鉄道を立ち上げたが、同じ頃現在のJR西日本播但線の前身、播但鉄道も同じような路線展開を考えていた。結局兵電は株を買い占められ播但鉄道の支配下となり、旧兵電経営陣は自分達がつくった区間を諦め明石-姫路間、明姫電気鉄道の実現へ向け動き出すことになる。
明姫電気鉄道は失った神戸-明石間の路線を別に建設しようと神明電気鉄道も設立、大正9年には免許が得られて翌年には両社は合併して神戸姫路電気鉄道(以下神姫)となる。早速建設が始まり大正12年8月19日に明石-姫路間が開業する。ただし兵電開業時に路面電車スタイルだったのを反省してか、当初から地方鉄道法の適用を受け、電車もほぼ郊外電車スタイルで架線電圧も1,500Vでスタート、今度ばかりは先見性を重視した。

続いて神姫は神戸-明石間の路線建設をを打ち出す。兵電も路線の複々線化という対抗策に出るが、ここまで来ると実現性に乏しく、沿線住民からは兵電を市電に編入すべしとの声まで上がる始末。そこにやってきたのが第一次世界大戦後の不景気だった。

いっぽう同じ頃、現在の関西電力の前身の一部、宇治川電気は発電した電気の大口需要先を求めていた。まず兵電に矛先が向けられ、結局昭和2年1月1日、宇治川電気へ合併されてしまう。続いて神姫も合併話に加えられてしまい、兵電に遅れること三ヶ月の同年4月1日に合併する。
こうなると両線の直通運転を行えばどうか…という声は自然と上がるというものだが、元兵電は路面電車スタイルで架線電圧は600V、元神姫は郊外電車スタイルで架線電圧は1,500V。しかも接続する明石では駅も別々、もちろん線路は繋がっていなかった。このため連絡線を建設、電圧の違いはやや路面電車っぽい複電圧車をつくることで解決したが、元兵電には路面区間があったため、道路からの独立も並行して行われた。

しかしその後吹き荒れた昭和恐慌は宇治川電気から元兵電・神姫の路線を奪うことになる。昭和8年6月6日、宇治川電気の鉄道部門は分離独立を余儀なくされ山陽電気鉄道(以下山陽)が発足、現在のスタイルとなった。ただ、路線のスタイルの違いもそのまま引き継がれてしまった。山陽は昭和16年7月6日開業の網干線を建設するものの…。

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戦前から続いていた山陽の路面区間改良は兵庫-西代間と須磨-塩屋間を残していた。このうち国道2号線上の須磨-塩屋間の工事は昭和18年に着工され、資材も労力も不足の中で山側の上り線が昭和20年2月1日に一段高い現在の駅に移設されて終戦を迎えたが、海側の下り線は地平のままだった。この下り線と神戸市電須磨線との接続が戦時中、軍部の命令で実施されていた。
当初山陽の貨物電車が農産物を積んで神戸市電に乗り入れ、神戸市内で発生したし尿を肥料として持って帰る予定であったが、どうも車輪の規格が合わなかったようで試運転に終わっている。

太平洋戦争では山陽も被害を受けてしまった。電車全80両のうち23両を失い、資材不足や故障で可動車は30両余りという厳しい戦後を迎える。そこで山陽は神戸市電に助けを求め、お互い苦しい中から500形3両を貸し出しを受けることが出来た。神戸市電は当時長田の路上で直角に交差していた山陽の線路に乗りかえ、昭和20年8月から12月の間兵庫-須磨間の折り返し運転に就いていた。返却の時は須磨に出来ていた連絡線を使ったが、結局役に立ったのはこの時だけのようだ。翌昭和21年2月6日、山陽の須磨駅は海側の下り線も現在駅に移り、改良はまた一つ進んだ。

山陽電鉄須磨駅 市電須磨線の終点があった辺り
現在の山陽須磨駅 市電須磨駅前電停があった辺り

この時山陽のレールを踏んだのは神戸市電500形だ。今となっては車番は判らないが(グループとしてはK車。563号〜587号の内3両)、後に広島電鉄に移籍したのも500形、もしかしたら山陽と広島電鉄の両社を走った仲間もいるのかもしれない。

神戸市電を返却した後も山陽の電車不足は深刻で、次は国鉄のモハ63形電車の私鉄向け割り当てを受けることになった。ところがこの電車は幅2.8m、全長20mの国電サイズで、山陽への導入は旧神姫の区間こそ余り問題はなかったが、旧兵電の区間はさらに大幅な改修が必要だった。
この電車は昭和22年5月10日に姫路-網干間で走り出し、旧兵電の区間の改修と電圧の1,500V統一が終わった昭和23年12月25日に全線での活躍を開始する。これで山陽の輸送力は向上したが、結果的に路線全体の体質改善にも繋がったと言えよう。ただし当時国鉄の山陽本線にもモハ63形が走っていたので、レールの幅以外全く同じ電車が隣り合わせて走るという光景が見られたが、その3年前に同じ路線を神戸市電が走っていたのは、信じがたい事実だったかもしれない。

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こうして郊外電車に脱皮した山陽であったが、神戸市内の兵庫-西代間は相変わらず路面区間のままだった。

もっとも山陽としてもこの区間の改良に手間取っていた訳ではなく、かつて神姫が神戸-明石間に兵電とは別の路線を計画した際、得られた免許の内で湊川-板宿間を保持していた。当初は同時に計画中だった阪神の三宮以西の延長線と接続することを考慮したものであったが、高架線での建設に住民が反対、阪神が地下で元町へ延長しただけで後は戦争が激化、話は進展しなかった。
この計画は戦後すぐに立案された神戸高速鉄道へと発展する。阪急、阪神、神戸電鉄、そして山陽の私鉄各社の路線を地下で繋ぎ、市内交通に生かそうという案は昭和23年3月の神戸市議会で可決、以後は各社が保持していた免許・特許は一旦失効の形を取るなどして神戸高速鉄道に一元化される。

昭和43年4月7日、神戸高速鉄道が開業する。山陽との接続は西代となりこれをもって山陽の兵庫-西代間は廃止され、路面区間がとうとうなくなった。ターミナルとして長年親しまれた兵庫駅は、その後昭和48年4月に出来た神戸市立兵庫勤労市民センターに生まれ変わった。

現在の兵庫駅跡 路上を電車が走っていた
山陽の兵庫駅跡地に出来た
神戸市立兵庫勤労市民センター
この道路上を電車が走っていた

兵庫駅からは路面電車同様に道路の真ん中を山陽の電車が走っていた。長田では神戸市電との平面交差があって戦後は電圧が異なったため、架線には大掛かりな絶縁区間が設けられていたが、市電がうっかりこの区間で止まってしまうと、後続の電車に押してもらったり、時には乗客総出で電車を押して脱出したこともあったとか。

長田交差点 長田駅があった辺り
現在の長田交差点 山陽の長田駅があった辺り

山陽は昭和53年12月17日に西代-明石間を軌道法から地方鉄道法に切り替え、法規上は路面電車から脱皮したが、路面区間ではなかったものの西代-板宿間の改良が残っていた。以前神戸高速鉄道の計画時は板宿までが地下化される予定だったが、都市計画の絡みで西代で打ち切られたという経緯があったのだ。
西代駅はずっと兵電時代を思わせる佇まいで残っていた。昭和57年に改良工事が始まったが、竣工間近となった平成7年1月17日に阪神大震災が発生、山陽も大きな被害を受けてしまう。路線の復旧工事とこの区間の地下化工事は急ぎ並行して行なわれ、被災区間が順次復旧していく。
そして6月18日、西代-板宿間の地下化竣工をもって山陽は全線開通した。これでようやく山陽発足時からの夢が実ったことになる。

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その後の時代の変化は、各社の神戸高速線直通運転にも変化をもたらした。山陽と阪神の特急が姫路-梅田間で相互に直通運転するとは、当初予想出来なかっただろう。現在は15分間隔(山陽ベース)で直通特急が走っている。今思えば、これは戦前の山陽の湊川延長線、阪神の三宮以西延長線の生まれ変わりなのかもしれない。

逆に山陽と阪急の直通運転は姿を消してしまい、結局阪急の電車が須磨浦公園以西を走ることはなかったが、阪急に昭和46年デビューした各線共通設計の5100系は他の電車より屋根が少し低く抑えられており、これは山陽の姫路までの直通運転が考慮された結果だったことを付記しておこう。


今では準大手私鉄の山陽電鉄ですが、不思議な生い立ちと、意外にもそれが長く続いたのには驚きました。さてかつて行われた線路の接続でしたが、これまた意外な「事件」を起こしたようです。

次はその事件と謎に迫ります。

【予告】 殴り込み事件っていったい何?

―参考文献―

鉄道ジャーナル 2001年8月号 ライバル決戦2001 鉄道ジャーナル社
関西の鉄道 1997陽春号 阪神間ライバル特集 関西鉄道研究会
関西の鉄道2003年初夏号 もう1つのアーバンネットワーク 関西鉄道研究会
関西の鉄道 2005年盛夏号 兵庫県の私鉄PartU 阪神電気鉄道 山陽電気鉄道 関西鉄道研究会
JTBキャンブックス 神戸市電が走った街 今昔 JTBパブリッシング
鉄道未成線を歩く No.3 阪神兵庫南部篇 とれいん工房

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