関東私鉄ストーリー

お待たせいたしました。ご乗車ありがとうございます。

こんどは関東の方々にも満足頂きましょう。さぁ出発進行!!


 ●中古車はよく売れるという話

クルマなんかとと同様、デビュー当時は話題を集めた電車もいつかは引退する日がやってくる。特に関東の大手私鉄は大体どの会社も昭和40年代前半まで車体の長さは18m前後、扉は3つというのが標準だった。これは戦時中に関東私鉄の多くが東急に合併した当時の、東急の標準的な車体がその大きさだったからだ。戦後各社分離独立後も車体の大きさは踏襲された。しかしそれ以降の乗客の伸びは著しく、線路を増やそうにも時すでに遅かったという事実。

一方、戦後の復興時に国鉄63型の私鉄分割り当てを受けた小田急、西武、東武の3社は早い時期に20m、4扉という車体を採用していたが、線路の増設は同じくままならなかったようだ。

都営浅草線、営団(現:東京メトロ)日比谷線は、ちょうどそのような時期に京成・京急や東急・東武との相互乗り入れを決めた。地下鉄線内乗り入れ電車については、乗り入れ私鉄、地下鉄双方の会社で性能、寸法がバラバラにならないよう細かく規定されている。京成、京急はいまでもスカイライナーや快速特急用2100系以外はその車体を守っているが、今では東急は車体を大型化してJRなみの20m、4扉を採用し、のちに半蔵門線への乗り入れは大きくなった車体が採用されている。

地下鉄銀座線ストーリーでも書いたけど、昔の規定はずっとそのまま。特に東武と東急では乗り入れ用電車が古くなって新車を投入したものの、前と同じ車体寸法の専用車でなければならないため、自社線内では収容力が小さく扉の位置も違うというデメリットも生まれた。

それで、それまで活躍していた電車はというと、レッドアローの話同様まだまだ使えるのが現実。しかもその位の車体は地方私鉄ではベスト寸法で極めて使い勝手が良く、多くが第二の人生(車生)を歩んでいる。

日比谷線の営団3000系は、長野電鉄に売却された。それまで主力として使ってきた元東急5000系や自社の電車が古くなってきたからだった。それと長野オリンピックを控えて主力電車を刷新したかったのと、電車のワンマン化も進めたいという思いも重なっていた。

日比谷線に直通していた東急7000系は、デビュー当時こそスターの存在だったが、のちに大型化された8000系以降の電車に追われ、営団直通と東横線に終始していた。しかし電車が古くなってきたことと、冷房がないということから引退することになったが、地方私鉄では手頃な大きさだし、しかもステンレス製だからメンテも楽で事実好評だ。北は青森の弘南鉄道、西は大阪の水間鉄道など5社へ売却されていった。また一部の電車はインバータ制御に改造されて東急に残っている。

ボクが住んでいる石川県にも、元東急7000系がやってきた。北陸鉄道石川線に投入されたこの電車の足回りは、東急オリジナルではなく西武線とJR中央線のお古に交換されている。また冷房が取りつけられて(バス用の冷房装置を流用)、それまで旧型の冷房のない電車がのんびり走っていた頃に比べて大きなサービス向上になったばかりか、路線も一旦黒字経営になってしまった(最近はまた赤字に戻ったらしい…)。

一方東武から日比谷線に乗り入れていた東武2000系は、改造されて自社の支線で走っているが、冷房がないので評判が悪いようだ。

京王電鉄も「東急サイズ」を長く守ってきた私鉄。同じく北陸鉄道浅野川線では京王井の頭線を引退した元京王3000系が走っている。また北陸鉄道の他に松本電鉄、岳南鉄道などでもその姿が見られる。一方井の頭線では大型化された新車1000系に混じって、残った役半数の仲間が前面を改造されて今でも活躍中。

前に「愛していると言ってくれ」というドラマがあった。豊川悦司人気はこれでますます上昇、常盤貴子はこのドラマでブレークした。そのドラマの中で、唯一豊川悦司が発したセリフ「紘子!!」というシーンが井の頭線の普通しか止まらないある駅で撮影されたが、その時登場した電車が今でも井の頭線に残っているのか、それともこの移籍した電車なのかはさだかではない。ちなみにCMやドラマの撮影が多い京王線では、ロケ専用の特別ダイヤのは有名。しかし井の頭線にはこれがなくって、おまけにこのシーンのロケでは電車が近づいてきて「5秒前、…スタート」とまでは良かったが、普通電車でのシーンを撮ろうとカメラを回したら急行だったのに誰も気づかず、「あ・行っちゃった〜」。全員唖然としたあと大爆笑だったという話も残っているとか。

京急1000形は特急から普通、都営浅草線直通とオールマイティに活躍する電車で、実に昭和34年から53年まで19年間も増備がつづいた電車だ。初期のものは引退したが、やはり大きさは手頃。目をつけたのは「走る電車の博物館」の異名をとる香川の高松琴平電鉄(以下琴電)。なにしろ自社の電車はもとより元阪神、京急、名鉄、近鉄、さらに最近は京王、名古屋市交通局からの移籍車も加わった。珍しいところでは戦時中に国鉄になった私鉄の電車、国鉄払い下げの客車を改造した電車など、非常に興味深い。

琴電での元京急の電車は、名車230形、快特に活躍した先代600形がすでに改造されて走っていたが、今度は1000形が移籍デビューということになった。

京急を利用すると、その走りが並ではないことに誰もが気づく。ギューンと加速してガーッと減速する伝統の足回りはそのまま琴電では通用しなかった。最高速度80km/hの琴電では試運転の時にあまりにも速すぎることが判明、あわててスピードが出ないように再調整したらしい。


こうして手頃な大きさの電車たちは、あるものは姿を変え、またあるものは姿を変えずに今でも活躍しています。ただし値段が手頃かどうかまでは判りませんが…

次は、よ〜く見てみると…という話です。

【予告】異母兄弟の謎

【参考文献】

鉄道ジャーナル 1992年11月号 特集・ローカル私鉄の光と影 (株)鉄道ジャーナル社

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