ながらくお待たせいたしました
レイル・ストーリー4、只今発車いたします


 ●玉電の幻影2

21世紀が始まったばかりの2001年1月27日、折りしも降りしきる大雪の中を、ある電車が引退した。それを機に路線は生まれ変わることになった。

玉電」こと東急玉川線の生き残り路線、東急世田谷線は玉電時代から受け継がれてきた電車を長く愛用していたが、とうとう電車が老朽化したのと、電車・ホームのバリアフリー化を進めるために新車を導入することになった。別れを惜しむ声に、電車は玉川線廃止まで親しまれたツートン塗装に身を改め、引退の花道を飾った。続く2月には全ての電車が新車に置きかえられ、「玉電」の面影はまた一つ消えて行った。

世田谷線デハ80型

世田谷線デハ150型

引退した旧型車のデハ80型

最後まで残ったデハ150型

かつて玉電が発着していた渋谷駅は、「マークシティ」のオープンですっかり当時の面影がなくなったように見える。
しかし、『玉電の幻影』はまだまだ生き残っていたのだ。

そもそもマークシティは玉電の渋谷駅から道玄坂までの線路跡(玉電廃止後は東急バス専用道路となっていた)に建てられたものである。現地の案内図を見て頂ければ判るように、実に平面的には細長い建物である。しかもマークウエストの道玄坂側出入口は4階にある。
玉電の渋谷駅は今の東急百貨店東横店西館の2階にあったが、そこから京王井の頭線乗り換え口、マークシティ4階を経て、道玄坂上へと通じる細長い空間が、実は電車が走っていた急坂の線路だったのだ。

玉電渋谷駅跡(信じられますか?)

道玄坂上

東急百貨店東横店西館の玉電渋谷駅跡

かつて玉電はここから道玄坂上へと走っていた

しかし…それ以上に、玉電が渋谷から発着していたという証がある。

JR渋谷駅の山手線外回りから、東横百貨店東横店西館の2階に通じる改札口がある。
その改札口の名前は『玉川口』というものである。

JR渋谷駅の「玉川口」
これがJR渋谷駅『玉川口』案内サイン

その名の由来は、今更言うまでもなく玉電との乗り換え口だったことにある。もっとも今の建物の様子からは、駅があったことすら信じられないかもしれないが、玉電があった頃は山手線外回りの改札を出たすぐのところに、玉電の電車がお客さんを待ち受けていたのだ。今、多くの人がJR渋谷駅の玉川口とマークシティの間を行き来しているが、まずそこに電車が走っていた事など信じられないだろう。ともかく『玉川口』という名前だけは永遠に残してほしいものだ。

玉電の面影を残していた電車は引退したが、新車デハ300型は「サザエさん電車」を筆頭にデビューした。

サザエさん電車

「おーいお茶」電車

「アイス・爽」電車

サザエさん電車

「おーいお茶」電車

「アイス・爽」電車

しかし新車も玉電の歴史が生きている。実はこれらは厳密に言えば新車ではなく、足回りは引退した旧型車を数年前に改良した時のものを使い、車体だけを載せ替えたという名義になっているのだ。

旧型車のデハ80型は1両が世田谷線宮の坂駅に保存されている。この電車は玉川線廃止の時に江ノ電に移ったもので、江ノ電で引退した後に東急に戻ったものである。現在は塗装こそ世田谷線仕様だが江ノ電時代のナンバーがそのまま付いているなど、電車の歴史を残した保存となっている。

平成12年7月、東急は営団南北線、都営三田線との直通運転を開始した。同時にそれまでの目蒲線は直通運転を機に目黒線と多摩川線に分離したが、確かに平仮名では「たまがわせん」。でも玉電/東急玉川線とは無関係だ。同時に玉電を引き継いだ新玉川線は田園都市線に統合された。玉電時代から走っていた電車も引退したこともあり、玉電はまた一歩、人々の記憶から遠ざかったのか…。

しかし世田谷の街が変わり、走る電車が変わっても、玉電の幻影はずっと何処かに残るはず。


玉電は、世田谷線というシティ・コミューター的存在になりました。でも全国的には路面電車は見直されつつあるのも事実です。このままずっと走りつづけてほしいものです。

次はようやく日の目を見た駅の話です。

【予告】妙典駅の謎

―参考文献―

RM LIBRARY 15 ありし日の玉電 NECO PUBLISHING

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