●豊橋駅の謎
東海道新幹線で豊橋に着いたとしよう。ここから名鉄に乗り換えるとして…さて名鉄の豊橋駅はどこだろう?
どれだけ探してもそれは存在しない。名鉄の豊橋駅はJR豊橋駅の中にあるからだ。
名鉄とJRは岐阜-名古屋-豊橋間で昔からスピード競争を続けているのは有名。中でも先頭車両に前方展望席を実現した昭和36年デビューの名鉄「パノラマカー」は一世を風靡したものだった。最近は名鉄が一部指定席の特急「パノラマスーパー」を走らせれば、JRは新快速に新車313系をデビューさせ熾烈なスピード・サービス合戦が続いている。
話を豊橋駅に戻そう。実は名鉄とJRは豊橋駅を共用しているのだ。というより、名鉄がJR豊橋駅に間借りしていると言ったほうがいいのかもれない。JR豊橋駅の3番線が名鉄のホームなのである。
名鉄名古屋本線の神宮前-豊橋間の前身、愛知電鉄は昭和2年6月1日全線開通した。一方豊橋から天竜川沿いを長野県の辰野までを結んでいる現在のJR飯田線はまだ私鉄で、豊川鉄道だった。どちらの路線も同じ頃に今のJR豊橋駅に乗り入れたのだが、この時に両社が一風変わった契約を取り交わしてしまったのだ。それは愛知電鉄の路線と豊川鉄道の路線が交わる部分から先の豊橋駅までは、
お互いに単線を建設し、それを両社で仲良く複線として使いましょうというものだったのだ。そんな訳で、両社の接続地点から豊橋駅へ向かう線路は愛知電鉄が、逆に豊橋駅から接続地点に向かう線路は豊川鉄道が各々建設して、両社の豊橋駅乗り入れが実現した。やがて時代は戦争を迎える。この辺りから話がややこしくなってくる。豊川鉄道の路線は国策により今のJR飯田線を構成していた2社と共に昭和18年、国に買い上げられてしまった。しかもどういう訳か豊川鉄道は会社だけが残り、昭和19年には形式上名鉄に合併している。のち終戦を迎え路線は国鉄飯田線となったものの、愛知電鉄改め名鉄と国鉄の関係はそのままとなり、国鉄の豊橋駅に名鉄が乗り入れるという形に変化してしまった。
この関係は戦後、いや国鉄がJR東海に変わった現在もそのままで、名鉄には豊橋駅の3番線が名鉄専用ホームとして割り当てられ、ずっと使い続けているのだ。しかも現在名鉄はかなりの制約を受けながらも運行を続けている。
まず、JRに「乗り入れ」のため、豊橋駅での1時間あたり運転本数は6本までと決められている。そのため豊橋始発の日中の電車は特急が主体とならざるを得ず、普通電車などは一つ手前の伊奈駅発着となるものが多い。
また駅舎は名鉄のものではないので、自動券売機は申し訳程度にJRのキップ売場のそばに3台だけしかない。
ホームに行ってみると特急券(ミューチケットという)売場があって係員も常駐している。改札口はJRのものであるため、もし名鉄で豊橋まで乗り越しなどしようものならJRの精算所では受けつけてくれない。3番ホームの特急券売場が名鉄線の精算所も兼ねているという話だ。そして駅名標を見てみると…
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名鉄のホームなのに「JR」とは? |
本来名鉄の駅名標はこれ(新名古屋駅) |
れっきとした名鉄のホームなのに駅名標はJRオリジナル。おまけにロゴまで入っている(笑)。「そんなはずはない、これは線路を共用しているJR飯田線のだろう」と思うかもしれないが、飯田線の次駅は「船町」だし、東海道線なら「西小坂井」だ。この駅名標は次駅をちゃんと名鉄線の「いな」と書いてあるではないか。
せっかく仲良く豊橋駅に乗り入れた名鉄と飯田線なのに、会社同士ではライバル関係にあるせいか不遇な名鉄…
でも名鉄が唯一自慢出来る事だってある。JR飯田線には名鉄との接続地点までに船町と下地の二駅があるが、ここはJRの駅なので名鉄は全列車通過だ。名鉄は特急のみならず普通電車さえも通過する。
そして名鉄の特急は、伊奈から先は8kmもの直線区間(私鉄第2位)!まるでうっぷんを晴らすかのように最高速の120km/hですっ飛ばすのだ。
JRと名鉄という好敵手は、豊橋駅という場所で不可解な合体(?)をしています。それは長〜い歴史が生んだものであったようです。
さて次の話は関西方面に向かいます。
【予告】大和八木駅の伝説
―参考文献―
新版 まるごと名鉄ぶらり沿線の旅 七賢出版
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