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扉拝見しました。

 投稿者:野地一樹  投稿日:2006年 9月 1日(金)00時42分17秒
返信・引用
  管理人様の力作『ビクトリア時代のアマチュア天文家』の
扉カバーのゲラ刷り 木村様から 見せていただきました。
内容期待大!発行が今から楽しみです。
 
 

お知らせいろいろ

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月19日(土)08時44分35秒
返信・引用
  ★暑い暑いと言っているうちに、「風の音にぞおどろかれぬる」思いをふとしたりします。

★さて、『ビクトリア時代のアマチュア天文家』の続報です。今週半ばに初校が完了しました。索引作りの難仕事もどうにか終了。予定通り今秋出版の運びとなりそうです。

★協会員の皆さまのお手元にはすでに事務局便りが届いていると思いますが、同文を事務局長の小部屋にも掲載しました。

★「ジョン・ハーシェルの生涯」第7回をアップしました。今回は長文なので章を2つに割りました。
 

カロライン情報

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月10日(木)01時05分14秒
返信・引用
  横浜こども科学館の山田陽志郎さんから、カロライン情報をいただきました。
天文史家の Michael Hoskin 博士の論文「観測家としてのカロライン・ハーシェル」についてです。

Caroline Herschel as observer.
Journal of the History of Astronomy, 36, 373-406 (2005)

管理人は原文未見ですが、同じタイトルで学会発表をしたときのアブストラクトが下記に載っていました。

https://www.aas.org/publications/baas/v37n3/dps2005/54.htm

以下、その「一応訳」です。

「カロライン・ハーシェルは、兄ウイリアムの秘書役としてその星雲掃査を助け―その成果は2,507個の星雲・星団目録として結実した―、天文学に多大な貢献をした。と同時に、彼女は独自に観測を行った観測家でもあった。1782年の秋にウィンザー城近くに転居してから、1784年初頭にウイリアムが彼女の手を借りるようになるまでの間、カロラインは自分の思うままに観測できる自由があった。彼女が多数の星雲を発見したのは、まさにこの時期にあたる。ここでさらに重要なのは、その気になれば、簡単な屈折望遠鏡しか持たぬアマチュアでも見つけられるほど、星雲は大量に存在しているのだと、彼女が兄に実証してみせたことである。その後、ウイリアムが彼女の助けを必要とするようになったために、彼女自身が観測を行う時間は乏しくなったが、しかし1786年、兄が外国に出かけて留守の間、カロラインは彼女の最初の彗星を発見した。ウイリアムが1788年に結婚してから(おかげで彼女は家事から解放された)、1797年に不可解な事情により下宿住まいをするまでの間、彼女はエンケ彗星を含む7個の彗星を新たに発見した。拙論の中で、筆者は彼女の観測家としての業績を評価し、その発見した天体について論じている。」

ホスキン博士がまとめた、カロラインが発見した Deep Sky Objects については、以下を参照してください。カロラインの伝記事項へのリンクも張られています。

http://www.seds.org/messier/Xtra/similar/cher.html#hoskin2005

  *  *  *

彼女の星雲発見が1783年に集中しているのは、上のような事情があったのですね。


★  ★  ★  ★


さて、皆さんも耳寄り情報があれば、積極的に書き込みをお願いします。<(_ _)>
 

残暑お見舞い

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 8月 9日(水)01時05分2秒
返信・引用
  会員の皆さま、お元気でしょうか。
この場を借りて、残暑お見舞い申し上げます。
忙しいときほど掲示板の方はお留守になる理屈で、掲示板が沈黙している一方、↓の記事の件やら本業やらで、暑苦しく過ごしています。
皆さま、どうぞご自愛ください。

事務局長の小部屋をアップしました。
 

『ビクトリア時代のアマチュア天文家』

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 7月 8日(土)17時59分37秒
返信・引用
  NL等でこれまで何度かアナウンスした、アラン・チャップマン博士の『ビクトリア時代のアマチュア天文家』の邦訳出版の件ですが、その後も順調に進行中です。現在は初校段階。秋口の出版を目指して鋭意努力中です。お楽しみに。  

ジョン・ハーシェルの生涯

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 7月 8日(土)17時58分15秒
返信・引用
  月1連載、「ジョン・ハーシェルの生涯」の第6回をアップしました。
ジョンも三十路に入り、いよいよ本格的な天文家として始動した時期です。
 

ハーシェルの光学製品について

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 6月24日(土)08時50分10秒
返信・引用
  梅雨空が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

コンテンツを更新しました。
デジタルアーカイブに「William Herschel の製作せる天文器械の研究」を掲載しました。

先日虎ノ門天文会館で野地さんに教えていただいた「天界」の記事の紹介です。
厳密にいえば著作権の処理で問題なしとしませんが、80年という歳月に甘えて管理人の判断により転載しました。さすがに古色を帯びた訳文ですが、非常に興味深い内容ですので、ゆっくり味わってご覧ください。
 

びっくり

 投稿者:管理人  投稿日:2006年 6月 4日(日)06時54分45秒
返信・引用
  くろがね様

これは珍本ですね。

他の方のために書き添えれば、同書は昭和17年発行(恒星社刊)。木辺成磨氏の師匠であり、木辺氏をして「稀有の天才」と言わしめた中村要氏の集大成というべき著作ですが、このとき氏は既に鬼籍に入って10年。

昭和7年9月24日、中村氏没。享年29歳(数え年)。目を患い、将来を悲観しての自殺でした。

個人的にも非常に円満な人生を送ったハーシェルとの対照に、哀切極まりないものを感じます。何と言っても中村氏が死去した年齢のとき、ハーシェルは若手音楽家として、まだ望遠鏡の「ぼ」の字も知らなかったのですから…。

合掌
 

Re: 箱の挿絵

 投稿者:くろがね  投稿日:2006年 6月 3日(土)21時14分17秒
返信・引用
  > この本の挿絵にハ-シェルの120フィ-トが
> 描かれてます。やはりインパクトがあったのでしょうね。

すみません 12mの間違えでした。(汗)
 

箱の挿絵

 投稿者:くろがね  投稿日:2006年 6月 3日(土)21時01分29秒
返信・引用
  先日古本を整理してたら こんな本が出てきました。
反射望遠鏡のタイトルながら 歴史等ではなく
ミラーの作り方が書かれてました。

この本の挿絵にハ-シェルの120フィ-トが
描かれてます。やはりインパクトがあったのでしょうね。
 

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