旅日記Vol.29
秋の信濃路を行く 2001.11.2


それはひどい雨だった。せっかく長野へ旅立とうというのに、前日の夕方から降り出した雨は雷雨になり、これはどうなることかと心配したが、朝起きると雨はどうやら上がっていた。冷たい空気の中、身支度を済ませて金沢駅へと急いだ。

 ●「はくたか3号」で旅立ち

JR西日本485系V編成

もう電車での旅では定番の時計駐車場にクルマを駐め、駅構内のコンビニで朝ゴハンを調達して電車に乗り込んだ。
この日はまず7:02発「はくたか3号」越後湯沢行きを直江津まで乗る。少し早めにホームに上がると既に電車は入線していた。電車は485系だがリニューアルされていて、なかなか精悍な塗装は最近のJR西日本の共通な手法だ。車内も485系にしては手入れが行き届いていて、好感が持てる。

定刻に電車は金沢を後にした。雨上がりの街がやや寒々しく感じられるのは季節のせいかな。富山県に入ると上がっていたはずの雨が再び降り出した。はくたか3号は富山県内をこまめに停まり、乗客を拾っていく。魚津付近では元京阪特急の富山地鉄10030系をオーバークロスしながら追いぬき、入善を出た頃には車内はまずまずの乗りになっていた。改めて車内を見渡すと、壁や天井のパネルは貼りかえられ、渋めのブルーを基調にしたシートも落ちついた雰囲気を出している。

電車は新潟県に入った。窓の外は天険親不知。後立山連峰が一気に日本海とぶつかる険しい地形だ。この付近、現在の北陸本線は昭和44年にトンネルが続く別ルートに大改良されて複線電化成ったが、かつては単線で海沿いに荒波を浴びながら走る難所だった。その跡はまだ残っていて、現在線のトンネルの間から旧線の鉄橋が見えたりもした。改良は当初もっと長いトンネルになる案だったが、地元との協議で現在のルートに落ちついたという。珍しいのは筒石駅で、地下鉄のようにトンネルの中につくられている。

日本海は昨日の荒れ模様がウソのように穏やかだった。

 ●ぶらり途中下車の旅?

直江津では1時間弱の接続。そのままホームで待つのも長く、一旦改札を出てみた。

雨は上がっていた。少し歩いてみると、かつて北前船で栄えた町の雰囲気は今でも感じられた。まだ冬ではないとはいえ、曇り空のどこか暗さが漂う港町は、日本海側の雰囲気特有のものだろうか。向こうに直江津港を望むことができたが、佐渡へ向かうフェリーが出航を待っていたようだ。

町には雪から歩く人を守る「がん木」のある店が並び、ここが越後だなと感じさせる。

がん木

JR直江津駅

これが「がん木」

JR直江津駅

直江津駅は最近リニューアルされた。駅舎は船をモチーフにデザインされたものでなかなか洒落ている。駅前の電柱は帆船のマストを模したものだった。さあ、そろそろ駅に戻ろうかな。

 ●信越線普通列車で長野へ

JR東日本115系長野色

ここから長野までは普通列車。長野新幹線が出来るまでは金沢から信越線経由で上野まで直通する特急「白山」というのがあったが、そういえばここまで乗ってきた「はくたか3号」はその「白山」に相当する時間帯を走っている。

長野までの信越線は大部分が単線なので、ローカル私鉄線に乗っているような感じがする。新井あたりからは25パーミルの勾配が続く長い登り道になる。二本木駅は珍しいスイッチバック駅だ。駅が坂道の途中にあるので、ホームの部分だけを水平にするために一旦本線から離れた場所に移動するものだ。蒸気機関車の頃はそうしなければ坂道を登れなかった。信越線は新幹線開業以前に直通貨物列車が廃止されたが、この二本木駅には大きな工場があって、そこへ貨車を出入りさせるための区間貨物列車だけは今でも運転中だ。そのためスイッチバックが存続されている。

電車は駅を少し過ぎた辺りで停車して、ホームへはバックで進入。構内では入換の機関車がせわしなく働いていた。

再び前進で発車してなおも坂道を登っていく。次の関山駅もかつてスイッチバック駅だったが、こちらは貨物がないので駅は本線上に移されている。今の電車なら坂道でも発車はオッケイ。スキー場の多い妙高高原駅を出てすぐの関川が新潟と長野の県境だが、電車はさらに坂道を登っていく。全線開通した上信越自動車道が見え隠れする。持ってきた文庫本を読んだり、車窓を眺めたり。

海抜630mを超える古間駅がサミット。この辺まで来ると紅葉が綺麗だった。

紅葉が綺麗

上信越自動車道

雨上がりの紅葉が綺麗でした

上信越道の大きな橋が出現

今度は下り坂になって長野の盆地へと入っていく。まばらだった車内は林檎で有名な豊野あたりから立ち客も現れ、新幹線の電車がお出迎えして程なく長野に到着。昨日の雨がウソのように晴れ渡った。

 ●長野地区取材はサクサクと

今回の取材は長電こと長野電鉄。長電の長野駅は地方都市には珍しく地下にある。駅前の通りは長野大通りというが、それはかつての長電の線路跡を利用したもので、市内の交通渋滞緩和のために長電の地下化とともにつくられたものだ。長野から先の市役所前、権堂、善光寺下までが地下区間。

千曲川に近い柳原で下車して、ちょいと取材。再び電車に乗って須坂まで行って、もう少し取材。

長電柳原駅
長電の特急と普通電車(柳原駅にて)

長電は規模、沿線共に富山地鉄とよく比べられるが、長野-須坂間は普通電車が約15分おき、それに志賀高原の入口の湯田中温泉まで直通の特急が1時間に1本あり、なかなか盛況だ。一方の富山地鉄はもう少し本数は少ない。あんまり書くとネタバレなのでこのへんで(笑)。

取材も無事終わり、長野へ戻った。沿線では林檎がたわわに実っていて、秋の長野を実感。

 ●長野の街を少し歩きながら…

長野なら蕎麦。それも新そばの季節じゃないか。ながの東急の7階にある「東急やぶ」で天ざるを食べたらこれが旨くって、ついお代りにせいろを追加(爆)。早めに取材が終わったので、帰りはかつての特急「あさま」を引退した電車を使う快速「信州リレー妙高3号」(15:07発)で直江津まで行こうかなとも思ったが、もともと直江津から「はくたか14号」の指定を押さえてあったので予定どおり16:11発の普通電車にして、長野の街を少し歩くことにした。食べたぶん有酸素運動しなくちゃ!

う〜ん、なかなかおしゃれなショップが多いなあ。全国的に有名になった長野県庁へ行ってみようかなと思ったけど、ちょっと歩くには遠いし時間もないのでパス。

善光寺といえば長野のシンボル的存在だけど、ただ全てにそれを前面に押し出していないのに好感が持てる。何かにつけて「加賀百万石の城下町」を口にする金沢とは大違いだ。長野の街は街路も建築物も美しく整備され、デザインも秀逸だ。無理に地方色を出そうとはしていない。それにJR長野駅、長電長野駅が街の中心部にあってその存在が生き生きと感じられる。人もたくさん歩いている。活気がある。

それに比べ、基幹産業のない金沢は、もはや観光でしかやっていけない場所になってしまった。だからといって、そればかりが住む人間にとって全てかというと多くの疑問を感じざるを得ない。江戸時代の金沢は全国でもトップクラスの町だったことは事実。ただし今はどうだ。「加賀百万石」は確かに地元にとってはすごく都合の良い言葉かもしれないが、それに酔い、踊らされ、しがみついてばかりでは今のような中途半端な町にしか過ぎないではないか。見世物小屋のようなわざとらしい観光色の町に魅力を感じるだろうか。

また訪れたくなる街。もう一度行きたい場所。そんなところにも旅の魅力があるはず…。

 ●金沢へ

JR長野駅

長電長野駅の上にあるMIDORIで家へのお土産にと、小布施でおなじみ竹風堂の「くり楽」と「栗ん子」を買う。ついでに信州名物のおやきもいくつか買い、JRの改札に向かった。名古屋行き特急「しなの」がちょうど発車するところだった。名古屋に行ったのは9月。思い出すなあ『北アルプス』(泪)。結局福島の会津鉄道で次の活躍と決まったと聞いた。

JR長野駅は善光寺を模した建物で親しまれたが、新幹線の開通ですっかり生まれ変わった。

来た時と同じ型の電車が待っていた。新幹線ホームから「あさま」が静々と走り出すのが見えたが、このまま東京へも行ってしまいたい…という衝動にもかられてしまう(笑)。平日の夕方とあって下校の高校生を主体に結構な乗り。「この電車は普通列車の直江津行きです」と聞こえてきたアナウンスは女性だった。電車は直江津へ向けて発車。

のんびりと今日あった事を思い出していたらつい眠くなってしまって…気がつくともう古間の辺りだった。早起きだったからかな?
朝は雲に隠れていた山々がすっかり勇壮な姿を見せてくれていた。しかも紅葉が夕陽を浴びてすごく綺麗!ずーっと窓の外に見惚れていた。

途中の無人駅からの乗客にと車内を回ってきた声の持ち主は、若い女性車掌だった。すっかり車内のアイドル的存在で、あちこちで声をかけられていたみたい。
いつしか電車は閑散となったが、再び二本木駅のスイッチバックを経て、新井あたりからまた下校の高校生で賑わいをみせた。すっかり暗くなった直江津に到着。

その直江津ではたった4分の接続。もっとも乗り換えそのものは十分間に合ったけど、小学生の団体が大挙降りてきて、なかなか車内に入れずハラハラしたり…。

JR東日本485系T編成

こんどは越後湯沢からの「はくたか14号」。行きで乗ったのと同じ485系だけど「はくたか」でも1往復だけのJR東日本所属の電車だ。ただしこちらは485系の中でも一番新しいグループから選抜された車両が使われている。車内は完璧にリニューアルされていて、窓は拡大され、天井、壁のパネルも全て新設計。床も貼り替え済み。シートも黒を基調にブルーを配したシックなもので、シートバックも大型化されている。近年のJR東日本共通のポリシーが貫かれている。これがもともと同じ485系だったとは信じられない念の入れようだ。

まるで新車!どこかに元の名残がないかと探したら、シートの台だけがオリジナルだったという位。運転室のシートもレカロを奢っているという話だ(溜息)。東北線の特急「はつかり」にも同じリニューアル車が走っているが、実はそちらが先輩格だ。

糸魚川を挟んでトンネルばかりの区間が続き、再び街の燈が見えてきたらもう富山県内。でもまだ夜の7時前だというのに駅には人がおらず閑散としていて、まるで夜中のようだった。

電車は淡々と夜の北陸線を疾走した。文庫本を読むうち「あと3分で終着、金沢に着きます」とアナウンス。19:38定刻金沢駅に到着。何故かホッとする。

● ● ●

信濃路の秋はとても素敵でした。たった1日の取材旅行だったけど、とてもいい旅でした。のんびり普通電車ってのもなかなかでしたよ。

今年は飛行機での旅がまだ1回!これは珍しいかも。しかも「みっちー上京」もないし…(笑)。でも次回の旅はいよいよ…??

トップに戻る