その闘いは、決して甘くはないけれど

 ある日突然、それまでの世界が音をたてて崩れ始める。

 まるで昨日とは違う世界がそこにある。不意にその地点に取り残される。その時になって気がつく。僕らが生きている場所とは、こんなにも不確かなものだったのか。

 ためしに声をかけてみる。こんにちは、ぼくはここにいます、あなたはどこにいるのですか・・。

 誰もこたえない。そこには誰もいない。やがて自分と広大な大地で、虚ろな堂々巡りが始まる。

 不意に突きつけられた現実。自分という存在の曖昧さ。社会という脆弱な基盤。確かなものなど、始めからありはしなかった。そうやって初めて、僕らは顔を上げ、のろのろと歩き始める。

 「少年たちは、もっとナイスなもののある方向へ、のろのろと歩き始めた」

 小説「さようなら、ギャングたち」の最後は、そう言って締めくくられていた。

 日常は、まるで突きつけられたナイフ。そして僕らが出来るのは、もしかしたらあるかもしれないナイスなもののある方向へ、歩いてみることだけ。救われようと努力してみることだけ。救いなど、本当はありはしない。

 でも、失われた小さな幸福は、きっと取り戻せる。その闘いは、決して甘くはないけれど。



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