旅日記Vol.54  22th.Anniversary in OKINAWA 2009.10.24〜26 沖縄

それは1本の電話から始まった。

「勤続20年おめでとう。表彰状と記念品を渡すので会社まで来るように」。普段は出先での仕事なので会社に行くこと自体珍しいが、石の上にも20年なのかと改めて感心した。その記念品とは旅行券。「これで奥さんと旅行に行ってきなさい。今まで勤めてこれたのは、奥さんの支えがあったからだよ」と、二日間の特別休暇も頂いたものの、どこへ行こうか、いつ行こうかなどというコトは、以後全く考えていなかった。

そういえば去年、結婚記念日に二人で行きつけの店でフレンチを食べてきた。今年の結婚記念日はどうしようかと思っていたら、ふと「沖縄」という言葉が脳裏をよぎった。そうだ!沖縄だ!新婚旅行以来お互い「沖縄病」にかかってしまい、それから毎年のように訪れていたのが、12年前の夏を最後に症状は軽くなり、時々発作は起こるものの現地へ行くという治療(笑)まで至っていなかった。
しかしあれから12年。沖縄はだいぶ変わっただろうなあ…。せっかくの旅行券と休暇。夜勤という特殊な仕事柄、なかなか思うように休みが取れないが、この際22回目の結婚記念日を沖縄で過ごそう!2泊3日なら…と思い切って相談してみるとオッケイが出た。#2も休みをゲット出来て、さっそくエージェントで予約。往復ともJTAの直行便で、泊まるのはもちろん万座ビーチと決定。

10月の沖縄は、まだ夏の暑さの残る季節。本土では秋が深まっていく中で、もう一度夏を求めて旅するには最適な季節だ。
ところが出発を1週間後に控え、南の海上には台風20号「ルピート」が発生。動向が気になったがフィリピンへ向かいそのまま消滅しそうな気配…のはずだった。
その後台風は停滞後なぜかUターン、一転して北上の動きを見せ始めた。勢力も衰えそうにない。ただし沖縄本島上陸の可能性は低いようだ。こうなればイチかバチか、とにかく行ってみよう。

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10月24日朝、金沢は小雨。沖縄も雨なのはもう判ってはいたが、雨なら雨なりの楽しみ方もあるはず。そう思いつつ小松空港へと急ぐ。土曜日なので道は比較的空いていた。これが平日なら声を枯らしていただろう(笑)。久しぶりのチェックインカウンター。チケットレスだったが便を予約出来た時点で事前座席指定が出来なかったので、ここで指定。右側窓側並びが取れたが、果たしてどんな機窓になるだろうか。
NU031便は定刻8:55にプッシュバック開始。機種はB737-4Q3、レジナンバーJA8525は結構初期に導入されたもので、150席仕様。オーディオはエア式のなつかしいタイプだった。ビデオ設備がないのでセーフティインストラクションはもちろんCAの実演。地上スタッフに見送られ、R/W24エンドへとタキシング。2基のCFM56-3C1の出力が増し、そのままローリングテイクオフで巡航高度へとクライムしていく。順調だ。

JTA B737-4Q3しばらくして雲の中に入る。もう下界は見えない。雲の上に出て、もう一つ雲の上に出て巡航高度の10,600mに達しベルトサイン消灯。機長のアナウンスによれば那覇は雨で気温は23℃だという。雲海の上に青空が広がったが気流がやや不安定なのか時々揺れる。偏西風が強く対地速度は700km/hにも達しない。がんばれB737。
以前小松-那覇線はミヤヅ1ディパーチャーから岡山、高松、土佐清水、鹿児島へ経て那覇へと向かっていたが、今はミホ1ディパーチャーから岩国、大分、鹿児島へ経て那覇を目指す。でも雲海しか見えないのでどこを飛んでいるのかは判らない。ドリンクサービスはコーヒーをチョイス。機内誌「コーラルウェイ」を読んだり、持ってきた文庫本を読んだりして過ごす。

やがてエンジンの出力が絞られディセンド開始と同時にベルトサイン点灯。沖永良部上空だろう。雲の中を降下していくとやっぱりタービュランス。すかさず「揺れておりますが安全な飛行には問題ありません」とCAのアナウンスが入る。一旦雲の間に出て揺れは収まり、雲の切れ間から沖縄本島の街並みがチラリと見える。もうすぐだ。右旋回してグレースをヒット、機首を那覇空港R/W36に向ける頃には大きく揺れだした。海はうねり、南部戦跡は雨の向こうに霞んでいる。一瞬フワッと高度が下がり後部の席からは「キャー」という声も。ファイナルアプローチは右からの横風を受け、機首をかなり右に振っている。翼端からベイパーを引きながら見事な舵さばきで難なくタッチダウン。

スポットからはバスで到着口へ。風は強いが雨はそう強くない。雨の沖縄は初めてではないが、抜けるような青空を期待していただけに、ちょっと残念かも。到着口で荷物を受け取って…実は新しくなった那覇空港ターミナルは初めて。かなり広くなっている。狭かった旧ターミナルがウソのようだ。レンタカーを借りるため、待っていた送迎バスに乗り営業所へ向かう。途中には航空自衛隊那覇基地や沖縄都市モノレール「ゆいレール」の車庫が。手続きを終え、早速行動開始。雨なんかへっちゃら。

なつかしいF-104
航空自衛隊那覇基地で展示されているF-104「スターファイター」

奥武山公園に明治橋。う〜ん、記憶が鮮やかに蘇る。毎年のように来ていた頃は「また来ちゃった」と思ったものだ。その頃とはゆいレールの線路だけが違うだろうか。ちょうどお昼だったのでゴハンを食べようと、まずは国際通りへ行くことにしたものの、雨に負けて結局りゅうぼうの中にある「みの家」でボクはゴーヤーチャンプル定食、#2は茄子の味噌炒め定食。どっちもソーキそば付き。もう美味しくてガツガツ食べてしまい…(笑)。
雨風の中、一応国際通りも散策。観光客と修学旅行生ばっかり。それに国際通りは異常な位に土産物の店が軒を連ねてしまって、ちょっとガッカリ。雨しのぎにスタバで一休みしてクルマに戻り、万座ビーチを目指すことにする。

久茂地を後に一旦若狭まで行き、泊大橋を通ってみた。雨の中でも眼下に広がる青い海や街並みはワクワクする。安謝から58号線を久しぶりのドライブ。6車線の広い道だ。勢理客から米軍キャンプキンサーを左に見て屋富祖、城間の辺りは大きな建物がだいぶ増えたように感じる。12年前は工事中だった牧港の立体交差の手前には、お馴染み「Big Dip」のブルーシールアイス。家具屋が並ぶ大山からは記憶どおりの風景が広がった。移転問題に揺れる米軍普天間基地は右手。伊佐からは海岸線に近づきハンビータウン、北谷を過ぎアメリカンビレッジ…あの頃はまだ「これから」といった雰囲気だった。
嘉手納基地の進入灯や広大な敷地が見えて、やがて嘉手納ロータリーへと進むはずが、58号線が改良されロータリーではなくなっていた。58号線はここから4車線となる。比謝川のアップダウンの先は読谷、少しずつ人家が減り、オキハムの工場から先、ルネッサンスリゾートのある山田までは夜など真っ暗だ。山田で目の前に海が開けたらいよいよリゾート地帯、工事中で車線が絞られている仲泊大橋の先は2車線になりムーンビーチ、サンマリーナ、谷茶ベイなどお馴染みのリゾートホテル群に今年オープンしたカフーリゾートフチャクコンド・ホテルが威容を誇っていた。
南恩納を過ぎ、役場や郵便局のある小高い丘を越せば、万座毛入口の先にANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾートが見えてきた。うわー久しぶりだー。

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以前と違い、ツアー客よりも個人旅行客が多くなった証拠にレンタカーが駐車場にズラリ。ホテルではクルマのピックアップサービスを行っていて、到着と同時にクルマを預けるコトが出来る。後はいつでもスタッフが玄関まで車を出してきてくれる。この雨風の中、ボク達は楽ちんだが、スタッフは大変だ。
チェックインの時にプレミアムフロアー(最上階の9階)に変更してもらった。専用ラウンジはフリードリンクでくつろげ、部屋の中のアメニティグッズも別物。ちょっと贅沢気分かも。案内された部屋は今年リニューアルされたばかり。荷解きを済ませ、館内の探検(笑)。全日空の直営だった頃に比べるとちょっと趣は変わったが、バブル絶頂期の華やかさとはまた違い、落ち着いた大人のリゾートという感が強い。驚くことにこの日はピーチもプールも遊泳可。風向きの関係でビーチの波は穏やかで、雨さえガマンすれば泳げたようだ。またプールでは小さな子供がそれでも楽しそうに父親と戯れていた。チャペルでは結婚式が行われたのだろう。雨風の中写真撮影をしていた。
部屋に戻り、ネットで台風情報を仕入れたり今夜のゴハンをドコにするか検索したり。ラウンジで一休みしながら、ゴハンは結局目星をつけていた「鉄板焼ステーキハウス四季美浜店」と決定。土曜の夜、しかも人気店とあって電話予約を済ませる。

58号線を南下、嘉手納基地を過ぎ、アメリカンビレッジの入口の桑江の十字路(交差点)が目印。駐車場はYナンバー(米軍関係者)がズラリと並び、一歩店に入るとお客さんが大挙順番待ち。予約しといて良かった(日曜は予約不可)。そのまま席に通されるとなるほどお客さんの八割は米軍関係者とその家族。この付近は普天間基地や嘉手納基地、キャンプ桑江にキャンプ瑞慶覧と米軍施設ばかりで、どうやら土曜の夜を家族でステーキという嗜好なんだろう。
前にも一度この店に来た事があるが、その時は場所も違い、ステーキハウスではなく喫茶店みたいな店で鉄板焼スタイルでもなかった。今回はヒレステーキ(200gのMサイズ)と活伊勢海老(半身)の鉄板焼コース。もちろん目の前で焼いてくれる。クルマなのでノンアルコールビールで乾杯。こうしてまた二人で沖縄に来れたことを祝して。
しばらくして通されたのはいかにもアメリカっぽい野菜のクリームスープ。続いて担当の若いコックさんがやってきて、付け合せのパスタから調理開始。続いてステーキ。手際良く焼かれたステーキは夢心地の美味しさ。ゴハンも進むこと。再び付け合せの野菜を炒めた時に、お待ち兼ねのパフォーマンス。最後に背中でキャッチし損なったけど、それはご愛嬌かな。最後は伊勢海老。こちらもまた美味しいこと。すっかりおナカいっぱいに…ただし使われたニンニクの量もハンパではなかったコトを申し添えておこう(笑)。

コーヒーで締めくくってごちそうさま。ふー。ちなみに本土では信じられないような安さ。ここで那覇へ向かい、DFSギャラリアへ行ってみた。
かつて沖縄では「観光戻し税」という制度があって、観光に一役買っていた。これはブランド品など輸入商品を一旦税込みで買い、帰りに空港の税関で払い戻し票を見せ、銀行で関税分を払い戻してもらえるものだったが、国内旅行なのに税関があるのは沖縄独特のものがあった。最近はディスカウントショップなどの台頭で意味がなくなったようで、7年前に制度そのものが廃止されていた。
しかし沖縄の観光振興策として免税品販売が再びクローズアップされ、DFSギャラリアが出来たという。商品を買うには航空券の提示などが必要で、その時ショッピングカードを作ってもらう。商品はその場では受け取れず、帰りに那覇空港の搭乗待合室内でカードと引き換えるコトになっている。つまり県外への持ち出しが条件なのだ。
広いギャラリアには高級ブランドがズラリ。圧倒されてしまう。#2はさっそくロクシタンでコスメに夢中。

再び雨風の中をホテルへ。伊佐の信号待ちで並んだクルマから米軍兵が盛んにピースサインを送っている。ナンパされかかったのだろうか。残念ながらオトコだよ(笑)。
部屋に戻れば本部半島や伊江島の明かりが見えたり、雨に煙ったり…。

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25日。相変わらずの雨風でどうやら台風は再接近している模様。。前日の情報では26日がもっとも影響が大きそうだったが、少し速度を速めたようだ。以前沖縄に台風が上陸したのも経験したが、さすがにその時は交通機関はもとより、学校や店舗、殆どの会社が休みとなって、県全体が身構えていた。今回はそれほどでもなく、移動は沖縄自動車道が50km/h規制となっている位で、航空機も条件付ながら平常運行。単に雨風だけが強めというだけだった。
朝ゴハンはプレミアムフロアーのラウンジでコンチネンタルスタイルとすることも出来たが、ガッツリ食べたいのでメインダイニングのアクアベルでバイキング。焼きたてオムレツのサービスは変わっていなかった。

今回いちばん行きたかったのが美ら海水族館。12年前はなかった施設だし、場所もよく判っていなかった(笑)。調べると海洋博記念公園だった。本部半島の先端までクルマを走らせなければならない。58号線を走るうち、エメラルド色の海に雨で増水したであろう川から濁流が流れ込んでいた。かつて沖縄サミットの会場となったブセナリゾートが見え、沖縄自動車道の終点が合流する許田から4車線となり名護へ。ここからは国道449号線。4車線は途中までで、改良の済んでない2車線区間は海沿いにカーブが多くなる。途中ではこの悪天候の中、ダイビングをしている人もいた。瀬底島へ渡る瀬底大橋は本来なら青空にアーチが映えてキレイなんだろうけどなあ…。もうしばらく走り、海洋博記念公園に到着。

沖縄美ら海水族館エントランス 伊江島が見える
沖縄美ら海水族館エントランス 館内から伊江島が見える

美ら海水族館は大阪の海遊館を凌ぐ大水槽で全国的に有名だ。その前にヒトデなど浅瀬の生き物、続いてはお馴染みの熱帯魚がボク達を迎えてくれる。天候に恵まれればビーチでシュノーケリングしなから友達になれた仲間ばっかりだ。デバスズメ(コバルトスズメ)やミスジリュウキュウ、オヤビッチャにチョウチョウウオ…。先に進んでいくとだんだん深いところに生息する魚に変わっていく。ネムリブカは本当に岩陰に頭を突っ込んで寝ているし、大きなユカタハタがゆったりと…。

熱帯魚がいっぱい チョウチョウウオの群れ ハタタテ
熱帯魚がいっぱい チョウチョウウオの群れ ハタタテ
イソギンチャクと戯れるクマノミ ユカタハタ ネムリブカは本当に寝ていた
イソギンチャクと戯れるクマノミ ユカタハタ 寝ているネムリブカ

ひとしきり見たらお待ちかねの大水槽。ジンベイザメはホントに大きい。あとマンタや鮫やマグロにカツオ。県魚のグルクンの群れも。見ていて飽きない。沖縄近海はこんなカンジなんだろうな。それにしてもすごいスケール。

ジンベイザメは大きい マンタが泳ぐ グルクンの群れ
ジンベイザメはホントに大きい マンタが泳ぐ グルクンの群れ

あと恐〜い鮫の部屋や、タカアシガニなど暗く深い海の生き物を見て終了。見ごたえがあってここまでたっぷり2時間。ミュージアムショップで買物を済ませてクルマに戻る。天気がよければ別の場所にあるオキちゃん劇場やウミガメも見たかったが、今回は断念。

かつて海洋博記念公園には水族館があったのを知る人も多いだろう。その水族館は塩分による侵食がひどくなり、構造を調査した結果、鉄筋が腐食して形を成しておらず、もはや鉄筋コンクリートではなくなっていたという。そのままでは危険なため7年前に姿を消した。今は跡地だけが残っている。また海洋博のシンボルだったアクアポリスは来館者が低迷し那覇での再利用も叶わず、腐食が激しくなり16年前にスクラップとなり、海外に売却されてしまったとか。

美ら海水族館を後に、那覇へ向かうことに。449号線を戻り、名護の先、許田から沖縄自動車道を飛ばす。ETCカード持ってきて良かった。50km/h規制を表示する情報板は「Speed Limit 50km/h」と英語でも表示するのが沖縄らしい。
いかにも沖縄という風景を見ながらドライブしたいところだが、雨風がまだ強くそれどころではない。西原JCTで那覇空港自動車道と別れ、那覇終点で降りる。ETC割引で料金は500円だった。向かった那覇新都心はかつて米軍の住宅地だった場所で、ちょうどボク達が初めて沖縄に来た22年前に日本へ全面返還され、再開発が進められたという。12年前の時はまだ造成中で、今は県立博物館・美術館やサンエー那覇メインプレイス、シティホテルやDFSなどが並び、まさかこのように生まれ変わったとは想像もつかなかった。

さて今日もDFSギャラリア。3階のフードコロシアムでケーキ食べて一休み。ケーキがでかいっ!アメリカンサイズだ。2階のメインフロアに戻り、今日も散策。結局ボクがクラランスのフェイスケアセットと、ブルガリの香水を買って満足のショッピング。
晩ゴハンにはちょっと早かったが、今度は沖縄都市モノレール「ゆいレール」に乗ることにした。ゆいレールのおもろまち駅とDFSはペデストリアンデッキで直結。県庁前駅までの短い距離だったが、初めて電車で首里や那覇の街並みを眼下にするのは、かつてない違和感だった(笑)。今までクルマ以外考えられなかったからだ。電車を降りてキップに無効印を押してもらって乗車記念に持ち帰り。国際通りから一つ裏通りに入った久茂地で食べるところを探す。

ゆいレール
沖縄都市モノレール「ゆいレール」(おもろまち駅)

この日は日曜。久茂地の飲食店はかつて日曜定休の店が多かったが最近はそうでもない。ちょうど沖縄の古民家を改造した「とんちき」という店を見つけ、沖縄料理でまたカンパイ。ジーマミー豆腐にゴーヤーチャンプルー、ドゥル天に沖縄そばのソース焼きそば。どれも美味しい。
その足で国際通りへ。フラリと入ったのは今や全国区の「わしたショップ」。月並みな土産物屋さんよりよっぽどいい。結局ここでお土産を買い、ゆいレールの発車メロディのCD「ちゅらSUN」も。この頃には雨もほとんど上がり、風も弱まってきたようだった。ゆいレールでおもろまちに戻り、58号線をホテルへと走る。雨風以外はとても充実した結婚記念日だった。

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26日。予報では朝から晴れると言っていたが、まだ雨雲が残っていた。でも雲の切れ間がすくそこに来ているようで、晴れてくるのは時間の問題。もう1日ズレていればなあ…。ホテル内のショップで少し買物をした後、朝ゴハンはこの日もアクアベルでバイキング。
食べている間に見る見る外は晴れてきて、ビーチを少し散策。波はまだ少し高かったが遊泳は可となっていて、気の早い人たちがもう泳いでいた。中止となっていたアクティビティも午後からは再開の模様。くやちい〜!青い空。エメラルド色の海。コーラルサンドの浜辺。この風景、切り取って持ち帰りたいものだ。名残惜しいが部屋に戻って帰る準備。

ANA INTERCONTINENTAL MANZA BEACH REZORT 海がエメラルド色に輝いてくれた 部屋からの海
ビーチから見たホテル 美しいエメラルド色の海 またここに来よう

今回も思い出をカバンに詰め込んで、後ろ髪を引かれつつチェックアウト。58号線へと続くアプローチ道路をゆっくり流し、万座の風景を目に焼き付ける。

仲泊大橋を過ぎ、山田までのカーブは海が一番キレイに見える場所。もうすっかり輝いていた。絶対また来るぞ。振り返らず通いなれた58号線を走る。でも一つ食べてないのがブルーシールアイス。北谷ではなく、牧港のショップに寄って堪能。この建物は右側通行時代からのものだ。初めて沖縄に来た時に、確か伊佐だったと思うがまだ右側通行の頃の停止線や矢印を消した跡が路面に残っていたものだ。
そろそろ残り時間も少なくなり、58号線を那覇へ。でももう一度エメラルド色の海が見たくて、安謝から泊大橋。白い市街地に緑、青い空にエメラルド色の海、港に空港。まるで子供の頃に見た図鑑のようなこの風景も好き。

ブルーシールの看板
ブルーシールアイス牧港店はこの看板が目印

久茂地で58号線に戻り、給油も済ませてそのまま続く国道331号線を小録のレンタカー営業所へ。たくさん走ってくれてありがとう。送迎のバスに乗り込み空港へと向かう。ちょっと感傷的だな。
JTAのカウンターでチェックインを済ませ、荷物も預けてしまう。後は空港を少し探検。出発と到着はフロアが分けられていて機能的だ。ちょっと遅めのお昼をターミナル内の「天龍」で最後の沖縄料理。ソーキそばとじゅーしのセットはもずくとクーブイリチーも付いていた。う〜ん、美味しい。有名な店なのか芸能人のサイン色紙がたーくさん飾られていた。
少し買物をしているうちに時間切れ。搭乗待合室に入り、DFSで買った商品を受け取る。ちなみにDFSギャラリアでの買物は、便出発の2時間前までオッケイだそうだ(国際線は3時間前まで)。たまたま搭乗口は受取所の真ん前で、ちょっとあっけなかったがそのまま乗り込む。

NU038便小松行きはほぼ満席。まだ風が強く小さなB737-4K5はもうプッシュバックしたかと思うくらい揺れる。やがて「客室乗務員はドアモードをアームドにして下さい」でそろそろ出発と知る。定刻を5分程遅れてプッシュバック開始。南西航空時代は午後になると30分遅れは日常茶飯事だったが…(笑)。
地上スタッフに見送られてR/W36エンドへタキシング。さっき走ってきた331号線の辺りを航空自衛隊那覇基地越しに見る。離れたくない。R/WをF-15イーグルが離陸して行った。少しの離陸待ちの後、やがてR/Wに乗りテイクオフ。さようなら沖縄。

今度は左側の席。慶良間の島々が見える。美しい。離陸後しばらくは米軍嘉手納基地との関係で高度は約1,000メートルに押さえられるが、再び2基のCFM56-3C1が出力を上げ、那覇VORTACラジアル340度を上昇。エイサーをヒットしてチャイナシートランジションを北上していく。巡航高度の11,600mに達してベルトサイン消灯。後はオーディオを聞いていよう。この機体(JA8954)は167席仕様でハパグ・ロイド航空からの購入機、音声はヘッドホンの新しいタイプだった。
機長のアナウンスによれば、那覇離陸は少し遅れたものの、途中のウェイポイントをショートカット出来たようで、このまま鹿児島、大分、岩国へ経て小松へはほぼ定刻で到着出来そうだ。偏西風に乗って対地速度は900km/hを超えている。ドリンクサービスは「スカイタイム」をチョイス。桜島や青島海岸が見え、CAのアナウンスがあった。

その後は雲の上を飛んで岩国をヒットして20分あまり、パワーが絞られて雲の切れ間からディセンド。追い風だと速い。視界が遮られやはりタービュランスがあったが、そのうち北陸の景色が見えてきた。小松空港R/W06へとアプローチしていく。そして、ランディング。

マーシャラーの待つスポットに入る。緑色のツナギの職員はJTAのスタッフだ。これがいつもの東京便と違うコトだろうか。程なく機体は停止して今回のボク達の沖縄は終わった。ありがとうB737。ありがとう沖縄。バゲージクレームで荷物を受け取り、ちょっと肌寒い空気の中、暗くなり始めた駐車場へ。

小松に着いたJTA038便
NU038便 小松空港に到着

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やっぱり沖縄はイイ。また行きたい。今すぐにでも引き返したい。でもそれは出来ない相談というものだ。今回は台風が接近して雨だったが、沖縄はそれを補って余りある魅力を見せてくれた。次の機会に沖縄を訪れるコトが、ボク達にとって一番の命薬(ぬちぐすい)というコトなんだろう。

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