ナガルコット、ボーダナートを巡る

 24 Oct.2001〜 28 Oct 2001

ダウラギリ登山を終えた僕らは、10月17日にマルファに下山していた。
ダサインの祭りが始まるまでに観光省への報告をすませた方がいいというコックのダワのアドバイスで隊長の僕だけが一足先に飛行機でカトマンズに戻ることになった。
そして10月18日の早朝にマルファを出発し、午後にはタメルのStudentGuestHouseでメールチェックをしていた。飛行機は、さすがに早い。
なんと、24日に村井さんが来るとのこと。
しかし、心配していた群馬隊の3人は消息が絶ったままで、24日はヘリで群馬隊の3人の捜索に行くことになる。
そうして24日の早朝、コスモの迎えのバンに乗り込み、トリブバン空港よりヘリでダウラの上空へと向かった。
残念ながら、痕跡を見つけられないままカトマンズに戻った僕は、コスモで報告をすませ、群馬隊の留守本部の方々と同じ便でやってくる村井さんを迎えに再びトリブバン空港へと向かった。
詳しい話は翌日にし、簡単な挨拶をすませ、その日は村井さんとタメルのホテルで休むことになった。
夕食の後、多くの話をし、日付が変わる頃ようやく眠りについた。こうして長い1日は終わった。

10月25日

今日は、ダサイン。朝食前にダルバール広場に見物に行くことにする。
残念ながら?ヤギの姿は見れなかったが、多くの人々が花を供えるのを眺めて、ホテルにもどった。
リキシャに乗る ダルバール広場へ

朝食後、コスモトレックに向かい群馬隊の3人のことを話しあう。
僕のできることは、もうなさそうなのと、皆さんの気遣いで、その後は村井さんと過ごすことになった。

プリントに出していた捜索時の写真を預け、夕方、2人でタクシーでナガルコットへと向かう。
ちょっと高いが、1000Rs.
タクシーの運ちゃんの薦めのまま、ヒマラヤンハートというホテルに泊まることにする。
その日の夕食は、チキンダルバート。うまかった〜。

ナガルコットからの眺め ヒマラヤの眺め

10月26日

展望台まで朝日を見に行くつもりだったが、寝坊。結局ホテルの屋上で朝日を眺める。
ヒマラヤンハートの屋上にて 朝日を浴びて

辺りを散歩し、「ヒマラヤンクラブ」で朝食を食べる。さすがに5つ星だけあって、眺めもよろしい。
ヒマラヤンクラブにて ランタン方面?

そして、半日トレッキングコースである、チャングプラヤンに向かうが、2時間半くらいで挫折・・・。
途中写真を撮った子供がPhotoMoneyといいながら、追いかけてきた。
この辺りは、多くの観光客が通るのだろう。お金は、どうかとも思うのでペンをあげた。

そして、ちょうど停まっていたローカルバスで帰ることにする。
乗り込んだときは、すいていたが、いつの間にか満員となる。
バクタブルで別のローカルバスに乗り換えてカトマンズへ。値段は、タクシーの1/20くらいだったか?
バクタブルにて

その後再びタクシーでボーダナートへ向かう。

まずは、LotusGuetshouseなる安宿にチェックインする。共同シャワーのダブルでRs.350なり・・・。
部屋で休んでいると人なつっこいネコが入ってきてジャレついてくる。
ナマステ次郎と名付けました LotusGuetshouseにて

そして、ボーダナート見物をして、近くのレストランで夕食を食べる。
ボーダナートにて 夕暮れのボーダナート
ボーダナート夜景 周りの夜景

ホテルに帰るとなんと、カギを掛けられていた。
なんとか、眠っている守衛さん?を起こし部屋に入れてもらう。
今日も盛りだくさんの1日だった。

10月27日

レストランで朝食を食べ、ボーダナートの周りを回っているとK2の時一緒だった、ダワと再会する。
よく御参り?に来るらしい。懐かしい。
K2仲間のダワと再会 遠くヒマラヤを望む

タクシーでタメルに戻り、宮川さん、仕立くんらと合流する。
レストランで乾杯

お買い物を済ませ、夜タクシーでコスモに向かうが、タイヤがパンクするオチまでついてしまった。
お世話になった皆さんに挨拶をすませ、マイクロバスに乗り込み空港に向かう。
ダウラのキッチンボーイだった、ニマも見送りに来てくれ、カタを巻いてくれる。
コックのダワに託された地ビールの素?を持つ仕立くんは、足止めをくっている・・・彼ならなんとかするだろう、たぶん。
名残惜しいが、多くの思い出を残して、ダウラギリ遠征と村井さんとのショートトレックは終わった。

ウラギリ登山の後に行ったナガルコットは、短いながらも思い出深い旅となりました
それにしても、たった5日間の休暇でカトマンズに来るとは、村井さんも行動的でした。
まあ、僕と合流できなくても1人でも楽しんだだろうけど・・・。
そんなこんなで、名前は変わったものの今も二人で”みちくさ”を続けているのです。
ただ、あえて詳しくは触れませんでした、帰らなかった群馬隊の3人のことは、非常に残念に思います。
2004.3.9 ryo