(注: 本稿は「月刊天文」2005年6月号に掲載された記事の元原稿です。雑誌掲載にあたっては、紙幅の関係で一部修正削除がありました。)
角田 玉青
天文ファンにとってハーシェルの名前は周知だろう。天王星を発見し、また銀河系の形状を初めて明らかにした人、ウィリアム・ハーシェル(1738〜1822)。コメットハンターとして名を馳せた、その妹カロライン(1750〜1848)。そして重星と星雲星団目録の作成に心血を注いだウィリアムの息子ジョン・ハーシェル(1792〜1871)。 イギリス天文学の黄金時代を築いたハーシェル一族の事跡をたどり、その多面的な業績を紹介することを目的に設立されたのが日本ハーシェル協会であり、先輩格であるイギリスのウィリアム・ハーシェル協会(WHS)とは姉妹団体として今も密接な交流を続けている。 今年もWHSの年会に合わせ、恒例の「ハーシェルツアー」が3月に催された。筆者も新参協会員としてツアーに初参加したので、その模様をリポートする。
今回のツアー参加者は7名。まずは先発隊として協会代表幹事である木村精二氏ご夫妻と筆者の3名が3月2日正午に成田を出発した。飛行機は順調に飛び、みぞれ混じりの雨の中、同日夕刻にはロンドンのホテルに入ることができた。
翌3日、最初の目的地である王立天文学会を訪問する。約束の午前10時少し前に、学会が本拠を置くバーリントンハウスに到着。同館はロンドンのど真ん中、ピカデリーに建ち、王立美術院とは棟続きの建物である。玄関で案内を乞うと、木村氏とは旧知の間柄であるピーター・ヒングレイ氏(同学会司書)が現れ、氏の案内で図書室に向かった。途中の通路には、英国天文学の巨星たちの肖像がずらりと並び、来訪者を見下ろしている。図書室は優に2階建ての高さはあろうかという吹き抜けの部屋で、壁面はすべて本・本・本で埋まっている。調度類などいかにもビクトリア朝風の重厚さが漂っている。
部屋の真ん中の机には、ヒングレイ氏が予め我々のためにセレクトしてくれたハーシェルゆかりの品々が積んであり、氏はその一点一点について熱心に説明してくれた。ウィリアム・ハーシェルの描いた銀河系の図、妹カロラインの観測ノート、ジョン・ハーシェルのスケッチ類等々、セピア色のインクで書かれた古文書めいた文書が次々に開かれる。もちろん全て世界に一つしかないオリジナル文書である。偉大な天文一家の肉声に直かに触れる思いがし、軽い目眩を覚える。
その後、最近同学会から有償頒布が始まった「デジタル版ハーシェル・アーカイブ」のデモを見せてもらう。学会が所有するハーシェル関係文書をPDFファイル化したもので、DVD版で3巻、CD版だと17巻という大部なもの。DVD版で定価100ポンド(約2万円)というのは、デジタル化の労力を考えれば破格の値段だろう。一次資料を簡単に利用できるようになったことで、研究者へのメリットは非常に大きいと思われた。
昼前に王立天文学会を辞し、ロンドン市内にあるフロイト博物館を見学してから(これは筆者の個人的趣味)、3名は次の目的地バースに向かった。ロンドンからは西に160キロ、特急で1時間半ほどの小旅行である。明るい空の下、イングランド特有のなだらかな丘が続く田園地帯を列車は進んでいく。木々は葉を落としているが、大地を覆う草はあくまでも青々としている。
バースの地名はずばりバス(風呂)に由来し、温泉保養地としてローマ時代以来の歴史を持つそうだ。現在の瀟洒な町並みは、18世紀に入ってから建築家ジョン・ウッドの構想により整備されたもので、かつての社交の地としての 面目を今に伝えている。温泉は今も豊かに湧いており、浴池を中心に「ローマン・バス博物館」が整備されているが、入浴は現在禁止されている。日本人から見れば何とももったいない話である。
ハーシェルはかつてこの地に住み、音楽家として活躍、後に天文家として頭角を現した。彼の旧居は現在「ウィリアム・ハーシェル博物館」として整備されている。そもそもWHSはその創設運営のために設立された団体であり、年会もバースで行われるのが常である。ツアーの第二の目的はこの年会に参加し、独自に発表を行うことであった。
さて、3月4日の夕刻には他の4人のメンバーとバースで合流する予定だったのだが、定刻を過ぎてもいっこうに姿を見せない。4人がようやくホテルに着いたのは午後8時半。聞けば、成田では雪で離陸が遅れ、ヒースローからパディントンまでの列車にも遅れが出て、さらにパディントンでは切符を買う長蛇の列…と、みな疲れ顔である。ディナーもそこそこに部屋に引き上げ、明日の行事に備えることにする。
3月5日の土曜日がいよいよ年会の当日だ。今年は、午前の通常総会に続き、午後からWHSとイギリス歴史天文学会(Society for the History of Astronomy)とのジョイント・ミーティングが催されることになっており、これが本年の目玉企画である。
ただし、当協会はこれらに先立ってさらに独自のイベントを企画していた。昨年、当協会の招きで来日し、光害防止運動について講演されたマイケル・タッブ氏に、二つのプレゼントを手渡すセレモニーである。 晴れているかと思うと俄か雨の降る気まぐれな空の下、午前10時にハーシェル博物館でタッブ氏と落ち合う。ここでタッブ氏に手渡した最初のプレゼントが渡辺教具製「夜の地球儀」だ。これは夜間撮影された人工衛星画像を合成して作られた、いわば「光害地球儀」。光害防止に取り組んでいるタッブ氏にぜひ、という同社の渡辺美和子社長(協会員)のご好意によるものである。
ところで、ハーシェル博物館に入ると真っ先に目に入るのが、受付脇にあるハーシェル製7フィート望遠鏡のレプリカだが、これを作ったのがタッブ氏だという。何とも器用な人だ。細部まで手を抜かずに作られた精巧な作なのだが、このレプリカには一つだけ不備がある。他でもない光学系である。ハーシェル時代に使われた金属鏡の復元まではさすがに困難だったため、タッブ氏はこれをガラス鏡で代用していた。当協会からの二つ目のプレゼントというのが、このレプリカに取り付ける金属鏡だ。協会員の大金要次郎氏がその鋳造研磨に取り組まれていたことは、昨年12月号の本誌でも紹介されたので、ご存知の方も多いだろう。ようやく大金氏としても満足のいく主鏡が完成し、この日のセレモニーとなった。あまり表情を動かさない謹厳なタッブ氏だが、2つのプレゼントを手にされたときのにこやかな表情が印象深かった。
さて、11時からは博物館近くの「王立バース文学科学協会」の建物に場所を移し、WHSの年次総会に臨んだ。出席者は日本側も含めて30名ほど。わりとこじんまりした感じで、年輩の方の姿が目立つ。年間の事業報告や会計報告などが淡々と行われる。この辺は日本の同種の会議とまったく変わらない雰囲気。 当会からの報告は、上記の大金氏による金属鏡の復元作業についてのリポートである。年恰好からすると、ガラス鏡製作に覚えのある協会員も多いらしく、ところどころで鏡面研磨のターム(?) を口にしながら大きく頷いている(残念ながら筆者にはよく理解できなかったが)。最後に月と土星の見事な撮像成果が披露されると一同から「オー!」と喚声が上がった。 昼休みをはさんで午後2時から同じ会場でジョイント・ミーティングが始まる。参加者はなかなか多い。午前の倍か、あるいは3倍か。カップルでの参加が多く、若い人の姿も目に付く。
演題は全部で9つ。最初はタッブ氏による「バースにおけるウィリアム・ハーシェルの住居」の発表。博物館となっている有名な建物以外にもハーシェルはバースで何回か転居をしたらしい。古地図や古文書などで傍証した手堅い研究成果である。次いでWHS会長を務めるフランシス・リング教授による「ウィリアム・ハーシェルとバース哲学協会」、さらにハーシェルの後裔であるジョン・ハーシェル=ショーランド氏による「ハーシェル一族アーカイブ」といった演題が続く。プレゼンはこちらでもパワーポイントが幅を利かせていた。
ティーブレイクの後、後半2つめが木村精二氏による「日本天文学史入門−中山茂著『日本天文学の歴史』について」の発表である。わずかな時間で日本天文学史を紹介することはとてもできないので、良著を1冊紹介するから是非一読をという内容。紹介されたのは中山茂博士(元東大)が1969年に英文で書かれた本である(原題:A History of Japanese Astronomy, Harvard)。木村氏のユーモラスな話し振りに会場からも笑いがこぼれる。
さらに木村氏に続いて、角田が「日本のアマチュア天文学と宮沢賢治および『銀河鉄道の夜』―天文学とその文化的コンテクストの例として」という題目で発表を行った。各国のアマチュアたちは、表面的には似たような活動を行っていても、それぞれの文化的背景を負って、その愉しみ方にも微妙な違いがあるのではないか?と問題提起を行い、日本の天文趣味に及ぼした宮沢賢治の影響を例として挙げておいた。
さて、ここまではどちらかといえば粛々と発表が続いたのだが、次に天文学史の重鎮アラン・チャップマン博士(天文史学会会長)が登壇すると、場内の空気は一変した。チャップマン博士の容貌は、どことなく映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるブラウン博士(ドク)を思わせるものがあるが(失礼)、その話し振りもまさに映画の世界から飛び出してきたかのようである。パワーポイントはもちろん、マイクも使わずに朗々と肉声で弁じ立てるそのテンポのよさ。演説は突然みごとな歌声に変わり、「これは18世紀のポップソング。ハーシェルも耳にした歌です。いやいや今日はハーシェルではなく、ロバート・フックのお話でしたね」と場内を沸かせてから本題の「イギリスのレオナルド−ロバート・フック」に入った。17世紀の英国におけるロバート・フックの存在をダビンチに喩えて、その異才ぶりを再評価する内容である。身振り、手振り、擬音語を交えてのエネルギッシュな講演にはただただ呆然である。 ミーティングは予定の5時15分を大幅に過ぎ、6時近くに終了した。閉会後、チャップマン博士が以前書かれた『ビクトリア時代のアマチュア天文家』に関して、会場で直接博士に質問できたのは筆者にとって大きな収穫だった。
その晩は、タッブ氏、リチャード・フィリップス氏(WHS機関誌編集長)、地元バース大学のフォード教授の3氏がメンバー一同を招待してくれ、近くのイタリアレストランで歓談した。滑らかに、とはお世辞にもいえないが、身振りや筆談もまじえて何とか用を弁じた(まるで江戸時代)。「オマエハ子ドモノ頃カラ星ヲ見テイタノカ?」「今でも子どもみたいなもんですよ」「全テノ天文家ハ子ドモダナ」「本当に」というような遣り取りが心に残っている。
翌6日、木村氏ご夫妻と筆者の3人は再び他のメンバーと別れて、一路帰国の途についた。正味4日間のイギリス滞在だったが、実に中身の濃いツアーだった。ただ、もうちょっと言葉が通じればねぇ…という悔いが残り、今この文章を書きながら英会話教室の案内に目を通しているところである。