「いただきます」をご一緒に



 俺の手にファラが手を重ねて。

 指先に。手の甲に。

 唇を寄せる。

「何でこんなことするんだよ」

 わけがわからなくて睨んだら、
「だって、うまそうだったから」
今度は手のひらをペロリと舐められた。

「うっ、よせ、俺はうまくはないぞっ!
腹が減ってるんなら今すぐ何か作ってやるから、俺の手を食べるのだけは勘弁してくれっ」

 ざわり、と身の危険を感じて、全身に鳥肌が立つのが止められない。
本能的に戦闘態勢に入った身体を持て余した俺は、蝿を叩き落とす勢いでファラの手をぺちんと叩いた。

「痛いじゃないか」

 そうして、叩かれた手を摩るファラから我が手を救い出すことに成功して、俺はやっと安堵する。

「この手がなくなったら料理だってできなくなるんだぞ」

 幼い子供に言い聞かせるように「食べちゃ駄目だ」と自分より背の高い後見役のセリーア人に向かって諭すと、
「おまえを食うわけないだろが。大げさなヤツだな」
ファラは「イタイイタイ」と繰り返してわざと手を摩りながら、育ての親に何たる仕打ち、とねちねち文句を言いだした。

「朱里、よく考えてみろ。おまえを腹の中に納めてしまったら、二度とこうして遊べなくなるじゃないか」

 そんなもったいないことは絶対しない、と言い切るファラに、
「何かが違うぞ……」
俺は思わず天を仰いでしまう。

「でも、おまえ。ホンキで食べようとしたじゃないかっ」

 危険予測はELGにとって命綱だ。ELGの卵とはいえ、俺は自分の本能を断固として信じている。

 その危険本能がしっかり働いたんだ、と訴えたら、
「そりゃあ、マジにうまそうだったからな」
ファラは呆気なく本音をぽろりと零して、雨上がりの空のように微笑んだ。

 そのファラの微笑みがあまりにも幸せそうなものだったから、
「ほらみろ。やっぱり、俺の手を食う気だったんじゃないか……」
俺は理不尽さを感じながらも滅多に見られないその笑顔につい見惚れてしまって、それ以上の言葉を続けられなってしまった。

 セリーア人特有の乳白色の髪と瞳が朝のうららかな陽の光に透けて、そこだけがスポットライトがあたったようにとても明るい。
サンルームから漏れる光はかすかなはずなのに、そこにファラがいるだけで世界が光に包まれているような錯覚に陥った。

──さすがに絶滅危惧IA類のセリーア人。見てくれだけは天下一品、なんだよなあ。

 この麗しの外見にしてこの我が儘な性格。……詐欺である。

 世間はセリーア人の実態を知らなすぎるぞ、と大きな声で訴えたいところだが、俺が声を張り上げて何を言ったところで、セリーア人に天使を夢見る地球人種たちの耳には俺の真実の言葉など虫の羽音くらいにしか思ってくれない。

──ああ、こうしてみんな、この見てくれに騙されてゆくのねェ。

 すると、急に黙り込んだ俺の態度が気に食わなかったのか、それとも心の声を問答無用に拾い聞きしたのか、ファラはますます意固地にいじけて、
「ちょっとくらいいいじゃないか、ケチ」
口を尖らしてぷいっと顔を背けてしまった。

──うへえ、マジかよぉ。こりゃ長期戦覚悟だなあ。

「天使再来」とも言われているセリーア人のくせして、この拗ねよう。
これではまるでお菓子のお預けを食らった子供である。

 とはいえ、伊達に長年一緒に暮らしているわけではない。
これくらいで引いていてはこいつらとは付き合っていけないのだ。

 甘い顔ばかりしていたら付け上がる。言うべきことは腹に溜めないのがうちの流儀だ。

 だから、今回も、
「ケチって、おまえなぁ。これは俺の大事な手なんだよ。食うならちゃんとした食いモンを食えっ」
付き合ってられんわ、と俺は居間に移ろうと席を立った。

 そうして、立ったところでちらりと目をやったのだが、顎に手を当てて食卓に肘をつくファラは、じっと一点を見つめたまま俺のほうなど見ようともしない。

 そのファラの横顔があまりにも寂しそうに見えてしまったからだろうか。
非のないなずの俺のほうが結局どうにも落ち着かなくなってきて。

「まったくしようがないなあ……」

 その雰囲気に耐え切れなくなった俺は詰まるところ椅子に座り直して、いつものようにファラのご機嫌を取る羽目になるのだ。

 ああ、いかにも「いじけています」と語るその態度がファラの常套手段とは知りつつも、やっぱり放っておけない、とつい下出に出てしまうこの平和主義的な自分の性分が恨めしい。

「おまえさ、俺より年上なくせしてそんな顔するなよな。俺はちゃんと食べさせてやってるだろ?」

 ファラが横目で、フン、と鼻を鳴らして俺を見てくるから、こりゃ相当いじけてるな、とますます覚悟を決めざるを得なくなった。

 気分屋のファラのことだからそのうち自然と機嫌がよくなるかもしれないけど、その確証たるや期限も期待も薄っぺらなものしかない。
それがわかっている俺やジャックは、いつだって早期解決に余念がないのだが……。

 今回は何が気にならないのか、いつにもましてファラが駄々を捏ねてるように思えるのは気のせいだろうか?

「そんなに腹がすいてるのか? あんなに朝ごはん食べたのに?」

 燃費が悪すぎだ、と体調が心配になってそう口にしてみたのだが、ファラは完全無視するかのようにまったくこっちを見ようともしないから手の打ちようがなくなってくる。

──俺にどうしろって言うんだよぉ。

 この「イジケ虫」の原因からしてよく理解できていない俺なのだ。零れ落ちるのは溜息ばかり。

「参ったなぁ」

 食卓の上にぽつんと片付け忘れていた塩を入れた小瓶に向かってひとりごちると、塩がさらりとわずかに崩れた。

──ファラの奴、ホントに食い足りないのかなあ。
おーい、どれだけ食べれば気がすむって言うんだよ……。





 今朝の食卓は簡単メニューだった。

 ゆで卵にフレッシュサラダ。そして、ベーコンとチーズを巻いて成形した焼きたてのパン。

 二次発酵を済ませたパンに、少量の水で溶いた卵黄を塗ってオーブンで焼く。
その間に、常温に戻しておいた卵を熱湯で短時間茹で、卵を茹でてる間に野菜を洗ってサラダを用意して、珈琲をドロップしたら万事終了。

 そうして食べ始めた朝ごはん。

 黄身のとろり加減が命のゆで卵を皿と一体化した陶器のエッグスタンドに乗せたら、ファラとジャックのふたりにわんさか追加を要求され、卵のストックがなくなるほど食べられてしまった。

「食べすぎは身体に毒だぞ」

 俺が何度もそうやって言い聞かせても、当のファラは、
「平気さ。俺、今、発情期なんだ。これはもう本能だな。
きっとたっぷりの栄養を身体が要求してるんだろうよ」
体よく誤魔化して何もかもうやむやにしてはまたひとつゆで卵を手にして殻を剥き出すから、本当に困ってしまう。

「何が発情期だっ! 成長期の間違いだろがっ」

 幼年期が終っても、まだ成長が止まらない者は多くいるものだ。
ましてやファラはセリーア人。地球人種の枠にはめたところで無意味である。
二十二歳を過ぎたばかりのファラの成長期がまだ終っていないとしても全然おかしくない。

 だから、親切にもわざわざ言い間違いを正してやったのに。

「そうさなぁ。だったら、おまえもさっさと成長してくれ」

 そう言って、ファラはまたひとつさっさとゆで卵の殻を綺麗に剥くと、
「ほら。コレでも食べて、早くオトナになってくれよ」
俺の口の中にぐいっと無理矢理押し込んできた。

 ほんの少しの塩が黄身の味を引き立てて、口いっぱいに幸せな朝の味が広がる。

 それでも、丸ごと一個の卵を押し込まれた俺の口はその卵の大きさに悲鳴を上げてしまい、抜群の茹で加減のそのおいしさの半分すら、俺は残念ながら味わうことができなかった──。





 あれだけ、ゆで卵を食べたというのに。

──コイツわ! まだ食う気なのかっ!

「おまえ、卵ってのはな。本来、一日一個で充分なんだよっ」

 エネルギー摂取量を守らないとジャックみたいに太りだすぞ、と脅かしてやると、
「それならふたりで運動でもやるか?」
久しぶりにプロレスでも、と誘ってくるファラのその目が嫌な笑いを含んでいるから、
「いいです。俺はまだ腹がいっぱいで運動どころじゃありません」
これまた俺の優秀な本能が身の危険を察知して、ファラの誘いに乗っちゃ駄目だと叫びだす。

「そりゃ残念。いつでも相手をしてやるからな。その気になったら誘ってくれ」

 ファラが肩を竦ませて本当に残念そうな顔をするものだから、
「スキンシップでも深めたい気分だったのかな? どう思う、ジャック?」
性懲りもなく朝食のパンかすを嘴で突っついて、
<もっと食いてー>
自分で食べ散らかしたその後始末に忙しいジャックに相談したのだけど。

<朱里〜。おやつくれよぉ。オレってば、もう腹減ったよ〜ん>

 ピョンピョンと食卓を跳ねて俺のところに寄って来ては琥珀色の瞳を潤ませて、朱鷺色の頭を俺の二の腕に擦り付けて甘えてくるジャックは、おのれの腹の具合には深刻に悩めるくせにほかのことに関しては今はまったく頭が回らないらしい。

──まだ食後一時間もたってないってのに腹が減ったと言われても……。

「おまえ、重くなった自覚ある? ぶくぶく太ったら本当に飛べなくなるぞ?」

 そしたら養鶏所のニワトリと一緒じゃないか、とニワトリには申し訳ないがたとえ話として出させていただいて、
「木の枝には飛び移れても大空を羽ばたけなくなっちまうんだぞ? そうなってもいいのか?」
そう懇々と言い含めるのだが、
<大丈夫だって。だって朱里があとで相手をしてくれるんだろう?>
プロレスの、と飼い主を同じ台詞を吐くものだから、これまた俺は言葉を失う。

「ジャック、おまえさ……。俺にどうやって鳥相手にプロレスしろって言うんだよ!」

 まったく、うちの使徒星の連中ときたら、常識というのもが欠けすぎてるぞ。

「第一、俺は痛いのが嫌いなんだよ」

 プロレスなんかしてたまるか、と叫んだら。

「大丈夫。痛くしないようにテクニックを駆使してやるから」
<そーそー>

 白い外見をしているくせに実は腹黒いファラとジャックが、飼い主と飼い鳥のその意気投合した強力タッグでもって、にたりと人の悪い笑みを浮かべるから、またまた、ぞぞぞぉーと俺の背中に悪寒が走った。

──ヤバイ。

 本能が何かをしきりに訴えていた。

──すごくヤバイ気がするっ!

 経験上、こういう時は逃げるが勝ち、というもので。

「あ、俺、今日はマックスと約束があるんだった。それじゃ、あとはよろしく頼むわ。
昼には帰って来るからさ」

 長年一緒に暮らしていれば、勘の良さと逃げ足だけは鍛えられる。

 早々にアパートメントを脱出するのが一番、と覚った俺は、こうしてそそくさと路上に一歩を踏み出した。

 ふと後ろ髪が引かれるように上階の我が家を振り返ったその時、
「もしかして、あいつらだけでプロレスやるつもりなのかな……?」
小さな疑問がむくり、と沸いたけど。

 その、ふいに沸いた疑問を、
「ま、いっか」
綺麗さっぱり蹴散らして、足取り軽く、俺は街に溶け込んだ。

 帰ったら、あいつらに訊いてみようか、と数時間後を我が家をめぐらしながら。

「マックス、家にいるといいなあ」

 約束なんかしていない悪友の部屋を目指して、俺は鼻歌交じりに歩を進めた。





『俺抜きのプロレス、楽しかった?』

 その返事が「楽しかったぞ」でも「しなかった」でも、きっとそんなの関係ないんだ。

 だって、どんな結果であろうとも、あいつらは──。

『今度は朱里も一緒にやろうな』

 そう性懲りもなく俺を誘ってくるに決まってるんだから。

 我が家はまだまだお子ちゃまばかり。

 ホント、俺がしっかりしないとやばいよな。

                                                         おしまい


illustration * えみこ



*** あとがき ***

最後まで、お付き合いしていただき、ありがとうございます。
ふたりと一羽の朝ごはんのお話は、いかがでしたでしょうか?

私もゆで卵が大好きです♪ 食べ過ぎてアレルギーになったほどですから(笑)。
塩、醤油、ケチャップ、マヨネーズ、味の素、ソースなど。
幼心に味比べをしたんですね〜。

親にナイショで自分で八個の卵を茹でて……(笑)。
いやあ、研究熱心な思い出です。

ご感想などお聞かせいただけると、とても嬉しいです。
これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro



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