ながらくお待たせいたしました
レイル・ストーリー4、只今発車いたします


 ●両国駅ものがたり

総武線の駅、両国。駅の前には日本の国技、相撲でおなじみ『両国国技館』がそびえている。また両国といえば江戸情緒を残す下町の雰囲気にも満ちている。

もともと総武線は「総武鉄道」という私鉄としてスタートした。歴史もかなり古く明治27年7月20日の市川-佐倉間の開業に始まり、同年12月9日には本所(今の錦糸町)-市川間が開通。続いて明治30年6月1日には路線は銚子にまで達している。

さて東京では日本鉄道(今の東北本線)、甲武鉄道(今の中央本線)など、幹線となる鉄道が次々に開業していた。総武鉄道は、まず日本鉄道との接続を果たすべく小岩から上野までの連絡線を建設しようとしたが、計画は途中で何度も変更され、結局本所(錦糸町)-秋葉原間の免許を取得した。

ところが免許が下りた時点で、その間の路線を複線の高架式にせよという条件がついてしまった。これには多大な費用がかかるため総武鉄道は安価な地平式への変更を申し出てみたもののあえなく却下され、あわてて社債を募集した。しかし社債が多額に及ぶと償還も出来ないということで募集は予定の半分で打ち切り、延長されたのは路線は両国橋(今の両国)-本所間にとどまった。

だが関係者の苦労が実り、この間の路線は赤レンガ積みの堂々たる日本初の高架鉄道という名誉まで頂戴し、明治37年4月5日開業した。この時ターミナルとして出来たのが今の両国駅なのである。このとき両国から銚子に向けて列車が走り出した。

ようやく出来あがった総武鉄道としての栄光は短く、明治40年9月1日、たった3年あまりで総武鉄道は国有化されてしまった。というのは、この付近には旧日本軍の軍事施設が多くあり、そのため国策として輸送力の確保と強化をすべしという軍の意向があったらしい。当時はそれほど大きな輸送力を必要としなかった総武鉄道改め総武本線だったが、国有化前後に千葉までの複線化が行われているのは珍しい。

国有化後の昭和7年7月1日、新たな区間が開業した。両国-御茶ノ水間が始めから電化されて延長をみた。これにより路線は中央線と繋がり、電車の直通運転が開始された。つまり現在の中央・総武線の運転形態はここに始まっていることになる。総武本線の電化は翌年には市川、船橋へと延び、昭和10年7月1日には千葉まで電化が行われた。
この時から中央・総武線は電車が直通運転、総武本線を千葉から先へ直通する列車は両国からというスタイルがずっと定着することになった。両国駅のターミナルとしての地位は高まった。

戦後もそのスタイルはずっと変わらなかった。特に夏の海水浴臨時列車が増発される時期には両国駅は大賑わいだったという。全国から集めた予備のディーゼルカーや客車だけでは足りず、千葉から先の電化されていない区間にまで電車を走らせた。でも自力で電車が走れるはずがない。未電化区間はディーゼル機関車が電車を引っ張るという離れ業までやってのけたのだ。

昭和43年あたりからようやく千葉から先と房総本線を含めた電化がスタートした。そして昭和47年7月15日、両国駅に転機が訪れた。千葉県内の電化が完成したのと同時に、総武本線は将来の横須賀線との直通運転を行うため東京-錦糸町間を地下線で開業してしまったのだ。なぜかターミナルの両国はパスされ、ご存知のように両国駅の先で線路は地上に出ることになった。その時デピューした特急「わかしお」、「さざなみ」は東京地下駅(一部新宿)発着となり、両国駅は地下に乗り入れる構造になっていなかった急行電車の発着駅となった。

しかしその後は全国的な特急人気で、設備の劣る急行は人気が凋落。同時に両国から房総半島を目指す客も激減し、両国駅はターミナルとしての地位を失いつつあった。ついに昭和57年11月23日をもって両国発着の急行電車は全部廃止された。しかしすでに快速の横須賀線との直通運転が始まっていた関係で東京地下駅だけでは全部の特急の発着が出来ず、数本の特急は両国発着とされていた。

それもつかの間、バブルがはじけて房総系統の特急は一部削減、全列車東京発着となりとうとう両国駅を始発とする列車がなくなってしまった。さらに決定的だったのは京葉線の開通だった。平成3年3月19日のN'EXこと成田エキスプレスのデビューにより房総系統の特急は多くが京葉線経由に変更され、代わってN'EXが総武本線の東京地下駅を経由して成田空港へと走り出した。
とうとう両国駅はN'EXが駅をかすめて通るだけ。ただの中央線直通の黄色い電車の駅に成り下がった。かつての栄光はどこかへ行ってしまったのか…。

現在の両国駅

ホームは保線基地に…

あわれ通路は閉鎖…

堂々たる駅舎
しかし今やビアホールに…

栄華を誇ったホームは
現在保線基地

ホームへの通路は
閉鎖されている

以前は次々に房総を目指して列車が出発していた長距離ホームは保線基地になってしまい、総武線だけの駅になってしまった。多くの客で賑わったコンコースはもはや不要となり、今ではビアホールになっている。ああ、かわいそうな両国駅。

でも駅舎は当時の面影を残している。今は下町の足として、そして両国国技館で大相撲が行われる時などは多くの客で賑わうではないか。それに都営地下鉄大江戸線も先頃接続されたし、だいいち総武線の電車は最新鋭E231系が大量投入されてイメージ一新!これからも頑張って!両国駅。


東京には東京駅、上野駅、新宿駅など大きなターミナルがありますが、本来なら両国駅も肩を並べるべき存在にあったはずです。かつての栄光…それがあったのはまぎれもない事実ですから。

次は日本一の乗降客を誇る新宿駅の話題です。何と、新宿駅には「そんな話があったの」というものが…

【予告】新宿駅の怪

―参考文献―

鉄道ピクトリアル 1993年8月号 <特集>房総の鉄道 鉄道図書刊行会

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