ユルゲン・テラーのスティル・ライフ
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リーバイスの505とすり減ったリーガルのスニーカー、少しのお金とナップサックだけ持って、一人暮らしをしていた府中市のアパートから、バイクに乗って出かけて行った。 どこまでも走っていくのはとても楽しかったし、掴みきれない想いはいつもあったから、距離なんて関係なくいろいろなところへ行った。 吉祥寺や下北沢、国立、厚木や横浜、そして逗子、横須賀。 流れていく風景はまるで切取られたはずの写真の連続のようで、それがどこまでも続いていく。ビートジェネレーションに憧れ、一日中音楽ばかり聴いていたぼくには、それが日常から現実へと続く、唯一の接点だった。 街に着くと通りのどこかにバイクを停め、レコードショップかブックストアを見つけて中に入った。 街ごとに変わる様々な顔、表情の違いや雰囲気。初めての場所のそんな心地よさや浮遊感などを感じながら、好きなだけレコードやCD、ビートの詩集などを探し求めた。 R.E.M.の「グリーン」や、「Born To Run」のあのジャケット、ウィリアム・クラインの「NEW YORK」の紹介記事・・。中にはウィークエンドのCDが300円で売っていたり、ルー・リードの詩集やサラ・ムーンの作品集が何気なく置いてあったりして、そういったところをチェックするのも重要なことだった。そして頭がくらくらするくらい厳選して、一つだけ購入した。お金がなかったから、それは本当に真剣な作業だった。 店を出る頃には外は暗くなっていて、販売機で缶コーヒーを買い、店前や公園のベンチに座ってゆっくりと飲んだ。そして通りのバスや看板、様々な街の姿などを眺めた。 ひっきりなしに行き交う車、クラクションが鳴り、バスのテールランプが光り、自転車に乗った高校生達が通り過ぎる。笑い声が尾を引いて雑踏の中に混じっては、いろいろな人たちが歩き去って行く。そこには様々な情景があり、声や音、様々な想いがある。 やがて辺りを暗闇が覆っていくと、人々は徐々に少くなっていく。夜のイルミネーションが点滅し、アーケードにこだましていた声がふっと途絶え、微かな響きだけを残して、どこかへ消えていく。 街が静かになっていくと、ぼくはバイクのハンドルを握り締め、両側の灯の中を思い切り飛ばして家に帰った。
ユルゲン・テラーの写真に出会ったのが、いつどこでだったか、もう忘れてしまった。でも街のどこかだったことは覚えている。 いつしか印象的な写真を見かけるようになって、それが同じ写真家によって撮られたものだったことに、後になって気づいた。 どこか儚く、不思議なまでに静けさに満ち、美しくも哀しい気分にさせる、モノクロームのプリント。 子供たちは深い眼差しをし、時にやんちゃで、大人たちは現実を睨みつけ、顔には深く皴が刻み込まれている。草原に立って遥か向こうを見つめる少女、険しい表情をしたジプシーの少年。孤独や歓喜、静寂や鼓動、そして、ここではない何処か・・。 キャサリン・ハムネットのコレクションや、「i-D」「FACE」といった雑誌に載せられた作品。静と動が交差し、危うい中で均衡を保ち、言葉以上のもので語りかけてくるそれらの作品たち。 その頃はまだ、ユルゲン・テラーの作品は写真集としてまとまったものはなく、作品は雑誌やポストカードなどで見るしかなかった。 ぼくはどこかの街へ行くたび、ユルゲンの作品を探し始めた。洋書コーナーや若手写真家を集めた作品のコーナー、イギリスの「i-D」や「Glamour」といった雑誌群、パルコブックセンターにロフト。そして「スタジオヴォイス」に、彼の作品がまとめて載っているのを見た。 2冊買って帰り、何度も繰返し眺めたのを覚えている。いつか自分もそんな写真が撮れることを心から願いながら、ぼくは深いため息をついた。 お金を貯めて小さなフジのカメラを買い、どこか行くときには必ず持って行くようになった。初めは少しずつ、やがて片っ端から、周りのものを撮り始めた。 幾枚かは気に入ったものも出来た。いろんな人の写真集を数えきれないくらい見、真似たアングルで撮ったりもした。モノクロのプリントで作ったり、そのために遠出もしたり。でも、どうしても、ユルゲンのように人物を撮ることはできなかった。
ユルゲン・テラーは写真家としてスタートする前、ヨーロッパ中を旅し、まるで流れていくような目線で写真を撮った。モノクロームのフィルムには、流浪する儚さや厳しさ、常に存在する死への印象が、深く刻まれていた。 若くして才能を見出され、瞬く間に名声を得ても、その視線は変らなかった。 写真にはいつも消えゆくような呟きと、美しくも哀しい色彩、そして誰かを見つめる温かい眼差しが、同じ地平で同居していた。 ユルゲン・テラーの写真を見るとき、その視線の向うに何か懐かしい場所を感じ、そこに惹かれるは、そういった同居が、かつてぼくらにもあったからだろうか。 なぜだかは分らないけれど、いつの間にかぼくらはそれを失ってしまった。いや、失ってしまったような気がしている。そして改めて考える。いったい何を失くしたのだろう。
とりたてて不満ではなく、一見満ち足りているように見え、でもやはり満たされない90年代という現実。大抵の場合、表面は華やかであるように見え、実際は退屈な日常と巨大な空白感の中、何もできずにのたうち回っているようなところ。 ぼくらは喪失感に覆われ、けれど何を失くしたのか分らないまま、周りを見回しても何も見つけられない。その一方で、いつまでも同じ場所にいる訳にもいかず、焦って動き回っては、何度も自滅を繰り返す。 時折幾つかうまくいくことがあっても、それをどうしていいか分らないまま、出口もなく毎日は淡々と過ぎていく。閉塞感をもてあまし、それでもこの壁のどこかに風穴を開け、出来れば自分自身として生きたいと願っている。
ユルゲン・テラーの写真は、実はそんな90年代の気配にぴったりだった。あれだけぼくらに切実に迫ってくるのは、彼の眼差しがその本質を捉えているからだし、またそんな90年代という日常に、誰もが不安を抱き、また実際、その不安を浮かび上がらせてくれるからなのだ。 彼の写真は、決してただ優しいだけではない。手触りのよい、心地よいだけのものではない。寂しさはどこまでも身を切り裂くし、死は極限の恐怖でもある。そこに彼の視線が、現実の眼差しとなって語りかけてくる。 ぼくらが一瞬立ち止まっていてもよいところ、彼の視線が作り出す、そんな気分にさせてくれる場所。でも彼は穏やかな表情のまま、美しいプリントで、何もないと言うけれど、物事はずっとここにある、ないと思うのは、人の心だけなんだ、とでも言うように、そこに佇んでいる。 そう、何もないと思うのは、何も感じないからなのだ。ほんとうは、今この時にも、きっと目の前では何かが起こり、様々な意味を持って時間は流れ、どこかで人は死んでゆく。日常の些細なことや繰り返しの中に、きっとそれぞれの物語が潜み、人はそこを通っていく。 それを掬い取るのは、結局それぞれに生きる人の心であり、その人自身の眼差しに違いない。ぼくらが少しでも積極的に自分として生きていくこと。巨大な壁に少しでも風穴を開けるには、その感覚をぼくら自身の言葉にして、自分の声で語り始めるしかない。どこかにある自分の場所へ辿り着き、そうやって様々なことを、自分自身のものにするしかない。 ユルゲンのリアルな感覚は、ぼくら自身に静かに、けれど多くのことを、語りかけてくる。
大学時代も終ろうとしていたある日、それまで撮ってきたたくさんの写真をまとめて、仲の良かった女の子に見せた。彼女はとても真剣に写真を見ていた。ページを繰り終えると、彼女は静かに笑って、こう言った。 「人は写ってないんだね。なんだか寂しいね・・」
今、二十代も後半になって、部屋の中でぼくはぼんやりユルゲンの写真を見ていたりする。 バイクは随分前に壊れてしまったし、仕事でいつも疲れていて、休日はただ眠っているだけだったりもする。 それでもユルゲンの写真を見ると、微かではあるけれど初めて見た時の切ない気持ちや、どこか遠い街の情景、あの浮遊していくような感覚を想いだす。いろいろなことがこの先に向けて開けていくと信じ、何か出来るとずっと思っていた、懐かしい頃を想い出す。 何かに対して深く考えたり、移ろっていくものへの視線も、今では随分甘くなってしまった。そんな日常を否定するつもりはないけれど、そうじゃない自分もいたんだって、ちょっとだけ考える。そして少し笑って、ユルゲン・テラーの写真のページを閉じる。 彼の描く、静かで、そして意志に満ちたスティルライフは、いつもそこにあって、そんなぼくを責めることなく、ただ静かに笑っている。 (1998.6.21) |
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