楽園紀行    '97.10.4〜10.7


  ★沖縄へしゅっぱ〜つ!!

小松と那覇の間を飛んでいるJTA(日本トランスオーシャン航空)の直行便の運航は、スタート以来ずっと那覇を昼に出発して午後小松に着き、折り返して夕刻那覇に戻るというスケジュールだったが、那覇を午後発ち夕刻小松に着きそのまま小松で夜間駐機して小松発は翌朝、那覇には午前中に着くという便利なスケジュールに変わった。

それでまだ夏の沖縄へ…と、遅い夏休みを取った。

10月4日、「スポレク沖縄」と大書したステッカーが貼られているJTAのB-737-2Q3、スカイシーサーで小松を発つ。この便は国際線用のボーディングブリッジを使うので、搭乗口には韓国語も表示されているのが珍しい。席に着くと異常に地面が近い。そうか東京便のジャンボとかの大型機に慣れてしまっていたから、カワイイB737ではそう思うのも不思議ではない。

那覇までの燃料を満載した機は、B737にしては長い地上滑走のあとエアボーン、宮津トランジションから岡山、高松、土佐清水、鹿児島と順調に飛行。JTAのB737ご自慢のスリムラインシートは普通席でも余裕があるけど、ビデオが付いてないのでオーディオだけでガマン。機内誌にはない隠しチャンネルなんかもあったりする。これもテーゲー主義?

スロットルが絞られ、沖永良部まで来たのが判る。本島北部を横断しながら高度を下げ、チネンというポイントで右へターン。このチネンというのは運航上決めた海上の架空の地点で、戦後米軍が勝手に知念の地名をとって勝手に命名したもの。この他にもゴーヤーとかエイサーとかがある。

那覇空港R/W36のグライドパスに乗る。眼下に珊瑚礁の海が広がってもうワクワクドキドキ。はるか左手に慶良間や久米島を見て着陸。JTAなのでターミナルは第二だ。バゲージクレームで預けた荷物を受け取り、すぐに迎えのレンタカー会社のワゴン車に乗る。

  ★リゾート・リゾート・リゾート

暑い。31℃もある。レンタカーの手続きを済ませ、さっそく海を眺めながらドライブというコトで泊大橋経由で本島を北上開始。やっぱり沖縄、海の色が違うっ!安謝で58号線に合流、久しぶりの風景が流れる。お昼はハンビーのステーキハウス「四季」。ちなみに本店はコザにある。ヒレステーキとイセエビのテルミドールのセットを食べたが、このボリュームにしてこの値段という位安い。感動モノ。近くのサンエーというショッピングセンターは「月2回ペイデイセール」と大書してあり、米軍嘉手納、普天間両基地からの利用が多いことをうかがわせる。レジもドル使用可だった。本屋でタウン誌「おきなわJOHO」などを買い込んで再び北上。FENを聞いているとどうやらワールドツアーを始めたばかりのストーンズのミック・ジャガーのインタビューだった。ラッキー!嘉手納ロータリーを通って大きなアップダウンで比謝川を渡り、読谷の丘陵地帯の後、ルネッサンスリゾート(旧ラマダ)を過ぎると一気に海が広がって恩納村。ボク達の定番リゾート、万座ビーチを目指す。

ホテルの少し手前のコンビニ(…に変わってしまったが)でオリオンビールやシークワサージュース、パンなどを買って、ホテルにチェックイン。荷解きももどかしくビーチへ。

沖縄での楽しみはまずは海でのシュノーケリング。それと食べるコト(笑)。

マスク、フィン、シュノーケルを着けて、それと先ほど買ってきたパンを持って海へ。もういるはいるは状態!!デバスズメ、ミスジリュウキュウ、オヤビッチャ、ウマヅラハギ。すこし潜るとクマノミ、ツノダシ、チョウチョウウオ。でっかいブダイの群れもいる。パンを持ってきたのはお魚さん達のエサにするためで、指先で溶かすように撒くともう竜宮城状態!!よく見かける熱帯魚の水槽(それ以上かも)のようなものと思ってさしつかえない。しかもこの日は珍しくもミノカサゴが悠々と泳いでいるのが見られた。

夜はコザの少し先の泡瀬まで出て(後で知ったがばなさんの出身高校はこのスグ近くだったらしい)、「アワセソバ」でソーキそばと焼そば。どっちもうまい。特に焼そばは沖縄そば用の麺を使ったオイスターソース味が絶品!!もしかして仕事で要るかもと持ってきたPCでモバイル、コザのゲート通りから旧世界に行ったりもした。
国体道路からハンビーへ出て、フリーマーケットを見たりする。さすが沖縄、夜型社会だ。そこで久米仙(泡盛)を仕入れたものの、ホテルに戻って呑むつもりが疲れてしまってすぐ熟睡…。

5日も朝から海。60cmはあろうかという大きなブダイ親分に子分のコバンザメがくっつきながら泳いでいた。

秋は夏に比べていくぶん波があるが、それでもシュノーケリングには十分だ。昔恩納村周辺リゾートホテルビーチ実態調査(笑)をしたコトがあるが、人工ビーチのルネッサンスリゾート、サンマリーナなどは波の影響を受けやすいが、天然ビーチの万座、オクマなどは影響を受けにくいというコトも判った。

万座はラグーンになっていて、シュノーケリングには最適。

夕方は早めに切り上げ、コザの「プラザハウス」で買物。香水が安くなっているし、沖縄限定品というのもあって、つい購買欲が…(笑)。A&Wでハンバーガー食べて、#2はあの「ルートビア」も飲んでいた。夜食にターンム(田芋)のコロッケとウベ(紅芋)のコロッケ、それにいなりずしなどという惣菜なんかも買ったりもした。

戻し税制度もまだ続いていて、対象商品を買ったら帰りに空港の税関へ売上票を持っていって税金を返してもらうという制度だ。国内旅行なのに税関なんだよ。

夜は那覇へ出る。携帯が鳴って「故障発生なんですけど…」まさかスグに直しに行けるハズもなく、部下に任せる(これが翌日にも響くコトになるとは…)。
いかにも観光客目当て…という店はコリゴリなので前回行った久茂地の「あかばなー」という店を探したら日曜というコトで休みだった。残念。それで国際通りをちょっと入ったトコの「かびら」という小さな居酒屋で一杯。キスの唐揚がうまかったっすー。その店を探している間、通りかかったCD屋からストーンズの新譜が聞こえた。

6日。前日夜食にと買った惣菜は、泳ぎ疲れてホテルに戻って爆睡したのでそのまま朝食に早代わり(笑)。紅芋のコロッケは赤いというより紫色。でもさつまいものルーツはこれという説もあるし、味も実際似ている。生のままの紅芋は本土へはそのままでは持ち込めない。空港には検疫もあるのでチェックされるんだよ。

それでも懲りずにまた海へ。買い込んでおいたパンが知らず知らずのうちに水着のポケットから溶け出していて、魚たちがボクの後を追ってくる。それを見て女のコたちが「キャーすごーーーい!」と言いながら寄ってきた(嬉)。エサのパンを分けてあげて、「ホラ、こうしてやるんだよー」と教えてあげたらすごく喜んでいた。

この日は昨日までに加えて海の掃除屋ホンソメワケベラ、それにナンヨウハギ、キュウセン、唐揚が美味しい沖縄県魚のグルクン(和名タカサゴ)なども。

あとで自分の体を見ると、あちこちにデバスズメたちにつつかれた跡があった。そういえばずっと一緒に泳いでいたんだもんな。すごい食欲だったし(笑)。しかもとうとうブダイがボクの指先をエサと間違えたのか、ガブッ!とやられた。あーびっくりした。

実は昨日の故障が別の故障を生み、潜っている間、携帯にはものすごい数の着信履歴が…(絶句)。結局ボクの部下では対処できず、隣の班の応援を仰いで、お土産の泡盛の本数が増えてしまう結果に(笑)。なんてこったい。おかげて生きた心地がしなかったよ。

それでも三日間泳いで潜って、すっかり海を堪能!!それはこの年最初で最後の海だったが、最高の海だった。

さて、夜はまたまたコザへ出て、ゲート通りのBIG BULLというステーキハウスへ。沖縄はステーキが安くて美味くて…。満腹になったので腹ごなしを兼ねてコザの中央パークアベニューあたりを散策。

何故だか巨大な招き猫に驚いてしまったり、りんけんバンドのリーダー、照屋林賢氏の店を発見したり。この照屋ミュージックというCD・楽器の店の2階はスタジオになっていて、今までに出したアルバムの何曲かはここでレコーディングが行われたという。

その後、謎となっていた「パラボラアンテナ」を見に行くことにした。ばなさんに場所を教えてもらったし。

沖縄自動車道を終点許田まで北上し、少し戻ると聞いていたがなかなか判らない。途中コンビニで道路地図を見て58号線を南下。安富祖から金武方面へ少し入り、さらに暗い細い道を進むと…ありました。

しかし、真っ暗。不気味。早々に立ち去り58号線に戻ると、なんだ、ちゃんと標識があるじゃないか。ホテルの灯にホッとしながら戻る。そういえば名護の近くで大きなリゾートホテルがまた一つ増えていたけど…

  ★帰途に…

7日。楽しかった沖縄も、はや最終日。ホテルのバイキングの朝食はその場で目玉焼きorプレーンオムレツ焼きたてサービスがウレシイ。そのあとホテルのショップで買い物をしてたら昨日の女のコたちがいて、「あ・お兄さんだー」。

部屋に戻り、帰り仕度をするこの時がつらい。いつまでもここにいたいなー。

カバンに思い出をつめこんで、ちょっぴり感傷的になりながらチェックアウト。また来るぞと誓ってホテルを後にする。もう十分馴れてしまった58号線を南下。

途中またハンビーに寄り、定番のブルーシールアイスを食べてついでにウチへのお土産もこれにする。那覇に戻り、国際通りで初めてヘリオスビールを飲む。ペールエールは美味しかったな。その後久茂地の「リウボウ」で沖縄そばの麺、ポークだし、あんだんすーといった地元の人のような食料品を買い込んでレンタカー返却。何と400km以上4日間で走ってしまっていた。

帰りは少しでも長く沖縄にいたいのと、ちょっと豪華にという訳で、わざわざ東京経由にしておまけにスーパーシートを奮発。小松行きの直行便は2時間ほど滞在が短くなってしまうし、スーパーシートもないし。

ボーディング。あの女のコたちも同じ便だった。そして機はプッシュバックされて、さようなら沖縄。スカイビジョンに映し出された誘導路が空しい。ジャンボ機は何事も無く大地を蹴った。

那覇空港の北側の空域は米軍嘉手納基地の空域と重なっていて、那覇空港を離発着する民間機は高度300m以下を維持しなければならない。そのため離陸後すぐにパワーが絞られ、しばらくは本島沖合遊覧飛行状態が続く。嘉手納基地を右に見て、再びマックスパワー。巡航高度11,700mまで上昇を続ける。さっきまで走っていた58号線が見える。万座ビーチも小さく見えた。また来るからね。

本島の北端、辺土岬をヒットする辺りでレベルオフ。ジェットルートG581を東京へ向けて飛行。お楽しみの機内食。その後窓の外は一気に漆黒に。機はいつしか高度を下げ、街の明かりが見えてきた。羽田だ。

  ★トランジットで小松へ

到着が少々遅れて40分程の待ちとなった。その間にソニープラザで乾燥マンゴーを買う。これはホント美味いが、実は沖縄みやげにも早代わりするというスグレモノ(笑)。乗り継ぎの小松行き最終のボーディング案内で機に向かうが、おや?さっきと同じ機体だ。席につくと、キャビンクルーもさっきとおんなじ。CAの人に聞いてみると東京/那覇/東京/小松と、きつい3レグだという。

結局はボク達とクルーと機体は、那覇からそのまま少しは南国の空気も載せたまま小松へ向かう。スーパーシートはまたもや機内食攻撃(笑)。こんどはたったの10分しかない水平飛行のうちに胃袋へ押し込んで、満腹のまま小松に無事到着。

楽しかった。また行こう沖縄。


あとがき】

この「楽園紀行」は、悪童日記(くわやま妻の日記)に書いたものを整理して写真等を追加し、書きなおしたものです。その後那覇空港ターミナルは第一、第二が統合されて生まれ変わりました。文中で名護の近くに出来たという巨大ホテルはブセナリゾートといい、2000年沖縄サミットの会場になりました。

1999年10月

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