山片蟠桃の大宇宙論と地球外生命論

上 原 貞 治

 1.地動説の一歩先へ

 17世紀から18世紀にかけての西洋の天文界では、地動説が確立したのちただちに恒星宇宙に目が向けられた。そして、恒星は、その一つ一つが太陽に匹敵する天体であり、宇宙空間に3次元的に点在していることが論じられた。先駆的な学者の中にはジョルダノ・ブルーノ(1548-1600)のように、すでに地動説の確立以前に無限宇宙にちらばる恒星の世界があるという説を唱えた人もいた。その後、ウィリアム・ハーシェル(1738-1822)は、恒星の分布を観測によって決定することを試みた。恒星までの距離が年周視差によって実測されたのは、かなりあとの1838年のことである。

 日本で地動説が普及しはじめたのは1800年頃のことであり、それは蘭学の知識によるものである(文献1)。当時の日本人は案外すんなりと地動説を受け入れ、19世紀前半までに太陽系内の天体の描像については相当詳しいことを知るにいたった。しかし、恒星宇宙について記述している日本の文献は幕末前には極めてまれである。特定の恒星や星雲・星団を紹介するものはあっても、恒星の分布について論じている文献はほとんどない(文献2)。

 しかし、それでも例外があるもので、大坂の町人学者・山片蟠桃(やまがた ばんとう 1748-1821)の著書『夢の代』(ゆめのしろ)はその点で突出したものと言える。そこには恒星の分布についての議論があり、しかも自分の独創も多少入っている、と蟠桃は書いている(文献3)。蟠桃が『夢の代』で議論した恒星宇宙の説を「大宇宙論」と呼ぶことにする。そのどの部分が彼の独創であるか、そのアイデアの起源はどこにあるのか、を考察することが本論の目的である。

 山片蟠桃の洋学については有坂隆道の詳しい研究があり、大宇宙論成立の経緯や意義については文献4にまとめられている(「大宇宙論」ということばはこの論文に基づいたものである)。そこでは大宇宙論の内容やその由来のかなり詳しいところまで議論されており、ここでそれに付け加えることはほとんどないが、蟠桃が独創とする説の要素について整理する意味も含めて多少の議論をしたい。もとより、自然科学のアイデアは知識の積み重ねと諸説の比較検討から生じるもので、個人の直感的ひらめきのみに依存するものではないから、「独創」ということばの定義にこだわることにさほどの意味はない。歴史的事実とアイデアの発生の筋道を提示することがより重要である。

2.蟠桃の大宇宙論とは何か

 山片蟠桃の『夢の代』の「天文第一」の主要部分は、有坂の研究によると享和年間から文化初年(1801〜06ごろ)に執筆されたもので、その後約十年間に多少の書き足しがあったという。そして、近代天文学について書かれた内容を年代順に並べると、おおむね、麻田剛立(1734-99)以前の暦学の知識、志筑忠雄(1760-1806)の『暦象新書』の引用、「ウイストン」などの西洋書からの引用、それに、蟠桃の師である中井竹山(1730-1804)・中井履軒(1732-1817)兄弟の考えや自身の考察によるもの、ということになるという。その大宇宙論の骨子となる部分は、全体として以下のような内容である。

(1)(太陽系モデルとして)地動説は正しい
(2)恒星のそれぞれは、太陽に匹敵する天体である
(3)恒星は、宇宙空間に3次元的に分布している
(4)各恒星にはそれぞれ惑星が付随しており、それらの一部には生命が住んでいる

 これは、ジョルダノ・ブルーノに発し、現代における地球外生命探索にまで繋がる王道的な恒星宇宙説と同等のものである。これを蟠桃は独自に考案したのであろうか。

 『夢の代』の「大宇宙論」が第一に基づいているのは志筑忠雄の『暦象新書』(文献5)である。その上編(1798)、中編(1800)を蟠桃は読んでおり、そのかなり長い部分を『夢の代』に引用している(「天文第一」28〜31章のほとんど全文。この部分を蟠桃の書いたものと紹介している書物も多いが、本当は『暦象新書』ほとんどそのままである)。『暦象新書』に、(1)と(2)は明確に書かれているので、これらは蟠桃の独創ではない。

 (1)について、志筑忠雄は『暦象新書』で地動説の立場を取ることを明言していない、という人もいるがそれは正しくない。志筑は、天動説か地動説かという二者択一は基本的には問題設定やそれぞれの立場(座標系の設定や哲学的・文学的な立場)によって違ってよいが、ニュートンの物理学の立場に立てば地動説でなければならないことを明瞭に示している。『暦象新書』では、宇宙の本当の静止点は太陽系の諸天体の重心であることが正しく指摘されているし、太陽系が全体として並進的に運動しているとしても良い、とも述べている。これは、現代のことばで言うと、太陽系の重心の静止系が慣性系であるという主張である。また、蟠桃も『夢の代』で惑星などの運動が引力と自力(慣性のこと)に支配されていることを述べているので(34章)、ニュートンの物理学が宇宙の構造を支配するということをある程度理解していたように見える。(2)については、『暦象新書』上編に恒星までの距離を推定し、太陽と恒星の大きさを比較する詳細な議論があるので、蟠桃はこれを理解したであろう。よって蟠桃の独創である可能性のあるのは、(3)と(4)である。

 (3)については、蟠桃は、恒星宇宙について2種類の可能性、つまり恒星は2次元的な天球面上に分布している場合と、3次元的に点在している場合の両方を挙げて議論し、どちらの説もあり得るが後者を採ることを述べている。つまり、蟠桃は自分の判断として(3)を選択しているのである。また、(4)については憶測による私説としてこれを紹介している。よって、(3)と(4)を蟠桃は、少なくとも(客観的に独創であるかどうかは別にして)自分の発案(またはテキスト通りに取るならば蟠桃を訪れた「客」の発案)に基づくものと考えていたようである。

3.志筑忠雄『暦象新書』にある大宇宙論

 ここで、『暦象新書』にある大宇宙についての論述を見てみよう。(3)については、『夢の代』(天文第一・29章)にある『暦象新書』(上編下巻附録「天体論」)の引用に「それ天は形体の限りなし。一物北より南して一尺を移すことありとも、天はこれが為に一尺を北にまさず、一尺を南に減ぜず」(以下、引用は片仮名を平仮名に改める)という記述がある。また、『夢の代』に引用はないが、同じ「天体論」のあとのほうに、仮説の提示に添えられた表現ながら、「世界は宇内に粟散して」いるという記述があり、明瞭とは言えないまでも、宇宙空間が無限の広がりを持ち恒星が3次元的に分布していることを述べている。『暦象新書』の論点は宇宙の幾何学的構造よりも運動の法則に置かれているので、このような明瞭性の欠如が生じたが、読んだ蟠桃がその不足を直感で補ったのではないだろうか。(3)も蟠桃が『暦象新書』を参考にしたものと言えそうである。

 (4)についても、「天体論」の同じところに、地球外生命の存在についての問答がある(「又問て曰く、西人の言に曰く、恒星と太陽とは同種なれば、恒星も各侍星ありて、我太陽の五星あるが如くならん、然るに其侍星又地球と同種なれば、宜く皆国あり、人あり、万物あるべし」)。暦象新書の元本(John Keil の著書「物理学・天文学入門」のJ.Lulofsによる蘭訳本)にこれに類することが載っていたかどうかは確認していないが、中国文献からの引用との比較の議論があるので、志筑自身の地球外生命の存在について考察がはいっていることは確かである。彼の結論は、地球外生命がいるかどうかは知るよしもないが、いることもあり得る、というものであった。

 蟠桃は「天文第一」を結ぶにあたって、他の恒星に付随する明界に惑星があり生命がいるという説は「我が有をもって拡充推察するものなれば、妄に似て妄にあらず、虚に似て虚にあらず、仏家神道のごとく無稽の論にあらざる也」と述べている。これは、「天体論」の終わり近くにある志筑の結論の「然れども今は数千年来の知を積て、...是等のことを論ずるに至るも、固より時勢の自然なるべければ、地動及び衆世界あるの理を説けるも、従来幻妄無拠にして、徒に人を惑はすものの類とは、大に異なるべし」とほぼ同じ内容かつ論法である。(4)についても、蟠桃は「天体論」を参考にしたのではないか。

 有坂の研究(文献4)は、『夢の代』と『暦象新書』の関連部分について指摘し、その結論として「蟠桃の大宇宙論のかなりの部分が、志筑のこれらの叙述に啓発されたものであることは、容易に認められる。しかし、蟠桃の大宇宙論は、その立論の仕方といい、展開した結論といい、具象化した図説といい、志筑に比しても合理的で明々白々たるものであった」としている。
 筆者もこれに全面的に賛同する。(3)、(4)は、すでに『暦象新書』に問題提起されていることがらだが、志筑はやや不明瞭な憶測としてそれを議論しており、蟠桃はそれを一歩進めたと言える。ただ、蟠桃は、具象化したとしても仮説として述べているだけで、何らかの論証をしているわけではないので、科学的な記述としては、『暦象新書』と『夢の代』にそれほど大きな程度の違いはないと言える。

 しかし、蟠桃がこの恒星分布の問題に焦点を当てたことを決して低く評価するものではない。『暦象新書』で、志筑は、宇宙の全体的な構造を紹介することで、ニュートンの運動の法則に関わる全宇宙を覆う慣性系の存在を暗示しようとしたと見られる。一方、蟠桃は、『夢の代』で、物理法則よりも恒星間宇宙の具体的な構造に目を向け、そして、それを図解した。それは、有坂の指摘通り『暦象新書』にはない視点からの傑出した業績であったといえるだろう。

4.他の西洋文献のソースについて

  蟠桃の『夢の代』の大宇宙論に、『暦象新書』以外の文献や情報が影響を及ぼしている可能性についてはどうであろうか。

 まず、『夢の代』でしばしば引用されている「ウイストン」であるが、これは、英国の学者、William Whiston (1667-1752) のことである。彼は、ニュートンの天文学の継承者で周期彗星が地球に及ぼす影響などについて議論しているが、蟠桃が引用したウイストンの書物が何であったのかは有坂の探索にも関わらずわかっていない。(これについて何からのことをご存じの方はぜひお知らせいただきたい)。ウイストンからは「太陽明界図」なるものを『夢の代』の引用書としているので、ここから明界・暗界の考えを取り入れたかもしれないが(3)、(4)に関わる決定的なことはその関連では述べていないので、蟠桃は、ウイストンからはそれ以上の知識を仕入れていないと推測できる。

 蟠桃の大宇宙論を象徴する『夢の代』にある図、すなわち、点在する多数の恒星の回りにそれぞれ明界が存在する様子、と同じような図を先駆けて描いた人がいる。高橋至時である。至時は、1798年に『増修消長法』で麻田剛立へ贈るものとして、西洋書からの知識に基づいてそのような図を描いた(文献6)。普通に考えると蟠桃が『増修消長法』を読んでいるとは考えられないのであるが、麻田剛立は蟠桃にとって中井兄弟の「懐徳堂」での兄弟子に相当する存在とも言えるので、手紙で送られた図を見た可能性はある。ここで、高橋至時からの情報は(3)は論じているが(4)は論じていない。地球外生命については、もちろん暦学の外の問題である。

 蟠桃が高橋至時と共通の蘭学書のソースをつかんでいた可能性はどうであろうか。たとえば、当時、蘭書の解読を行っていた橋本宗吉は間重富の支援で蘭学をはじめたが、彼と蟠桃のつながりを有坂は指摘している。また、上で述べた至時の図のソースの一つとしてトーマス・ライトの著書との関連の可能性が国立天文台図書室のwebページで指摘されている(文献6)。このライトの著書はまさに宇宙全体に関わる西洋での新説を論じたもので、そこでは恒星の分布の形状と創造主の所在との関係が議論されている。蟠桃がこのような西洋書の内容の一端を聞きかじった可能性もないわけではない。

 さらに、水星や金星は温度が高いので無理だとしても、火星、木星、土星に生命が住んでいる可能性については、当時の西洋文献では広く議論されていて、19世紀前半には日本に入って来ていた。たとえば、やや時代は下るが吉雄南皐の『遠西観象図説』(1823)に、「遊星」(太陽系の惑星)について「全面に国土・河海ありて人物住し、草木繁茂し、虫魚生ること我が地球に異なることなく...」という記述がある(文献7)。これは、彼が参照したベンジャミン・マルチンの”The Philosophical Grammar”の内容のままの記述と考えられ、これと同様の記述のある西洋文献が他にもある程度普及していたようである。これらの書物は、他の恒星系に言及をしていなくても太陽系の地球以外の惑星に生物が住んでいると主張しているので、他の恒星に惑星系があるならそこにも生物が住んでいて当然という結論に読者が導かれるのは自然である。

 いずれにしても、仮にこのような背景があったとしても、『夢の代』の冒頭の文献リストには「ウイストン」以外の西洋書は(翻案書は別として)明瞭には挙げられておらず、蟠桃は意識的あるいは系統的に西洋書からの引用を行ったことはないようである。もとより蟠桃は自分の独創がある程度ある、と言っているのであるから、これを信用すれば、このような西洋書に明確に基づいて記述をしたのではない、あってもヒントにした程度である、と考えてよいことになるだろう。

5.まとめ

 山片蟠桃は、『夢の代』のなかで恒星宇宙について議論している。その中で、彼が自分の独創も入っている、と述べている部分は、恒星が球面状にではなく3次元的に広がって点在していること、および、恒星に付随する惑星があってそこに生命が住んでいることである。しかし、関連する記載は、彼が参考にし、引用をしている志筑忠雄の『暦象新書』の上編におおむね載っている事柄で、蟠桃はこれに新たな科学的な論点を加えることをほとんどしてない。ただし、これに着目し、具象化し、図解したという点は大いに評価できる。

 他の恒星に付随する惑星や地球外生命の具体的なイメージについては、1790年代に高橋至時、麻田剛立、間重富、橋本宗吉などから何らかの蘭書の内容を知らされた可能性も考えられる。しかし、その具体的な要素を現時点で挙げることはできないので、『暦象新書』にある論点を参考にして蟠桃が発案したものなのかもしれない。

謝 辞

 日本ハーシェル協会の角田玉青氏には、本編の原稿への助言と『夢の代』のテキストについての議論をいただきました。深く感謝いたします。


<文 献>
1) 日本の天文学.中山茂 岩波新書 1972 など
2)「日本におけるハーシェル」初出の探索.上原貞治、日本ハーシェル協会、2009,
3) 夢の代.山片蟠桃、1820(日本思想大系43 岩波書店1973; 日本経済叢書25巻、中村学園図書館ホームペー
  ジ)
4) 山片蟠桃の大宇宙論について.有坂隆道、日本洋学史の研究(6)、有坂隆道著、 創元社 1982.
5)暦象新書.志筑忠雄、1798-1802、(文明源流叢書第2巻、国書刊行会編1914; 早稲田大学古典籍データベース)
6)国立天文台図書館 第三十一回展示・高橋至時.2004,http://library.nao.ac.jp/kichou/open/031/index.html 
; ;An Original Theory or New Hypothesis of the Universe. Thomas Wright, London, 1750.
7) 遠西観象図説. 吉雄南皐 1823 (日本思想大系65 岩波書店1972)
 


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