関西私鉄ストーリー

本日も御乗車、ありがとうございます。

このページでは地下鉄銀座線ストーリーに引き続き、私鉄王国関西のことを紹介致します。

 

●トロリーバスの謎 日本無軌道電車って何?

無軌道電車?軌道が無くってどうやって電車が線路を走るんだろう。

法規上の「鉄道」というのは「自動車以外」のものを広く含めるようで、ケーブルカーやロープウェイ、はたまたスキー場でお世話になるリフトまでもが「索道軌道」という名で鉄道のカテゴリーとされている。

軌道とは必ずしもレールではない。札幌の地下鉄はゴムタイヤ式で有名であるが、これは確かにレールがないが駆動用車輪と案内用車輪の両方があって、どちらもタイヤだ。パリの地下鉄にもゴムタイヤ式があるが、これは普通の軌道と車輪を案内用とし、駆動をゴムタイヤとしている点が異なっている。ちなみにこの札幌方式は計画当時、該当するものがなく、運輸省も困ったらしいが、このケースをきっかけに「案内軌条式」というものを制定した。

軌道が無い電車。それは昭和の始めに関西で産声を上げていた。

阪急宝塚線の雲雀丘花屋敷駅付近は、今ではすっかり高級住宅街として全国的にも有名だ。阪急沿線は阪急自身の手により開発されたものが多いが、これは「新花屋敷温泉土地」という別の会社によるものである。この会社は大正の中期から川西市と宝塚市の山手、満願寺の麓約2km四方に渡る住宅地と、温泉、遊園地の開発を行った。

当時第一次世界大戦後の好況により、大阪の人口は増加して住宅地は郊外に広がりつつあった。この開発地もその一環のようなものだが、阪急宝塚線の最寄駅からこの住宅地、温泉、遊園地は少し離れていた。
宝塚線の最寄駅は花屋敷駅。現在の雲雀丘花屋敷駅よりやや大阪よりにあった。しかし開発した場所は高台で行き来にはかなりの急坂があったため、その輸送手段が問題となった。電車ではとうてい上れない、バスは当時パワーがなくこれまた無理。ということで導入されたのが「無軌道電車」。つまりはトロリーバスなのである。阪急から電気を分けてもらって、昭和3年8月1日、日本最初のトロリーバス、「日本無軌道電車」が開業する。

また温泉、遊園地はかなり大掛かりなものだったらしく、食堂、浴場、娯楽室、家族風呂を備えた200坪の建物と、20,000坪の遊園地があったという。またその遊園地には動物園、カチカチ山、桃太郎神社(?)があったらしい。

今トロリーバスといえば、形としては全くの「バス」なのだが、エンジンではなく普通の電車と同じように電気を得て、モーターで走るものなのであるが、この日本無軌道電車は違っていた。形としては全くの「電車」なのだが、鉄の車輪ではなくタイヤを備え、道路を走るものなのである。路面電車の車輪がタイヤだと思っていただければよい。なにしろ日本最初なのだから全く勝手が判らなかったようだ。

その結果、トラブルが続発したらしい。今ではタイヤといえば空気が入っているものであるが、この時のタイヤは全てゴムで出来たソリッドタイヤだった。さぞ乗り心地は悪かっただろう。そのせいか振動で肝心のモーターに付いているギアが吹っ飛んだとか、ユニバーサルジョイントが折れたとかいう重大故障に始まり、集電装置であるトロリーポールがよく外れて走行不能になった…ということも起こったらしい。

せっかく出来た無軌道電車だったが、直後に起こった世界恐慌の嵐に見舞われ住宅地の分譲は思うに任せず、温泉、遊園地の客は当初は多かったものの、これも激減。ついには社長の失踪という事態になってしまい、昭和7年1月には運行停止となり、続く4月にはあえなく廃止の憂き目を見ることになってしまった。

こうして「日本無軌道電車」はたったの3年で消滅してしまった。今、花屋敷からつつじが丘を経て長尾台、満願寺と続く道があるが、これが路線の跡と言われている。

トロリーバスは戦前より京都市、名古屋市、川崎市、東京都、大阪市、横浜市で都市交通として採用された。京都市は日本無軌道電車のたった1年後に開業したが、こちらはイギリスからの輸入車を導入し車体スタイルは完全にバスとなる大幅な進化が見られている。しかし電車同様架線から電気を得ないと走れないということから邪魔物扱いされはじめ、昭和47年4月の横浜市を最後に姿を消すことになる。

そして今、日本で無軌道電車というものはなく、「無軌条電車」という名になっている。やっぱりバスなのに鉄道のカテゴリーに含まれている。立山黒部アルペンルートの扇沢−黒四ダム間はトロリーバス路線で知られていたが、平成30年11月30日をもって電気バスに転換して鉄道のカテゴリーから外れた。昭和39年の開業以来無事故で走り続けたのは特筆されよう。
現在は同じアルペンルートの富山県側、室堂−大観峰間のトンネルバスが平成8年にディーゼルエンジン搭載のバスからトロリーバスに転換、日本唯一の無軌条電車となっている。


日本初のトロリーバスはこうしてあっけなく消えてしまい、その存在を知る人も少なくなってしまいました。しかし大気汚染、地球温暖化等の問題がクローズアップされている今、見直されてもいい乗物かもしれませんね。

次はそんな計画があったのか!という話です。

【予告】 大阪市営モンロー主義の崩壊

【参考文献】

関西の鉄道 1995陽春号 新花屋敷無軌道電車 関西鉄道研究会

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