旅日記VOL.31
禁猟区 〜サンクチュアリ〜   2001.2.17
(今回はちょっと変わった展開になってます)


 ●今回もサンダーバードで大阪へ

前回のツアーは関西方面出撃としては珍しく電車にしたが、それは季節柄冒険は出来ないから。さて今回は神戸に続いて大阪でのライブだったが、一番頭を悩ませたのは翌月曜は有休が取れないということだった。しかも季節はまだ冬。電車を選ぶのが賢明だと思った。
しかし、ライブが終わってからでは大阪からの特急『サンダーバード』『雷鳥』の最終に間に合わない。これはどうしよう…と思ったら、新幹線乗り継ぎで米原からの特急『加越』の最終乗り継ぎなら可能と判った。よ〜し、これで日帰りツアー決定だ!

あまり朝早くの出発にする必要もなく、ちょうどいい時間となると…前回と同じ9:58発の『サンダーバード18号』(笑)。改札を通りホームに上がると電車は既に金沢での増結車の連結を終えていた。今回も9号車だったが、ようやく願いが通じたか新車683系だった。
『サンダーバード』の先輩681系と後輩683系の違いは、ちょっと見ただけでは判らない。でも車体がスチールからアルミ製になり軽量化されていたり、モーターのパワーアップなどの大幅マイナーチェンジが施されている。車内では荷棚のデザインが変わり、そこに読書用のスポットライトが装備されている。この他にも相違点をあげればきりがないんだけど、それは長くなるのでよそう(笑)。

先週半ばに降った雪は、まだ北陸の平野部を白く染めたままだった。予報では西から天気は下り坂。白山は今回も姿を見せてくれたが、やや霞ががっていたのと、生憎の曇り空なのでくっきりと…というワケにはいかなかった。

残雪の金沢平野
残雪の金沢平野

安定した高速走行が続き、福井を出ると京都までノンストップ。豪雪地今庄では思ったより少ない積雪に驚いたが、あの雪は里雪だったのか…と知った。続いて北陸トンネルは闇の中。

   『闇』

僕は新幹線からの最終接続特急に乗っていた。その日の席は2号車5番のB席、通路側だった。
車内は東京からの乗り継ぎ客でほぼ満席だったが、はやくも敦賀では下車する客もみられた。通路を挟んで5番のC席に座っていた中年の男性客はその敦賀で降り、空席となった。やがて電車は発車、闇の中を少し走ると北陸トンネルに入った。深夜とあって、多くの客は眠りについてしまった。

気がつくと5番のD席には歳は30代半ばだろうか、芸能人にも思える端正な顔立ちの女性が、ずっとトンネルの側壁を見つめていた。しばらくして僕はその女性のことが気になり始めた。自然に彼女のほうに目が行った。
すると女性は急にトンネルを見つめるのを止め、あちこちと視線を向けていたがなにしろトンネルは長く、飽きてしまったようだった。
僕と彼女の視線が合ったのはそれからしばらくしてのことだ。偶然というより、同じ列車の客としての不思議な連帯感が生まれていたのかもしれない。彼女の「こちらへいらっしゃいよ」とでも言いたげな表情がとても気になった。

―どちらまで…ですか?
「金沢です」
―僕も金沢まで行くんですよ。
「あら、偶然ね。そちらじゃなんですから、こちらの席へいらっしゃいな」
女性は手招きをして僕を呼び寄せた。僕は空いたばかりの5番のC席に移った。

少し前から均整のとれた彼女の容姿が気になっていた僕は、思いきって切り出してみた。
―お仕事は何をなさっているのですか?
と少し躊躇いがちに聞いてしまったが、彼女は臆することなく答えてくれた。
「こう見えてもあたし、サーカスでブランコに乗っているのよ」
やはり、普通のOLや主婦ではないと思った僕の予感は的中した。でもサーカスだなんて。

少しウトウトしてしまった。気がつくともう電車は湖西線内を走っていた。同じような霞がかった空気の中、琵琶湖の対岸がうっすらと見えたが、まるで日本画でも見ているような景色だった。沿線から雪が消えたのは高島辺りだっただろうか。やがて車窓にはマンションや団地が増え、すぐ先は京都。

早春の琵琶湖
琵琶湖越しに対岸が霞んで見えました

京都では隣のホームに札幌からの『トワイライトエクスプレス』が停まっていた。我がサンダーバードは先に発車、終点大阪を目指す。新大阪到着の頃には、残念ながら雨が落ちてきた。定刻に大阪到着。

 ●お買い物っ!

まずは腹ごしらえ(笑)。雨なので地上に出る気がせず、ホワイティ梅田の泉の広場まで歩いてまたもや焼売太楼でシューマイ。やっぱりうますぎ。
さて買物はOSビル4階のティップネス梅田のプロショップから。前回気になっていたウェアだったが…Mイントラの色違いなんだけど…え〜い、買っちゃえ!
続いてイングス4階のフィットネスフロアへ。2人とも最近シューズがくたびれていたのが気になっていたので、リーボックショップで新作(インストラクターVDMX)を購入。また「お揃いね」と冷やかされるかも(笑)。リーボックは今年のモデルからはメンズサイズ対応になったので安心だね。

ライブは18時から。まだまだ時間があるので、DA MISSのショップを見がてら久しぶりに大阪南港のATCへ。ATCは出来たばかりの頃に行ったきりだから、もう6年程なのか。今では地下鉄中央線直通のテクノポート線が出来たのですんなり行けるが、あの時はまだ四つ橋線を終点の住之江公園まで乗って、ニュートラムで中ふ頭まで戻るという大回りを強いられたものだ。

コスモスクエアで降りて少し歩いてATCへ。ショップはATCマーレというアウトレットの中にあるんだけど、前に行った時はまだアウトレットではなく、バブル崩壊直後で入居するテナントは少なくて「こんなのが出来てしまって大丈夫なのか?」と思ったものだ。たくさんの人で賑わっていて安心した。

ATCマーレ
ATCマーレです

ここのDA MISSショップもアウトレット。カタログ落ちしたウェアがいっぱい。ボクはトレーニング用にとTシャツを1枚購入。軽くケーキとキャラメル・カプチーノでお茶してから、いよいよライブ会場の肥後橋へ。雨が止まないのでさっき歩いた600mをニュートラム(ここだけで230円!)に乗り、あとは地下鉄で。

地下鉄中央線の大阪港-九条間は地上の高架になっているが、この線の最初の開業区間だ。電車は下を通る道路からレッカーで吊るして搬入したという。今ではさらにその上を阪神高速大阪港線が通っているので不可能だけどね。本町で四つ橋線に乗り換え。肥後橋で降りようと思ったらカードの残額が足りなかった。

 ●「鉄」な買物と…

ホントにライブがあるの?というくらい電車にはそれらしい客は居なかったが、駅に着くとにわかに雰囲気が伝わってきてホッとした。会場のフェスティバルホールは駅と直結。ホワイエのトコで#2を見送ってボクは単独行動に出た。

まずは豊中の「鉄」の店にトライ。何度も閉まっていてガックシが続いていたが、今回は営業中だった(嬉)。欲しかった鉄雑誌のバックナンバーはなかったが、一応予約がてら店主と30分位雑談。気を良くして梅田に戻る。すっかり夜の帳が降りていた。

しばらくして彼女は、堰を切ったように話し始めた。
「あたしね、サーカスの一座に生まれたの。ブランコ乗りなんて、もう生まれた時から決まっていたようなものよ」
「それでね、あたしはブランコ乗りだけじゃなくて、その前に一つ芸をしなきゃいけなかったの」
―それって、動物ものとか?
「ううん、そうじゃないの。綱渡りってあるでしょ。普通は水平に渡されたロープの上を歩くわけよねえ。でもあたしのはそんな簡単なものじゃなかったの」
―えーっ?全然想像がつかない…
「ほら、ブランコのスタートする場所があるじゃない。そこまでロープを登って行くのよ」
―どうやってそんなところまで?
「斜めに張られたロープの上を、バーを持ちながらゆっくり登っていくのね。でもそれには仕掛けがあって登りやすくなっていたの」
―仕掛けって…すごく気になるんだけど。
「タネを明かすと、そのバーは実は客席から見えないような細いワイヤーで引っ張られていて、ワイヤーは隠されたウインチで巻き上げられていたの。だからバーを持っているだけで登れたのよ」
―でも結構難しそうな芸だね。
「そう。ワイヤーの巻き上げと息がピッタリ合わないとだめだったの。でもあれはその頃あたしと従姉しか出来なかった」
―今でもその芸を?
「ううん。あれはもう5年近く前だったかしら。そのウインチが古くなって、整備に手間もかかるっていうので止めたのよ。芸もその時でおしまい。もっともそのウインチやブランコなんかの手入れをずっと努めていた六さんっていうおじさんが引退を決めてしまった…ってのも大きかったかもね」
「六さんってね、六三郎っていうんだけど腕っぷしの強い頼れるおじさんでね、みんなから慕われてた。サーカスはあの人がいなきゃ始まらなかったって位。機械の手入れだけじゃなくて動物の世話まで引き受けてくれて」
―へえー。いい人だったんだね。でも何で引退しちゃったんだろ?
「もう歳だったから…最近は目がショボショボして駄目だなあなんていつも言っていたわね。ほんと惜しかったんだけど」
―それで芸はなくなっちゃったんだ…あとはブランコだけ?
「そう、ブランコだけ。でも最近の若い娘たちは凄いわね。あたしの到底出来ないような技を平気でやってのけるんですもの」
―例えば、体操のE難度とか(笑)
「そうね。そんな感じかしら。あたしの頃は宙返りだけで精一杯だったけど、今なんてひねりまで加えて、まるでムーンサルトっていう感じなの。時代の流れよね」

梅田では定番(笑)の旭屋書店で2冊「鉄」本を購入。まだ少し時間があったのでHEPへ行ってみたが、いつも贔屓にしていたゴルチエ・オムの店は何と閉店してしまっていた…ショック…。

御堂筋と阪急梅田駅の夜景
梅田界隈の夜景

気を取り直してSHIPSへ行くと、あっ!この迷彩柄のパンツいいなあ。ジャケットなんかと合わせたらいいかも〜それにこの春物マフラーなんか巻いてみたらイケそう…などと思ったが、もう資金がない(号泣)。時間もなくなり泣く泣く肥後橋へ迎えに行くことにした。

 ●金沢へ

フェスティバルホールに戻ったら、もう雨は上がっていた。しばらくホワイエで待つが全くライブが終わる気配がない。どうやら時間が押しているようだ。結局21時を過ぎて人波がドアから溢れてきた。新幹線は21:54発。急がなきゃ。

運良く地下鉄四つ橋線にはスグに乗れた。この線は大阪の大動脈である御堂筋線のバイパス路線という位置付けだが、平日の朝夕以外はガラガラ。今日は日曜だし、夜になると本数も少なくなるので心配したが、どうやら無事に帰れそうだ。阪神梅田駅のコンビニでサンドイッチと飲物を買って、大阪駅へ。
いつもなら11番線から特急に乗るんだけど、今日だけは別。京都行きの普通電車に一駅だけ乗って新大阪へ。「いかにも金沢へ帰る」という気にならず、たまにはこんなのもオツな感じだ(笑)。この電車は京葉線の青いのと同じだよ。

新大阪駅の新幹線ホームに上がると、隣のホームに広島からこだま号がやって来た。元祖新幹線の0系だった。東海道区間からは引退して久しいが、まだ山陽区間では最後の活躍にがんばっている。

新幹線0系「こだま658号」

新幹線100系「こだま494号」

元祖新幹線の0系

こちらは「醤油顔」の100系

ボクの乗るのは『こだま494号』。デビューした頃「少年隊の東山紀之に似てる」と話題になった100系だった。ずっと新幹線のスター的存在だったが、300系のぞみにその座を譲ってからは凋落著しい。既に廃車になった仲間もいるという。

静々と電車は新大阪を後にした。いつもと車窓が違うという違和感。やがて阪急京都線との共用高架区間。阪急のホームや電車が新幹線の隣というのも変わっていて面白い。京都で後から走ってきた最終『のぞみ』名古屋行きに道を譲り、こちらは最終電車になってしまった。滋賀県内に入ると闇の世界。

「もう、あたしの出番じゃないんですものね…」
彼女は、今度は少し憂いを込めた表情を時折混ぜながら話し始めた。
「若い娘らはいいわよ。新しいレオタード着せてもらって。あたしなんて昔から同じレオタードよ。あっ、ちょうど良かった。写真を持っているのよ…ほら、これよ」
―かっこいいじゃないですか!
「そう見える?写真じゃ判らないけど、実はこのレオタード、つぎはぎだらけなのよ。もうぼろぼろ(笑)」
―そんなふうには見えないなあ。今でもバッチリって感じ。
「このデザインのはね、あたしじゃなくって叔母のをそのまま受け継いだものなの」
―叔母さんもブランコ乗りだったんだ。
「サーカスでブランコに最初に乗ったのが叔母だったの。それはそれは画期的だったみたいね。あたしのより豪華なレオタードで人気独占だったって聞くわ」
―今はどうなさってるの?
「大人気だったんだけど…それは長続きしなかった。数年後、別のサーカスから移ってきた人がもっとスケールの大きな技を決めるようになってね、可哀想だった」
「それからジャイアンツの清原じゃないけど肉体改造を試みて、却って身体に無理をしてしまったの。最後は…新潟での公演だったかしら。確かそれで早くに引退してしまったのよ。でも…そのほうが彼女にとって幸せだったかもしれないわね」
―そうだったのですか…

米原で新幹線を降り、ここから特急『加越13号』で金沢へ。新幹線接続最終ランナーだ。たった7分の接続なので急いだが、電車はゆっくりと待っていてくれた。新幹線からの客で車内はほぼ満席だった。

『加越13号』は金沢所属の485・489系クラシックの混成。ボクの乗った車両はモハ488-208という昭和48年製だった。車内は夜の暗さも手伝ってか、かなりくたびれて見えた。信越線経由で上野と金沢を結ぶ特急『白山』としてデビューした電車だ…今はその役目も終わり、こうして岐路を見つけたようだ。

発車して数分、長浜を過ぎた辺りで電源切替。交流回路に切り替わり、床下のトランスが唸り出す。

 ●闇

米原からしばらくしか走っていない敦賀で、はやくも下車客が目立つ。発車後、直ぐに電車は北陸トンネルに入ってしまった。

ちょっと気まずくなったかな…そんな空気が漂ったが、
―貴方はこれからどうするの?
「サーカスのみんなは、何時の間にか仲間同士でいい相手を見つけて結婚しちゃってるわ。でもあたしはどういう訳かまだ独身なの。そのせいかどうかは別として…ずっとブランコ乗りなんていうものを続けてこれたんだけど、最近新人が入って来て…やっと後継ぎが出来た…っていうか」
―それは…良かったんじゃない?
「そうね。良かったのよ。あたしももう歳だし、曲芸は正直言って辛いわよ。そろそろいい人みつけて、人並みの幸せってのを実感してみたいわね」
―歳だなんて。僕は失礼なことを言ってしまったのかな?
「ううん、そうじゃないのよ。母や叔母が通ってきた道だから、あたしもそう進まなきゃいけないのかもしれないわ」
「あちこち、行ったわ…」
そう話すと、彼女はしばらく黙ってしまった。彼女の表情を伺うと、少し涙ぐんでいたように思えた。

たった今出会ったばかりだというのに、僕が彼女を見る限り何故か古くから知っていた…そう感じていた。彼女はこのまま引退を決めてしまうのだろうか。いや、それは僕の決める事ではない。でも今の僕は、彼女はこのままサーカスで輝いて欲しいと思っていた。現にさっき見せてもらった写真だって、まだまだ魅力に満ち溢れていたではないか。

急に静かになったかと思うと、北陸トンネルを抜けたところだった。
その時ピーッ!という汽笛と共に、対向する上り線を貨物列車が闇を切り裂いていった。

5番D席は空席になっていた。

暗い、ただでさえ暗い北陸路を『加越13号』は走った。

● ● ●

暖房が効き過ぎて暑いくらいの車内だった。0:44定刻に雨の金沢着。ちょっと無理だったかな…という日帰り強行軍だったが、無事に帰ってきた。家に戻ると午前1時を少し回っていたが、やはりクルマにしなくて良かった。所要時間は大差ないとしても、疲労度が全然違う。

これでみっちーツアーはひとまず終わり。でも再来週にはまたもや大阪へ行かなければならない。今度はクルマで行く予定なので、また違った「旅日記」が書けそう。でも大阪へ行くって、それは…???

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