レイル・ストーリー

大変ながらくお待たせいたしました。

気分も新たに発車いたします。ご乗車ありがとうございます。


 ●流電旅情

「流電」と聞いただけでは、「鉄」の感覚で言えば戦前は関西で今の新快速の基礎を築き、戦後は阪和線から飯田線へと流転していった名車、国鉄モハ52型という"流線型の電車"ということになろう。この電車は戦後高速試験に用いられ、その技術が今のJRの特急電車や新幹線にも受け継がれたと言っても過言ではない。

でも、今「流電」と言えば、常磐線の馬橋から運転している"総武流山電鉄"のことをいうらしい。

常磐線各駅停車で馬橋駅に着くと、北側にひっそりと短くもカラフルな電車が停まっているのが見えるはずだ。それが総武流山電鉄。流山までのたった5.7kmの路線だ。早朝と夜間は30分間隔、日中は15分間隔でのんびりと流山の住宅街を走っている。

電車はラッシュ時こそ3両編成だが、それ以外は2両編成に交代して行ったり来たり。3両編成の電車は朝だけの仕事で、後は馬橋駅と流山駅とで昼寝してそのまま朝を迎えるという優雅さだ(笑)。電車は編成毎に色が違っていて、同じく編成毎に愛称がついている。これはこの会社の伝統で、その色と名前は代々受け継がれているという。

若葉号(3両編成)

明星号(3両編成)

あかぎ号(2両編成)

その愛すべき電車たちは、すべてお下がりだ。ちなみにあかぎ号を詳しく調べてみると、その証拠がいくつも発見出来た。

このプレートは…

この扇風機は…

電車には大抵その生まれや育ちを示すプレートが付いている。平成12年5月をもって引退したあかぎ号のプレートは…「西武所澤車輛工場 昭和38年製」。また車内の天井に付いている扇風機には、赤い字の「SEIBU」という刻印が残ったままとなっている…

つまり、総武流山電鉄の電車たちは、全部西武線を走っていたものばかりなのだ。

これらの電車たちは、その昔ローズピンクとベージュのツートンカラーだったり、黄色のボディで西武池袋線や新宿線を走っていたものばかりだった。

では「流電」のちいさな旅をしてみよう。

常磐線との乗換駅、馬橋には駅員さんが居るが改札はしない。キップを券売機で買ってそのままホームへ。

やがて発車時刻となり、電車は、のんびりと流山を目指す。線路ぞいにはずっと川が流れている。車窓は時々畑が見られるが、終始一貫して住宅地の中を走る。路線は単線だ。

途中小金城跡駅で向かいからやって来た電車と進路を交換、同じような景色の中をまたゆっくりと走り、終点流山に到着する。

流山駅に着くと、そこは都心から1時間程度の場所だというのに喧騒など及ばない静かな処だった。改札を出ると、そこが関東の駅百選に選ばれたことが書いてあり、記念キップも発売されていた。

駅の奥は車庫になっていて、1999年末、先代が引退したばかりの「流星号」は新世代に生まれ変わりの真っ最中!!(取材当時)

この「流星号」も元西武の電車。新秋津から武蔵野線経由で常磐線馬橋へと回送されてやってきた。

ただし、西武時代はもっと編成が長かったから、これら元西武の電車は、もともと運転台がないものばかりだったので、先頭に立っていた車両から運転台を根こそぎ移植するという大手術がなされているのである。

そして、電車たちは今日も馬橋と流山の間を、のんびりと走る生活を送っている。


大都会東京のベッドタウンに、こんなローカルムード溢れる電車が走っているのは、何故か人間味を感じるものがあってホッとしてしまいました。

次は、うっかりしていると足元をすくわれるという話です。

【予告】東武浅草の謎

―参考文献―

鉄道ファン 1997年4月号 譲渡先でも頑張ってます!西武701・801・401系 (株)交友社刊
鉄道ファン 1997年8月号 特集:夏、私鉄電車探訪 (株)交友社刊

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