旅日記Vol.52 ありがとうパノラマカー (すみません!今回は思い入れが多いです) 2008.6.17 名古屋

子供の頃からボクの中では「電車の中の電車」ってのがある。国鉄151系もそうだし、古いところでは参宮急行デ2200。新型(2227系)もいいがボクは旧型が好きだ。もっと多くの電車たちがグルグルとが走ってくる。きりがない。
しかしそれらは既に引退した電車が多くて、言い換えればそれだけ自分が歳食ったってコトになるんだけど(爆)、名鉄ではボクと同学年ながら現役を続けたきた電車、パノラマカー7000系が、長い道のりを経てそろそろ引退を迎えているという。前面展望を実現し、名鉄の高速列車をポピュラーなものにしたが既にかなり数を減らし、聞くところでは6月末のダイヤ改正では4両編成3本にまでなってしまう。名鉄の代名詞みたいに言われたパノラマカーにも、とうとう世代交代の時期が来たのだろうか。悪魔が囁いた。「だったら行って来いよ」。

行くと決めたらもうダメなもの、早速クルマで行こうか電車で行こうか…4月にクルマで行った明治村の時はガソリンも安かったし、カーナビもつけてリニューアルした愛車Fitくんでのドライブだったが、さすがにこうガソリン価格の高騰が続いては1人でのドライブはどう考えても不経済、電車に。名古屋までの往復なら名古屋-米原間の新幹線は自由席となるものの『しらさぎ』は指定席が使える割引キップもあり、行きは名古屋まで直通の『しらさぎ4号』、帰りは『ひかり419号』と『しらさぎ59号』乗り継ぎと決定。

ただ問題はちゃんとパノラマカーに逢えるかどうかだ。出発を決めた時点で7000系の稼動車は4両編成6本と6両編成5本。ただし6両編成のものは他形式と共通で使われていて、既に引退し運用を終了している可能性が高い。ならば4両編成を使用する列車というコトで、名鉄名古屋を11:12に発車する内海発の犬山経由名鉄岐阜行き準急(犬山から普通)にターゲットを絞り、これなら『しらさぎ4号』との接続もバッチリだ。

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当日は寝坊することなく起床、支度を整えてまずは金沢駅西口の時計駐車場へ向かう。電車での旅ではもうすっかりお馴染みだ。いつもどおりHEART INで朝ゴハンにサンドイッチとカフェラテを買ってホームに上がる。ちょうど朝のラッシュ時で数分毎に電車がやってくるが電車の両数や乗降客数は大都市圏とは比べものにならない。そんな中を富山から『しらさぎ4号』が来た。3両増結で今日は11両編成。
驚いたのは特急定期券「パスカル」の乗客がまた一段と増えたこと。自由席車はこの時点で殆ど降りて、名古屋方面へ向かう客と入れ替わっていた。おそらくこの時間帯の特急は同じなんだろう。この日のボクはちゃんと指定席。意外と空いていた。
現在北陸線の線路と並行して北陸新幹線の工事が行われている。金沢より東は駅を含めてかなり工事が進んでいるが、金沢から西、車両基地となる松任へはまだ用地買収が行われている程度。でも最近は空地がだいぶ増えてきたようで、早晩高架橋などの工事が始まるのだろう…などと思いつつ買ってきたサンドイッチで朝ゴハン。

iPodを聞きながらブログのコメントにレスを返したり、持ってきた文庫本を読んだりして過ごす。まるで鉄じゃないね(笑)。福井県内に入ってもたまたまこの列車の乗客はあまり増えず、結局名古屋まで隣は空いたままだった。米原で新幹線乗り換え客を降ろし、列車の向きは反転して東海道線へ。JR東海の313系新快速と、JR西日本の223系新快速に挟まれ、鉄道会社の境界駅というのを改めて実感。

合戦で知られる関ヶ原を越え、大垣、岐阜、尾張一宮と停車して名古屋着。車窓に入る陽射しはもうすっかり夏だ。

持っているキップは名古屋市内区間行きなので、この先金山まで行ってそこで名鉄にというコトも可能だったが、ここは無理をせず名鉄名古屋駅へ向かう。既にJR東海ではICカードの「Toica」が導入されているが、残念なコトに名鉄や名古屋市など私鉄・公営交通ではまだICカードは導入されていない。久しぶりに自動券売機で名鉄岐阜までのキップを買う。さっき岐阜を通ったのに。気にしない!気にしない!(笑)。鉄とはそんなもの。

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名鉄名古屋駅は地下にあるのはご存知のとおりだが、岐阜・犬山方面行きホームには近鉄乗り換え口があって、改札越しに近鉄名古屋駅に並んでいる電車が見える。ついこのまま近鉄特急で大阪へも行けるなあ…と思ってしまう(笑)。
でも今日はパノラマカー。いくつか電車をやり過ごすうち、現在の特急の主力、パノラマスーパーがミュージックホーンを鳴らして駅に入ってきた。ちょっとカン高い音色は管楽器に近い印象で、元祖パノラマカー7000系のものとは音色が異なる。そうこうしているうち、同じ時間帯に東岡崎行き普通にも使われている7000系が正調ミュージックホーンを鳴らして入線。今は特急に使われることもなくなったが、名鉄のターミナル駅である名鉄名古屋駅に出入りする時には、特急時代から変わらずミュージックホーンを鳴らしているようだ。それはパノラマカーの誇りに違いない。思わず目頭が熱くなった。
続いて犬山経由名鉄岐阜行き準急が到着。慌しく発車する。

途中、庄内川を渡る鉄橋付近で早くもカメラを構えた鉄を発見。みんな来てるなあ〜(笑)。起動時の「ヒューー〜〜ン」という音、D-3-FRコンプレッサのゆっくりした「デケデケデケ…」という音、インバータ車全盛の今日、何世代も前の「電車」を感じさせるが、犬山線に入ってからの電車の快走ぶりは、往年の走りそのものだった。準急とはいえ通過駅もあり、最高速の110km/hは出しているのだろうが、かつて「只今の速度」があったはずのトコには「禁煙」という表示が残るだけ。
先日訪れた明治村がある山並みが近づき、やがて犬山に到着。ここからは普通に変わる。犬山遊園では近く姿を消すモノレールがお出迎え、パノラマカーが駅に着くと同時に発車して行った。
まだJR高山線との連絡線が残る新鵜沼からは各務ヶ原線、駅と駅の間隔が短く、名鉄がかつて複数の会社だった歴史を教えてくれる。架線柱には少数ながら木製のものも残り、大手民鉄ながらローカル色が漂う。やがて右手にかつての名鉄岐阜工場へと続く線路や田神線の跡が近づき、名鉄岐阜各務原線ホームに到着。美濃町線から乗り入れていた電車用の低いホームは撤去されていた。

名鉄7000系 パノラマカー 前面展望席
7000系パノラマカー 展望席

予定ではここでパノラマカーに別れを告げて一旦名古屋に戻るつもりだったが、それではあまりにも惜しい。すぐさま同じ電車で引き返すことにした。今度は犬山経由中部国際空港行きだ。ついでにセントレアも見てくることにしよう。

 パノラマカーの思い出 1

ボクが初めて名鉄パノラマカーを見たのは中二の春。名古屋に越していった友人を訪ねての一人旅の途中だった。行きは金沢-富山-岐阜-名古屋の高山線経由と決めたが、その頃国鉄にはまだ長距離普通列車が残っていて、富山から岐阜まで高山線を走破する列車があった。のんびり鈍行の旅。先頭キハ20の最前部に陣取って、旅を楽しんだ。途中で急行『北アルプス』(まだ急行時代)、急行『のりくら』(キハ91系)、特急『ひだ』(もちろんキハ82系)などとの交換も見れたが、さすがに岐阜が近づくにつれ疲れてきた。
そんな中、鵜沼から並行するように走る名鉄各務ヶ原線に、ボクの乗る普通列車を軽々と追い越していく7000系パノラマカーの姿が!羨望の眼差しで見ていたのを思い出す。

再びホームへ行くと既に鉄数人が待機中。先頭の展望席には座れたが最前列は無理だった。2列目。まあいいか。外で写真を撮っていたのは若い鉄子ちゃんだったのにビックリ!そのコはおもむろに最前列に着席。隣の席にも鉄が座り、やがて発車時刻となった。
今来た道を確かめるように電車は進む。隣の御仁はビデオ撮りにカメラ撮りに携帯チェックと忙しいようだ…(呆)。新鵜沼までは普通だったがここからは準急、さっきの快走に戻る。静かな郊外を走るうち線路は高架となり地下鉄鶴舞線が分岐する上小田井に着くと、近くの席に居た小さな男の子が「地下鉄だー」。どうやら将来の鉄なのかも。展望席が嬉しくてたまらないようだ。こうしてパノラマカーはデビューして47年経った今も子供に夢を与え続けている。

名鉄名古屋駅へ 名鉄名古屋駅に停車中 地上に出る瞬間 パノラマスーパーとの離合
地下へと進入 名鉄名古屋駅停車中 再び地上に パノラマスーパーとの離合

名古屋本線と合流した電車は、地下の名鉄名古屋駅へと進んでいく。駅に近づくとやはりミュージックホーン。これぞパノラマカー!ここからは急行になる。再び地上に戻ると、このダイヤ改正で一足先に姿を消す全車特別車の1000系パノラマスーパーとすれ違った。パノラマスーパーは全て一般車との混結編成となり、全車特別車はセントレアへのミュースカイだけになるとか。神宮前からは常滑線に入り、中部国際空港を目指していく。駅にはホームの先端にパノラマカーの二階運転台から後部を確認できるようカーブミラーが設けられており、これがそのうち不用になるかと思うと、ふと寂しさを覚える。
窓の外は梅雨の中休みで太陽が眩しい三河湾がきらめいていた。りんくう常滑を出ると電車はセントレアに向かってテイクオフ!

この光景もあと少し… セントレアへ 中部国際空港に到着
ミラーに映るパノラマカー セントレアへテイクオフ 中部国際空港に到着

名残を惜しみながら終点の中部国際空港駅に到着。振り向くと展望席には人だかりが出来ていた(驚)。

隣のホームには2200系特別車・一般車混結の特急が出発を待っていた。さすがに最新鋭の電車のフォルムは現代的だが、7000系パノラマカーだって、ちょっとレトロかもしれないが全然負けていないじゃないか。今も、いやずっと永遠にパノラマカーは名鉄のスターでありつづけなれければならないのだ。ありがとうパノラマカー!そう思うとまた目頭が熱くなってきた。もう一度パノラマカーの姿を見て、改札口へ向かった。

2200系と並んで
後輩と並ぶパノラマカー7000系

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少しセントレアを散策。国内線出発ロビーは、最近のチケットレス化を受けて閑散としていたのが印象的。マスコットの「なぞの旅人 フー」は、アニメ「おじゃる丸」の電ボそっくりというのは…。

国内線出発カウンター もしかして「電ボ」? 金鯱B737がいた
意外?に閑散なロビー 電ボ? 金色仕様のANAのB737がいた

ここまでお昼も取らずに鉄してきたので何か食べようかと思ったが、せっかくなので名古屋に戻って山本屋の味噌煮込みうどんを食べようと決め、ちょうど発車間近だった豊橋行き特急に乗る。1000系パノラマスーパーと1200系混結だった。ミューチケットの必要な特別車は殆どの席が埋まっていて利用率の高さを知った次第だ。ボクは神宮前で降りるから一般車で、こちらも結構混んでいたが先頭車まで足を運ぶと空席があるじゃないか。ミュースカイ導入時に大幅改良された常滑線は結構飛ばせるようで、時々120km/h近く出していたようだ。この電車は金山で向きを変え豊橋へ向かうので、神宮前で次の電車に乗り換え。やって来たのは1000系・1200系混結の名鉄岐阜行き特急で、名鉄名古屋では伝統のミュージックホーンを鳴らしての入線に、7000系パノラマカーから伝統の、このシーンが永遠に続くことを願った。

 パノラマカーの思い出 2

高校受験が終わり、無事志望校への入学も果たして、春休みは溜めたお年玉で鉄な旅行。まずは関西方面を楽しんだ後、近鉄名阪ノンストップ特急で名古屋へ向かった。今はアーバンライナーが走るこの列車も、当時はいわゆる低迷期で12200系スナックカー2両編成だった。大府に住んでいた従兄弟のトコに泊めてもらい、翌日は旧型国電が最後の活躍をしていた飯田線へ。
その帰りは豊橋からパノラマカーの「特急」を名古屋まで乗った。同じパノラマカーでもボクは7000系より低重心設計で性能もより高い7500系のほうが好きだった。展望室と一般客席の窓の底辺が揃い、スタイリッシュだったと思っている。その7500系が来ないかなと期待したが、やって来たのは7000系だった。この頃、7500系は座席指定料金を取らない特急の「高速」を主体にしていて、「特急」は7000系の後期増備車が充てられていたのだった。
走り出したパノラマカーはなかなかの乗り心地、疲れがあったのか寝てしまって、せっかく乗ったのに殆ど記憶がない(泣)。

帰りの新幹線まで1時間あまり。タカシマヤ13階の山本屋で味噌煮込みうどんを食べる。熱いけど美味しい。

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おみやげなども買ってそろそろ新幹線に乗らなくちゃ。ホームからは名古屋駅太閤口が目の前。ここはストーンズの日本最終公演でファンクラブのチケット受け渡し場所だった。思い出すなあ…。

ああストーンズ…
新幹線ホームからの名古屋駅太閤口

何本か『のぞみ』『ひかり』をやり過ごした後、やって来た米原停車の300系の『ひかり419号』自由席車はちょうど半数の乗客が入れ替わった印象。軽いインバータ音が聞こえる。岐阜羽島にも停まっていつしか米原に到着。ちょっとあっけない。

名古屋で乗った自由席の乗客はそのまま新大阪へ向かうのかと思ったら、殆どがこれから乗る『しらさぎ59号』へと吸い込まれていく。この列車は5両編成と短いので、ほぼ満席となった。今度はボクの隣にもお客が座ったが、このボーズリーマンは携帯チェック→デッキへ走る→電話→席に戻る→書類に申し訳程度目を通す→携帯チェック→デッキへ走る…を5分間隔で繰り返し!全く落ち着かん!前回の東京の帰りの便では体臭男だったし、何でこうツイていないんだろう(号泣)。
その男は福井で降りていったが、少し静かだったのは北陸トンネルのおよそ10分程度だっただろうか。ようやくボクが落ち着きを取り戻した頃には、もう電車は石川県内を走っていたような…(溜息)。

火曜日なのでレッスンもなく金沢駅からはそのまま帰宅。日帰りの慌しい旅だったが、いつもよりは少し余裕があったかな。

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半世紀近くを名鉄のスターとして君臨し続けたパノラマカー。そろそろその身体を休める時が来たのかも知れない。もしかしたらボク達が思うよりもずっと疲れているのかもしれない。半導体技術が進歩した最近は、電力消費量が大きいなど経済面でのデメリットも指摘されはじめたパノラマカー。僚友7500系は低重心設計が災いして中部国際空港駅への乗り入れが出来なかったこと、高速性能を追求したため他形式との整合性がなかったこともあって一足先に旅立った。

ずっと名鉄の線路には、パノラマカーの走る光景が当たり前だと思っていた。それが当たり前でなくなる日が近いというのは、俄かに信じがたい。でもこれが現実なのだ。子供達に夢と希望を与え、名鉄のトップスターとして活躍を続けてきた功績は誰もが認めるところ。実際今日だってそんなシーンがあったじゃないか。惜しい、すごく惜しいが、今まさに後輩にその使命を譲る時が来たようだ。お疲れ様。そしてありがとうパノラマカー。ボク達は、君が颯爽と夢を乗せて走る姿を忘れない。

パノラマカーよ、永遠に
ありがとうパノラマカー

 

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この旅日記では、前面展望室の7000系・7500系に話題を集中した都合で、7300系、7700系、キハ8000系、またパノラマDXの8800系、
パノラマスーパーの1000系、1600系については特に記載した事項以外割愛させていただきました。ご了承下さい。