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レイル・ストーリー続編です。ごゆっくりどうぞ。


 ●鶴見線の謎

川崎の臨海工場地区をのんびりのんびり走る鶴見線。しかし今時こんなに謎の多い路線は珍しい。

JR東日本103系

『鶴見線っていったい何?』

鶴見線に乗ってみると駅と駅の間隔が近い。鶴見駅は改札がもう一度ある。そもそもこの路線は鶴見臨港鉄道という私鉄だったのだ。その創始者は今の安田生命を築いた旧安田財閥、安田善次郎である。生命保険会社が鉄道を建設するなんて至極不可解な話でもある。

安田善次郎が公共事業に熱心であった事はあまり知られていない。彼が私財を投げうって建設した路線や計画は多くを数える(その鉄道の話はまたあとで)。東京湾を埋め立てて建設が進んだ京浜工業地帯を走る鶴見臨港鉄道もその一つだった。戦前に国に買収され、現在はJR東日本の路線だ。

安善駅標

『安善駅っていったい何?』

かつて「愛国-幸福」というキップが幸運を呼ぶものとして大人気となった頃があったが、「安全」にあやかる縁起の良いものとして、この鶴見線安善駅のキップまでもがそのブームに乗じたという。

その「安善」という名の由来は、京浜工業地帯の基礎を築いた安田善次郎の功績を称えて名付けられたものである。即ち彼の名前、「安田善次郎」を略して「安善」としたものなのだ。もし彼が木村拓哉という名前だったとしたら、安善駅は「キムタク駅」だったのかもしれない(笑)。

国道駅

『国道駅っていったい何?』

鶴見線には「国道」というヘンな名前の駅がある。どうしてそんな駅名になったかというと、開業当時、そこははただの埋立地だったわけで、地名がなかったからだ。たまたま駅の横には第一京浜国道(15号線)が通っていたため、その名を取ってズバリ「国道」としたという話である。

ただ、この国道駅は高架下に駅の出入口があるがものすごく暗く、馴れないとちょっと独りでは出入りしにくい感じがする。

 『降りても出られない駅!』

いくつもの支線を持つ鶴見線だが、浅野から出ている支線の終点は海芝浦という駅だ。これはそこに建つ東芝専用線という感があるが、工場従業員の通勤ためにも走っている線だ。ただし駅も本来東芝専用で、東芝京浜事業所の敷地内。さらに駅の改札を出るには東芝の社員証を見せないといけないので、一般の乗客は改札を出ることが出来ないという変わった駅だ。時刻表などにはそんな事は記載されていないぞ。

その出られない事が評判になったのか、最近になり一応ホームの端に小さな公園がつくられたという。もっとも守衛室から先へは一般客は入れないが、守衛室の手前に自動券売機が設置されて、そこで帰りのキップを買ってくださいとの表示が鶴見線の車内に掲示されている。

 『創業者の野望』

戦前に日本が中国へ進出した頃、南満州鉄道なるものがあったのは有名な話である。アメリカの鉄道を範にとったこの鉄道は、当時の最新技術が導入された。特急「あじあ号」の伝説は今でも語り継がれている。中国大陸を最高120km/hで突っ走り、列車は全車エアコン完備で当時日本国内では実現出来なかったハイレベルの列車だった。
この南満州鉄道は明治期に安田善次郎が中国大陸を二度視察して大蔵省に提出した報告書「満州経営に関する意見書」によるものが大きいと言われている。

計画に終わったもののその遺志が今に伝えられているものがある。「東海道高速電気鉄道」という案がそれだ。それによると東京-大阪間にスタンダードゲージ(1,435mm)で複線の電車を走らせ、それは旅客だけを対象としていた。これはそのまま今の東海道新幹線と同じ考えではないか!驚く事に安田が計画を立案したのは何と明治40年のことだった!!
その案では電車を30分毎に走らせ、所要6時間、平均速度は80km/hとスピードでは後の新幹線には及ばなかったが、その計画の雄大さには驚かされるばかりだ。

安田は私設鉄道法に基づき、この計画を「日本電気鉄道」として明治40年2月9日に政府へ出願した。しかし1ケ月も経たない3月1日付けをもってこの計画はあっさりと却下されてしまった。私設鉄道は一地方の交通を目的とすべきで、このような長距離の鉄道はダメというのが理由だったと言われるが、実はそれを認めると鉄道省の商売敵となるのは明白だったというのが本音だろう。

昭和14年、鉄道省は東京-下関間の弾丸列車構想を打ち出す(ゆくゆくは中国大陸まで延ばすという遠大な計画もあったらしいが)。それよりずっと以前に安田の計画案があったことは全く触れていなかったという。この鉄道省の弾丸列車構想は戦前すでに着工されていて、今の東海道新幹線、新丹那トンネルの一部はこの時点で出来あがっていたが、以後の工事は戦争により中断された。

東海道新幹線はずっと前に計画した安田善次郎の案が今も生きているのかもしれない。そしてそれを受け継いだかどうかは判らないが、弾丸列車構想は今の東海道新幹線に生き続けている。


関東地方では遅くまで茶色の旧型電車が走っていた鶴見線ですが、今では黄色の電車に統一されました。工業地帯を走るこの電車が、東海道新幹線の思想にまで至ったというのはスゴイ話じゃないですか。

次は、今でも残る…という話です。

【予告】明大前の謎

―参考文献―

鉄道ジャーナル 1975年9月号 ある先覚者の軌跡をたどる 安田善次郎の鉄道事業 (株)鉄道ジャーナル社

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