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長沼・アトリエ村からの放映お知らせ

 投稿者:飯沢 能布子  投稿日:2007年 8月26日(日)18時57分22秒
返信・引用
  会員の皆さま

厳しい残暑の日々ですが、いかがお過ごしですか。
北海道の飯沢です。
こちらは虫の合唱にとんぼが飛び交い秋の気配です。

長沼・アトリエ村からを含む放映が今回は本州方面でもされるそうです。
北国の涼しさが伝わるかもしれませんね。
収録は隣町の由仁ガーデンーー丘陵に広がる欧風庭園で、ロンドンのキューガーデンをモデルに造られていますーー、わがアトリエNも星座作品で協力しています。



    番組名  「マネーの旅人」
    9月2日 (日)
    札幌テレビ(STV)  午前5時半~6時
    BS 日テレ      午前10時~10時半
    千葉テレビ             午前8時~8時半

    9月7日(金)
    テレビ神奈川    午前9時~9時半


全星座作品展は今秋札幌で、来春には千葉で開催することになりました。
 
 

飯沢会員グループ展のお知らせ

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 8月 4日(土)11時22分45秒
返信・引用
  北海道の飯沢さんから、展覧会のご案内です。
ちょうど今日からオープンです。

『音のイメージ展』

陶器、油絵、書、石彫、木、金属、紙、七宝、写真他による音の出る、または音をイメージした作品を展示します。

★8月4日(土)~8月12日(日)
★11:00~17:00(最終日 16:00)
★ギャラリーArt Space 慧(Kei)
 北海道長沼町旭町南1-1-2 KSインターナショナル
 0123-88-0414
★8月5日(日)15時よりアマチュアミュージシャンによる
 コンサートと合せてパーティーを開きます。

(主催:音のイメージ展実行委員会
 後援:長沼町教育委員会、長沼アート協会)
 

ジョン・ハーシェルとは

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 8月 4日(土)07時51分50秒
返信・引用
  天王星の発見者として有名なのは、言うまでもなくウィリアム・ハーシェル卿(1738-1822)で、その息子がこれまた有名なジョン・ハーシェル卿(1792-1871)ですが、二人をフルネームで書けば、それぞれフレデリック(フリードリッヒ)・ウィリアム・ハーシェル、ジョン・フレデリック・ウィリアム・ハーシェルで、はなはだ似ています。

両者に限らず、この一族には上の世代にあやかって命名する習慣が強固だったようで、似た名前の人が多くて、混乱を招きやすいです。

昨日、一昨日と一連の記事に出てきたハーシェルの本の話は、父のジョン・ハーシェル卿の蔵書が、母親を通じて息子(三男)のジョン・ハーシェル(1837-1921)に贈られたのではないか、というものでした。

で、この息子のジョン・ハーシェルという人はいかなる人だったのか?過去のニューズレターに記事を見つけたので(No.44,p.3)、ここに転載しておきます。

 □   □   □

 彼が生まれたのは1837年10月29日。すぐ上の兄(Alexander Stewart)と同様に、南アフリカ滞在中でした。翌年、父母らと共に母国イギリスへ、そして学校を終えて早々に John は長兄の William James とともに、インドで政府の仕事に就き、1856年にベンガル地方の地理調査の実施を任務とした王立ベンガル技術団 Royal Bengal Engineering Corps の技官となり、『大三角測量』に従事しました。

 1867年に Mary Cornwallis Power と結婚。彼は官職の傍ら天文学にも深い関心を持ち、南天の星と星雲のスペクトル測定などに力を注ぎ、多くの論文を書いています。1868年と1871年には王立学会の委嘱を受けて皆既日食を観測し、太陽のプロミネンスのスペクトル中に3本の輝線を同定した John は、太陽成分研究の基礎を築いたと評価されました。インド滞在中の1871年に王立天文学会の会員に選ばれ、またカルカッタ大学の評議員 Senate に加わりました。さらに祖父 William の偉業『恒星の比較光度の改訂』“Revision of the Comparative Brightness of the Stars”を、1世紀前に着手した同じ部屋で完成しました。1859年1866年の退官まで大三角測量局 Great Trigonometrical Survey の副長官 Deputy Superintendent でした。

 1888年、すでに妻に先立たれていた John は Alexander, Isabella それに Fransisca〔転載者註:いずれもきょうだい〕と一緒に、ケント州(Hawkhurst)から Slough の古巣 Observatory House に戻り、晩年は身体を痛め、献身的な妹 Fransisca の世話になりながら、1921年に亡くなりました。

 □   □   □

堂々たる天文一家ですね。

ところで、母親(ジョン卿の妻)が夫の蔵書の中でも特にこの1冊を選んだのは、きっと息子が生まれた土地にちなむ本だからであり、また自身の中でも快活で楽しい思い出と結びついていたからだろうと思います。この本を息子に贈ったとき、二人の間でジョン卿の思い出話がしみじみと語られたことでしょう。

そんなエピソードを感じさせる本の話題でした。
 

Re: ジョン・ハーシェルの本とスタンプ

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 8月 4日(土)07時45分59秒
返信・引用
  > No.111[元記事へ]

昨日のメールによって、この件はすっぱり片が付いたと思ったら、おっと!今度はウォーナー教授ご本人からの情報です。(改めて、メールって便利ですね。。。)

 ★   ★   ★

バリーさま

あなたの推論は全て当っています。例の所有者を示すスタンプは、明らかにジョン・ハーシェル〔父〕がケント州コリングウッドに転居してから用いるようになった蔵書印です。私も同じスタンプが押された彼の蔵書を1冊持っています。

ジョン・ハーシェルの全蔵書は、1959年にサザビーズで売りに出された後、5年ほど前に市場に再び現れて、今度はばら売りされました。その折に私は、ハーシェルが著した Preliminary Discourse on Natural Philosophy を見つけたのですが、その際にケープでの観測に関する本も、やはり姿を現わしたのではないかと思います。ケープタウンの自宅には、そのときの販売目録があるのですが、ただいまサザンプトン大学に滞在しているために確認ができません。(興味がおありでしたら、10月半ばにケープタウンに戻りますので、その頃に再度ご連絡ください。)

また、ジョン・ハーシェルがケープで成し遂げた(天文以外での)業績について、もっとお知りになりたければ、先年出版した拙著 Flora Herscheliana 『ハーシェル植物誌』(John Rourkeとの共著)と Cape Landscapes 『ケープの風景』(こちらは出たばかりです)の2冊をご参照ください。

敬具 ブライアン

 ★   ★   ★

『ケープの風景』は、昨日のサイト更新で取り上げたばかり。これまた妙な偶然です。こういうのをシンクロニシティというんでしょうか。
 

Re: ジョン・ハーシェルの本とスタンプ

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 8月 3日(金)22時03分28秒
返信・引用
  > No.110[元記事へ]

(サイトの更新をしました。改めて見たら、何と2ヶ月ぶりの更新でした。およよ…)

さて、昨日の続きです。

2通の返信があって、1通は今日更新した記事でも取り上げたケープタウン大学のウォーナー教授に尋ねてみてはどうか、というアドバイス。もう1通はもっと具体的な情報が書かれていました。
以下、かいつまんで適当に意訳。

 ★   ★   ★

奇遇ですね。ちょうど先週、私はATS(Antique Telescope Society)のメンバー数人と会う機会があり、その中にマイケル・クロウさんもいました。彼は A Calender of the
Correspondence of Sir John Herschel (Cambridge 1998) の監修者です(同書は残部僅少なので、新本で購入を希望の方はお早くとのことでした)。この大冊は、ジョン・ハーシェルの文通相手の詳細なリスト、彼に関連するあらゆる書物の書誌情報、さらに膨大な索引も付いており、研究者のみならずハーシェルのファンならば、ぜひとも手元に置きたい本です。

さて、お尋ねの本についてですが、タイトル・ページや本文の第1ページに押された"Herschel Library"のスタンプに関する言及がなかったことからすると、これはハーシェルの遺族がコリングウッド〔地名〕の邸宅に保管していた、彼の旧蔵書の一部ではないように思われます。このスタンプは、彼の相続人が蔵書を保管する目的で特に作らせたもので、当時あった全ての書籍に上述の通り2箇所ずつ押されました。

Sydney Ross の The Catalog of the Herschel Library (私家版, 2001) の中でも、JとHを組み合わせたスタンプは、ジョン卿の蔵書印として特に言及されていません。私自身、ジョン卿の蔵書は何冊か目にしたことがありますが、"Herschel Library" のスタンプはあっても、「JとH」のスタンプは見たことがありません。後者は、彼の三男で同名のジョンが使ったものではないでしょうか。

とはいえ、息子のジョンの持っていた本が、父の所有していたうちの1冊でないとも言い切れません(同書が出版された際、50冊以上献呈されたことが、上記のクロウの本で分ります)。ずっと後の1889年になってからでさえも、コリングウッドのライブラリーには、このケープでの観測に関する本が、少なくとも3冊あったことが知られています(この年、イザベラ・ハーシェル〔ジョン卿の長女〕はハーシェル旧蔵書の目録を編み、これがシドニー・ロスの本の素材となりました)。 私見によれば、問題の本がハーシェル家と関係がある証拠としては、見慣れない「JとH」のスタンプよりは、息子のジョンのサインとMB(S)Hのイニシャルこそがそれだろうと思います。

John D. Koester
 

ジョン・ハーシェルの本とスタンプ

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 8月 2日(木)22時20分29秒
返信・引用
  今日、メーリングリストoldscopeにあった、Barry Malpasさんの投書。(直後に同・HASTRO-Lにも転送されました。)

 ★  ★  ★

皆さん、こんにちは。

2,3年前、私は1冊の本を購入し、それ以来ちょっと腰をすえて読んでおります。その本は、1830年代半ばにジョン・ハーシェル卿がアフリカの喜望峰まで出かけて、南半球の空について行った天文研究に関する本です(出版は1847年)。

この本には、見返しの上部に“Captain John Herschel, R.E.”という肉筆書名があります。これはハーシェルの三男のものと見て間違いないでしょう。さらに、1874年10月29日の日付があり、これはジョン卿が亡くなった3年後に当り、MBHというイニシャルの人物から、息子であるジョンに贈られたものであることが明らかです。このイニシャルの持ち主で、彼に近しい人物といえば、その母親であるマーガレット・ブロディー・(スチュアート・)ハーシェルしかおりません。

他にもタイトルページには、JとHというイニシャルを記した所有者のスタンプが押されています(大きなブロック体のHと小さなJの組合せで、Jの字は一種のブランドマークのようにHの横棒からぶら下がっています)。

さて、私が知りたいのは、この本がジョン・ハーシェル卿本人の蔵書に他ならず、ジョン卿が没して2,3年後に、母親が息子に与えたものだという可能性はないかということです。すなわち、このHJのスタンプが息子のものではなく、ハーシェル卿本人のものなのかどうか。それをご存知の方はいらっしゃいませんか? あるいはそれを知っていそうな方をご存知ではありませんか?

 ★  ★  ★

これは興味深いですね。古書は中身と同時に来歴も重要ですから。
追加情報があり次第、またお知らせします。

(ちょうど、久しぶりにサイト更新の準備中で、それがいずれもジョン・ハーシェルとアフリカ絡みの記事だったので、偶然が重なってちょっとびっくりです。)
 

ハーシェルと天王星の環

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 7月22日(日)20時32分18秒
返信・引用
  本格的な夏ですね。蝉の声もにぎやかに聞こえてきました。
さりながら掲示板は空白が目立ち、本サイトの方も更新がお留守になっており、申しわけありません。

ところで、ようやく上記の話題で「天界」(東亜天文学会の機関誌)に記事を投稿しました。
といっても、先日の談天の会で配布した資料に雀の涙程度の加筆をしただけという、ちょっと安易な内容。それでも資料的意味合いからも、埋もれさせるのは惜しいと思って投稿しました。

そういうわけで、内容を協会のサイトに引用するのは、しばらく後になります。
 

Re: Re: ハーシェルと天王星の環

 投稿者:山田@OAA  投稿日:2007年 6月27日(水)18時35分28秒
返信・引用
  > No.107[元記事へ]

管理人さんへのお返事です。

お役に立っていただけたら幸いです。発表前に混乱を来たしたようでしたらお詫び申し上げます。

「灯台下暗し」に関しては、私も先だって「『ジョージの竪琴座』の“ジョージ”は二世王ではなく三世王だったろう論」で経験しました。19世紀の天文古書を漁っていたのに、身近なところで日本でも村上忠敬氏が言及していました。嬉しい誤算でした。
 

Re: ハーシェルと天王星の環

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 6月26日(火)21時15分54秒
返信・引用
  > No.106[元記事へ]

山田様

ご教示ありがとうございました。

天王星の環を見つけたぞ!と喜び勇んだ人が、「環はハーシェルが200年も前に発見済みだよ」と言われたような心持ちといいましょうか、まさに灯台下暗しでしたね。

確かに、ハーシェルと天王星の環のエピソードは降って湧いたような話ではなく、Eves博士も先行文献を挙げておられましたが、身近なところでも既に紹介済みでしたか。

さすがはわが協会の創設者、斉田先生。遺漏がない、と申し上げるべきでしょう。
明日、さっそく本を見てみます。

談天の会の方はすでにエントリー済みなので、ちょっと神妙な面持ちで参加してきます。
 

Re: ハーシェルと天王星の環

 投稿者:山田@OAA  投稿日:2007年 6月26日(火)18時37分42秒
返信・引用
  > No.105[元記事へ]

OAA の山田と申します。こちらでは、はじめまして。
標記「ハーシェルと天王星の環」に関してコメントさせてください。

管理人様が#100で紹介しておられた AstroArts の「天文ニュース」は私も拝見してはいたのですが、このほど斉田 博氏の『おはなし天文学』を読んでいたら、その第4巻にズバリ「ハーシェルは天王星の環を見たか」という項目がありました。(255~266ページ)ちなみに、斉田氏がこのネタを『天文と気象』に書いた2年前の1975年に、月刊『天文ガイド』の5月号と6月号に広田 誠氏という方が同じテーマの記事を寄稿していたらしいんですね。ともあれ、管理人様がハーシェルの原論文を近々アップしてくださるそうなので楽しみにしています。

野地様#101にて

> また1977年以前に某天文台でも光電観測中に天王星付近のちらつきを観測したそうですが、
> 誤差だろうで終わったとか^^”

と仰っていますが、斉田氏によれば1977年に天王星の環が発見されたときに、その存在を理論的に予測した論文があったのですが、ちょうど印刷中だったので、その理論が公表されたのは環の発見後のことになってしまったのだそうです。斉田氏はこの論文についても「『おはなし天文学』の続巻でとりあげるつもり」と書いているのですが、たしか『おはなし天文学』は4巻で終わりで、続編の『星を近づけた人々』は恒星についての話題を取り上げていたかと思います。

あと『おはなし天文学』には、海王星の環も19世紀に既に発見されていたという話題も取り上げられています。当事者はウィリアム・M・ラッセル。イギリスはリヴァプールのビール醸造業者で、典型的な「グランド“お大尽”アマチュア」天文家です。(『ビクトリア時代のアマチュア天文家』99~104ページ参照)ラッセルは当時次々と見つかった新しい衛星や環の発見において物議を醸したトラブル・メーカーでもあったようです。
# やはり本職が「醸造家」だけに、「醸す」のが得意なのでしょうか……。
 

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