レイル・ストーリー10 Episodes of Japanese Railway

 本町駅の謎

戦後まもなくの昭和23年、大正15年の基本計画で1路線だった大阪を東西に貫く地下鉄路線は2路線に追加された。それは今の中央線と千日前線に該当する。もっとも1路線の計画では長堀通の地下を進むことになっていたため、戦前既に開業していた御堂筋線(当時は1号線)心斎橋駅はこの計画を考慮しており、乗換駅となっても支障ないような設計になっていた。

こうして着工された中央線は後の延長区間である深江橋から先、長田までの開業を除けば、最初の大阪港-弁天町間の開業から深江橋までの線路が繋がるまで実に8年近くの時間を要している。
しかし千日前線が、これも後の延長区間である新深江-南巽間を除けば野田阪神-新深江間を1年弱の間で開業しており、同じような条件の路線なのに違いすぎではないか…という疑問は自然と湧くだろう。

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中央線弁天町-本町間が開業した昭和39年10月31日、本町駅は予定していた場所の立ち退きが遅れたため、暫定的に駅の西側の線路を用いて仮設駅をつくって開業している。そのため現在の御堂筋線である1号線本町駅とは駅構内での連絡が出来ず、一旦改札を出て乗り換えなければならなかった。既設各駅のキップ売り場の案内図には同じ本町駅でありながら別々に表記され、括弧書きで「徒歩連絡」と書かれていた。
本町から先は、その上を行く道路の中央大通りが幅員80mという広いものとされ、道路の中央には「船場センタービル」という巨大な建物がつくられることになった。ビルは本町駅から次の堺筋本町駅に亘る巨大なものとして計画されたが、ビルの基礎が出来るので線路はその直下に設けられない。さて中央線の行方は…。

後に本来の本町駅は立ち退きが終わり着工されたが、駅のホームは徐々に上下線が大きく離れていくという、変わった構造を採らなければならなくなった。その先堺筋本町までは船場センタービルの地下階の両脇を進むことに決まった。

まず本町駅の上は船場センタービル10号棟。駅の大阪港寄りからホームを眺めると、既にこの場所からY字状に上下線の線路が離れていくのが判る。拡がった先にはビルがある訳だが、もともと大阪市の地下鉄建設は都市計画として進められていることを考えれば、なるほど…と思わせるものがある。

本町駅の上の船場センタービル10号棟 本町駅はY字状に広がっている 本町-堺筋本町間の船場センタービル各棟
本町駅の上の船場センタービル10号棟 本町駅ホームはY字状になっている ビルは次の堺筋本町駅まで続く…

中央線本町駅は昭和44年7月に移転、御堂筋線本町駅とも構内で連絡が出来るようになり、ようやく本来の駅になった。続いて船場センタービル各棟も完成、中央線は昭和44年12月6日の本町-谷町四丁目間を開業をもって大阪港-深江橋間が繋がった。

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こうして本町駅は御堂筋線・中央線・四つ橋線の3線が接続する駅となったが、中央線の仮駅時代は全部バラバラの駅、しかも四つ橋線(当時は3号線)本町駅は、実は別の駅だった。

御堂筋線の本町駅ホームから四つ橋線本町駅ホームへ乗り換えてみると判る話だが、案内表示に従って歩き、ホームに着いたかと思ったらそこは四つ橋線ではなく中央線のホーム。ここを端から端まで歩いて、再び階段を経て通路の先にやっと四つ橋線ホームが見えてくる。かなりの距離だ。
というのも、四つ橋線本町駅はもともと「信濃橋」という駅だったからだ。中央線の駅部分に伝統の中階があればホームを歩くこともなかったかもしれないが、船場センタービルの存在でそれを実現出来なかった。

四つ橋線信濃橋駅は昭和40年10月1日に開業、この時点で御堂筋線本町駅、中央線の本町仮駅が存在して本当にバラバラだったことになる。しかし駅名は違っても信濃橋駅は中央線本町駅への乗り換え口が設けられ、事実上同じ駅として扱われていた。逆に御堂筋線本町駅と中央線本町駅は同じ駅名でありながら改札外徒歩連絡というのは、まさに本末転倒な話だ。
結局このような煩雑な状態を解消するため、営団地下鉄(現在の東京メトロ)丸の内線西銀座駅が、日比谷線開業を機会に銀座線銀座駅とも駅構内連絡が成り「銀座」になったのと同じように、全部「本町」に統一されることになった。

しかし、信濃橋という名前はどうなったのだろう。本来信濃橋辺りは本町としては西の端に相当しており、中央大通りと四つ橋筋の交差点は「西本町」を名乗っているが、阪神高速1号環状線北行には「信濃橋」という出入口が存在している。

阪神高速1号環状線信濃橋ランプ
阪神高速1号環状線の信濃橋入口

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元祖地下鉄本町駅である御堂筋線本町駅でさえ、最初の開業区間の梅田-心斎橋間で唯一あのドーム天井が採用されなかった曰く付きの駅であり、続く路線も各々複雑な経歴を持っていて、本当に本町駅は不思議な駅である。それらが一つの駅にまとまった事が良かったのがどうかは判らないが、ともかくかつて四つ橋線が名乗った「信濃橋」の名は、現在は阪神高速が残す結果となった。

ただし中央線が当初の計画通り出来ていたら、四つ橋線信濃橋駅は今も存在したかもしれない…。


当初「本町」を名乗らなかった四つ橋線ですが、歴史は古く戦前に遡ります。ただしそれもまた複雑なものがあるようで、思わず興味が湧いてしまいます。

次はズバリその歴史に触れてみましょう。

【予告】四つ橋線の謎

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 2004年3月臨時増刊号 【特集】大阪市交通局 鉄道図書刊行会
関西の鉄道 2003初夏号 大阪市交通局 PartW 関西鉄道研究会
大阪の地下鉄 創業時から現在までの全車両・全路線を詳細解説 産調出版

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