不思議な森のピイチ



 遠い遠いところにある、不思議な生き物たちの住む森。

 その森の真ん中に、緑色の屋根の家が、ぽつんと建っていました。

 小さな小さなその家には、とても元気な女の子が住んでいたのです。

 女の子の名前は、ピイチ。

 小さなピイチは、森の生き物たちが大好きでした。





 ある日、ピイチはいつものように、森の友達と遊ぼうと家を出ました。
家の前には、たくさんのお魚が住んでいる池がありました。

「こんにちは。お姫さまはお元気?」

 ピイチが挨拶すると、お魚たちはみんなして、
「元気さ」
「元気だよ」
と応えてくれます。

 池にはたくさんのお魚が姿がありましたが、メスのお魚は『お姫さま』と呼ばれるお魚一匹だけで、他のみんなは、全部オスのお魚でした。

 お姫さまが顔を出すと、みんな、お姫さまの後ろに列を作って並びます。
たった一匹しかいないメスのお魚のお姫さまは、みんなにとても大切にされていました。



 それからピイチは元気良く駆け出し、森の中へ進んでいきました。

 木漏れ日の温かい光に、ピイチは目を細めました。
たくさんの森の生き物たちの声が、ピイチの耳におしゃべりしているように聞こえます。

 ところが、木から木へ飛び渡る鳥たちの羽に音が、ぱらりと止んだ時です。
ピイチは知らないおじさんに会いました。

「森から出られなくなってしまったんだ。お願いだから、森の入り口を教えておくれ」

 ピイチは間違えないように、ゆっくりと、詳しく道を教えてあげました。

 おじさんはとても丁寧にお辞儀をして、
「ありがとう、ボウヤ」
そう、ピイチにお礼を言いました。

──ボウヤ……?

 ピイチはその言葉を聞いて悲しくなってしましました。

「私は女の子よ。『ボウヤ』じゃないわ」

 短い髪。着ている服は、淡い緑色……。

 でも仕方ありません。

 髪が短いのは、ピイチはまだ小さいので伸びていないだけです。

 緑色の服は、お母さんがいろんな葉っぱで染めてくれたものです。



 ぽろぽろぽろ……。



 涙が頬を伝います。
どうにも止まらなくなって、ピイチは家に帰ることにしました。

 涙でぼやけて、帰り道が水の中に続いていました……。





 家に帰ると、ピイチの涙を見たお父さんとお母さんが心配して、理由を尋ねました。
ピイチは、ひっく、ひっく、と詰まらせながら、『ボウヤ』と呼ばれたことを話しました。

 すると、お母さんはすぐに台所へ消えて行き、温かいミルクを持ってきてくれました。

「さあ、これをお飲み。きっと温かい気持ちになれるわ」

 ピイチはミルクを一口飲みました。
ふわっ、と胸にお日さまが当たったような感じになりました。

 とても気持ち良くて、もっと気持ち良くなりたくて、ピイチはミルクを全部飲んでしまいました。

 その頃、お父さんは物置でゴソゴソしていました。

「おかしいなあ。確か、ここにしまったはずなんだが」

 お父さんは、何か探し物のようです。

「あった、あった」

 やっとお目当ての物を見つけ出しました。

 お父さんはピイチにそばに腰を下ろすと、
「これをピイチに貸してあげよう」
お父さんの手のひらほどの虫眼鏡を差し出しました。

「この虫眼鏡で覗くと、男の子と女の子を見分けられるんだ」

 黒い淵に、分厚いレンズを嵌めた、何の変哲のない虫眼鏡。

 ピイチは嬉しくなって、さっそく虫眼鏡でお父さんを見てみました。

 すると、どうでしょう。
お父さんの身体が綺麗な光に包まれています。

 炎にように揺らぐ光は、ピイチの知らない色をしていました。
見ていると、清々しい気持ちになります。
夏の爽やかな風を感じます。

 続いて、お母さんを覗きました。
お母さんの色も、ピイチの知らない色でした。

 でも、お母さんの光の色は、お父さんのものとは違っていました。
お母さんの色は、何だかあったかいのです。
まるで春の日溜りでお昼寝をしているみたいです。

 ピイチは外に行きたくなりました。
この虫眼鏡で、いろんな生き物を覗いてみたらどんなに楽しいでしょう。

 そして、さっそくお魚のお姫さまを虫眼鏡で見ることにしました。

「お姫さま、お姫さま。出てきて頂戴な」

 一匹のメスのお姫さまが、水面に顔を出しました。
けれど、そのメスはいつものお姫さまではありませんでした。

「新しいメスのお魚が増えたのかしら」

 ピイチは不思議に思いながら、虫眼鏡で覗きました。

 メスの身体のまわりには、お母さんの時と同じような光が、ふわふわ見えます。

「はじめまして、私はピイチよ」

 ピイチが挨拶すると、メスのお魚はくすくす笑って、「はじめまして、じゃありませんよ」と言いました。

「私は毎日、あなたと顔を会わせていたオスの中の一匹です。
先のお姫さまが突然お嫁に行かれたので、私が次のお姫さまになったのです」

 その話は、ピイチをびっくりさせるものでした。
ピイチは生まれてからずっと女の子です。

 なのに、この新しいお姫さまは、「ちょっと前までオスだった」と言うのですから。

 新しいお姫さまは続けます。

「私たちの種族は、一匹のメスと大勢のオスで暮らしています。
メスがいなくなるとオスの中から、一匹、メスになるよう決められているのです」

「ねえ、どうやってオスからメスになったの?」

 ピイチはわくわくしてきました。
男の子に間違えられなくてもすむ方法が見つかるかもしれないと思ったのです。

 新しいお姫さまは応えました。  
「メスになろうとしたら、メスになったのです」





 ピイチはいろいろな森の生き物たちを虫眼鏡で覗きながら、さっきの新しいお姫さまの言葉を思い出していました。

「メスになろうと思うだけで、本当にメスになれるものかしら」

 虫眼鏡はたくさんの生き物たちの懸命に生きる姿を見せてくれました。

 大きな火龍から、小さな水蟻まで──。

 それに男の子か女の子かも、一目で教えてくれました。



 ピイチは、今度は足長蝶の幼虫を虫眼鏡で見てみることにしました。

 蝶の幼虫にお光は、ほんのりと色がついていました。 
お母さんと同じ色です。

「あれっ、もしかして……」

 その時、ピイチは気付きました。

 今まで虫眼鏡で見てきた光の色を思い返すと、お母さんと同じ色を持つ生き物たちの中でも、濃く、はっきりとしたものから、薄く、ぼんやりしたものまで、その濃さは様々なのです。
お父さんと同じ色の生き物たちにしてもそうです。

「どうしてかしら。お父さんとお母さんを見たときは、はっきりと濃く見えたのに」

 それにもうひとつ。その光は動いているのです!

 でも、ただ、ゆらゆら揺れているのではありません。
水蟻や羽蛙などの小さな生き物たちの身体を包む光は、強くなったり弱くなったらする繰り返しが早いのです。

 それに対して、火龍や角熊などの大きな身体の生き物たちの光は、ゆっくり、ゆっくり動いています。

「まるで心臓みたい……」



 とくとくとくとく。

 とっくん、とっくん。



 今日一日で、ピイチはたくさんの発見をしました。
早速、お父さんに報告です。

 お父さんは、ピイチの話を全部聞き終えると、「よく気付いたね」と、褒めてくれました。

「ピイチが見た光は、生命の光なんだ。心臓の音に合わせて動くんだよ。
生まれてから老いるまでの一生の時間は、それぞれ決まっていてね。
だから、光の動きもそれぞれなのさ」

 水蟻の、とくとくとく。

 火龍の、とっくん、とっくん。



 とくとくとく、と、とっくん、とっくん。



 ゆっくりの方が長い時間がかかります。

「一生の間に、みんな同じ数だけ心臓の音を鳴らすんだ」



 一生の時間──。



 ピイチはちょっとだけわかった気がしました。

(でもでもでも)

 まだ納得できないこともあったのです。

(お父さんもお母さんも、生命の光が動いているようには見えなかったけどなあ)

 ピイチは、またまた虫眼鏡を持ち出して、お父さんを見てみます。

 やっぱり、生命の光は動いていません。

 じぃ〜っと、じぃ〜っと見ていても、全然動きません。

 生命の光は生きているものだったら、必ず動いているはずなのです。
お父さんは、『心臓の音に合わせて動くのだ』とちゃんと教えてくれました。

 だから、もしもこのまま生命の光が動かなかったら、お父さんは死んでいることになります。

(おとうさんは、ちゃんと生きているわ)

 ピイチは待ちました。

 じぃ〜っと、じぃ〜っと、虫眼鏡を握り締めて。

「おかしいなあ」

──と、、ピイチが呟いたその時です。

 どっくん、と、お父さんの光が動きました。

「あ、動いた! お父さんの心臓も動いたの?」
「ああ。どっくんって鳴ったよ」

 ピイチは、ホッとしました。

(動いてて良かったぁ)



 それにしても、火龍よりもずいぶん身体が小さいお父さんなのに、生命の光は、火龍よりもずっとずっとゆっくり動いているなんて不思議です。

 ではでは、ピイチはどうなのでしょう。

 ピイチは自分で自分の姿を見ることが出来ません。

「そうだ! 鏡を使おう」

 ピイチの身体はそれはとても小さく、鏡に映ったピイチの顔は、虫眼鏡で隠れてしまいそうでした。

 そして、虫眼鏡を透かして見えるピイチのその生命の光は──。

 ピイチは自分の身体がほんのりとお母さんと同じ色に輝いているのを確かめました。
そして、それがお父さんと同じくらいに、ゆっくり、ゆっくり動いているのも……。

「ピイチはまだ小さいから、光の色も薄いだろう?」
「大人になったら、この色ももっと濃くなるの?」

「そうだよ。ピイチが素敵な女の人になろうと思えば、いつかお母さんみたいな素敵な色になれるのさ」

 何でも知っているおとうさん。

 お父さんはまるで大人になった時のピイチを知っているようでした。

 でも、そんなお父さんのことばかりは、何事にも好奇心旺盛なピイチも不思議には思わなかったのです。

 それは、当然のこと──。

「だって、私のお父さんは魔法使いなんだもんっ!」





 遠い遠いところにある、不思議な生き物たちの住む森。

 人々はその森のことを、『魔法使いの森』と呼んでいたのです──。


                                                        おしまい


illustration * 桃提灯



*** あとがき ***

最後までのお付き合い、ありがとうございました。
この「不思議な森のピイチ」は桃花(piichi)さんのリクエストで書かせていただきました。

「不思議な国のアリス」が大好きな桃花さん。
タイトルをちょっと重ねて見ました〜(笑)。
アリスのイメージとはちょっと違っちゃいましたが、桃花さん、いかがでしたでしょうか?
この話は、moroのオリジナル・ファンタジー『カンギール・オッドアイ』のイメージイラストを描いてくださったお礼として、桃花さんへ贈ります。
桃花iさん、素敵な四人組を本当にありがとうございました!!!

いつもご贔屓にありがとうごさいます。
では、これからも、moro*onをよろしくお願いします。

by moro

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