青きプリマドンナ達
パリから東京まで長躯18,000kmの旅を演出した主役は、何と言っても「ワゴン・リ」の青い寝台車たちでした。「鉄」な人もそうでない人もその姿にすっかり魅了されたはず。ここでは日本国内を走った主役達を中心に紹介します。
●寝台車 YU No.3909A
これは乗客用ではなく、イントラフルーク、ワゴン・リ社スタッフ専用として連結されていた寝台車。製造は比較的新しい部類で、1949年ベルギーのニベルス社製。豪華さはあまりないものの、ヨーロッパでの晩年の営業運転の主役だった。
内部は個室が並び、二人もしくは三人用として使用することが可能。このためマルチユースという意味の「ユニバーサル型」とも言われる。
パリからはもう一両同型のNo.3851も使用されたがこちらは日本国内では使われず、日立笠戸工場で保管されていた。
●荷物車 D No.1286M
本来は荷物車で1928年、イギリスのメトロポリタン・キャメル社製。ワゴン・リ華やかりし頃はホントに乗客の荷物を載せて走っていたが、NIOEでは食材が大量に必要であるため冷蔵室があり、また調理準備室、皿洗い場もある。また古い客車を走らせているため予備部品格納室と工作室が設置されていて、本来の荷物車としては使用していない。
また日本国内では台車を取り替えてしまったために車軸発電機が使えないため、各車に供給するサービス用電源を得るために小型のディーゼル発電機も搭載した。この車なしにはNIOEは走れないという重要な存在。
●食堂車 WR No.3354D "
プレジデンシャル"何と言ってもオリエント急行の正統派フランス料理の場所。1927年フランスEIC社製。
この3354号は1955年、フランス大統領専用車に指定され、プレジデンシャルという愛称はそれに由来するもの。調理室は荷物車の準備室と合わせて使われる。ダイニングルームは大食堂室と個室に別れていて、特に大食堂室はレールと平行な長いテーブルを鋏んで18席が向かい合わせにズラリと並び、重厚な雰囲気を醸し出している。
現役時代はドゴール、ポンピドゥー両大統領に愛用され、エリザベス女王、ケネディー大統領、フルシチョフ首相などがこの車で食事をしたという由緒ある食堂車。
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プルマン食堂車 WSP No.4158DE青一色の編成の中で、唯一クリームと青のツートーンなのがこの車両。1929年フランスEIC社製。
日本国内では食堂車として使われていた。本来は座席車で、パリとフランス南部リゾートを結ぶ「コートダジュールプルマン」として親しまれていた。晩年はパリ−リヨン間の特急「ミストラル」に使われていた。本来のオリエント急行には使われていなかった。
車内はゆったりとしたソファーとテーブルが並んだ開放室と個室で構成されていて、特にルネ・ラリックのガラス工芸がはめ込まれた壁などは特筆に価する。パリから来たもう1両のNo.4149Eは日本国内では使われなかった。
●バー・サロン ARP No.4164D
これは「トラン・ブルー」に使用していたバー・サロン車。車体はプルマン食堂車と同じで1929年フランスEIC社製。
車内はトラン・ブルー用に既に大きく改造されていて、喫煙室と禁煙室に別れている。また本革張りのソファーが並び、マホガニーのバーカウンター、ルネ・ラリックの浮彫ガラス「鳥」、専任ピアニストが弾くピアノの調べ…というまるで鉄道車両とは思えないモノ。
この車内で一度カクテルなぞ傾けてみたかった…。
●寝台車 LX20 No.3551A LX16 No.3542A 3480A 3472A 3537A 3487A
オリエント急行の主役の寝台車。1両に寝台個室が10あり、元々は全室1名用という贅沢な寝台車だった。1929年フランスEIC社他製造。
この時は全室2名用としたLX20、4室を2名用としたLX16に改造されたものが日本国内を走った。各個室はコネクティングルームとしても使用可能なよう、仕切壁には扉がついている(通常は施錠されている)。各室専用洗面台つき。
製造会社、年代により差があるが木製の壁が素晴らしく、木象嵌がちりばめられていたり、それがタイル風に使われていたりと個性豊かである。
この他、日本国内で使われなかったのはシャワー車のVC No.4013。これはプルマン食堂車と同じく本来は座席車で、1926年イギリス バーミンガム社製。イギリスとフランスを結ぶ「フレッシュ・ドール」用だった。この車はそれを1967年に改造したもので、シャワールーム5室とボイラー室、更衣室、ヘアサロン、医務室、事務室がある。スタッフ用YU型の1両、プルマン食堂車の1両と共に日立笠戸工場で仲間の帰りを待っていた。
これら「青きプリマドンナ」がJRに与えた影響も大きかったようです。「北斗星」はグレードアップを、さらには「トワイライトエキスプレス」もデビューしました。
次は来日の時に繰り広げられた苦労話です。
【予告】来日秘話
−参考文献−
とれいん 1988年12月号 オリエント急行 日本を走る
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