明日への道行



  あと二刻もすれば夜明けとなる、夜の帳の闇に溶ける黒──。

 黒く見えたのは先頭を行く彼の着衣だった。

「殿下ぁ、ホントに城出しちゃっていいんですかあ?」

 気品に溢れるその容貌は、美妃で知られる現イクミル王妃によく似ていた。

 神経質そうではあるが誰もが綺麗と認識する美貌。
完璧な左右対象の薄い唇、やや切れ長の目。
そして、イクミル国内では馴染みのはずの「漆黒」の髪。

 後ろへと梳かれたその黒髪は不揃いだが清潔感が感じられ、額にかかる前髪は、王宮の裏手に広がる蒼月湖の深い青を彷彿させる瞳に届かんばかりに伸ばされていた。

 背高の敏捷そうな痩身の体躯にかかげられた容貌に、どれほど多くの女たちが歓喜の悲鳴を上げるだろう。

 先を歩く、その美貌の魔導師シンの顔色を伺いつつ、
「絶対、まずいですよぉ。コレって王家史上稀に見る醜聞になっちゃいますってっ!」
ジェジェは彼自身の赤い髪のように頬を赤らめながら、何度目かの弱音を吐いた。

 城を出る当初から美貌の王子は、相も変わらず、『駆け落ち中』が嘘のように一貫として堂々としている。

「そんなに嫌なら、おまえだけ戻ればいいだろう? 大体、最初からこうすれば良かったんだ。
確かにオレとしても、頭の固い元老院が『一度婚約破棄したルティエを正妃として認めるのは難しい』と、そう言い出す可能性を考えないでもなかった。
それでも今回の、再度の縁組は、オレ自身が望んだことだぞ。ルティエから言い出した婚姻じゃないっ!
ましてや、元老院が『考慮する』と言うから、オレは大人しく一月待ったんだ!
印象を悪くして、こいつがオレ以外の男のところに政略的な輿入れを決められては敵わないからな」

 それなのに──。

 シンの言葉が押さえられた怒りに震えながら、かすかに聞こえる虫の音に消えていく。

「まあねえ。
隣国の亡くなった王の後継者問題の火の粉がルティエに降りかかるのを、おまえが黙って見てるわけ……ないよねえ」

 魔導師と神官の色違いの服のように、シンによく似た容姿の銀髪のスィヴィルが、腕組しながら軽く頷き返した。

「スィヴィルさんまでそんなこと言ってぇ。
殿下のお気持ちもわかりますけど、ここは穏便に行動なさらないとルティエさまのお立場が……」
「それは、ルティエ個人のか? それともロザイ侯爵家のか?」

 どちらにしても同じことだな、と言いたげに、シンはジェジェに向かって一瞥を投げた。

「もう、ふたりとも止めてよ。ぼ……、わ、私の立場なんて、これ以上悪くはならないんだから……」

 先ほどから自分のことでシンとジェジェ言い合うのが申し訳なくて、とうとうシンとジェジェの間に入ったルティエが、ふたりの顔を交互に見上げる。

『真のカンギール・オッドアイ』と呼ばれる希有な左右異色のルティエの瞳は不安げに揺れていた。

「ジェジェが心配してくれるのは嬉しいけど、未来の王子妃を蹴った話はホントのことなんだし、わ、私の評判なんて、今さら駆け落ちなんかしなくったってすでにキズものだよ。
それより、シンの方が深刻だと思う……。シンは何たって王位継承権第二位を持つ王子さまなんだから。
一度婚約破棄された相手と駆け落ちするなんて、ジェジェの言う通り、王家始まって以来の醜聞になっちゃうよ?」

 シンとの婚約解消後、政略結婚を先延ばしするために女性化を思い止めようとしたルティエは、自分自身のことを「ぼく」と呼ぶなどして、言葉遣いですら女性らしさを匂わせるものは極力遠ざけてきた。

 だが、シンとの再会によって状況は一変し、ルティエ自身、今では心から女性化を望んでいる。
ルティエがまず最初にしたことは、「ぼく」を改め、「私」を用いることだった。

 だが、いまだに恥ずかしいのか、慣れないのか、しばしば戸惑うルティエだったのだが──。

 そんな姿もシンにすれば、これも『ふたりのために努力中』にしか見えず、
「ルティエ、おまえって可愛いなあ。今すぐここで押し倒したいくらいだ」
残りのふたりを無視して、いつでも口説き出す始末。

『ホントにこの男でいいのか?』、『今ならまだ取り返しがつくから、早まるな』と、ジェジェとスィヴィルは老婆心を起こして、ルティエに詰め寄りたいところなのだが、「ばか、こんなとこで何言って……」と、赤く染めた頬を手で覆って俯きながら抗議する──そんなルティエの恥じらう姿を目にしては、互いにぐっと堪えるしかなかった。

「お願いですぅ。殿下、今ここでその気にならないでくださいよぉ。」

 胸の前で両手を合わせて、お願いするジェジェに、
「ここで本当に押し倒すわけないだろう」
シンは極上の笑みで返す。

 そのシンの含みある笑みに対し、さすがにジェジェも、「殿下だったらやりかねないから怖いんですぅ」と本音を明かす勇気までは持ち合わせているわけもなく──。
とにかく矛先を変えることにした。。

「ルティエさまのお気持ちも察しいたしますが、この殿下が噂話なんて気にするお方だと本気で思ってます?」

 少なくともジェジェは、シンには鉄の心の臓が埋め込まれていると確信していた。

「この件に関してはジェジェの言う通りだぞ、ルティエ。
醜聞? そんなの今更だろう。オレの評判なんて、魔導師になった時から『変わり者』で通っているさ」
「それを言うなら、ルティエの許婚に抜擢された時から、の間違いじゃないの〜?」

 スィヴィルの鋭い一撃がシンに飛ぶ。
すかさずシンの冷たい視線が反撃を仕掛けた。

「ルティエ、こいつらここに置いてくか? オレはおまえとふたりだけの『駆け落ち』で充分だぞ?」

 シンの本音に焦ったジェジェが、「そんな殺生な〜っ」とすがりつくと、銀の使徒スィヴィルも負けじと、
「ルティエにはスィヴィルさんがちゃんと美味しいご飯、食べさせたあげるんだからっ!
駆け落ちだろうが何だろうが、ルティエを飢えさせてたまるかいっ!」」
頑固として言い切り、ルティエの首に腕を絡めて離れまいとする。

「何が後見人だっ、いい加減に離れろっ」

 シンがルティエからスィヴィルを引き離そうと身を乗り出すと、
「そんな可愛くないことすると、ルティエ連れて消えちゃうよん」
前科のある銀の使徒スィヴィルの駄目押しの台詞に阻まれて、シンは眉間に皺を寄せながら、スィヴィルを睨みつけるに止まった。

「オレがルティエを飢えさせるとでも思ってるのか? 逃亡資金は充分あるぞ」

 自称ルティエの後見人を豪語するスィヴィルに向かって、シンはずしりと重そうな皮袋を持ち上げて見せる。

 この皮袋の中身の金子が、王子としての国務と学びの塔屈指の教授職に勤しんできたシンの個人資産の一部でしかないことは明白だった。

「じゃ、当分はそれらを生活費に当てて……」
「いや、ジェジェ、この駆け落ちがどのくらいかかるかわからないうちは、出来るだけ既存のものには手をつけたくない。
第一、現時点ですでに、単なるオレたちふたりだけの問題とは言えなくなってしまっているしな」



 元はといえば、五日ほど前、一頭の早馬がイクミル王国のシルヴィ王宮に開門を求めたのが始まりだった。

 隣国ヘンギド国王の崩御の知らせと共に届いた一通の親書。
それには、丁寧な挨拶文に添えられるように、ロザイ侯爵家のルティエへの婚姻の申し込みが記載されていた。

 差出人は亡きヘンギド国王の弟にあたる三十路と過ぎた隣国王子。
彼にはすでに他国より正妃を迎えているので、この婚姻でのルティエの地位は「側室」扱いとなる。

 ところが、問題はこれに留まらなかった。

 突然、亡きヘンギド国王の落胤と称する青年が市井(しせい)から立ち上がったのだ。
そして、その青年は正当な王位継承権に更なる正当性を求めるがために、誠意ある親書をシルヴィ王宮宛に認(したた)めるたものだから、イクミル国王は大層困惑した。

 当然である。
二頭の早馬が携えてきたどちらの親書とも、記載された内容は同じだったのだ。


『正当なる王の意により、イクミル王国屈指の貴族であるロザイ侯爵のひとり子、ルテェエ嬢との婚姻を望む』


 ただし、市井出身の自称王子は独身でもあり、イクミル王国に対し誠意表明の思惑もあってか、あくまでもルティエを正妃としてお迎えしたいと文面には綴られていた……。



 後継者とされる双方からの婚姻の申し込みは、すなわち隣国ヘンギドの内乱への干渉となる。
どちらが王位を得るか、それが見極められないうちは、片方に組するのは危険に他ならない。

 およそ千年前、現在のイクミル王国やヘンギド王国を含む広大な大陸のほとんど大地は、かつてイクシライルと呼ばれ、その聖王家の統治下にあった。
現在、正当な聖王家の血筋は、乳白色の髪、後天的に性選択をする特殊な生態系のカンギール人の血脈の中に生き続けている。

 中でも、ルティエのカンギール・オッドアイこそ、かつて、「聖なる者」と呼ばれた聖王家の王子の直系たる末裔の証しとさえ言われていた。



 人の子は語り続ける。

 かの聖なる者カンギール王子は、左右異色の瞳の、神力を秘めた稀有な瞳を持っていた、と──。





 畏敬を込めて、人の子が畏怖する神眼のカンギール・オッドアイ。

 この両陣営からの婚姻の申し出以前の、イクミル王国にとっての一番の脅威とは、カンギール・オッドアイを持つルティエをイクミル王国外に出すことだった。

 カンギール・オッドアイと持つ者が──他人の意思を自由に操る者が、どんなに危険な存在か。
イクミル王国に限らず、ルティエがカンギール・オッドアイを持つ以上、各国の反国王派にとっての起爆剤に成りかねない。
ましてや、「正当な聖王家の末裔」の名だけでも、王座に傍らに飾るのに相応しかった。

 そのような経緯もあって、イクミル国王と元老院は悩みに悩んだ。

 今後の外交を考慮して、「この縁談、お断りいたしたく」と王弟側、御落胤側の双方に返答を出したくても、いまだルティエの輿入れ先が定まっていない以上、正当な「お断り」理由がなく、かと言って、国家間の外交上、「王国外に嫁がせたくない」では、埒が明かなかった。

 加えて、自国の第三王子シンからの再三の要求。

 元老院は、一度婚約破棄したルティエをシンの正妃として認めるのは難しいと言いつつも、隣国へみすみすルティエを渡せるはずもなく。
完全なる板ばさみ状態の元老院の最高議会は、現状、凍結しているも同じだった……。





「それで、これからどこに行くんですか?」

 ジェジェの問いに、シンは振り向いた。

「まずは、ロザイへ……。ロザイ侯爵夫人へ正式に挨拶をしに行く。
それから『学びの塔』に寄って、魔導師組合に仕事の斡旋を申し込む」
「仕事の斡旋?」

 これにはルティエも目を見開いた。

「ああ、この『駆け落ち』の期限がいつまでかかるかわからない以上、闇雲にこの袋の中身を食い潰すわけにいかないだろう?
オレは学びの塔にずっと隠れるつもりもない。
そうなるとオレ自身、いずれ教授職から離れることになるのは必然的だ。
塔から出るなら、組合から正規の仕事を回してもらった方が情報も手に入るし、一石二鳥だろう?
それに逃亡資金に余裕があって困ることなどないのだからな」

 それからシンは、おもむろにその微笑に凄みを加えて、こう付け加えた。

「ルティエの評判など、落ちるとこまで落ちてしまえ。
オレ以外の男が見向きもしないほど、行き着く果てまで落ちてくれって、正直、頭を下げて頼んで回りたいほどだ」
「あ〜、でもそうなったら、ますます殿下との縁組は難しくなりますよぉ〜」

 シンの独善的な物言いにジェジェが呆れて嘆息した。

 だが、シンはそんなジェジェに苦笑いしつつ、
「ジェジェ、おまえ、わかってないな」
肩を竦ませて、子どもを諭すようにゆっくりと語り出した。

「いくら王位継承権を持っていても、王統を継ぐ者でなければ王宮に居座るただの居候で終わる。
本来、第二王子以下の王族とはそうした運命のもとに生きていくものだ。
確かに、王籍から離脱し臣下に下り、家臣の貴族と姻戚を結ぶ道もある。
結局、最低限必要な王族とは、国王とその王のただひとりの後継者だけで足りるのさ。
オレは第三王子として生まれた時点で、すでに王統から外れるのはわかりきってたからな。
当初は多分、父上やロザイ候は、オレとルティエを結婚させて、オレにロザイの侯爵位を継がせる予定でいたんだろうが……。
それが崩れた八年前、オレが学びの塔に行く道を選んだのは──あれは確かに正解だった。
王太子リュダ・トーマに王子が生まれれば、オレの王位継承権はまた第三位になる。
そして、もっと王子が生まれれば、ますますオレは王統から遠ざかるだろう。
もし魔導師になっていなければ、オレはただの王宮の居候で終わるところだった……」

 だから──。

「オレの立場や身分なんて、その程度なのさ。
だから、関係ないんだ。今のオレは自由にルティエを手に入れられる。
……そうさ、今のオレだったら可能なんだ……」

──今のオレは、魔導師だから……。

「さあ、行こう」

 シンはルティエのフードを摘むと、その大切な乳白色の髪を口煩い世間から隠すように優しく直した。

「今から、オレたちの『駆け落ち』の始まりだ」

 黒髪のシン、赤毛のジェジェ、銀髪のスィヴィル、そして乳白色の髪のルティエ──。

 派手な組み合わせの四人は、前に向かって歩を進めた。



 胸を張って、歩いて行こう。

 愛する者と、そして、仲間たちと共に……。

 しっかりと、明日へ向かって──。

                                                         おしまい


illustration * 桃提灯



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
piichiさんとmoroとの初めての合作、いかがでしたでしょうか?

この作品は、桃花(piichi)さんのイメージイラストに合わせて書かせていただきました。
桃花さん、素敵な四人組を本当にありがとうございました!!!

この話は、moroのオリジナル・ファンタジー『カンギール・オッドアイ』シリーズ、「眠れる卵」のその後のお話です。
「かくして、シンとルティエは駆け落ちするのでした」のなかなか平穏な生活を迎えられない二人ですが、
それでも何とか幸せそうだからいいかぁ〜って思いながら書いてました(笑)。

いつもご贔屓にありがとうごさいます。
では、これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro


moro*on presents



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