レイル・ストーリー

大変ながらくお待たせいたしました。

気分も新たに発車いたします。ご乗車ありがとうございます。


 ●家の前の謎

日本で最初の路面電車といえば京都なのは有名な話。よく「最初の市電は…」等と言われがちだが、これは京都市がつくったものではなく、「京都電気鉄道」という私鉄が明治28年2月1日に開通させている。地下鉄銀座線と同じスタートだったのか。

その京都電気鉄道がつくった路線は、後に京都市の路線に編入され北野線と伏見線となったが、レールの幅は京都市が1,435mmを採用したのに対し、元の京都電気鉄道の路線は1,067mmだった。伏見線は京都市の他の路線同様1,435mmに改修されたが、北野線は1,067mmのまま残された。
北野線はそのレールの幅が「狭い」(Narrow)という英語の頭文字をとってN電と呼ばれて長く親しまれた。しかし、このN電だけは結局異端児扱いされ、昭和36年7月31日、他の京都市電路線よりも早くに廃止された。でも日本最初の路面電車という功績は大きく、愛知県の明治村に引き取られた2両のN電は、今でも元気に村内を走っているのは有名。

一方、京都市が広げた路線は市内の主要道路をカバーした。碁盤の目状の京都の街に、同じように張り巡らされた路線は便利なことこの上なかった。また独特の丸みを帯びた電車たちは、落ちついた塗装もあいまって、とても京都の街に似合っていて、長く愛されていた。
ただし戦後の自動車の普及により他の都市同様やはり市電は邪魔者扱いされ始め、一路線、また一路線と廃止されていき、昭和53年9月30日、惜しまれつつ全廃された。

しかしその後も京都市内で路面電車は残っていた。京阪電鉄京津線と京福電鉄嵐山線がそれだ。

京津三条から逢坂山の急坂を越えて琵琶湖のほとり、浜大津まで道路上や、時には道路を外れたりしながら走っていた京阪京津線だったが、地下鉄東西線の山科-京都市役所前間に乗り入れることになったので、代わりに平成9年10月11日をもって京都市内の三条-御陵間が廃止された。
確かに京都市内では路面区間がなくなったが、現在も大津市内の路面区間は残っており、地下鉄直通の電車が、のろのろと路上を進むというアンバランスな光景が見られるのは、全国でもこの路線だけだ。

ちなみにまだ地上にあった頃の京阪の三条駅は、京阪本線は「三条」だったが、京津線は「京津三条」。でも同じ駅構内という扱いだった。いっぽう京阪バス・市バスなどのバス停は「三条京阪」。これで全てまかり通っていた。今でも地下鉄東西線は「三条京阪」を名乗っているが、これはもう大阪の「野田阪神」と同様、既に地名と言ってもさしつかえないだろう。本来なら「三条川端」だろうか。

さて現在も残っているのは通称「嵐電」こと京福電鉄嵐山線だ。路線の性格としては路面電車と郊外電車の中間的な感じだが、電車のスタイルは路面電車に近い。春の桜、秋の紅葉が美しく、渡月橋、保津川下りでも名高い京都の観光地、嵐山を目指す。
ターミナルの四条大宮はなかなか堂々たる存在だが、そこから発車する小さな電車はなかなか微笑ましいものがある。途中の三条口から北野線が出ている帷子ノ辻あたりまでは、一部を除いて路面区間となっている。その間には映画村で有名な太秦がある。

だが電車が太秦駅に近づくと、それは実に奇妙な光景を見せてくれる。

このホームには…

家の玄関がある!!

なんと、この並んでいる家の玄関は、嵐電太秦駅のホームにある。電車のホームと、駅名標と、玄関と、それに郵便受けが同居しているなんて…。朝「行ってきま〜す」と玄関を出た途端に電車が待っているというのはスゴイ話ではないか。

確かに「軌道法」では線路は道路敷にあって当たり前。なら玄関の前にあるのは本来線路ではなく道路。だったらそれでも良いワケか…納得。

そういえば、嵐電には「西院」という駅があるが、阪急京都線にも同じ名の駅がある。ただし、読み方が違っていて阪急はそのまま読んで"さいいん"なのだが、嵐電のほうは写真のとおり"さい"と読む。

これは「京ことば」の発音では"さい"なんだろうか。どこか「はんなり」としたものを感じる。

京都には「叡電」こと叡山電鉄という路線もある。これは路面区間こそないものの規模や電車のスタイルは路面電車に近いものがある。そして、叡電と京都市電と京阪京津線は、いくつかの理由があって実はレールがつながっていた。それは…また別の機会にでも紹介することにしよう。

考えてみると、市電廃止後に残った路面電車は両者共に三条通りだったというのは、何かのめぐり合わせなのかもしれない。


ご乗車ありがとうございました。

地下鉄銀座線ストーリーに始まった「…ストーリー」ですが、何時の間にか増殖を続けてしまい主力コーナーになってしまいました。当初仲間内だけに見てもらうつもりだったのですが、今では鉄道系掲示板でも紹介されるようになり、読んでいただけるということに嬉しさを感じると同時に、内容についても責任を負うことに改めて気が引き締まる思いです。

でも、「鉄」な人以外に少しだけ裏話や雑学としてちょこっと読んでいただけたら…という基本路線は変えるつもりはありません。今やネット社会になり、ごく一部でしょうが「鉄」のなかには暴走を始めたり、誹謗中傷に走る内容が目に付くようになりました。非常に残念です。また鉄道テーマパークでの相次ぐ盗難事件…もう犯罪になってしまっているのも残念な話です。

さてレイル・ストーリーは、続いてレイル・ストーリー2へとまいります。お忘れ物のないよう願います。

―参考文献―

 京都の電車 市電・嵐電・叡電・京津電車 トンボ出版刊
関西の鉄道 1995年初冬号 京都市交通特集 関西鉄道研究会刊

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