旅日記Vol.42 駈足・駈足・また駈足! 2004.9.16/9.24 大阪・東京

 ★急遽決定した取材ツアー

この5月の末に「レイル・ストーリー8」をリリースし、ついでにトップベージも大幅リニューアルしたところだったが、紙面の都合で次回作に持ち越しとなっていた話が一つあった。それは既に取材済みだったが、少し想いを巡らせているうちに「あっ、こんな話もあるじゃないか!」とばかりに構想がポコポコ湧き出して、どうやらリリースの目途もついた。しばらく手持ちの資料をかき集めて概略を決めたら、さあ、あとは取材!今回は大阪地区と東京地区へツアーが必要だった。

とはいうものの、問題はいつ取材をするか…だった。なかなか有休は取れないし、ご覧の通り「旅日記」は今年たったの1話という有様。
ところが8月下旬からボクの勤務シフトが変わり、日勤に加えて夜勤もしなければならなくなった。土日も関係なし。でもこれは休みが平日になる日も多いというワケで、それならその平日に行ってくればいい話で、まずは大阪へ、続いて東京へと2週連続豪華ツアーが急遽決定。うひっ。

 ★まずは大阪へ

まだまだ残暑の9月16日の朝、金沢8:07発の『サンダーバード10号』自由席でツアーはスタート。なぜ指定席じゃないの…というのは今までと同じで、寝過ごしたら意味がないから(笑)。でもちゃんと起きて金沢駅に着いて、Heart-Inで朝食買って、自由席の列についた。順調順調。
ところがここで誤算。『サンダーバード』なら金沢で7〜9号車を増結するから、7号車の自由席(禁煙車)なら始発気分でラクラク座れるな…と思っていたら、富山方からやってきた電車は9両でホームに駅へ向かってくる。あれっ?と思ったら時既に遅し。今年何度か行われたダイヤ改正で、この『サンダーバード6号』は金沢での増結がなくなっていた。
ありゃ〜座れないかも…と思ったが、最近は特急通勤用定期「パスカル」を利用する客も多いようで、自由席は半分以上が空席に。ホッ。あいにく窓側には座れなかったが、後続の特急『雷鳥12号』だと30分ほどのビハインドになるので、今回は時間が惜しくガマン。まあ座れないよりいいか。
『サンダーバード10号』は京都までは福井しか停まらない速達タイプ。そうかそれで富山から9両のままやって来たのか…。

隣の人が福井で降りてしまい、ボクは窓側をゲット。その福井では思ったほどの乗車がなく、大阪まで隣は空席のままだった。

『サンダーバード10号』は今日も快走。ボクは相変わらず文庫本を読んだり、ウトウトしながらの旅。湖西線も半ばを過ぎると、それまでの田園風景から住宅街、高層マンション群へと車窓が変化して京都が近いのを感じさせてくれる。西大津を通過して長等山トンネルを抜ければ東海道線と合流。程なく京都。
いつもはここで降りて取材というパターンが多いけど、今日はそのまま大阪まで。新大阪を出て淀川を渡れば大阪。さあ取材取材。

 ★急げ急げ大阪地区取材

今日の最初の目的地は大阪市内ではなく、和歌山。前日#2に「もしかしたら和歌山まで行ってくる」と言ったら目を丸くしていたが、紀州路快速で1時間程だからそう遠いというカンジはしない。大阪環状線のりばへ行き、まずは天王寺へ。ここで写真撮りを済ませると、ちょうど関空・紀州路快速がやってきた。
実は阪和線は初めて乗る路線。かつてこの路線が「阪和電鉄」だった頃の伝統は十分感じるが、あの「超特急」や後の新快速に比べ、この紀州路快速は停車駅が多く所要時間は直接比較出来ないのが残念。日根野で関空快速を切り離し、峠を越えて和歌山県入り。

和歌山県は小学生の夏休み、家族で来て以来●●年ぶり。あの頃はクルマにエアコンなどなかったし、阪和自動車道はまだ部分開通だった。一般道を串本まで足を伸ばしたり、白浜温泉に泊まったりしたのを思い出す。
JR和歌山駅周辺を少し歩いて再び紀州路快速で天王寺に戻る。もっとも和歌山市駅(略して「市駅」という)までバスで行って、南海『サザン』で戻ることも考えたが、この日は時間の余裕がなく、しかも天王寺でもう少し取材したかったのでこちらで。しかし早起きがたたったかずっと寝てばっかり(爆)。気がつくと電車はもう天王寺に近づいていた。

阪急京都線特急9300系今度は環状線内回りで京橋へ行き、JR東西線に乗り換えて北新地へ。梅田へ行くルートをちょっと工夫してみただけで新鮮味を感じた。イーマとかにも寄りたかったがそのまま地下街を突っ切って阪急梅田駅へ歩く。この日最後は京都線の淡路だ。でも取材したのは阪急ではないので念のため。
淡路駅を出るとアーケードの商店街がいかにも大阪らしい人情味を感じさせる。サクっと取材を終え急行で梅田に戻ると隣の1号線には河原町行き特急が停まっていたが、デビューしたばかりの新車9300系だった。窓が大きいなー。今どきの電車というカンジ。でも車体のマルーンと木目の内装は阪急の伝統だ。なかなか良い出来の電車だけど、頭デッカチの顔はなんとかならんかね…。
出札口で阪急オリジナルグッズを売っているのを見つけ、懐かしい京都線特急の「二枚看板」と、駅名標のマグネットをゲット。

ようやく少し時間が出来てゴハンをと思ったが、この日は第三木曜でホワィティうめだは全店休業…。焼売太楼は諦めて阪急三番街のKYKでとんかつを食べることにした。取材はもう終わったが、やっぱり気になるのがティップネス梅田。行ってみるとBODY BODY WEARの新作が入っていた。ラッキー!早速購入。あとは旭屋書店で「鉄」な本だ。名鉄パノラマカーのチョロQも見つけてしまい本1冊と共に買う。ここで帰りの『サンダーバード33号』発車12分前。我ながら隙のない時間の使い方だニャ(笑)。

 ★金沢へ

JR西日本221系と681系旭屋書店からJR大阪駅御堂筋口へ急ぎ、改札を抜け11番のりばのホームへはたったの5分。自販機で缶コーヒーを買って席につく。車掌の案内に続いて発車前には機長ならぬ運転士のアナウンス!気が利くなあJR西日本。なかなか良かった〜。
大阪を発車し、京都行きの青い普通電車と併走しながら新大阪のホームに滑り込むが、山陽新幹線上りが少し遅れているとかで『サンダーバード』は動いてくれない…また遅れ?
幸い若干の遅れで発車、程なく先行した普通電車を追い抜き、その前の快速も追い抜き、さらに阪急京都線急行も追い抜き、自慢の高速走行で『サンダーバード33号』は一路北陸へ。

この『サンダーバード33号』も速達タイプ。京都を出ると金沢までは福井だけしか停まらない。隣の席も空いたままで、結構くつろぐことが出来た。買ってきた本を読みながら湖西路を北上、また少しウトウトしたら敦賀を通過して北陸トンネルに入るところだった。トンネルは長いのでボクもまた寝る。

まだ夏だと思っていたのにやはり9月、武生を通過する頃にはもう暗くなってきた。福井で停車。でも『サンダーバード33号』到着と同時にえちぜん鉄道の電車が発車して行った。もう少し接続を改善しないと乗客が戻ってこないのでは…。

すっかり暗くなった頃にはもう石川県に戻っていた。小松を通過すると、前3両の和倉温泉行きと後6両の富山行きの金沢での切り離し準備予告の放送が流れる。手取川を渡る頃にもう一度放送があり作業が始まる。やがて見慣れた風景が広がって、新大阪での遅れは高速走行で取り戻し、金沢は定刻19:09に到着…おやっ、大阪から『サンダーバード』に乗ってまともに金沢に着いたのはこれが初めてかも?

またも急いで時計駐車場へ走り、ルネサンスへ直行。19:30からはMイントラの中上級クラスだ。ついでにティップネスで買ってきたタンクトップを早速着てみた(笑)。とりあえず大阪地区取材と帰ってすぐのエアロは無事に終了。

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 ★今度は東京へ

さて、残るは東京地区取材。なんとなくJALのサイトで空席をチェックしていたら、「よーし、行っちゃえ!」と悪魔が囁いた(笑)。どのみち行かなきゃならないんだし、躊躇なく予約完了。

とにかく時間が惜しいので朝一番8:00発JL1270便で。最近までこの便はJASの運航だったせいか違和感は否めない。これも経営統合の結果。機種はB777-246、クラスJ改修済みでコンフィグレーションコードはW11。でも今まで定番だったA300-622Rではないのが、旧JASの小松からの撤退を知るところだ。
搭乗機の隣には30分後に出発するANAのB747SR-81が駐機していたが、レジナンバーはJA8157。一応国内線用のジャンボ機だが、国際線運航も可能なよう燃料タンクをフルに使える設定がされている(最大離陸重量が大きいと言う)。ながらく国内線運航の合間に国際チャーター便にも活躍し、のちに国際定期便が開設されると香港便やホノルル便にも飛んでいたという機体。ANAのB747SRのうち唯一英文ロゴが機体に描かれているのがその証拠。ただしこのB747SRは2006年をもっての全機引退がアナウンスされている。

秋の青い空JL1270便はやっぱりスーツ姿でほぼ満席。ところが後ろの席は幼児づれの家族が…うるさいのとシートバックを何度も蹴られるのがうっとおしい。しかも隣のスーツ男は何故か乗ってから降りるまで500円玉を手のひらでゴロゴロ…何やってるのかね?ちょっと目が危なかったような(汗)。

秋雨前線の中をクライムした割にはあまりタービュランスもなかったが、ベルト着用サインが消えた頃にはまだトップに達しておらず、まるで真綿で出来た平原を滑るように飛ぶ。やがてクルーズ高度となって雲の間から秋の真っ青な空が見えるようになった。

飲み物のサービスはゆずジュースをチョイス。キウイジュースはなくなったらしい。そのうち機は東へ変針したようで短い水平飛行も終わり。空いたコップを回収し終わった頃ディセンド開始、しばらく離れていた雲が近づいて、それもつかの間雲の中を突っ切って羽田を目指して降下していく。
東京湾にたくさんの船が見えると、既に前方のスクリーンには誘導灯とそれに続く滑走路が映し出されている。PAPIは赤二つ、白二つで適正な降下を示している。接地目標点を少し過ぎたあたりでR/W34Lにタッチダウン。羽田ではボーディングブリッジだった。

 ★またまた急げ急げ東京地区取材

まずは京急で品川へ行く。パスネットの残額が少なかったので駅でもう1枚購入。乗った電車は急行だったが北総鉄道の7000系。正面のゲンコツスタイルが特徴的だ。これはフランス国鉄の機関車に倣ったもので、国内では唯一のスタイルと言っていい。でも少しでも時間が惜しいのに快特が来ないとは…。しかも遅い。

品川で山手線に乗り換え。JR線乗り換え口ではまだ自動改札機がICOCAに対応していなかった。はじめに初乗り運賃を引くSUICA・パスネットと、残額10円以上で入場出来るICOCA・スルッとKANSAIとの考え方の違いだろうか。まあそのうち使えるようになるだろうけど。
途中取材しながら東京からは中央線で青梅を目指す。青梅特快があれば良かったのだけど、次はたまたま青梅行き快速。まあのんびり行くのもいいか。文庫本とウオークマン(まだカセットテープ(爆))聞きながらの定番スタイルで。

青梅線は小学生の頃以来(またかよ)。たしか青梅はけっこう山あいだったのだけは覚えていた。改めて乗っているとなかなかその山あいにならないのが不思議に思えたが、東青梅で複線区間が終わり急にカーブが増えて、あの頃の記憶どおり青梅到着。雨上がりで涼しいのを通り越して肌寒い位だった。

10分ほど歩いて青梅鉄道公園へ。なつかしい蒸気機関車がいっぱい。もちろん目的は取材だったが、キャブにも乗れるのは楽しい。思い切ってレギュレーターを引いたら血マメつくっちゃった(泣)。でも機関車は動かないけどね。リバー(逆転機)は固定されているらしく、これ以上機関士気分が味わえないのが残念。
ここには初代新幹線の0系の東京方先頭だった22形も展示されている。

なつかしい。今ではわずかに山陽新幹線『こだま』に余生を送る0系だが、このオリジナルスタイルではもう走っていない。

新幹線22形 なつかしい3人がけシート 運転室の様子
なつかしいスタイル 3人がけシートもオリジナル 運転室もそのまま

車内も開放されている。日本の高度経済成長を支えた電車は今こうして安住の地を得たが、数え切れないほどのビジネスマンを運びつつけた功績は大きいはず。
また運転室も開放されているが、ブレーキハンドルはなかった。マスコンは思ったより重い感触で、ATC信号の「チン!」のあと「ジャラジャラ」とノッチを進めて当時世界最高速の運転をしていたのだろう…などと少し運転士気分。

さあそろそろ新宿に戻ろうと思ったら、雨が降ってきた。しまった〜傘持ってきてない。しばらくしたら止むかな…少しずつ木の下を雨宿りしながら青梅駅に戻っているうち、幸い小降りになってきた。タム被ってきて良かった。青梅駅舎が迎えてくれたが、この青梅線はもともと私鉄。この駅が本社社屋も兼ねていたとか。しかも戦前は地下街まであったらしい。

JR東日本 青梅駅 青梅の町並
JR東日本青梅駅 青梅の町並み

青梅はどちらかというと長野のどこか…という佇まい。蕎麦屋さんが似合いそうな町だった。
立川まで普通。あと新宿までは特快。たまたま乗ったら先頭車だったので「かぶりつき」を堪能(笑)したものの特快遅すぎ!90km/hも出さないのは先週大阪地区で130km/h運転に慣れた目にはストレス以外の何ものでもない。しかも三鷹からは複々線なのに…現在工事中の複々線延長工事が完成すればもっと速く走ることも出来るかもしれないが、その工事が「踏切が長くなって困る」という報道で全国的に有名になったのは記憶に新しいところ。

新宿で降りたもののおナカが空いたのでたまらず構内のドトールでお昼。軽く取材したあとフラッグスのオッシュマンズにも寄ってみた。渋めのBODY GROVEのトップスに一目ぼれしてもちろんゲット。エアロCDも2枚買って滞在時間10分足らずで原宿へ。一旦千代田線表参道経由で銀座線で渋谷へ。なんでこんなヘンテコなルートをとったかというと、トップページの「地下鉄銀座線ストーリー」のトコの写真にロクなのがなかったから。これで取材完了〜。

少し時間に余裕が出来たので、恵比寿まで1駅山手線に乗って新装成った「BODY BUTTER」へ。前の店は代官山駅と恵比寿駅の中間あたりにあったが、今度の店は恵比寿のほうが近いと思う。
いや〜かなり渋い内装。実にカッコイイ。フロアも広くなってすっかり感じが変わったな〜と見とれていたら、スタッフのT嬢登場。だが彼女の手許には何故かボク宛のコメントが入ったカードが…実はオーダーしていたパンツをちょうど彼女が出荷しようとしていたところ。着払い指定だったのでついでにここで精算も済ませてしまい、そのまま持って帰ることに(笑)。でもせっかくなのでBODY BUTTER得意のドラゴン入りドレスシャツも。また散財しちゃった。少しおしゃべりしてたら時間がなくなってきた。そろそろ帰らなきゃ。またね。今度は二人で来るからね。

 ★再び金沢へ

山手線を品川まで乗り、京急で羽田空港へ。結局今回山手線では全部新車E231系500番台だった。ベテラン205系は急速に数を減らしているようで、武蔵野線や仙石線での第二の活躍が伝えられている。京急品川駅でチェックインを済ませ、三崎口行き快特をやり過ごして乗った羽田空港行きは、また急行だった。それもまた北総車。
京急蒲田から先はぜんぜん覚えていない。疲れたね。空港に着いてウチへのお土産にべったら漬けを買って、搭乗待合室へ進む。

帰りの便は羽田17:05発JL1279便。事前座席指定で2階席をとっておいたが、この日はガラガラで2階席は数人という状況。でも1階席はまずまず乗っていたようだった。なんか機内の雰囲気が違うなあ…と思ったら、この機体は国際線用B747-346。レジナンバーはJA8178だった。しまった〜…クラスJは国際線ビジネスクラス仕様だったか…と気づくが時既に遅し。でも隣もその隣も空席で、気分はクラスJ?

JALではこのように国際線機材を国内線に投入することがよくある。B747-146のJA8106やJA8112が晩年よく国内線で飛んでいた。そのJA8106に羽田-小松間で乗ったことがあるが、パーサーの「この機体は国際線用のため、前方のスクリーンで離着陸風景は…ご覧いただけません。また…もごさいません」という恐縮したアナウンスを思い出す。その時のシートコンフィグレーションはJ87というホノルル線用に近いものだったが、今回のB747-346のはどうやらS23という同じくホノルル・グァム方面路線用のもののよう。ビデオ・オーディオサービスは国内線仕様だったがNHKラジオの受信はしておらず、離着陸風景はやっぱり見られなかった。

雲の向こうの夕焼け4基のJT9D-7R4G2に火が入りR/W34Rエンドへとタキシング。ところがこの時点で離陸待ちが6機。30分近く待たされて(絶句)ようやく離陸した。雲の合間からうっすら新宿の摩天楼が見えたが、一気に秋雨前線を越えてたった5分あまりでベルト着用サイン消灯。早い。どうやらタービュランスが予想されているようで、揺れないうちにサービスしてしまおうといったところかな。今度はコーヒーをチョイス。

雲の間から見えた夕焼けは、実に神秘的で幻想的。

やはり小松に近づくとタービュランスがやってきてベルト着用サイン点灯。結構揺れたが前線の中を降下するので仕方がない。やがて夕暮れの金沢が見えると右へターン、小松空港R/W24へVOR/TACアプローチ。

今日はまだ明るいうちに金沢に戻るという離れ業だった。空港を出て小松ICまでの間に早くも次の羽田からのANA機がファイナルアプローチしてきた(悔)。こちらは離陸待ちだったからまあ仕方ないか。

でもこれで取材は終わり。さあ新作リリースに向けて書くだけ!がんばるぞ。どうぞご期待を。

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