レイル・ストーリー

大変ながらくお待たせいたしました。

気分も新たに発車いたします。ご乗車ありがとうございます。


 ●御堂筋線梅田駅の謎

日本で最初に地下鉄道として開業したのは、間違いなく今の営団地下鉄銀座線上野-浅草間なのは既にご存知のとおり。では関西で最初は?というと…大阪!と言いたいところだが、関西私鉄ストーリーでも話したとおり、大阪市よりも2年以上先に今の阪急京都線、大宮-西院間が地下線で開業している。

大阪市が都市計画1号線である御堂筋線の梅田-心斎橋間を開通させたのは、昭和8年5月20日のこと。東京では地下鉄が有効な都市交通手段であることに当初世間は冷たく、もちろん東京市も関心を持たず、ようやく東京地下鉄道という私鉄の手により開業に漕ぎつけている。この日本最初の地下鉄の成功を黙って見過ごしてはいなかったのが大阪市だった。

大阪市は地下鉄の公益性を重視、地下鉄は都市計画としてつくられるべきだという方針を打ち出す(これは市電を含め、市営モンロー主義に発展する)。そのため建設資金についても、開業する路線の付近地主の利益を生むものだとして、戦後の昭和27年頃までは今の公共下水道事業のように受益者負担金まで課していたという。

先輩格の銀座線はどうも狭くて暗く、6両編成対応としてつくられたので今では精一杯。いっぽう大阪市は梅田-心斎橋間の御堂筋線の駅を天井の高いドーム型で建設し、地下でありながら大変広い空間とした。ホームは12両対応としてつくられた。これは現在でも十分対応するものである。創業時の先見の明には拍手を送りたい。

銀座線同様鳴り物入りで開業した御堂筋線ではあったが、やがて人気に蔭りを見せはじめ、銀座線同様徐々に客数が減ってきたといわれる。当初は「公益性重視」と言っていた大阪市だったが、夏は車内にボンボリを下げて納涼電車として運転したり、大阪市地下鉄行進曲なるものまでつくって客寄せに必死になっていた。のちにミナミの中心難波まで路線が延びると、これまた銀座線が銀座まで延びた時同様、デパートと地下鉄のタイアップを行うようになる。御堂筋線は乗客数も安定し、実力を発揮した。

さて本題に移ろう。御堂筋線梅田駅は今では下り線(中百舌鳥方面)と上り線(千里中央方面)が別々のホームとなっているが、元々は上りホームには淀屋橋駅のように上りと下り両方の線路があった。今のように独立したのは平成元年11月5日のことだ。これは大阪の地下鉄で最も乗降客の多い梅田駅の混雑解消を目的にしたものであるのは言うまでもない。ただ、気になるのは…JR大阪駅の下にもう1本の地下駅などどうやって、しかもいつの間につくったのか…という事である。謎だ。本来は大工事になっていたのでは??

従来からのホームは上り専用

天井も高くて、明るい

こちらは新設下り専用ホーム

実はこの場所(下り専用ホーム)は、とっくの昔に着工されていたのだった!!

現在の御堂筋線梅田駅が出来たのは開通の2年余り後の昭和10年10月6日。それまではもう少し南寄りの仮の駅だった。もっともその間工事していた梅田駅は、後の谷町線との連絡を想定した、大国町駅のような大きな駅になるはずだった。
しかし御堂筋線の部分は順調に工事が進み無事に駅として開業したものの、谷町線の部分の工事で二度の事故が起こり、あえなく工事は中止されたという。
途中まで工事が進んだその部分は駅にはならず、車庫になったり電気施設になったりしていたが、のち開通した谷町線はご存知のように梅田ではなく東梅田駅となってしまって、御堂筋線との直接の接続は結局実現しなかった。以後この部分はただの穴と化してしまった…。
ただし、大阪ではこの部分の存在を知る人も多かったようで、「梅田駅に『幻のトンネル』があるらしい」という噂(実話だが…)も広まっていたようだ。

そこに近年持ち上がったのが御堂筋線梅田駅拡張の計画。この『幻のトンネル』を活用しない方法はないという話になった。こうして"谷町線梅田駅"は改修され、御堂筋線梅田駅下りホームとして実に50年以上もの時間を経て、ようやく駅として開業に漕ぎつけた。同時に『幻のトンネル』の伝説は過去のものとなった。

戦前に御堂筋線は梅田-天王寺間が開通したが、四つ橋線大国町-花園町間も開通。その後岸里へ延ばす工事は戦争のためストップ、それどころか未開通部分は軍事上重要な道路の真下。即刻埋めろという国からの指示で、せっかく掘ったトンネルを泣く泣く埋めることになり、急いで御堂筋線天王寺-昭和町の工事に着手、600m程掘った土で四つ橋線を埋め戻したという。

戦後御堂筋線は昭和町へ、西田辺へと延長したが、実はこの区間はトンネルではなく開溝式構造というものでつくられた。これは将来地下鉄の上に道路を作ることが予定されており、掘割のようなスタイルだった。電車からは当然空が見えた。今では予定どおりちゃんと「あびこ筋」という道路がつくられ、御堂筋線も普通の地下鉄のスタイルとなっている。


歴史のある地下鉄にはそれなりに「謎」も多いようです。もっと話題を集めたら「地下鉄御堂筋線ストーリー」なんていうものまで書けそうな勢いです。

次はとっても珍しい話です。

【予告】家の前の謎

―参考文献―

 大阪の地下鉄-創業期から現在までの全車両・全路線を詳細解説- 産調出版刊
鉄道ジャーナル 1974年10月号 特集「日本の心臓 東京の鉄道<第一部>」 (株)鉄道ジャーナル社刊

このサイトからの文章、写真等内容の無断転載は固くお断りいたします。

トップへ