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レイル・ストーリー3、ただいま発車いたします。

 

●谷町線の謎

横浜の地下鉄には

「伊勢佐木長者町」という長い駅名があるが、それ以上に大阪の地下鉄には長い駅名やヘンな駅名が不思議と多い。

メインラインの御堂筋線には「西中島南方」(にしなかじまみなみがた)というヘンテコな名前の駅がある。これは御堂筋線を梅田から先、新大阪まで路線を延長した昭和39年9月24日に誕生した。

この駅はもともと阪急南方駅との乗換駅としていたため、そのまま「南方」とする予定であった。ところが実際には西中島町に駅があり、その上「南方」という地名は駅から離れているのである。駅のオープンが近づくと論争が起こってしまった。

「西中島」か「南方」か。結局両方の意見を尊重することになって決まった駅名が…西中島南方なのである。これが大阪の地下鉄の、不思議な駅名の始まりとなった。

続いて昭和44年4月16日に部分開業した千日前線だが、終点の駅はズバリ「野田阪神」。阪神電鉄という他の会社名が混じった"地名"が駅名に採用されるのは前代未聞だった。これは阪神野田駅前=野田阪神だというのが広く定着してしまっていたのも原因だ。その千日前線はJR(当時国鉄)大阪環状線の野田駅にも接続している。しかしそれは野田阪神の次、玉川駅であるというのもますます不思議な話だ。

JRはのちに福知山線と片町線を結ぶ東西線を開業したが、阪神電鉄、地下鉄千日前線に接続する駅は野田阪神を予定していた。路線の計画が具体化して建設が進むにつれ、JR内部から反対意見が起こった。
阪神間で直接のライバルである阪神電車をみすみす駅名に取り上げるのはいかがなものかと。そこで駅名は当初予定していた野田阪神ではなく、「海老江」に落ちついたという。

さて、不思議な駅名だらけの路線がある。それは谷町線だ。

大阪市内だけでなく、守口市、八尾市へと路線を延ばした谷町線。昭和52年4月6日に都島-守口間が延長された時には、途中三つの駅が長い駅名を名乗るという異例の事態(?)となった。

太子橋今市
(たいしばしいまいち)

もともと二つあった市電の停留所、太子橋と今市の二つを統合したもの。

千林大宮


(せんばやしおおみや)

計画時は駅の東側が森小路、西側が大宮、すぐ近くの商店街は千林。どうなるのかと思ったら住居標示変更で森小路は千林になり今の駅名に。森小路は反対しなかったのだろうか。

野江内代


(のえうちんだい)

町だけでなく区も境で、城東区の野江と都島区の内代の両方をたてたものだそうだ。

ところが、その延長区間に一つだけ単純に「関目」と名乗っていた駅があったが、どう気を利かせたのか開業後しばらくして電車のアナウンスは「次は関目、関目、高殿です」と城東区の関目の隣、旭区の高殿の地名を自然と言うようになったらしい。そのアナウンスもそのうち「次は関目高殿です」にエスカレート、駅の標記に高殿が括弧書きで昇格した。長堀鶴見緑地線が開通した時にはとうとう「関目高殿」が正式駅名となった。こうして谷町線都島-守口間の途中駅全てが長い駅名を名乗ることになった。

谷町線は昭和55年11月27日に今度は天王寺-八尾南間を延長。この時も二つの地名をくっつけた駅が誕生した。

駒川中野
(こまがわなかの)

南海平野線駒川と中野の中間にあるためこの駅名となったが、計画時は「駒川」。中野側が反対してこうなった。

喜連瓜破


(きれうりわり)

計画時は「喜連」だったが、駅の北側は喜連、南側が瓜破で、瓜破の反対に遭いこの駅名に。

しかしもっと珍しい例も谷町線で、開業後実に28年以上経ってようやく地元の願いがかなって長い駅名になったものがある。

四天王寺前夕陽ヶ丘

四天王寺前夕陽ヶ丘というこの駅は、昭和43年12月17日の谷町四丁目-天王寺間の開通でオープンしたが、その時の駅名は正式には「四天王寺前」であった。

もっともこの駅の計画時は「椎寺町」だったが、それは廃止された市電路線の停留所名をそのまま付けたものだった。ところが地下鉄の駅は椎寺町にはなく、東側が六万体町、西側が夕陽ヶ丘町で、当初は「夕陽ヶ丘」という駅名とすることになっていた。

ところが聖徳太子の建立した四天王寺は駅のすぐ近く。それに由来する「四天王寺前」を駅名にしようという動きも根強く、市会議員まで動く結果となりとうとう逆転した。ところが「夕陽ヶ丘」をぜひという意見も譲らず、一旦は「夕陽ヶ丘四天王寺前」という駅名にしようという折衷案も検討されたが長いのでダメということになり、結局正式な駅名は「四天王寺前」とするものの、実際の駅には「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」と標記することで落着した。

似たような例は営団地下鉄銀座線「上野広小路上野松坂屋前」、千代田線「赤坂(TBS前)」などがあるが、それらはPRのために駅名と併記しているだけ。この「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」とは意味が異なる。

…ところがどっこい現在この駅は「四天王寺前夕陽ヶ丘」を名乗っているではないか。

平成9年8月29日、長堀鶴見緑地線が全線開通。この日をもって「四天王寺前(夕陽ヶ丘)」は、めでたく「四天王寺前夕陽ヶ丘」と改称した。実に駅として開業以来28年8ケ月、日の目を見なかった「夕陽ヶ丘」がようやく正式に駅名に加わった。その理由は実は判っていない。ただ長い間の関係者の苦労が実を結んだ…としか言えないのである。


地下鉄谷町線の数々の長い駅名には、いろいろなエピソードがあったのです。もっとも地下鉄の駅が、町の境界となっている道路の下につくられたのも原因だとは思うのですが…(笑)

次は、アッ!と言わせた発想の電車の話です。

【予告】リバーシブルな電車の謎

―参考文献―

大阪の地下鉄 創業期から現在までの全車両・全路線を詳細解説 産調出版

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